第29話:再び砂漠の旅 -5-
「オウル君」
商人たちの会話に重なるように、地平線を眺めていたバルガスが陰鬱な口調で言った。
「その生臭い作業はあとどのくらいかかるのかね」
「一時間ってところかね」
「長すぎるな」
バルガスは舌打ちした。
「その半分でも長すぎる。何とかしたまえ」
「はあ? 何とかったって、こういう仕事にはそれなりに時間がかかる……」
バルガスに文句を言おうとして顔を上げたオウルはそこで言葉を止めた。彼にもバルガスが目にしているものが見えたのだ。
地平線の辺りに雲のような塊が見える。それがゆっくりと、こちらに向けて移動しているように見える。
この旅の間さんざん悩まされた、どんな魔物より強い最強の敵。砂嵐だ。
そういえば気温も下がっている気がした。砂に加えて雪まで吹き荒れた日には最悪という言葉では済まない。
「何をグズグズしてる。てめえら、すぐに天幕の準備だ!」
オウルはオオカミの毛皮を放り出して叫んだ。
「ロハス、天幕を出せ。一番いいヤツだ。水の樽も出せよ。先達、さっさと術で穴をあけろよ。あれはかなり大きいぞ、いつもより深い穴を掘れ。アベル、ハールーンに手伝わせてさっさと水をまけ」
「毛皮はどうするんだよ。せっかくの大儲けが! 高額商品が!」
ロハスが悲痛な声を上げた。
「知るか。命とどっちが大事だ、さっさと天幕を立てろ。船長、昼寝してねえで起きろ!」
寝ていたティンラッドの横腹を蹴飛ばす。
遠くに見えるからと言って安心はできない。気付いた時には目の前まで迫っている、砂漠の嵐とはそういうものだ。
「何でダメな方の魔法使いさんが仕切ってるんだよ。こういうのは船長さんが仕切るところじゃないの?」
ハールーンが不満たらたらの様子なのがとてもイラつくが、忙しいので無視する。
「文句言ってるひまがあったらこの毛皮を持って天幕に運んで。商売人なら一枚でも多く利益を確保しなきゃでしょ!」
オウルの代わりにロハスがハールーンを急かした。その手に生乾きの毛皮をどさっと載せる。
「えっ、ちょっと。僕は育ちがいいから、こういう肉体労働は苦手なんだけど」
「何言ってるの。たとえ一ニクル貨を手にするため泥だらけになることがあってもそれを諦めない。それこそが商売人の生きざまでしょう」
「僕はそういうのは人に任せて、美味しい汁だけ吸いたい方なんだけど。あとこの毛皮、生臭くてイヤなんだけど」
「うまく売れば五十ゴルは軽いってハルちゃんが言ったんじゃん。五十ゴルを砂漠に捨てるなんてそんな商売人がいますか。いいからさっさと働く!」
ハールーンは文句をたれ流しながらも渋々働きだしたようである。
金にうるさい魔物使いを働かせるのはロハスの方が向いているようだ。そう思ったオウルは、今後その役はロハスにやらせようと心に決めた。
ティンラッドも異状に気付いてようやく起き出す。少しでも丈夫な天幕を立てることに全員が集中した。さすがに命がかかっているので、アベルでさえ少しは戦力になる。
バルガスが魔術で深く穴を掘る。そこに立てた心棒を補強する術を、オウルはいつもより厳重にかけた。
四方の壁を支える柱はティンラッドとバルガスが協力して建て、オウルがまたそれに固定の魔術をかける。
その間に、アベルがロハスの『なんでも収納袋』から出された何枚もの分厚い布をより分けた。その布を天幕の骨組みに巻き付け、しっかり結びつけるのもアベルの役目だ。
ぐうたらな神官には意外に神経質というかこだわりの強い一面がある。その性質を発揮して、彼は手にした布を一枚一枚厳重に柱に取り付けて行った。
仕事が遅いのが欠点だが、天幕の壁や天井になるものである。砂嵐の中で飛んで行ってしまったら悲惨という言葉では済まない。
なので要となる部分ではアベルに納得のいくまで仕事をしてもらい、他のものはそれ以外の作業を受け持つ。
最後の最後、天幕のてっぺんに登って紐を幾重にも縛り付け、全体が崩れないように仕上げるのはティンラッドだ。
この仕事を彼は他人に譲ったことはない。船乗り時代に身に着けた縛り方を駆使して、きちんと屋根を仕上げる。
「よし、完成したぞ」
ティンラッドが滑り降りてきた時には周囲では風が吹き荒れ、砂粒がばしばしと布の壁を叩き始めていた。
