第31話:岸辺の街 -3-
そんな疑問は置き去りに『魔ガニ捕獲作戦』が開始される。
まずバルガスが黒檀の杖を構え、
「ガル・スム」
呪文を詠唱すると炎の弾が飛び散って、草地で蠢いている魔物たちの間に落ちた。
突然の攻撃に驚いた魔物たちは散り散りになる。
「手近なヤツを標的にするぞ」
バルガスは言ってもう一度杖を振った。
「バラムィ・カルナル」
土手の上から下の草地に向かって鋭い風の刃が吹き下ろされる。数匹の魔ガニが脚を切り落とされ地面にひっくり返った。
「あーっ脚は美味しいのに! もったいない!」
ロハスが叫ぶが、
「すまんな。術の性質上どうしようもない」
バルガスは表情ひとつ動かさない。
「行くぞ」
やりとりにはかまわずティンラッドが土手を駆けおりた。
「君たちも行きたまえ。船長の傍が一番安全だぞ」
バルガスがうながす。
「私はここから援護する」
付け加えられた言葉にチクショウと思いながら、オウルは仕方なくティンラッドの後を追った。
その横を荷車を引っ張ってアベルが走っている。
「重いですぞ……なぜ私がこんな役を」
ぼやくアベルに、
「頑張ってアベル! 脚は早いでしょ」
荷車を後ろから押すロハスが声をかける。
ハールーンの姿は気付いた時にはなかった。まあアベルのようにどこかに雲隠れするということはないだろうから気にしないことにする。ロハスが荷車を引っ張る役をアベルに押し付けたのは、逃げ出させないために違いない。
「魔突……!」
ひとり魔物の群れに飛び込んだティンラッドは、巧みに一匹を追い詰めて新月を構えた。
「諒闇新月!」
打突の必殺技が繰り出される。甲羅の腹にひびが入り、魔ガニはひっくり返った。
考えたなとオウルは思う。ティンラッドの打突は迅く性格だ。点の攻撃であるから、鎧のような甲羅で覆われた敵の防御もくぐりやすいだろう。
得意顔でカニに関する知識を語っていただけのことはあるのかもしれない。
「強すぎたかな」
ティンラッドはひびの入った甲羅を見て残念そうに言う。
「船長、ボーっとしないで。僕たちが作業してる間、他のカニを近付けないようにしてよ」
どこかから現れたハールーンが、倒れたカニの目玉を切り飛ばしながら言った。ハサミでの攻撃を短刀で跳ね返す合間に、器用に複眼をひとつひとつ潰していく。
視力を奪われたカニは、自分を守ろうとしてめったやたらにハサミを振り回す。
「ハサミが危なくてまだ近付けませんぞう」
「そうだよ。ハサミを何とかしてよ」
荷車組から文句が出る。
「僕の力じゃこれ以上はちょっと……」
目玉を潰し終えたハールーンはカニから遠ざかり、『十分に仕事をしたのに文句を言われても』みたいな顔をする。
「どけ。俺がやってみる」
オウルは頭の中で組み替えた呪文をもう一度確認し、杖を構えた。ハサミの付け根を狙って呪文を唱える。
「ロ・ティ・トイ・クア!」
倒れたカニが一度大きく痙攣した。それから片方のハサミがだらんと垂れ下がる。
効果ありとみて、オウルは続けて同じ呪文を反対側にも使用した。
「ハサミを振り回さなくなったぞ。回収しろ」
「ほ、本当にもう大丈夫でしょうな」
「急に攻撃してきたりしないよね?」
「しねえからさっさと荷車に載せちまえ」
アベルとロハスはおっかなびっくり倒れている魔ガニに網をかぶせ、それから二人がかりで荷車に運び込む。
「お、重いですな」
「オレ、金貨の袋より重いものを持ったことがないのにい」
「行こう。次のやつを無力化しなきゃ」
荷車組の嘆きは無視してハールーンが言った。少し離れた場所で、ティンラッドがひとりで奮闘している。最初にバルガスが倒した魔ガニに他のカニが群がって来るのを押しとどめているのだ。
「それにしても効果抜群だったね。いったいどんな呪文だったの?」
青い瞳が探るようにオウルを見る。
「秘密だ」
オウルは不愛想に言った。
「ほら、さっさと片付けるぞ」
次の魔物を処理にかかる。
口が裂けても言えないが、とオウルは思った。あの呪文の原型は、塔の先輩魔術師が開発した『カニを食べる時に甲羅から身がはがれやすくなる呪文』である。そんなことを口にしようものならバルガスはまた失笑するだろうし、ハールーンも顔で笑いながら辛辣なことを言うに決まっている。だから絶対に言うつもりはない。
