第31話:岸辺の街 -6-
食事の後はそのまま広間で眠ることになる。
酒に弱いハールーンは、早い時点でふかふかの寝椅子で丸くなってしまった。
「あっコイツ、一番寝心地の良さそうな場所取りやがった」
べちべち叩いても起きない。
「姉様ぁ……」
とか寝言を言っている。
「寝心地など気にすることはないですぞ、オウル殿。今夜は夜通し飲みましょう」
「君もこっちへ来なさい」
酔っ払いの神官と船乗りが何か言っているが無視する。あの二人に付き合ったら、潰れるまで飲み続ける泥沼に突入するしかない。オウルは絶対に参加したくなかった。
しかしそれはそれとして、小言のひとつも言いたくなる。
「あんたらなあ。ソエルの王城でも思ったが、他人の家に乗り込んでその態度はどうなんだ。人んちの酒だぞ。少しは遠慮しろよ。あと少しは行儀よくしろよ、外面を取り繕えよ、特に神官。久しぶりに実家に戻ったロハスの立場を考えろよ」
「あ、別にいいよ気にしなくて。こうなるの分かってたし」
食器の後片付けをしながらロハスが意外にサラッと言った。
酒代がどうのこうのとケチくさいことを言い出しかねないと思っていたロハスの鷹揚さに、オウルはびっくりする。
「どうしたんだお前……おかしいぞ。家に戻って熱でも出したのか」
「そんなわけないでしょ。とっくに一番安いお酒にすり替えてるから、大丈夫だよ。悪酔いするヤツだけど、船長は別に平気だろうしアベルは悪酔いしてるくらいでちょうどいいし。ああなったらどうせ二人とも味とか分からないし」
普段のロハスだった。
「分かった。俺はもう寝る」
バカバカしくなって借りた毛布を手に持ち、部屋の隅っこで眠ろうとする。ところがその場所は既にバルガスに取られていた。
「何だよちょっと目を離した隙に。起きろよ先達、その場所は俺が目を付けていたんだよ」
揺すってみるがバルガスも起きない。タヌキ寝入りに違いないとオウルは思った。
「坊ちゃま。お部屋の方に寝台の用意がしてありますが」
シルベが食器を下げにやって来て、ロハスに声をかける。
「あーいいや。オレもこっちで寝るよ」
「ですが……」
「いいからいいから。この人たち見張ってないと何するか分からないしね」
何だか自分もティンラッドやアベルやハールーンと同程度の問題人物だと言われたような気がしたが、ここで口を挟むと話が面倒くさくなるだろう。そう思ってオウルは耐えた。
「そうですか」
ロハスを見るシルベの目は心なしか寂しそうだ。
「今日は大盛況でしたね。おかげで私どももたらふくカニをいただけました」
「あー。うちの船長、無謀だけど強いから」
「街の人たちも喜んでいましたな。やはり『跳ねるニシン』は一味違うと……。坊ちゃま、旅をやめてこちらに戻って来てくださる気はありませんか。この街には『跳ねるニシン商会』の一族が必要なんです」
急に重い話になってオウルは困った。バルガスを見習ってさっさと寝たふりでもしておくべきだった。
ティンラッドとアベルは赤い顔で酒を飲むのに夢中だし、うろたえているのはオウルばかりだ。
「あー、ダメダメ」
ロハスはごく軽い調子で番頭の提案を一蹴した。
「間違えちゃダメだよシルベさん。ここはもう『跳ねるニシン』じゃなくて『神の秤商会』なんだよ。あなたも『神の秤』の従業員なんだからさ。オレにはこの店を買い戻すだけの資金はない。そもそも店は姉ちゃんと義兄さんの子供に継がせるって約束で、『神の秤』が負債を払ってくれたんじゃないか。心配しなくてもセリアか、その弟か妹がそのうちここを継いでくれるよ」
「その頃には私はもうこの世にいないでしょうなあ」
シルベは悲しげに微笑んだ。
「詮無いことを申しました。忘れてください」
「ううん、ありがとね。あなたがいてくれるうちはさ、オレもまだここを家だと思っていいのかなって思っちゃうんだ」
「それはもう、ここは坊ちゃま方の家ですとも」
深くうなずくシルベに、ロハスも微笑み返した。
「ああ、そうだ。明日でいいんだけど、今この街に船を出してくれそうな人はいるかなあ。出来ればルザの街へは船で行きたいって話になっててさ」
「船ですか、あまりお勧めはしませんが。停泊している船があったはずですから、夜が明けたら人をやってみましょう」
シルベは丁寧に礼をして広間を出て行った。ロハスは卓の上に金を広げて数え始めた。
「何やってるんだ」
「カニ売ったお金を店とこっちで三対一で分けたから、取り分の確認」
「何だ、全額宿代代わりに入れたんじゃなかったのか」
「宿代分があるから三対一。こっちが危険を冒してカニ獲って来たんだから、いくら何でもタダでは渡せないでしょー」
「お前の価値観が分からねえ」
オウルは首を横に振った。実家を大事に思っているのかいないのか。どっちなのか。
「いや、だってオレの商売とここの商売は別物だし。明日は旅で仕入れて来た物を取引するよ」
「普通に取引するのか」
やっぱりよく分からないとオウルは思う。
「お前、良かったのかよあれで。実家に未練があるんじゃないのか」
オウルの言葉にロハスは手を止めて顔を上げた。
「話、聞いてたでしょ。ここはもうオレの実家じゃない。よその店なんだよ。シルベさんが昔のよしみで泊めてくれてるだけなんだ」
そう言ってからため息をつく。
「シルベさんが早めに帰してたけど、オレが知らない店員も増えてた。本店から人を寄越してるんだと思う。姉ちゃんがここに住んでいるなら話も違うけど、こうなってくるとね。さっきのオウルの話じゃないけど、どうやったって戻らないものはあるよね」
そう言われてしまうとオウルも、
「そうだな」
としか返しようがない。
ロハスは髪を軽くかき上げた。
「オレは三男だから、もともと家を出るつもりではあったんだけどさ。親父の跡を継ぐならともかく、よその店で働くっていうんじゃ魅力を感じないしね。自由に商売する楽しさを知っちゃったから、そういうのは出来ないよ。どうせ商売するなら楽しくやらなきゃだしさ」
「自由か」
「そう。自由。大事じゃない?」
「そうだな」
自由に選んだ結果が、どこにいるのかも分からない実在するかも不明な魔王探しの旅というのも不毛な気もするが。
「……そうだな」
オウルはもう一度つぶやいた。
さっき仲間にした話は嘘ではない。都を出た経緯は本当のことだし、昔の知り合いに会いたくないのも本当のことだ。
だがそれが顔を隠す理由の全てではないことを、まだ話していないことがあることを、オウルは少しだけロハスにすまないと思った。
顔を背けて毛布にくるまり、床に転がる。
外からは一晩中波の音がしていた。