第29話:再び砂漠の旅 -6-
香料を焚火に放り込んだせいで、天幕の中は余計に燻製小屋めいた。生皮の臭いと香料の香りでむせそうだ。
それを誤魔化すようにみんな飲んだ。他にやることがないので酒が進む。
激しい嵐の中では魔物も砂の中に身をひそめてしまう。ある意味では普段より気を抜ける状況だ。
「ね、何でこのパーティって女の人がいないの」
最上級の酒をちびちびと舐めていたハールーンが、思い出したように言った。
「今時、魔術師や神官は女性でもおかしくないでしょ。それなのに、何でこんな変な人ばっかり集めてるんだよ」
「それね! オレも前からこのパーティには潤いが足りないと思ってた」
「うむ。私も深く賛同するところですぞ」
こういう話題には、すぐにロハスとアベルが飛びつく。
「ねー船長。キレイな女の子を仲間に入れようよ。可愛くておしとやかで料理上手で、冒険から帰ってくると『お帰りなさい』って優しく迎えてくれるような子をさ」
ロハスがせがみ出す。
「胸とお尻が立派で、普段から露出の多い衣装を好む色っぽい女性であれば、私は特に何も申しませんぞ」
アベルは相変わらず欲望丸出しである。聖職者であることを忘れているとしか思えない。
「僕は別に注文を付ける気はないなあ」
ハールーンは盃を揺らしながらぼんやりとした表情になっている。自分で振った話題なのに、あまり興味があるわけでもなさそうだ。
「姉様より美しくて優しくて心がきれいで癒される女の人なんかこの世にいるはずもないからね。贅沢は言えないよ……。でも、男ばっかりで顔をつき合わせていても気分がふさぐでしょ? だからさあ、やりたい時にお願いすればいつでもやらせてくれるような人が一人いればいいなあって……」
やわらかな笑顔で口にされたこの発言に、オウルはドン引きした。
いや、ハールーンがゲスなのは今までの言動から分かってはいた。だが、今までこの方面での道徳的模範的意識の最底辺とみなされていたアベルを軽く超えていくとは。
ただの姉貴大好きな変態かと思っていたが、まだまだ認識が甘かったようである。
「街に着いたら女郎屋にでも行ってろ。てめえの頭の中はどうなってるんだよ、偽坊ちゃん育ちのど変態」
オウルは思わず後ろからハールーンを蹴り倒してしまった。もちろん若干の私怨も込められている。
油断していたのか、ハールーンは毛皮の上から転がり出て砂地に突っ伏した。
「ちょっと……ひどいことするなあ……」
ハールーンは砂から顔を上げてオウルを睨んだ。目が座っている。結構酔っぱらっているようだ。
「あのね、ダメな方の魔術師さん。僕は別にど変態じゃないよ」
「いい加減その呼び方やめろ。失礼なんだよてめえは。そして反論するのはそこだけかよ」
「ど変態じゃないんだよぉぉ」
酔っぱらっているどころか、泥酔の域に達していたようだ。大して飲んでもいなかったようなのに、会話が全然かみ合わない。
……いや前からかみ合ったことなんかないか。そう思うと絶望的な気分になるが。
「僕は姉様が好きだよ。大好きだよ。心の底から愛しているよ。でもそれは、清らかで誠実な姉弟愛なんだ。あんな素敵な姉様のことを大事にしない弟なんているわけがないでしょう? 僕はただ純粋に、姉さまが好きで好きで大好きで……。だから姉様が水浴びするのを物陰からこっそり眺めたり、真夜中に姉様の寝台にこっそり忍び込んで匂いを嗅いだり、ちょっとだけ胸に顔を埋めてみたりしていただけで、やましい気持ちなんてひとつもない純粋な行動だって神様に誓え……」
「どうしてそういう自分の行動を純粋と言い切れるんだよ」
オウルはガックリした気分になって、アベルを振り返った。
「おいクサレ神官。神殿的にどうなんだ。こんな変態はこのまま砂に埋めた方がいいんじゃねえかって本気で思えて来たぞ」
「うむ。ハールーン殿は変態ですな」
アベルは明快に言い切った。
砂の上でゴロゴロしているハールーンの横に座り、くどくどと諭し始める。
「いけません。いけませんな。実の姉に対してそのような穢れた思いを抱くなど、徹底した悔悛が必要です。神官見習いとしてニワトリ小屋の掃除をするところから修業を始めた方が良いかもしれません。確かにパルヴィーン様はお美しかった。水浴姿を覗きたくなるのも匂いを嗅ぎたくなるもの当然です。しかし胸に顔をうずめるなどいけません。ハールーン殿は自分がしてはならぬ禁忌を冒した自覚があるのですか。神に懺悔し心から悔い改めるお気持ちがおありなのですか」
「アンタもだよ」
オウルはツッコまずにいられなかった。
「仮にも神殿の神官ならもっと自覚を持てよ。説教が説教として成立してねえよ」
アベルも一緒に砂漠に埋めて行った方がいいかもしれない。話を振る相手を完全に間違えたようである。
しかし、他に誰に言えばよかったのだろうか。
どう考えても天幕の中には、常識的で道徳的な回答をしてくれそうな人間がいそうになかった。
オウルは深く深くため息をついた。
ハールーンはそのまま眠り始めたようだ。アベルは相手が寝ているのにかかわらずわけのわからない説教を続けながら、酒も飲み続けている。
ロハスは財産一式が入った『なんでも収納袋』を懐にしっかり抱えたままうつらうつらし始めた。
「女戦士なあ……」
と、バルガスと並んで盃を重ねていたティンラッドが不意に言う。
「ローズマリーみたいに面白い子がいれば、別に連れて行ったって構わないんだが。面白い女性で、しかも旅に出てもいいと言う人にはなかなか出会えないんだよなあ。旅に連れだした後で、飽きた疲れたこんなの違うやっぱり帰りたいとか言って泣き出されても困るしなあ」
「経験がありそうな口ぶりだな」
バルガスが嗤う。
「うん、ないでもない」
ティンラッドは頭を掻いた。
「ローズマリーってあれだろ、前にアンタが言ってた船の帆柱もへし折る屈強な女戦士だろ」
つい口をはさんだオウルは、そういう女性がパーティに参加する未来を思い描いてみる。
今より潤いがある生活になるようには思えなかった。
「オウル君はどうなんだ。君は道徳的な立場を貫くのが好きなようだが」
バルガスが揶揄するように言葉を向ける。オウルは顔をしかめて横を向いた。
「下手に女が入ると揉め事の元になるからイヤなだけだよ。そういうのが原因で解散したパーティにいたこともあるしな」
バルガスが低く嗤う。その態度が気に食わなくて、
「先達はどうなんだよ」
腹立ちまぎれに聞き返すが、
「今の私は真理の探究を続けるので精いっぱいでね。とてもそんな余裕はない」
涼しい顔で返されてしまった。
全く面白くない。そう思いながら、オウルはやけになって飲んだ。