第25話:失われた記憶 -3-
料理を食べる間も、オウルの頭の中は疑問でいっぱいだった。
どうして言われるまでおかしいとも思わなかったのか。自分で自分に腹が立つ。
バルガスが周到に準備をしていなければ、今もきっと記憶を改竄されたことにすら気付かなかった。そう思うと悔しくてたまらない。
鍋が空になり後片付けも終わった後、全員が黙ってバルガスを注視する。アベルでさえ神妙な顔つきをしていた。
「これが私の備忘録だ」
バルガスは懐から小さな帳面を出す。
「初めから読もう。一日終わるごとにロハス君の帳簿と照合する。それでいいか」
「うん。準備できてる」
ロハスがうなずく。他の者も沈黙で同意を表わした。
「それでは」
軽く咳払いをしてから、バルガスは帳面を開いた。
「砂漠を旅して三日目。ロハス君の口から奇怪な体験を聞いた」
冒頭は、バルガスがロハスの話に危惧を抱き記録を付けるに至った経緯についてだった。その部分は先程の話とほとんど変わらない。
その後はしばらく退屈な砂漠の行程が記されているだけだ。ロハスの帳簿にも、その間は特に変動はない。食料と水の使用量と残数が書かれているだけだ。
「九日目。砂丘を越えたところでオアシスにたどり着く。対岸に街が見える」
バルガスは淡々と読み上げた。
「街にたどり着くまで半日を要する。警戒が厳しく、逗留するには太守の許可が必要だと言われる。胡乱なり。砂漠の街にとって往来する人間は貴重な通商相手のはずだが。ロハス君が鼻薬を嗅がせるが効果なし」
「な、何だって」
ロハスが愕然とした顔になる。
「そ、そんなムダ金を!?」
あわてて自分の帳面をめくる。
「ホントだ。トーレグの蒸留酒の小瓶二本、門番に握らせたけど効果なし。悔しい。って書いてある! あああ、オレのバカあ、何てもったいないことを!」
「ロハス君。照合は後にしてくれるかね」
バルガスが不愛想に言う。
「途中で口を挟まれるとやりにくいのだが」
「ごめん。でも悔しい。あああああ、何でこんな大事なことを忘れていたんだ!」
頭を抱えるロハスに、
「思い出したのかよ?」
ついオウルはツッコんでしまう。
「思い出してない。思い出してないけど悔しすぎる!」
「もういいかね」
バルガスがウンザリした様子で言った。
「やがて太守が現れ滞在の許可が出た。太守は若い女性、名前はパルヴィーン。弟のハールーンが成人するまでの代行とのことだが物慣れた様子。血での署名を求められる。その後、宿屋へ。特筆することもなき普通の宿。中年の主と妻、幼い少女の家族。我々の他に客はいない様子。今のところ宿内には怪しき点はなし」
そう言って彼はしばらく黙りこむ。
オウルは眉根を寄せた。
「血の署名か。ヤバい臭いがぷんぷんするな」
「全くだ」
バルガスは肩をすくめる。
「明らかに何らかの魔術的儀式だな。ここまで見事に記憶を奪われているのも、おそらくそれが関わっているのだろう」
オウルも同感だった。他に考えようがない。
「何で俺たち、そんな怪しすぎる署名をしちまってるんだよ。先達。アンタもその時、当然おかしいと思ったんじゃねえのか?」
「ふむ」
バルガスはあごに軽く指を当てる。
「欄外にただし書きがあるな。『船長が率先して署名したため、やむを得ぬ仕儀なり』」
ああ、とオウルは苦々しい表情でティンラッドを見る。アレが同意したのなら、自分たちに逆らう術などない。『船長に逆らってもムダ』。それがこのパーティに属する者が受け容れるべき、唯一にして絶対の決まりごとなのだから。
「パルヴィーン……」
船長にうっすらと非難の目を送る魔術師二人とは別に、違う言葉に反応する二人組がいた。
「何故でしょう。その名前には、ひどく心を騒がせるものがありますぞ」
「オレもだ。忘れてはいけない大切なことを忘れているような」
顔を見合わせ、うなずき合うアベルとロハス。
「バルガス殿! そのパルヴィーン様とやらはもしや絶世の美女なのでは?!」
「オレ好みの美人で、オレだけに優しくしてくれたとかそんな情報は!?」
詰め寄ってくる二人をバルガスは冷たい目で眺め、帳面をぱらぱらとめくってから、
「特にそれらしいことは書いていないな」
と嘲るように唇を歪める。
「なんだよー、バルガスさん使えないなあ」
「そうですぞ。そのような重大情報を書き漏らすとは」
皮肉がまったく通じない二人組は偉そうにそんな感想を口にする。
バルガスの目がますます冷たくなった。
「そんなことよりロハス君、帳簿の方はどうなのかね」
「あ、そうだった」
忘れていたらしく、ロハスはあわてて帳簿をめくる。
「ウン。同じ日に宿代を払ってる。前払いだね、まあ普通の話だ。とりあえず三日分払ってるね。連泊するからって言って、宿代を二割引きする交渉に成功したみたいだ」
さすがオレ、とひとり感心するロハスだった。