第32話:内海を渡る -2-
ハールーンは昼前に起きてきて、自分だけ朝食が食べられなかったことにやっぱり文句を言った。(全員黙殺した)
昼食を食べてから、船着き場近くの宿屋に泊まっている『凄腕の船長』に会いに出かける。オウルも仕方なく同行した。ティンラッドとロハスという組み合わせでは話がどんなことになるか分かったものではない。
「こっちこっち」
ロハスが手招きする。
「昔は内海を渡って来る船乗り相手に繁盛してた宿屋だけどね。今は船乗りもほとんど来ないでしょ。街の人を相手の酒場が本業みたいになってるよ。どこも大変だよね」
通りに立ち並ぶ店は寂れた様子のものも多い。昔は賑やかな街だったことがうかがえるが、それだけに魔物によって通行が阻害されるようになった影響が大きいのだろう。
「ここだよ」
ロハスは酒瓶の形の看板が下がった扉を開ける。
「こんちはー。邪魔するよ」
声をかけるのと同時に、
「酒だ酒だ! 新しい酒を持って来い、店主!」
というだみ声が中から響いた。
奥の席にもじゃもじゃな黒髪を長く伸ばした大柄な男が座っている。空の酒瓶が周りにいくつも転がっていた。
「お客さん、飲みすぎですよ」
困り顔の店主がたしなめている。
「昨夜も浴びるほど飲んでたじゃないですか。いくらなんでも体に悪いですよ」
「うるせえ。金ならあるんだ、文句言うんじゃねえ。金が足らなきゃ船を質に入れろ、出航できない船なんか何の役にも立たねえんだ。船乗りが船出できなきゃ飲むしかねえだろうが!」
「なんだ、『酔いどれアンガス』じゃないか」
騒いでいる男を見てティンラッドが落胆した顔になった。
「すごい船長に会えるというから楽しみにしていたのに。帰るぞ君たち、この男なら私が操船した方がマシだ。ああ、いや」
何か思いついたらしい。つかつかと歩き出した。男の前に立つと、
「アンガス。船が要らないなら私に寄越せ」
いきなり要求した。
「あーん?」
酔っ払いの男は濁った眼でティンラッドを見上げた。その顔が驚愕に歪む。
「飲みすぎちまったかな。変なもんが見えるぞ。ティンラッドが見える、超弩級のバカが見えるぞ」
「知り合いみたいだな」
「そうだね」
オウルとロハスは即座にそう判断した。ティンラッドの顔を見ただけで『バカ』と言い切ったのだから、間違いない。
「君にバカと呼ばれる筋合いはないぞ。とにかく船が要らないなら譲り受けるから寄越しなさい、すぐに」
「ふざけんなバカ。渡すわけねえじゃねえか。人の顔見るなり何を言ってやがるんだ」
「今言っていたじゃないか、船は要らないから質に入れると。それなら私が譲り受ける。ちょうど内海を渡ろうと思っていたところなんだ」
「酔った勢いの言葉を真に受けてんじゃねえよバカ! だいたいどうしててめえがこんなところにいるんだ。海なら方向違いだぜ」
「うん。私の方もついに船出に付き合ってくれる乗組員がいなくなってしまってな」
ティンラッドが珍しくため息をつく。
「そりゃあご愁傷さまだ」
アンガスという男はせせら笑った。
「こんな時代に船を出していたのはお前ひとりだったからな。よくあそこまで保ったもんだぜ。それで船乗りバカが陸にのぼったわけか。はっ、お前みたいなヤツが船を降りて何が出来るってんだ」
「ああ。暇になったから、今は魔王でも倒してみようかと思っている」
その返答を聞いて、アンガスは盛大に口から酒を噴き出した。
「ま、魔王?! 魔王ってあの、この世のどこかにいるとかいないとかいう魔王?! バカじゃねえの。いるかどうかも分からない相手をどうやって探すんだよ。あ、そう言えばお前バカだったな」
手を叩いて哄笑する。
それから真顔になってティンラッドをまっすぐに見た。
「ああ、バカバカしすぎて酔いが醒めたぜ。この素っ頓狂加減、残念ながら本物のようだなティンラッド。内海を渡りたいだ? まさかと思うが、『神の秤』商会から話があったっていうルザへ行きたい客ってのはお前のことじゃあるまいな」
「別に君は来なくていい。船さえ譲ってくれれば勝手に行く」
「譲らねえって言ってんだろ、人の話を聞かねえバカだな相変わらず!」
「あー、船長」
話が進みそうにないのでオウルは口をはさんだ。
「話がはずんでいるところ悪いんだが、船を出してもらえるかどうかの相談だけ先にやらせてもらえないか。後は勝手に旧交を温めてくれ」
「この男は友達じゃないぞ」
「ふざけんなよ。俺はごく一般的で常識のある船乗りなんだ、こんなバカと友達扱いするんじゃねえよ」
両方から否定された上にアンガスには睨みつけられてしまったが、オウルにはやはり同類にしか見えなかった。
怒鳴った後でアンガスは、つらつらと頭巾をかぶったオウルを眺める。
「何だこの胡散臭いやつは。魔術師か? まさかティンラッドのとこの新しい乗組員か」
「船には乗らないですがね。まあそんなようなものです」
オウルは渋々認めた。パーティの仲間であることまで否定は出来ない。
「こいつと旅してるんなら、船がなくても船に乗ってるようなもんだろうよ」
笑い飛ばすアンガスは、やはりティンラッドのことをよく理解しているようである。
「あのー、アンガスさんはうちの船長とはどういうお知り合いで?」
後ろに隠れていたロハスがしゃしゃり出てきた。
「うちの船長ってどんな船乗りだったんですか。やっぱり海賊?」
ロハスも疑っていたのかとオウルは思った。オウルも前からそう思っていた。
「何だてめえら、こいつのこと知らねえのか。こいつは海賊じゃねえよ。……海賊よりタチが悪いんだよ」
アンガスが睨むと、
「私は海賊じゃないぞ」
ティンラッドは憮然とした。
「海賊は君の方だろう、アンガス」
「俺だって海賊じゃねえよ。時と場合によっては海賊的な行為をすることもあるが、ごく一般的な商船の船長だ」
それを海賊というんじゃないだろうか。とオウルはツッコみたかったが、混乱を更に拡大させるだけの気がするので堪えた。
「俺の船を追ってきやがって襲撃したことは忘れてないからな、ティンラッド」
「あれは君が私の顧客の荷物を持ち逃げしたからだろう」
「だからって船の帆柱を折ることないだろう!」
「あれは事故だ」
「事故じゃねえ! お前んところの筋肉女がへし折ったんだろう」
「悪かったと思ったから最寄りの港まで曳航してやったじゃないか」
「当たり前だバカ野郎、そんなんで帳消しになるか」
因縁も怨恨もたっぷりありそうな二人の言い合いは延々と続いた。
それを聞かされるオウルは、やはりこの二人は同類だと痛感し。
やっぱりティンラッドは昔からティンラッドなのだと、骨の髄まで思い知らされたのだった。