第33話:存在意義 -2-
船に術をかける許可をアンガスから取るには、かなり手間取った。
「そんな都合のいい術があるわけねえだろ」
頭から信じないアンガスに、
「それがあるのです。神の奇跡を信じなさい。信じないあなたは不信心者ですぞ」
アベルも強引な説法で返す。予想はしていたが話にならない。
「いやいや、信じられないのは分かるが本当なんだよ」
「そうそう。村ひとつ丸ごと魔物の害に遭ってないところがあってね。びっくりしたよ」
「本当だぞ」
口をそろえて説得しようとするが、
「バカの一味の言うことなんか信じられるかよ。これは俺の船なんだ。わけのわからない術なんかかけられたくねえよ」
アンガスも頑固だ。
憤ったアベルは、
「大神殿の三等神官の言葉を信じないとは何事ですか。神官を疑うことは、神を疑うにも等しい侮辱ですぞ。そのような輩には神罰が下ります」
などと言い出した。話がややこしくなりそうなので、いったんロハスになだめさせなければならなかった。
「なあアンガス」
ティンラッドが言う。
「君の船には私たちも一緒に乗るんだ。自分たちの身を危うくするようなことはしない。それに私だって船乗りだ。理由もなく船を傷付けるような真似はしないぞ」
アンガスはもじゃもじゃの毛の下から疑わし気にティンラッドを眺めた。
「船もねえくせに船乗りとは笑わせやがる」
「今だけだ。船と離れていたって私は船乗りだぞ」
しばらくにらみ合ってから、アンガスは少し口調を和らげた。
「……いいだろう。てめえは最悪の大バカな厄ネタ拾いだが、海と船がなくっちゃいられねえ生粋の船乗りだ。それは認めてやる。俺の船を傷付けるつもりはねえと、てめえの船乗りの魂に誓えるか?」
「ソエルの港町で保管してもらっている私の『風の翼』号にかけて誓おう。君と君の船を害するつもりはない。アベルの術は本物だ」
アンガスはかなり考えてから、分かったと言った。
「今回だけはてめえを信じてやる、ティンラッド。てめえを乗せると決めた瞬間から、厄ネタなのは分かりきってたんだ。こうなりゃ毒を食えば皿までよ。その魔物が来なくなる術とやらをやってみろ」
こうしてようやく術をかける許可を得たのに、アベルはやはりルーレットでマイナスの目を出して失敗した。しかもそれをなかったことにしようとする。
オウルは胃が引き絞られるような気分がした。なけなしの船長の信用をかけているのだから、せめてもう少し誠意のある対応は出来ないのだろうか。
それでも何とか船に結界を張り終わって、出航の準備が整う。すると船室に引っ込んだはずのハールーンが、甲板に上がって来て文句を言い出した。
「何だかこの船、昨日より居心地が悪いんだけど。固くて狭い寝台でも我慢して横になってやってるのに、ざわざわして落ち着かないよ。僕のヘビたちも何だか様子がおかしいし」
砂漠で捕まえた砂ヘビ(魔物)が入っている壺を振り回して訴える。うるさい。
「そうかね」
意外なことにバルガスがさっと対処した。
「船酔いがひどくなっているのかもしれんな。私が調合した胃腸薬を出してやろう」
珍しいこともあるもんだとオウルは思った。だがアンガスが、
「ヘビ? ヘビって何だ」
と目を吊り上げているのを見て、『勝手に生き物(魔物)を持ち込んで』云々という騒ぎになる前にバカ(ハールーン)を何とかしようとしているのだと気付いた。
「おい、ヘビって何だ」
「何でもねえ。あいつ、ちょっと変なんだ」
オウルもそう言って誤魔化しておく。
普通ならこんな雑な言い訳が通じるわけもないが、ハールーンやアベルが相手なら通じてしまいそうなところが恐ろしいと思う。
「そうか。何であんな奴をパーティに入れてるんだ」
実際、通じた。
通じてしまうのもどうなのかと本当に思う。そしてなんであんな奴が同じパーティにいるのかはオウル自身にとっても大いなる疑問だった。
「ハールーン殿はまだ体調がすぐれないのですかな。こんな時こそ大神殿の三等神官たる私の出番では! 失礼ですが魔術師の調合した怪しい薬などに頼らずとも、神殿には回復・治療のために長年研究されてきた数々の神言が」
アベルがしゃしゃり出てきて何か言っているが、本人の回復技術の方がよっぽどあやしいのでみな黙殺した。
バルガスだけが冷ややかに、
