第29話:再び砂漠の旅 -4-
「ふーん。オウルとハールーンもうまくやっているようだなあ」
砂の中で喚き散らしているハールーンの声を聞きながら、ティンラッドはのんびりと呟いた。
当人たちは全力で否定するだろうが、ティンラッド基準ではパーティは今日もこともなく平穏に回っている。
魔物の前足が彼を捉えようと巨大な槌のように振り下ろされ、鋭い牙が体をかすめた。
それを避けつつ手にした皓月で時に反撃しながら、ティンラッドは笑っている。
「よしよし、もっと迅くなければ私には届かないぞ。うん、今のは悪くなかった。じゃあ今度はこっちだ。さあ来い」
まるで巨大な犬たちとじゃれあっているようだ。魔物たちは間違いなく本気で襲い掛かっているのだが。
「よーしよし、こっちだ、もっとこっちに来い」
手招きしながら後ろに下がり、一頭だけを引き付けようとした。
すると頭上後方から炎弾が飛んできて炸裂する。額を直撃された魔物は悲鳴を上げて頭を砂地にこすりつけた。だが魔法の炎はすぐには消えない。
「船長、遊びはそろそろ終いにしろ」
砂丘の上からバルガスの声が降って来た。
「右の一頭はオウル君が足止めした。その奥でハールーン君が苦戦している。オウル君は残りの一頭を足止めしようとしているが、放っておくと危険そうだ」
「ふうん。そうか」
ティンラッドは残念そうにため息をついた。
「もう少し遊びたかったんだが」
呟くと同時に飛び込んで、苦しんでいる魔物の喉を一太刀で切り裂いた。
「じゃあ終わりにするか。ええと、ハールーンとオウルが危ないのだったっけ?」
「先に助けるならオウル君にしろ」
バルガスは冷ややかに言った。
「そうか。ハールーンは自分で戦えるだろうしなあ。一番奥のヤツだな?」
それだけ確認してティンラッドはひらりと斃れた魔物の体を乗り越える。砂塵の向こうを透かし見た。
「出来ればで良いのだが、一頭はとどめを刺さないでおいてほしい」
バルガスが言った。
「ハールーンに手なずけさせることが出来るか実験したい」
「なるほど。こんな魔物が一頭パーティについてきたら面白そうだしな」
ティンラッドは乗り気になる。
「ダメダメ。ダメだよ絶対ダメ」
バルガスの後ろで、隠れていたロハスが全力で反対した。
「あんな大きい魔物、ついて来ちゃったら困るでしょ。エサ代だってタダじゃないんだよ。毎日どのくらい何を食べるのか、船長もバルガスさんも考えて言ってるの? あんな大きな犬、飼っちゃいけません!」
「そうですな、ラクダも怯えています。旅に支障があるのでは。それに砂漠にいる間はともかく、街に出たら糞の始末も意外に大変ですぞ」
アベルも珍しく冷静な意見を述べる。いやズレているような気もするが、ある意味もっともな意見でもある。
バルガスは珍しく苦笑した。
「……だ、そうだ」
「そうかあ。残念だなあ。魔物を飼っているパーティも悪くないと思ったんだがなあ」
ティンラッドも残念そうに、だが躊躇なく晧月を構え直す。
「どうしても飼いたいなら、もっと小さい魔物にしてよ。旅の邪魔にならない大きさで、あんまり高いエサを食べないヤツ」
「そして糞尿の始末が楽な魔物ですな。あまり病気をせず丈夫だとより結構です」
完全に愛玩動物か家畜を手に入れるような話になっている。
世界に魔物が現れた時から、人と魔物は倒すか倒されるかの関係だった。
以来この世に、魔物のエサや糞尿の始末について真剣に考えたバカが何人いただろうか。
楽し気に刀を振るって魔物を倒していくティンラッドの姿を砂丘から見下ろしながら、バルガスの口許には苦い笑みが浮かんだままになっていた。
「どうして僕を助けるのが一番最後なんだよ。僕だって仲間でしょ? 仲間の危機だったんだよ? 何でダメな方の魔術師さんより僕が後回しなのさ」
砂漠オオカミがすべて倒された後、ハールーンは大変不機嫌だった。いちいちダメと言うなとオウルはイラっとする。そこへ、
