第27話:夢の終わり -4-
「布に水もかけて濡らしておけ。あの金髪野郎がいる方向だけでいい」
オウルはそう指示した。アベルもロハスも厭そうな顔をする。
「この寒いのに、何も冷水をバラまかなくても」
「水は貴重品なんだよ。それに濡らすと売値が下がるよ」
「このボロがまだ売り物になるって方が信じられねえよ。いいから濡らせ」
乱暴に言ってから付け加える。
「いいか。アイツは船長が意地でも通さない。船長はアイツと戦いたくってたまらねえようだからな。逃げ出したって追っかけて行くぞ。まして自分を放って俺たちに襲いかかるなんて、許すわけがねえ」
仲間を守りたいからではない。
自分がハールーンと遊びたい……つまり殺し合いをしたいからである。
「だからアイツに出来るのは、船長の注意をそらすためこっちに短刀を投げるだけだ。この中に入ったことでアイツからは俺たちの姿が見えねえ。それだけでも攻撃を防ぐ効果はあるがな。はためいている布っていうのはけっこう力があるんだよ。飛んできた短刀の方向を変えるくらいのことは出来るし、場合によっては叩き落すことも出来る。水で濡らせば重みでその力は強くなる」
「な……なるほど?」
「つまり、このボロ布がはたはたしていれば私たちは安全……ということですか?」
分かっているのかいないのか、首をかしげるロハスとアベル。
「まあな」
オウルはうなずいた。絶対じゃないけどな、と心の中で付け加える。
せっせと天幕に水をかけ始めた二人を眺め、ここはこれでいいだろうと思う。
短刀投げについてはこの程度の対策で十分なはずだ。そしてオウルの見たところ、確かにハールーンは腕は立つのだろうが、正面から一対一で戦うのならティンラッドの敵ではない。
だから。
「そのまま隠れてろ」
と言い捨てて、彼自身はバルガスの補助に回るため天幕を出た。
天幕の中に入っていた間に、外の魔物の数はとんでもないことになっていた。
まるで壁だ。バルガスが風と炎で倒しても倒しても、後から後から押し寄せてくる。
一匹一匹はさほど強い魔物ではなさそうだが、とにかく数が多い。
「先達」
「君程度の魔術師に出来ることは何もない。引っ込んでいたまえ」
バルガスは振り向かずに冷淡に言った。それから、
「……と言いたいところだが。この調子ではさすがに魔力に不安がある。前に教えておいた召喚陣を描いてもらえないか。そのくらいなら君でも出来るだろう」
と付け加える。人にものを頼む時くらいもう少し低姿勢になれないのか、とオウルは思った。
だがツッコんでいる場合でもなさそうなので、黙って指示に従う。
召喚陣は『いざという時のために』と、バルガスが旅の間にオウルに教え込んだものだ。
オウルは召喚術は専門ではない。基礎の基礎を見習いの頃に教えられただけである。
それでもバルガスに機械的に覚え込まされたそれが非常に複雑で高度で、しかも異常なものであることは理解できた。
「アレを使うのか」
オウルは眉をしかめる。
「いったい何を召喚するんだ、アレ」
「君はそんなことを考える必要はない。さっさと言われたことをやりたまえ」
格下扱いである。大変に面白くない。
オウルはぶつぶつ文句を言いながら、慎重に教えられた召喚陣を描いた。この手のモノは描画をほんの少し間違えても致命的な結果を招いてしまう。専門外で細部の意味が分からないまま描いているから、余計に緊張する。
おかげですぐ横でバルガスが派手に攻撃魔術を繰り出していようが、その向こうに山ほどの魔物がいようが、気にすることなく作業を進めることが出来た。
「出来たぞ」
多分、と思いながら声をかけたのはどのくらい時間が経ってからか。
バルガスは相変わらず振り返らないままで、
「それを私につなげ」
と言った。
「つなぐ?」
オウルはきょとんとする。
「分からないのかね」
バルガスは蔑んだ口調で言った。
「召喚陣から召喚するモノ。それと私を接続しろと言っているのだ」
「何言ってんだ」
オウルは仰天した。召喚陣から出て来るもの。それが何だか知らないが、それと人体を接続しろとは。
そんな術は知らないし、大体そんなことは。
「外法じゃねえかよ。そんなこと出来るか」
いや、やり方を知らないのだから外法でなくても出来ないわけだが。
もし知っていたとしてもやりたくない。そういう気持ちだ。
バルガスは厭な嗤い声を上げた。
「外法か。それで君は、私を一体なんだと思っているのだね?」
その軋むような声にオウルは、彼のステイタスを思い出した。
外道を行ってこその闇の魔術師。
そういうことなのか。
「使えないな。では、少しの間その魔物どもをどうにかしていろ」
風と炎で敵を焼き払い、ようやくバルガスはこちらを向いた。
「どうにかっておい。俺は攻撃呪文は使えないんだぞ?」
「どうにかしろ」
にべもない。そのまま闇の魔術師は詠唱を始めた。
焼き払われた死骸の向こうからまた更に魔物たちが近付いてくる。
それに立ち向かうのは自分ひとり。
その状況に、オウルは愕然とした。