第32話:内海を渡る -5-
翌日になると、ロハスは商品の取引をしたり両親や祖母の墓に参ったりと忙しく過ごした。他の仲間たちはのんびりと港町の滞在を楽しむ。
ティンラッドは港に出かけて行ったが、
「このバカを俺の船に来させるな、邪魔だ」
とアンガスに送り返されて来た。
「あいつが船員になれと言うから顔を出してやったのに、なんて勝手な男だ。あんな男に使われる船員がかわいそうだ」
ティンラッドは憤慨した。だがどんな感じで邪魔になったのかオウルにはだいたい想像がついたので、おとなしく引き取っておいた。
そして出航の日がやってくる。
「坊ちゃま、どうぞお元気で。ご無事に向こうにつきますように」
シルベは船着き場まで見送りに来た。
「うん、シルベさんも元気でね。店をよろしく」
それはもう、とシルベはうなずいて大きな包みを差し出した。
「こちらの荷物はお嬢様に。お嬢さまのお好きな焼き菓子やこちらの商品を詰めました」
「ありがとう、姉ちゃん喜ぶよ」
ロハスは笑って包みを受け取る。
そんな名残惜しそうな別れの情景の横では。
「いいかティンラッド、最初によく言っておく。俺の船で余計なことはするな。お前はただ言われたことだけやればいい。それを肝に銘じておけ」
「分かっているぞ。船の上で船長の命令は絶対だからな」
「本当に分かってるのか? どうも信用ならねえんだよてめえは。いいか、妙なことしやがったら内海の底に沈めてやるからな」
船長二人が言い争っている。
更に船の近くでは、
「うわあボロボロだね。大丈夫なのかな、途中で沈んじゃわない?」
「大神殿の神官を乗せる船としてはいささか不満がありますな。もう少し華やかに飾って神への敬意を表してほしいところですぞ」
「せめて中は豪華だといいけど。あれだけのお金を払ったんだからさ」
「お酒飲み放題だといいですな」
「美味しい料理も欲しいよね。あと、ふかふかの寝椅子」
バカ二人が勝手なことを言っている。
良くも悪くも通常通り。外套の頭巾をいっそう深く下ろしながら、オウルはため息をついた。内海を渡る潮風が冷たい。
「ロハス坊、元気そうだな。シルベも相変わらずのようだ」
船乗り姿の初老の男が近付いて来て、ロハスとシルベに挨拶した。
「オニスさんだ!」
ロハスは嬉しそうに目を輝かせる。
「久しぶりだなあ、会えて嬉しいよ」
「親父さんの葬儀以来だな」
オニスと呼ばれた船乗りは口許を皮肉にゆがめる。
「俺は今、アンガス船長のとこで世話になってんだ。ロハス坊が来るって聞いて楽しみにしてたぜ」
「オニスさんの水先案内なら安心だね。船長船長! この人、ずっとうちの店の船を預かってくれてたんだよ。オレもよく乗せてもらったんだ」
「親父さんに叱られて、反省するまで波の上にいろって船に乗り込まされたこともあったな。ずっとめそめそしてた坊が大きくなったもんだ」
笑うオニスの言葉に、ロハスはきまり悪そうな顔になる。
「あー、それは忘れて。とにかくオニスさんはルザへの航路のことなら何でも知ってるんだ。この人がいれば安心だよ」
「買いかぶりすぎだ、ロハス坊。昨今はそうでもない」
オニスは苦笑いする。
「魔物の動きは読めねえからな」
「慣れた人がいるのか。よろしく、ティンラッドだ。海では船長をやっていた」
ティンラッドはオニスに挨拶をする。
「アンガス船長から聞いてる。ロハス坊が世話になってるそうだな」
「オニスは有能な水先案内だぜ。慣れない土地で俺が船長やってられるのも、オニスがいてくれるからだ」
アンガスもうなずく。
「とりあえずは安心して良さそうかな」
オウルは呟いた。元海賊のアンガスのことをひそかに危ぶんでいたのだが、内海をよく知っているオニスがいるなら信頼してもいいのかもしれない。
アンガスは船主というだけで、実質的な船の運航はオニスが取り仕切っている可能性もある。
「こんなことわざがなかったかね」
その気分に水を差すように、隣に立ったバルガスが皮肉っぽい口調で言った。
「ひとつの船に船長が二人いると船が沈むとか」
オウルの気分は一気に暗くなった。
一つの船に指揮をするものが二人以上いると、下のものは誰に従っていいのか分からなくなって船が迷走して沈む……とかいう意味だった気がする。
オウルは虚ろな視線を船の方に投げた。
アンガスの『海の妖婦三世号』。これから彼らが乗り込むその船には、三人の船長(経験者含む)が乗ろうとしている。
船の持ち主で、指揮官であるアンガス。
航路を熟知しており、本人も船長経験があるオニス。
そして船がないのに自分を『船長』と言ってはばからないティンラッド。
二人で船が沈むなら、三人船長がいたらどんなことになってしまうのか。
この旅も平穏にいきそうにない気がして、オウルは胃が痛みだすのを感じた。