「オウル君の戦闘力が君に比べて著しく劣っているからだ」
とバルガスにスパッと言われて、更にイラっとした。
「……ということにしておこう」
バルガスは薄笑いを浮かべてそう付け加え、肩をすくめた。
「だいたいハルちゃん、自分で魔物倒してたじゃない。そんなに目くじら立てなくてもさあ」
オウルの後ろに立ったロハスがへらへらとそう言う。
砂漠オオカミの皮をはいで、商品に出来るようになめせとオウルに強要し、更に作業をサボらないか監視しているのだ。
何の役にも立たないくせに、態度だけは大きい。
「それは何とか毒が効いて、あいつの動きが鈍くなったから。体が大きいからおなかの下にもぐりこんではらわたを引きずり出してやったんだけどさ。でもね、もしあいつが僕を押しつぶそうとして来てたら今頃僕は……」
「あー、それそれ」
ロハスが顔をしかめる。
「せっかくの毛皮なんだからさ、あんまり血で汚れない様にもっと上手くさばけないかなあ? この魔物、腹側の毛が白くて柔らかいでしょ、高く売れると思うんだよね。でもハルちゃんが殺したやつはなんていうかグッチャグチャのベッチャベチャだからさあ……」
血生臭いのが苦手なロハスはそう言いながら顔をしかめる。
別に自分だって得意なわけではないのだが、と作業を続けながらオウルは思う。
「ちょっと。僕の命と毛皮とどっちが大事なんだよ」
「それはそれ、これはこれ。だって考えてもみてよ」
ロハスは『何でも収納袋』から算盤を取り出しぱちぱちと指先で弾いた。
「背中の方の固くて毛足が長い方は、まあ男物の防寒用とかだと思うんだ。でもこの真っ白くて柔らかい腹の毛皮はご婦人用に売れるよ。となると単価がさあ、一枚当たり……このくらい上乗せしても……」
「えっ嘘……ああ、でも女の人は高いものが好きだもんね。だったらいっそ『めったに獲れない』とか能書きをつけて、これくらい利鞘をつけても……」
ハールーンは興味を引かれたようだ。さっきまでプンプンしていたのも忘れて、ロハスの手の中の算盤をカチカチと動かす。
「そこまでやる?! さすがハルちゃん……鬼だね鬼畜だね」
「どうせなら中途半端じゃない方がいいでしょ」
「でも、そこまで上げちゃうと客が付くかどうか」
「バカなの? この値段で買えないヤツが多いからこそ、余計に価値が上がるんじゃない。買い手がいないからって値段を下げても仕方ないでしょう。買えるヤツを探してそいつからむしるんだよ」
ハールーンも砂漠の商売人。商人どうしで話がはずんでいるようだが、ロハス一人の時より悪徳ぶりが増したようにしかオウルには思えなかった。
「だけどそういう客筋を掴むのは難しいからなあ」
「弱気だなあ。ホントに商売人なの? 商売は強気に出ないとつけこまれるでしょ」
「でもさあ、売り渋って在庫ばっかり抱えても意味ないし。安く多く売って結局利益を出すってやり方もあるわけだし」
ごうつく商人と悪徳商人で、それなりに商売の方法論にも哲学にも違いがあるようだ。
が、すごくどうでもいいし、むしろ聞きたくないとオウルは思った。
「具体的な売値や売り方は後でじっくり相談しよう」
と言ってロハスは算盤をしまった。
「それはそれとして、だからさばく時は商品になるようにやってよねって話。ハルちゃんが殺した分はこれじゃ捨てるしかないから、一枚当たりの単価を考えると大損だってわかるでしょ?」
ハールーンを諭している。そういう問題なのだろうかとオウルは思うが、
「分かった……。これから気をつける……」
ハールーンが意外にもしおらしくうなずいていた。理解できねえ、とオウルは思った。
「ところで何なの? その呼び方」
「ん?」
「あんた何か僕のこと……ヘンな呼び方してる」
ハールーンは警戒するような当惑しているような視線をロハスに向ける。
「あー。ハールーンって、長いから」
ロハスの返事は簡単だった。
「長い」
「そう。長いでしょ」
呆然としたハールーンに軽く言って、ロハスは笑った。