第27話:夢の終わり -8-
サラサラと砂となって魔物の体が崩れていく。大気に満ちていた魔力が分解され、溶けるように薄くなっていく。
「あ……」
ハールーンは小さく声を上げた。
ほっそりした体が力を失ったように煉瓦の上に膝をつく。
「ハダル」
伸ばした手が掴んだ毛むくじゃらの足は指の間で形を失い、風に吹かれて飛んでいく。
「ようやく頭がすっきりしてきたな」
オウルは首を振りながら言った。魔物の体が風化していくと共に、霧が晴れるように記憶の混乱が収まっていった。
あるべき記憶はあるべき場所に。何が本当で何が作られた記憶だったのかがはっきりと区別できるようになっていく。
「戦いはこれで終わりなのかな?」
ティンラッドは座り込んだハールーンに問いかける。
長い金色の髪に顔を隠したまま、青年は小さくうなずいた。
「僕にはもう戦う手段も目的も残ってないよ。好きなようにするといい。八つ裂きでも眼を潰すんでも」
投げやりな口調にティンラッドは眉をひそめ、気を失ったままのパルヴィーンを見る。
「目的がない? 君は確か姉君を守りたいと言っていたんじゃないか? 彼女はどうするんだ。私たちに任せてしまっていいのか?」
しばらく沈黙があった。
やがて整えられた綺麗な形の爪が、がり、と煉瓦の敷石をこする。
「姉さまは……きっと僕のことを許さない。僕はもう姉さまの傍にいられない。だから同じだ……」
ティンラッドはオウルと顔を見合わせた。
確かに一つ目の魔物は彼の切り札だったのだろう。だがあまりにも急激な戦意の喪失に、二人はついていけないでいる。
そして額面通り信じていいのかどうか。オウルはそう勘ぐる。
何しろ二重三重にこちらを陥れようとして来た敵だ。今の意気阻喪ぶりが演技ではないという保証はどこにもない。
そこへ。
「あーこれこれ若者よ。悩みがあるのなら神の下僕である我々神官は、いつでもそれに耳を傾けますぞ」
戦闘が一段落したと見て、面倒くさいヤツが出てきた。
そう思ってオウルは眉根を寄せた。
「困っているのなら大神殿の三等神官であるこの私に話してみなさい。神は必ずやそなたに道を示すであろう」
ひょこひょこと無防備にハールーンに近付いていく。危ない、とオウルは思った。ハールーンの間合いは一般の戦士より広いのだ。武器もいくつ隠し持っているか分からない。注意しようかと思ったが。
……まあ、いいか。そう思ってやめた。アベルだし何とかなるだろう。多分。
ハールーンは物憂げに少しだけ顔を上げた。長い髪の間から青い瞳がのぞく。
「神様なんて……。僕たちに何もしてはくれなかったよ」
拒絶し嘲笑するような言葉に、しかしアベルは動じなかった。動じるような神経は持っていないのだとオウルは思っている。
「それはそなたの信心が足りなかった故のこと。いや或いは神の試練かもしれぬ。どちらにしても神を信じる心を失くしてはなりませんぞ。不幸のどん底にいる時こそ信心が試されているのである。さあ、顔を上げ神に祈るのです!」
論旨がメチャクチャだ。そのくせ押しだけは強い。しかも他人事だと思って『どん底』とか言いたい放題。
自分がハールーンだったら間髪入れずこの神官のむこうずねを蹴っ飛ばす。そうオウルは思った。
だがハールーンは無感動にアベルを見つめ、それから何かを吐き出すように哂った。
「いいよ。聞きたいなら話してあげる……。それでアンタに何が出来るか言ってみてよ。神様が救ってくれるって言うなら、救ってみろ」
嘲るように挑むようにそう言い捨てて、彼は静かに語り出した。