第27話:夢の終わり -5-
オウルに出来る攻撃と言えば投石くらいである。
しかし、ここは太守の館の中庭。足元には煉瓦が敷きつめられ、きれいに掃除されている。石ころどころか雑草さえない。
投石くらいで何とかなる数ではないのだが、と思ってオウルは暗澹たる気持ちになった。背後の魔法陣からは異様な魔力の気配が溢れてくる。あれをバルガスはどうしようというのか、そっちも気にはなるのだが。
今は目の前に迫る魔物たちを何とかしなければ、彼に先はない。
巨大な蛇型の魔物がするすると前に出てくる。まだ火がくすぶっている死骸の近くの黒く焦げた煉瓦に少し触れ、それは急に動きを止めた。熱かったに違いない。
逡巡したようにそれ以上前に出て来ない。その様子を見てオウルはひらめいた。
月桂樹の杖を握りしめ、せまる魔物の群れにビクビクしながらも一歩前に踏み出す。
「先達。急いでくれよ。一時しのぎしか出来ないからな」
振り返らずに言う。バルガスからも答えは返ってこない。呪文詠唱の声が続くだけだ。
まあ、それはこちらも承知の上である。
自分は攻撃呪文は使えない。出来ることは、バルガスがまた動けるようになるまでの間をつなぐだけ。それぐらい向こうも分かっているはずだ。
オウルを守ってくれる気など大してないだろうが、間合いを外せば自分の身が危険になる。それは理解しているだろう。
オウルは出来る限り長く魔物が近付いてくるのを引き止める。
バルガスは出来る限り早く魔法陣でやろうとしている術を完成させる。
お互いにやることをやるしかないわけだ。オウルとしては、この状況が一方的に押し付けられたモノであるのが少々気に食わないが。
月桂樹の杖を構え、補助呪文を詠唱して魔術構築にかかる。まずは範囲を設定する。自分の魔力では術の範囲を絞った方が効果的だ。バルガスによって黒焦げにされた地点を呪言で囲い込む。
その過程をこなすのにさほど時間はかからない。彼の属していた塔での研究は、魔術による広範な事象への介入を試みるものだった。効果範囲を絞りこみ定めることは彼にとって初歩の初歩だ。詠唱に数秒もかからない。
蛇型の魔物を押しのけて他の魔物たちがその場所に足を踏み入れようとした時には、彼は準備段階を終えていた。
杖で足下に簡略な陣と呪術文字を描き、最後に黒焦げの煉瓦を杖で一突きし声高く唱える。
「バツパナス!」
ぶん、と見えない衝撃が杖から発し、補助呪文が設定した領域に広がっていく。
そこに踏み込んでいた魔物たちが苦痛の声を上げた。あるものは飛び上がり、あるものは足を上げては下ろし上げては下ろし、あたかも激しく踊るかのように黒焦げの煉瓦の上で跳ね回る。
オウルは煉瓦を熱したのだ。この呪文は長時間加熱したい時や輻射熱を利用したい時、調理でよく使われるものである。
斃れたままの魔物の死骸が、焼かれてじゅうじゅうと音を立てた。
だがこの防壁も一時しのぎだ。足に蹄のあるものは果敢に一歩を踏み出す。
少し知恵のあるものは、仲間の死骸を足場にして彼らに迫ろうと勢いよく跳び上がる。
第二段階だ。
オウルは杖を振り。
「セア・フェイリン!」
高く呪文を唱える。それに応えて燻っていた魔物の死骸が赤く輝いたと見えたのも一瞬、人の背丈よりも高く燃え上がった火柱が通り抜けようとした魔物を火に包む。
体を炎に巻かれ苦しみながら魔物は転げ回る。だが地面も高熱。より熱くより深く、その身体を焼き尽くす。肉の焼かれる匂いがいっそう強くなる。煉瓦の上には次第に動きを少なくしていく魔物と、火柱となり燃え尽きた魔物の焼けカスが残される。
だが迫る魔物の数は三桁を超える。前に斃れた仲間のことなど知らぬげに次から次に押し寄せてくる。
オウルは次から次に杖を振り、魔物が通り過ぎようとする一瞬を狙い火柱で敵を焼いた。
有効ではあったが非常に神経を使う作業だった。相手を確実に焼き尽くすことが出来るその一瞬を外せば焔はただの障壁になり下がり、敵の足を止める効果は半減する。
「畜生、ロハスが何かよく燃えるもんを提供してくれればな……!」
呪文を唱える間にオウルは舌打ちをする。頼めば大概のものは出てくるロハスの『何でも収納袋』の中には、こんな場合に最適な燃料もきっと入っているに違いない。
だからといってロハスを呼ぶのも得策ではない。
ロハスは攻撃も防御も不得手だ。戦闘において全く役に立たない。オウルだって別に得意ではないが、魔術が使える分ロハスよりはマシに動ける。
しかし防護呪文も全ての攻撃を完全に防ぐわけではない。と言うより、正直なところ防護呪文なんて気休め程度のものでしかない。呪文をかけられる方にもそれなりの素養があって初めて、効果は十全に発揮されるものだ。
つまり、今ここでロハスに出て来られても足手まといになるだけである。更にアベルまでついて来てしまったりしたらもう目も当てられない。
要するに、ここは自分が孤軍奮闘するしかない局面。
そう思うとため息を押さえられないオウルだった。