だがこれを攻撃呪文として使用するのはかなり悪辣なのではないだろうか。生きながら外皮と中味を分離されるなど、想像しただけで寒気がするような拷問だ。
とはいえこちらもハサミの一撃を浴びたら命にかかわる。武器も、まっとうな攻撃呪文も使えないオウルはこうするより他はない。
この業はカニを美味しくいただくことで晴らすことにしよう。痙攣する魔物を見ながらオウルはそう思った。そして呪文の秘密は胸の奥深くにしまって墓場まで持って行こう。
二匹目の魔物をロハスとアベルが荷車に積んでいるうちに、オウルとハールーンは三匹目の魔物を無力化する。
「おい。何だかますます魔物が集まって来ているような気がするんだが」
「集まるよ。だってこいつら、倒れたら仲間でも食べるもの」
三匹目を荷車に載せ終わって、腰を叩きながらロハスが答えた。オウルはぎょっとした。
「バカ、それを早く言え!」
振り返ると、河辺は魔ガニの姿でいっぱいだった。気持ち悪いほどたくさんいる。ティンラッドが散らしているが、それもだんだん困難になって来ているようだ。
「おい船長! 三匹集まった、ずらかるぞ!」
「そうか」
ティンラッドは振り返らずに言った。
「しかし私がここを動いたら、このカニたちが押し寄せてくるぞ」
それはそうである。だが魔物の群れの中にティンラッドをひとり置き去りにするわけにもいかない。
「気を付けろ」
上からバルガスの声が降ってきた。いくつもの炎弾が魔物に向かって撃ち込まれる。
「熱い?! 僕の肩をかすったよ?!」
「ふざけるな先達、そんなの避けられるか!」
抗議の声が上がるが、
「気を付けろと言った」
バルガスは気にする様子もない。
「そんなことを言っている暇があったら走れ。すぐにまた集まって来るぞ」
「その通りだ。走れみんな!」
ティンラッドが素早く荷車の持ち手に取りつき、引っ張って走り出した。馬力と脚の長さを発揮し、素晴らしい速度で坂を駆けあがっていく。
「ああれえええ」
「ま、待ってくだされ船長」
ロハスとアベルは荷車から振り払われてしまった。慌ててティンラッドの後を追う。
そして気が付くととっくにハールーンの姿もなかった。自分が魔物の群れの中に一人残されていることに気付き、オウルもあわてて走り出す。
バルガスの炎弾が近くをかすめていく。後ろからガチャガチャと甲羅を鳴らしながら魔物が迫って来る気配がする。
捕まったら最後だ。恐怖に駆られながら必死に脚を動かす。
「あっ」
手前でハールーンが転倒した。草に足を取られたのだろうか。さすが幸運値マイナス二百……いやな時にきっちりとそのステイタスを発揮してくれる。
「バカ、早く立って走れ!」
人がいいと自分で情けなくなりながら、オウルは立ち止まってハールーンに手を差し伸べた。
「オウル」
ハールーンは目を潤ませる。
「でも靴が脱げそうで……」
「バカか! 靴なんか置いてけ。裸足で走れ」
「だってこの靴気に入ってるんだ」
「バカか! 先に行くぞ」
「ああっ、お助けくだされえ!」
上の方ですっとんきょうな悲鳴がした。
逃げ足の速さを見せつけて先を行っていたアベルが転倒し、立ち上がろうとジタバタしている。その足が傍らの岩を蹴飛ばした。
地盤がゆるんでいたのだろうか。その岩がぐらっと揺れた。
「あ」
オウルはその後起きることを確実に察知して青ざめた。
「え、何」
「頭を下げろ!」
ハールーンの頭を地面に押し付け、自分も草の間に伏せる。その上を、跳ねながら転がって来た大きな岩がかすめて行った。
ぐしゃり。下の方で嫌な音がした。
顔を上げると、何匹かの魔物が岩に潰され無残な姿を晒している。
荷車を追っていた魔物たちが足を止めた。引き返して倒れた仲間に群がっていく。バリバリと甲羅を割る音が聞こえてくる。
「……行くぞ」
オウルはハールーンを引っ張って土手を登り始めた。
さすが幸運値五百。思いもしない時に思いもしない結果をもたらしてくれる。
アベルの幸運が仲間の幸運と限らないことだけが難点だが、今回は感謝すべきなのだろう。多分。