第31話:岸辺の街 -2-
「よし分かった」
ティンラッドがきっぱりと言った。
「カニがないなら獲りに行く。河辺に行けばいいんだな? ロハス」
「そうだけど……そろそろ夕暮れだから魔物の数が増えて危ないよ。やめたら」
「ダメだ。私はカニが食べたい。獲ってくれば料理をしてくれるんだな?」
「家庭料理になりますが、はあ、それはもちろん。ですが危険ですよ。魔ガニは凶暴で大きいですから。専門店では捕獲のために訓練を積んだ戦士を雇っていますが、それでも年に数回は重傷者が出る有様で」
「問題ない。カニなら子供の頃によく捕まえて瓶に入れて遊んでいた」
ティンラッドは自信たっぷりに言い切る。
だがティンラッドの言うのは魔物時代が来る前の、小さく無力だったカニであろう。何の比較にもならないとオウルは思ったが、
「よし君たち、行くぞ。ついてきなさい」
そんなことを言ったところでティンラッドが止まるわけはないのだった。
「行ってらっしゃい。オレはここで歓迎の準備をしているから」
ひとりだけ抜けようとするロハスの襟首をオウルはつかんだ。
「ふざけるな。パーティは一蓮托生、お前も一緒に来るんだよ」
「いやあオレはちょっと」
何とか逃走しようとするロハスの耳元でオウルは囁いた。
「お前が来ないなら、俺はさっきの料理屋で金を払ってカニを食おうと提案するぞ。船長はゴネるかもしれないが、アベルもハールーンも賛成するだろ。そして店に入ったら船長とアベルは値段のことなんか考えずに飲み食いするぞ。先達は暴飲暴食はしないが特別遠慮もしない人間だし、ハールーンはケチだが値段と価値が折り合うと思ったら金に糸目はつけない。後は分かるな?」
「ああっ、待ってそれだけは! あの店は昔は大衆向けの安食堂だったくせに、魔物時代になって魔ガニが高騰した途端に値段を吊り上げてもうけているぼったくりなんだよ。そりゃカニを獲るために戦士を雇ったりしているから経費がかさんでるのは分かるけど、それにしてもあの値段は高すぎるから街でも白い目で見られているんだ。何も知らない旅人だけが暴利をむさぼられるんだよ。あの店は、あの店だけはやめてえ」
「知らん。俺たちは何も知らない旅人だからな、存分に暴利をむしり取られてやる」
「お願いやめて。そんなの商売人として許せない」
「だったら来い」
ロハスは処刑場に引きずられていく罪人のような顔で、
「オレが死んだら骨はばあちゃんの墓の隣に埋めてくれ」
と番頭に言い残し、とぼとぼと後をついて来た。
肩を落としたロハスに案内されて河辺に出る。
河口より少し奥まで戻ったので日は西に傾き始めていた。水はゆったりと流れており、夕霧が出始めている。水際の草地では何か大きなものが蠢いていた。
「うわー。いっぱいいる。夕暮れ時は多いんだよ」
「大きくないか」
オウルは顔をしかめた。距離があってまだはっきりとは分からないが、どうも『カニ』とくくってしまうにはかなり大きいような気がする。
「大きいよ。魔物だもん。当たり前じゃん。だからイヤだったんだよ」
ロハスは浮かない顔で言った。
「ハサミ、腰の高さくらいまであるから。攻撃くらうと片足吹っ飛ぶからね。あと速いから。進行方向に立つとすごい勢いで突進してきてやられるから。で、動けなくなると周り中からカニが集まって来て、寄ってたかって食われるから」
「命がけではないですか」
アベルが青くなった。
「魔物相手だからね。いつもの戦闘と同じだよ」
気が乗らない様子のロハスと並んで、アベルはおっかなびっくり下をのぞきこむ。
「専門店の人というのはどうやってあのカニを捕らえているのでしょう」
「あそこで雇ってる戦士は専門だもん。作戦を練った上で数人がかりで一匹を捕まえるんだよ。カニの活動が鈍い時間を狙ってね」
「人を食べてるかもしれない魔物を僕たちが捕まえて食べるわけかあ。面白いね」
ハールーンが明るく笑う。
「笑うとこじゃねえよバカたれ」
「むしろ食欲が失せますぞ……」
アベルと息が合ってしまったことに何とも言えない屈辱を感じるオウルだったが、この場合は仕方ないとも思う。
「さほど気にすることもないだろう」
バルガスが冷ややかに口を開いた。
「魔物時代が来る前から、人間は野生動物を食べて来たのだ。何を食べているか分かりはしないものをな。大して変わらない。見た目が禍々しくなっただけだ」
「見た目だけじゃなくて凶暴性も増してるんだけどな」
「ますます食欲がなくなりますぞ……」
「ね、獲るならさっさとしないと暗くなるよ」
ロハスが注意をうながした。
「よし、作戦を考えよう」
珍しくティンラッドがまともなことを言う。と思ったら、
「まず近付く。腹を上にして横倒しにする。するとしばらく立ち上がれないからその間に捕まえる」
これでいいだろうと得意顔をしている。
「待った船長、待った」
仕方がないのでオウルが待ったをかける。
「何だオウル」
「脚が早くて攻撃を一発でも食らったら終わりだってロハスが言ったじゃないかよ。近付いて横倒しにするって簡単に言うが、それが出来ればここらのやつらはみんなあのカニを獲ってるんだよ。出来ないから値段が高騰してるんだろが。そこんとこを考えるのが作戦ってもんだろう」
「そうかなあ。カニの進行方向に立たなければ何とかなると思うんだが」
「その何とかが難しいって話をしてるんだよ俺は」
遠目で見ているだけだからおよその大きさしか分からないが、オウルの見たところ魔物のハサミの可動範囲は人間の手足より長そうだ。
動きもロハスの言っていたとおり速い。止まっている時もあるが、動くとなると意外なほど機敏なのだ。
「カニの攻撃は強力だが『溜め』があるんだ」
ティンラッドが得意げに言った。
「狙った獲物の背後に気配を殺して近寄り、狙いすまして一撃を繰り出す。そういう戦法なんだ。だから隙はあると思うぞ」
「そうなのか」
オウルは驚いた。
「確かにそれなら付け入る隙はあるかも……って、やけに詳しいな船長。何なんだアンタ」
「うん。海辺の街の出だからよくカニを獲っては瓶に入れて遊んでいた」
「それはさっき聞いたよ」
「母親が娼妓だったので、私は娼館の下働きをしながら育ったんだが。ある日思いついて、客用の玄関に飾ってあった大きな水槽に、獲って来たカニを入れてみたんだ。初めはカニも戸惑っていたが、そのうち物陰を見付けて身を隠して魚を捕まえだした。面白くて何時間も見ていた」
ティンラッドは懐かしそうに言った。
「……そうしたら、そのカニが珍しい魚を食べてしまったとかで、後で娼館の主人にげんこを喰らわされた。あれは痛かったなあ」
「いや、アンタ何をやってるんだよ」
意外なティンラッドの身の上話にちょっと驚かされたオウルだが、結局出てきた感想はそれだった。
要するに子供の時からティンラッドはティンラッドで、船長だろうが娼館の下働きの子供だろうが傍若無人さは全く変わっていない。
そういうことかと思うと深いため息が出るのだった。