「たかが船酔いに貴重な神殿の神秘を浪費するほどのこともないだろう。この程度のことなら民間療法で十分だ」
と言ってハールーンの背中を押した。
「むむ。確かにそうですが」
おだてに弱いアベルは持ち上げられると反論に困る様子である。こういう時はバルガスの如才なさが頼もしいと、オウルも渋々ながら思った。
「ちょっと! この程度のことって言い方はないでしょう。辛いのは僕なんだよ」
ハールーンが異議を申し立てているが、バルガスは強引に彼を甲板から押し出す。
それから振り返って、
「オウル君、こちらを手伝ってくれたまえ。アベル君には結界神言が十分に働いているかの確認と索敵をお願いする。アベル君の優秀な索敵能力は、この航海になくてはならんものだからな」
ほめられたアベルは鼻を高くした。
「左様ですな。ではハールーン殿の治療はバルガス殿とオウル殿におまかせしましょう。昨日も私だけが魔物の接近に気付きましたからな!」
偉そうに言っているが、魔物だと気付いていたのかどうかははなはだあやしい。
ただし無駄に観察力があるのは確かなので、大雑把な魔物探知機として置いておくのは有効と言えるかもしれない。少なくとも回復をやらせるよりはマシだ。
だが、ハールーンに薬を飲ませるだけなら自分の手伝いなどいらないはずなのだが。バルガスの意図を計りかねながら、オウルはその場を収めるためにとりあえず二人の後を追って船室に続く梯子を下りた。
船室は暗く狭く汚く、酒とカビのにおいがした。
こんなところに籠もっている方が具合が悪くなるというアベルの意見は正しい。ハールーンは良くここで寝ていられるものだとオウルは思った。
生まれ故郷のオアシス都市で、ゴミと埃とカビだらけの部屋に平然と生息していたハールーンだ。そういうものに耐性があるのかもしれない。
バルガスはハールーンを寝台に座らせ、どんな具合なのかを詳しく聞いた。壷の中の魔物の様子も見、昨日と今日ではどちらが辛いのかと細かに症状を聞く。
「今日の方が悪いよ」
ハールーンは熱をこめて訴える。
「昨日は船がぐらぐら揺れて気持ち悪くて吐きそうだったんだけど、今日は体中がざわざわしてとにかく落ち着かないんだ。横になっても眠れないし、もう一刻もここにいたくない。ここにいるだけでどんどん具合が悪くなる気がする。外が水でさえなかったらさっさと船から飛び降りたいくらいだよ」
熱弁を振るう様子を見ていると、だいぶ回復しているようにオウルには見えるのだが。昨日は口をきくのも大儀そうだったが、今日はしゃべりまくる元気はあるようだ。
そして、こんな部屋でよく眠れるなともう一度思った。寝台の敷布や毛布も汚い。虫でもいそうだ。
しかしハールーンにはやはり、そういうものとうまくやっていく特殊能力があるのかもしれない。
「では、胃腸薬と睡眠薬を処方しよう」
ハールーンのおしゃべりをさんざん聞いた後、バルガスは静かにそう言った。
「アンガス船長の話だと、夕方には目指す街に着く予定だそうだ。この薬を飲めばすぐにぐっすり眠れる。到着の前ごろにはすっきり目覚めるはずだ」
「ホントに効くの?」
ハールーンは疑わし気に渡された薬を見る。
「それに僕のヘビたちは……」
「安心したまえ」
バルガスは言った。
「君のヘビたちは船を降りれば元の状態に戻る」
その言葉が確信に満ちていたせいか、
「そうなの? ならいいけど」
ハールーンも勢いに乗せられたようで、素直に薬を口に放り込んだ。
「でも僕、繊細だからさ。これで効き目がなかったり悪くなったりしたら……」
と言っているうちにボーっとした表情になり、たちまち横になって寝息を立て始める。
「手持ちで一番強力な睡眠薬だ。これで日が西に傾くまでは起きて来ない」
バルガスは平然と言った。
「胃腸薬は」
「眠っていれば船酔いもしないだろう」
こいつひでえ、とオウルは思った。要するに面倒くさいヤツの口をふさいだだけなのだ。さすが闇の魔術師を名乗るだけのことはある。
「君はどう思った」
急に聞かれてオウルはきょとんとする。
「ハールーンか? うるせえと思ったけど」
「それだけか」
バルガスは冷笑した。感じの悪い笑い方にオウルはムッとしたが、引っかかりもする。相手の態度が悪いのはいつものことだ。だが質問の内容が奇妙だった。