第29話:再び砂漠の旅 -3-
斜面を下る。吹き降りて来る魔法の風が砂埃を巻き上げ、景色がかすんで見えた。
計算通りの状況だ。しかしそれはそれとして、
「畜生、見えねえ」
毒づいた拍子に砂を吸い込んでしまった。慌ててショールを鼻の上まで引き上げる。
風上を背にすれば砂の害も防げるかと思ったが、予想以上の視界の悪さだ。高低差のせいか砂丘の下では風が巻いて吹き荒れていた。風除けの呪文を追加で唱えてみたが、大して効果は得られなかった。
舞い上がる砂がバシバシ顔に当たる。目を開けていられないので、仕方ないので観相鏡をかけた。視界に入って来る数字が煩わしいが、魔物がいる場所の手がかりにならないでもない。だからそれはそれで有用だ。無理やりそう思いこむことにした。
ティンラッドとハールーンはこの砂の中でどうしているのだろう。一瞬そう思ったが、すぐに心配するのはやめた。どちらも手練れだ。自分でどうにかするだろう。
そもそもあの二人が危地に陥るような状況なら、オウルの力では救えない。
オウルに出来ることは最初の計画を遂行することだけだ。
頭の中で呪文構築を確認し、漏れや間違いがないことを確信してから準備動作に入る。
砂嵐の向こうに蠢いている魔物の影が見えた。その後ろから慎重に近付いていく。
頭のすぐ横をバルガスの炎弾が通り抜けて行った。あまりに近かったので、頭をすっぽりと覆っているフードが焦げた。嫌なにおいがする。
何をするんだと怒鳴ろうとしたら、魔物の悲鳴が上がった。
オウルが狙っていた魔物ではない。別の個体がいつの間にか近付いてきていたらしい。
「今さらだが」
上からバルガスのどうでも良さそうな声が降って来る。
「どうやらその魔物どもは視覚より嗅覚に頼って獲物に襲い掛かるようだ。砂が舞い上がるのは嫌がっているようだから目つぶし作戦に効果がないとは言わん。だが今の状況は考えようによっては君たちの方に不利かもしれない。十分気をつけたまえ」
オウルはイラっとした。つまり自分の読みが甘かったと、そう言われているわけである。
(高いところから偉そうに講釈垂れてんじゃねえ)
小さく毒づいて、バルガスが攻撃した個体に駆け寄った。
炎弾が鼻先に命中したらしく、頭を上げ下げしてじたばたしている。
敵の左前脚に狙いをつけた。杖で砂に陣を描きながら全力疾走で太く大きな脚を一周する。
「ソリード!」
砂上の円陣が閉じると同時に呪文を発動させた。この脚は動かせなくなったはずだ。どのくらい効果が続くかは分からないが。
額ににじんだ汗を拭く間もなく、
「危ないよ?」
後ろから思い切り突き飛ばされて、気を抜いていたオウルは砂の上にバッタリと倒れた。石でもあったら、歯の二三本も折れていたところである。
「何すんだっ」
怒鳴りながら振り返ると、生暖かくべとっとした赤い液体が降りかかってきた。
「何って……だから危なかったから」
いつの間にか後ろにいたハールーンが無感動にそう答えた。オウル以上に血にまみれている。
魔物がギャウンギャウンと吠えたてながら苦しんでいた。右前脚から血が流れている。
自分の傍をちょろちょろするオウルに気付いていたのだろう。自由になる右脚で踏みつぶそうとしたところをハールーンに助けられた……らしい。
「ボーっとしないでよ」
やる気のなさそうな顔のままハールーンが言った。
「あ?」
「魔物の足止めするんじゃないの? 出来ないならさっさと逃げてくれない。邪魔だし守るの面倒だし」
相変わらず茫洋とした口調だったが、よく聞くと微かに苛立ちが感じられる。
こいつ、魔物じゃなく俺にイラついてる。
そう敏感に感じ取り、オウルはとても面白くない。
「足止めならもうした」
ぶっきらぼうに言う。
「どこが。襲って来てるじゃない」
言いながらハールーンは、魔物がもう一度振り下ろしてきた右前脚の裏に短剣を突き刺し、引き裂いた。オウルは何だか魔物に同情した。こちらが危ないのは分かっているが、ハールーンの刃物さばきはとにかく痛そうだ。相手が。
「俺の使える足止めの魔法は人間用だ。この魔物は相手にするには大きすぎる。だから左前脚だけを動かなくした。それで十分、動きは制限できるはずだ」
「ああ。だから右脚でしか襲ってこなかったのか」
ハールーンは納得したように小首をかしげた。それから艶やかに笑って、
「でも、命懸けでやってもそれしか出来ないんだね。やっぱりダメ魔術師さんなんだね」
と冷たく言った。
「うるせえ」
オウルは取り合わなかった。戦闘向きの魔術師でないことは、自分が一番知っている。
「それでもやるしかねえからやってんだ。このパーティには、戦闘に役立たねえ奴が多すぎるんだよ。ほら、次行くぞ。まだ動ける魔物は残ってるんだろうが」
観相鏡に映る数字で魔物のいる方向をつかみ、また走りだす。
「え? ちょっと待ってよ」
ハールーンは初めてあわてた声を出した。
「こいつはどうするのさ。とどめは刺さないの?」
「そんなの船長にやらせとけ。俺には出来ねえ。先達の攻撃魔法も距離がありすぎるだろ」
すげなく言って、更にささやかな意趣返しを付け加える。
「出来るんならお前がやってもかまわねえけどな。お前の短剣じゃ、こいつらの毛皮越しに急所を貫くのは無理なんじゃねえのか? 弱いところをチクチクいたぶるくらいしか能がねえなら、俺とどれだけ違うんですかねえ。暗殺者さん」
隣の気配がスッと冷たくなった。
「僕は馬鹿にされるのは嫌いだ」
「そうかい。偶然だな、俺もだ」
言い捨てると同時に、カンだけで右に避けた。
オウルの幸運値は高くない。戦闘に関するステイタスも軒並み低いから、研ぎ澄まされた戦士のカンなどというものはない。
なので結局、避けても無駄だった。短剣の刃がオウルの背中を斬りつける。
「……え?」
だがとまどった声を上げたのはハールーンだった。立ち止まっている彼をそのままに、オウルはとっとと走って距離をあける。
「ばーか。てめぇみたいな危ないやつに背中を預けられるか。こっちだってそれなりの対策はしてんだよ!」
先ほど防御呪文の重ね掛けをした時に、自分だけには刃物避けのまじないを足しておいたのだ。
念のためのつもりだったが、やっておいて良かった。やはりハールーンは仲間でも平気で後ろから刺そうとする危険な相手だ。
怒るか恐れるかすべき場面なのだろう。だが『仲間でも平気で金を搾り取ろうとするロハスのように』とか『仲間でも平気で見捨てて逃げるアベルのように』という例えが同時に浮かんでしまって、むしろげんなりした気分になった。
分かってた。どいつもこいつも最初から、仲間なんかじゃないのである。そういうのが一人増えただけの話なのだ。このパーティに所属する以上、それは避けられない運命なのだ。
魔王よりタチが悪い。オウルは本気でそう思った。
「ちょっと! 人をバカ呼ばわりして逃げないでよ! 今の本気じゃなかったから、ちょっとケガさせて脅かすだけのつもりだったんだから。僕だってパーティは協力しなきゃダメだってことくらい知ってるんだからね!」
砂塵の向こうでバカが叫んでいるが無視する。
騒いで魔物を引き付けてくれるならありがたい話だと、オウルは意地悪い気持ちで思った。