「お疲れ、船長。じゃあもうこの入り口もふさいじまうかね」
オウルはそう言って、目をすがめて砂の向こうを見る。この危機に当たって、二人ほど天幕建設作業への貢献度が低い人間がいた。
そいつらがまだ天幕の外にいて、もたもたとこちらに近付いてくる。
「待ってー! まだ仲間がそろってないよ、見捨てないでー!」
「だったらさっさと余計なモン捨てて入ってこい。もう、いつ吹き飛ばされてもおかしくねえぞ」
「待って、今持ってるこの三枚で終わりだから! 合わせて何と百五十ゴルですよ、そんなの捨てられるわけないでしょー!」
「命とどっちが大事だバカ! さっさと天幕に入れごうつくばりども!」
ロハスとハールーンが天幕に飛び込んできたのと同時に、風がいっそう激しく吹き荒れ始めた。オウルは入り口をしっかり閉ざし、更に戸口を守る呪いをかけた。
「この中は非常に生臭いな」
落ち着くと同時に、バルガスが不快そうに異議を申し立てた。
設営をサボった二人が狭い天幕の中に山ほどの砂漠オオカミの皮を持ち込んだのだ。
「生乾きだからまあそこのところは我慢して。火を起こすから、ついでにそれで乾かせば一石二鳥なんじゃないかなあ。大丈夫大丈夫。今回はこのロハス、いつもより奮発して燃料を提供させていただきますよ」
いつも焚火の燃料を供出するのをケチるロハスなのだが、今日は調子がいい。出してきたのはほとんどが何に使えるのか分からない木材の端切れだったが。
「食事は誰が当番だったっけ?」
「さっきのオオカミの肉でも串焼きにして食べればいい。ちょうどいいだろう」
「そうだな。ハールーンの故郷の果物もまだあったはずだしな」
「ハールーン殿の伯父君が下さったお酒もまだたっぷりあったはず。こんな夜はたっぷり飲んで体を暖めるべきですぞ」
持ち込まれたオオカミの皮のうち、売り物にならなさそうなものを絨毯代わりに敷いて座ることにした。生臭さが体に移りそうだが、どこもかしこも生臭いので同じである。
焚火で天幕の中が暖まってきたら、更に臭いが強くなってきた。
「どうも、この……。まるで燻製小屋の中で食事をしているような気がするのだがね」
バルガスは普段より更に不愉快そうな表情で言った。よほどこの状況が嫌なのだろう。
「燻製? ああそうか!」
だがそれを聞いたロハスはパッと表情を明るくする。
「ハルちゃん、確か珍しい香料をたくさん持っていたよね。それで毛皮に香りをつけたら高級感マシマシになるんじゃないかな」
「あるけど」
ハールーンは気乗り薄そうだ。
「素人芸でうまくいくかなあ」
「いいんだよ深く気にしないで。どうせオレらは旅の商人。高く売りつけた後で香りが飛んでも、そんなの買った方の目利きがダメだったってことで」
「そっか。そうだね! 商人さん、頭いいね」
ロハスの軽薄な言葉にハールーンが目を輝かせる。
「お前ら……もうちょっとまともな商売をしようという気はねえのかよ。お前らの頭の中には良心という言葉はねえのか」
オウルはついツッコんでしまう。
「そうですぞ。悪徳と強欲は神殿でも強く戒められることがらです」
アベルが加勢したが、酒をぐいぐい飲みながらだったのであまり説得力がなかった。
「だって、商売って暴利をむさぼってこそでしょ?」
「オレはそこまで人でなしじゃないけど。ほら、商売って売り手と買い手が火花を散らす、頭と心の戦いだから。より優れた方が利益を手にし、力が足りなかったものは次の戦いに備えて技を磨けばいいわけだから」
口をそろえて言う二人。
出会ってはいけない二人が出会ってしまった。オウルはそんな感想しか出てこない。
そして改めて、焚火を囲んでいる面々を眺めて思った。
『盗賊団だと言われても、何の申し開きも出来ねえ』
無軌道な船長に、強欲な商人二人(一人は暗殺者兼務)。生臭坊主に闇の魔術師。
まっとうな人間が自分を除いてひとりもいない。その事実に改めて戦慄する。
外では砂嵐が吹き荒れ、時々天幕を激しく揺らしている。
だがそんなことよりも、このパーティに自分が身を置いているという事実の方がよっぽど恐ろしい。
そう思って、ついつい強い酒に手を伸ばしてしまうオウルであった。