第31話:岸辺の街 -5-
「ああ、儲かった儲かった」
順番に湯を浴びてすっきりしたところへロハスが戻って来た。
「いやー。大鍋でゆでたカニを漬け汁と一緒に売ったんだけど、売れる売れる。あの大きい魔ガニ一匹が即座に完売だよ。オレの目論見どおり店の評判も上がったみたいだし、タダで獲って来たカニで万々歳。カニ様様だねえ」
「タダじゃねえよ。俺たちの命を賭けてきたんだよ」
オウルがツッコんだが上機嫌のロハスはそれを無視した。
「ねえちょっと」
ハールーンが疑わしげな顔をしてくちばしを突っ込んでくる。
「何それ。僕たちが苦労して獲ったあのカニ、そんな簡単な料理にしちゃうの? もっと手の込んだ料理が食べられると思ってたのに」
その観点は違うのではないか。そうオウルは思ったが、砂漠の変態王子様は真剣に抗議しているらしい。
「あ。バカにしちゃーいけないよハルちゃん。これはこの地方に昔から伝わる食べ方でね。時間をかけて作った出し汁でカニをゆでるんだ。すると生臭みも取れるしカニの旨みも存分に味わえるんだよ」
「僕はそういうのじゃない料理が食べたいんだよ」
「大丈夫安心して」
ロハスはにんまりと笑って請け合った。
「他の料理も用意してもらってるから。何しろカニはたっぷりあるからね!」
ほどなく料理が運ばれてきた。
まずは大きな土鍋で、ロハスの言っていた『伝統的な料理法』のカニを味わう。
「ふむ。さっぱりしてなかなか美味しいではないですか」
「うん……悔しいけどこれ美味しいや。上品だね」
「そうでしょうそうでしょう」
料理をほめられてロハスの機嫌が更に良くなる。
葡萄酒も供されると食卓はさらに賑やかになった。次に運ばれてきたカニ料理は、濃厚な味付けの炒め物だ。
「煮込んで味をしみこませてから、もう一度火を通してるから。これは南の方の食べ方だね、この街は交通の要所だからいろいろな地方の人が集まって来たんだ。……昔はね」
そう説明してロハスはちょっと寂しげな顔をする。
「今はだいぶ寂れちゃったけどね。内海の向こうのルザの街は、大神殿に近い分まだ賑やかにやってるけど」
「そうそう、こういうのが食べたかったんだよ」
ロハスの慨歎には耳を貸さずにハールーンはカニに舌鼓を打っていた。
「さっきみたいなさっぱり味もいいけど、やっぱりこれくらい複雑な味の方がいいよね」
「ふがふが、はいへんへっほうへふひょ」
アベルが口にいっぱい物を詰め込んだままで相槌を打つ。何を言っているのか全く分からない。
「地方ごとにいろいろな食べ方があるのはいいな。どれも美味いぞ。酒も美味い」
ティンラッドはカニをむしゃむしゃ食べながら機嫌よく笑った。『カニ食べ放題』にこだわっただけあり、一番たくさん腹に入れている。
「私の生まれた地方では中味を一度出して甲羅に盛って焼くのがご馳走だったんだ。あれも美味かった」
「それも美味しそうだね。船長の生まれたところってどの辺なの?」
「南の海沿いの港町だ」
「どんなところ?」
「海がよく見えた」
当たり前だと聞いていたオウルは思った。ティンラッドはもう酔っているらしい。普段通りだと言えば普段通りな気もするが。
「ところでさ。オレはとても疑問なんだけど」
ロハスがオウルとバルガスの方を向いて言った。
「二人とも、何で店の中でまで頭巾をかぶってるのさ。食べにくくない?」
オウルは黙り込んだ。ツッコまれたくないところだったのだ。
誰も触れないし、このまま酔っぱらって気付かないでいてくれたらいいと思っていたのだが。
「オウル?」
名前を呼ばれて黙っていても誤魔化しきれないと観念する。
「分かった。話すよ。あまり言いたくない話なんだが」
オウルは声を潜めた。
「前に先達が言っていただろう。俺が魔術師の都で師事していた方は、無実の罪を着せられて恥辱の中で自死なさった。塔は閉鎖されて、俺たち弟子は選択を迫られた。師匠に着せられた罪を認めて別の塔に忠誠を誓うか、それとも都を去るかだ」
思い出すとついため息が出てしまう。
「魔術師の都で学んだ魔術師にとって都を去るということは、魔術の研鑽を諦めて一流への道から脱落することだ。それを嫌って他の塔に移った弟子ももちろんいた。でも俺は都を去る方を選んだ。それだけの話だが、昔の知り合いにばったり会って的外れな同情やいわれのない批判を浴びるのも面白くない。思ったよりも大神殿に近付いていることが分かったからな。大神殿と魔術師の都は目と鼻の先だ。だから当分の間、顔を隠すことにしたってわけだ」
「そうなんだ」
ロハスは目を丸くする。
「よく分からないけど、魔術師の都っていうのもいろいろ面倒そうだね」
「狭いところだからな。価値観も偏ってるし、面倒は面倒だよ」
「へー。それで、バルガスさんは?」
「私も同じようなものだな」
頭巾からのぞく口許が冷笑を浮かべる。
「私も都の人間には顔を合わせたくない立場でね」
「あー。闇の魔術師だもんね。それはマズいの分かる気がするよ」
「そうかね、ありがたい話だ」
バルガスは冷たく言って酒を口に運んだ。
「アベルは大丈夫なの? 神殿もそういうのありそうじゃない?」
「わはひへふか?」
話を振られてアベルが口の中のものを飲み込む。
「私は特にありませんな。公明正大な三等神官ですから。知り合いに見られて困るようなことは何ひとつしておりません」
「へー」
その口調でロハスもツッコミを放棄したのだとオウルは察した。
確かにアベルは知り合いに見られて困るような神経は持ち合わせていないだろう。アベルを見付けてしまって困るのは知り合いの方に違いない。
「それより」
オウルは話題を変えることにした。
「船長が次の街まで水路で行きたいってよ。内海渡りの道は生きてるのか?」
それを聞いてロハスは眉根を寄せる。
「船ねえ……。オレも船長がそう言い出すんじゃないかって気はしてたんだけど。砂漠越えみたいに完全に死んでるわけじゃないよ。一応、たまには船の行き来がある。でもあんまり確実じゃないよ。内海にも魔物が増えていて、三回に一回くらいは沈むから」
それは結構な確率なんじゃないかとオウルは思った。そしてロハスの父親が死んで商売が傾いたのも、大金を投資した貨物船が沈んだのが原因だったのを思い出した。
「確実なのを取るなら陸路だけどね。オレも魔物が出るようになってからは陸路しか使ってないし」
そう言ってからロハスはしみじみと酒を飲んでいるティンラッドを眺める。何を考えているかはだいたい予想がついた。
「……ま、船長が簡単に折れるとは思えないから。明日にでもシルベさんに相談してみるよ。陸路にも魔物は出るし、水路で行った方が早いことは早いんだ」
それからロハスは真っ暗になった窓の外に目をやる。
「昔はね、夜になっても漁火が輝いて内海はいつまでも明るかったんだ。魔物が出るようになってからは、昼間でも漁に出る人は少なくなってしまったけど。オレも世界から魔物がいなくなって、また昔みたいに商売できるようになればいいと思ってるよ」
口に出してしまった言葉を誤魔化すように、そのまま卓の上の杯を手にとって酒を飲み干す。
「ああ、酔っぱらった」
そう言って笑うロハスの本音を、オウルは初めて聞いたような気がしていた。