第27話:夢の終わり -11-
「殺して……」
小さな声で彼は懇願した。
「僕は負けた。僕の紡いだ夢は終わった。姉さまは僕を許してくれないだろう。だから……もう、殺して……」
「いいのか?」
ティンラッドは確かめる。ハールーンはうなずいた。
「刺されたら痛いぞ?」
「痛くないようにやってよ……アンタならひと息でやれるでしょう」
その言葉にはかすかな諧謔がある。
「分かった」
無感動に言って、ティンラッドは新月を振り上げた。
あ、とオウルは思った。
こんな光景を前に見たことがあるような。
そしてそれは、すごく不吉な予感のような。
ハールーンは素直に首を差し出した。
新月の黒い刃がまっすぐに振り下ろされ。
長い髪を切断して止まった。
金色のやわらかい髪がパラパラと煉瓦の上に落ちていく。
「え……何……」
怪訝そうに顔を上げるハールーンに向かって、ティンラッドは笑った。
「もうこれでいいだろう。捨てる命なら私がもらう。前にも誘っただろう? 君はとんでもなく莫迦だが、結構面白そうだ。私と一緒に来なさい。魔王を倒しに行こう」
ホラ出た。オウルは眉間を押さえた。
こんなことになる予感はしていた。
「はあ?!」
ハールーンの声が跳ねあがる。
「バカじゃないの。何言ってんのアンタ。僕は殺せって言ってるんだよ?!」
「君の命令に従ういわれはない。頼まれなくてもその気になったら殺すぞ?」
ティンラッドは新月の刀身を鞘に納めながら、アッサリと言った。
「私が勝って君が負けたんだから、君が私に命令するのはおかしいだろう。とにかく来なさい。これは命令だ」
ハールーンはぽかんと口を開けた。
「な……何ソレ。横暴だ。意味分かんないよ」
「諦めなさい。これが神のおぼしめし。神の示したもうた道に従うのです」
アベルがしたり顔でしゃしゃり出た。
「アンタには聞いてないよっ!」
間髪入れず言い返すハールーン。まあ気持ちは分かる。とオウルは思った。
しかし。
「残念だがな。こうなったら止まらないから諦めろ。一度死んだと思えば別にいいだろ、余生が多少ヘンだって」
彼に言えることはそれしかない。
ハールーンはざんばらに切られた髪を振り乱し、振り返ってわめいた。
「良くないっ! 僕は死にたいんだよっ! アンタたちみたいな変人とわけのわからない旅なんかしたいわけじゃない!」
オウルは眉をしかめた。
「そこのクサレ神官や船長といっしょくたにするなよ。他のヤツらはろくでもない連中ばかりだが、俺はマトモだ」
「そんなの一緒にいる時点で同じようなものだよ! 僕には関係ないし!」
言い返された。
失礼なヤツだなとオウルは思う。何だか今までと印象が変わったような。
船長の言うように、彼が『夢』を演じていたのだとすれば。今までが演技で、これが素ということなのだろうか。
……演技の時の方が性格良かった。そう思うオウルだった。
「残念だな。君は生死を私に委ねた。その時点で君の命運は決まった」
ティンラッドが嬉しそうに言った。
「生きろ」
「や……」
ハールーンは目を見開いた。作り物のようなその顔に初めて恐怖が宿った。
「やだ。イヤだよ。そんなこと出来ない。放っておいてよ、僕はもう生きていたくないんだ。殺せよ!」
「何だ。難しいことではないだろう」
ティンラッドは不思議そうに首を傾げる。
「食事をして適当に眠っていれば生きていられる。簡単だろう?」
「難しいからイヤだって言ってるわけじゃないよ!」
生きていたくない人間にしては的確にツッコんでるな、とオウルは思う。
「僕……僕は……。姉さまに憎まれて生きていくなんて……そんなこと耐えられないんだ……」
ハールーンは白い指で顔を覆った。
「それくらいなら……死んだ方がマシだ……」
「姉貴に依存し過ぎだろう」
思わずオウルが呟くと、青い瞳でキッと睨まれた。
「黙れ、僕のことなんか何にも知らないくせに……! 僕と姉さまのこと……。僕がどんなに姉さまを愛しているか……知らないくせに……!」
「イヤ、泣きそうな顔で睨まれても」
オウルは辟易した。
また面倒くさそうな相手である予感がひしひしと感じられる。こんなヤツばっかりだ、とオウルはまた暗澹たる気分になった。
「ふうん。姉上がいいって言えばいいのか」
ティンラッドはどうでも良さそうに呟いた。
「じゃあ、本人に聞いてみたらどうだ?」
ハールーンの表情が凍る。ぎごちなく振り向く。
そこでは、パルヴィーンがこめかみを押さえながら起き上がろうとしていた。
同じ色合いの青い瞳が、まっすぐに弟を射抜く。
「姉さま……」
「ハールーン……」
姉の視線に耐えられないかのように、ハールーンは数歩後ずさる。
立ち上がったパルヴィーンはそんな弟にまっすぐ近付き、白い手を一閃させた。ぱちんとハールーンの頬が鳴る。
「ハールーン。私はあなたが私を操っていたことを怒っているのではないのよ」
パルヴィーンはしっかりとした声で言った。
「いえ、そのことも……もちろん腹立たしくは思っているけれど。それよりもね、私が我慢ならないのは……」
並んで立つとパルヴィーンの方が背が低い。そんなことにオウルは初めて気付いた。
偽りの女太守は小さな両手で、弟の頬をそっと包み込む。
「あなたが私を偽ったこと。私とあなたが手を取り合って頑張らなくてはならない時に、私ひとりを遠ざけたことよ。こんな侮辱があって? 私はそんなに頼りない姉かしら。たった二人の姉弟なのに、何年も大切なことを知らされずただ守られていたなんて……」
見開かれたハールーンの瞳を同じ色合いの瞳が見上げ。
「ごめんなさい、気付いてあげられなくて。ずっとひとりで辛い思いをしていたのね」
「姉さま……」
ハールーンの声がくぐもる。そのまま彼は、再び力なく地に伏した。
長めの髪に隠れた口元から嗚咽の声が漏れてくる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
その声はいつまでもいつまでも、廃墟の街に響き渡った。