第29話:再び砂漠の旅 -2-
「えっと、じゃあ僕はここで待機でいいんだよね? 新参者だし見学ってことで……」
バカがバカなことを言っている。オウルはハールーンをじろりとにらんでから、細かい刺繍の施されたチュニックを引っつかんだ。そのまま砂丘を下り始める。目指すのは下にいるティンラッドと、彼を囲む魔物たちだ。
「ちょ、ちょっと何だよ。どうして僕を引っ張るの!」
「ガタガタ言わずに一緒に来い」
砂に足を取られないように気を付けながら、オウルはぞんざいに説明する。
「あんな曲芸、いくら船長でもいつまでも持つか。先達の呪文で魔物が混乱しているうちに、俺が近付いて一頭か二頭に足止めの呪文をかける。それで少しは状況がマシになるはずだ」
「意味が分かんない」
ハールーンは不機嫌にオウルの手を振り払おうとする。
「呪文なら、ここからかければいいじゃないか。もう一人の魔術師さんはそうしてるでしょ。何でわざわざ魔物に近付くんだよ。それにどうして僕を連れて行こうとするんだよ」
「俺の呪文は繊細なんだよ。対象に十分に接近しねえと効果が出ねえんだ」
「えー……」
ハールーンの青い瞳に不信の表情が浮かんだ。
「つまり君、ダメな魔術師なんだね。ダメじゃん。イヤだよそんな人と一緒に命賭けるの」
その一言でオウルは完全に切れた。
「ふざけんなバカ野郎、大口叩くのは少しは役に立ってからにしやがれ。俺だって、てめえなんかに背中を預けんのはゴメンなんだよ。この変態暗殺者!」
「ひ……ひどい。僕は変態じゃないよ。僕の姉様はこの世の誰よりも美しくて優しくて賢くて美しいんだから、そんな姉さまを僕が特別に大切に思うのは当たり前のことでしょう」
「黙れってんだよド変態。てめえに背中から刺された恨みは忘れてねえからな」
全く会話にならない。いや、言葉の応酬は続いているのだが、建設的な議論に発展しない。
もたもたと言い合いをしている彼らに、砂漠オオカミの一頭が気が付いた。
絶好の獲物。
魔物は後ろ脚のばねを十分に利用し、斜面に身軽に飛び上がって二人に襲い掛かる。
「ガル・スム」
面倒くさそうな声の呪文が後ろで聞こえ、焔の弾丸が二人をかすめて魔物の鼻先に命中した。
「行くならさっさと行け。援護ならしてやる」
バルガスの不愛想な声がする。
「僕はイヤだって言ってるじゃないか」
振り向いて抗議したハールーンに、突き刺すような冷たい声が向けられた。
「その魔物を操れるか? まだ息があるが」
「え」
虚を突かれた表情になったハールーンは、顔を押さえてのたうち回っているオオカミに目を向ける。
だがそれもつかの間、彼はため息をついてまぶたを閉じた。
「……無理だ。興奮してるし、今はこっちを認識していない。もっとお互いが穏やかな気持ちじゃないと同調できない」
「そうか。だったらさっさと止めを刺して、オウル君の護衛をするのだな。殺すのは得意なのだろう?」
ハールーンはムッとした表情になったが、無言で砂丘を駆けおりると魔物の腹下にもぐりこむ。短剣の一閃でことは終わった。
吹き出す返り血を全身に浴びながら、
「これでいいの」
と無表情にたずねる。バルガスは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「さっさと行け。船長がまた二頭倒したが、あと五頭残っている。長引けばこちらが不利だ」
ハールーンはまだ不満そうだったが、ショールを巻きなおして顔を隠すと砂丘を歩き始めた。数歩歩いて振り向き、
「来ないの?」
オウルに向けてぶっきらぼうに言う。
「い、行くけどよ」
巨大なオオカミが目の前まで迫って来て、オウルはあやうく腰を抜かすところだった。
何とか立て直して先を行くハールーンを追うが、何だか納得いかない。そもそもオウルの方がハールーンを引っ張ってここまで連れて来たのに、これではまるで逆みたいだ。
それに自分の言うことは聞かなかいくせに、どうしてバルガスの言うことは聞くのだ。非常に気分が悪い。
「で。どうするつもりなの」
ハールーンの口調と表情は冷たい。
またしても理不尽だと思う。気分を害していたのはオウルの方が先なのだ。
「呪文が届く距離まで突っ込む」
そういうわけなので、自分も負けず劣らずぶっきらぼうにオウルは言った。
「防御呪文はかけるが、あの大きさ相手じゃ限界がある。だから襲われたらお前が何とかしてくれ。近接戦闘は得意だって言ったよな?」
「得意って言ったって、あの大きさと移動速度じゃ勝手が違い過ぎる……」
「ある程度は先達が援護してくれるだろ。それをかいくぐって来た奴だけ相手をしてくれればいいんだ」
「それって、特にタチの悪いやつの相手をしろってことじゃない。船長さんの挑発にも乗らない冷静さがあって、性格悪い方の魔術師さんの攻撃を見切るだけの頭の良さと敏捷さを併せ持ったやつ……」
そう言われればそうか、とオウルは思った。
群れを作る魔物の中には一匹や二匹、仲間から外れて違う獲物を狙いに来るやつがいるものだ……とそのくらいの認識だった。だがハールーンの分析にも一理ある。
「まあどっちでもいい。とにかく奴らを足止めするまで何とかしてくれ。ああ、お前にも防御呪文を重ね掛けしておく」
オウルはそう言って杖を振った。最初に防御は施してあるが、猛り狂った群れの中に突っ込んでいくなら重ね掛けしておいて損はない。たとえそれが気休めほどの効果であってもだ。
「分かったよ。やればいいんでしょ」
ハールーンはあきらめたように肩をすくめた。
「仕方ないから、『足止めの呪文』とかいうのをかけるまでは一応守ってあげるよ、ダメな方の魔術師さん。船長さんには一応、恩があるしね。性格悪い方の魔術師さんが、言うこと聞かなかったら焼き尽くすって感じで後ろから僕に狙いをつけてるし」
顔は前を向いたまま、青い瞳だけがチラリと後方に動く。
オウルは振り返った。砂丘の上でバルガスが黒檀の杖を手にしてこちらを見下ろしていた。
「先達はそれほどマメじゃないぜ」
オウルは前に向き直り、改めて相手をすべき魔物の数を数えた。
残るは四頭。ティンラッドは健在で、相変わらずバカみたいに笑いながら魔物相手にカタナをふるっている。
覚悟を決めて無言で気合を入れる。
バルガスとハールーン、遠距離と近距離の両方から援護してもらっても危険であることに変わりはない。自分が非力であることも、自分が一番よく知っている。
「行くぞ。援護は任せた」
再び砂の上に足を踏み出す。斜面を進むうち、だんだん駆け足になっていく。
「まあ、一応仲間だし。出来るだけのことはするけど……僕は僕の流儀でやるからね」
ハールーンの気配が背後から消えた。畜生と思ったが、オウルは振り返らない。
残念ながらこういう展開には慣れている。このパーティに加わるような人間が、肩を並べて実直に戦ってくれるような相手であった例はない。というかマトモに背中を任せられる相手すらいないのだ。
しかし高望みしても仕方ない。いるヤツを使うしか選択肢はないのである。
ただ突っ立っていても魔物に食われて全滅するかもしれない。だったらウソつきの暗殺者でも何でも使って出来る限りのことをする。
これで何度目か分からないが、オウルはティンラッドに出会ってしまった自分の運命を心から呪った。そしてまっすぐに魔物の群れに向かっていった。