第22話:朔の日 -8-
オウルが崩れ落ちる前に。
疾風の如く襲いかかったティンラッドが、相手に切りかかった。
オウルを刺した黒い影は素早い動きでそれを避ける。
ティンラッドは表情を引き締めた。
すぐ傍に近付くまで気配を感じさせなかったこと。今の身ごなし。尋常な相手ではない。
そして。
見えない。
先ほどからオウルが辺りの異状を訴えていたが、ティンラッドも全く気付いていなかったわけではない。何年も海で暮らして身に着けた戦闘のカンが、この場所では働かない。
まるで片腕を縛られたように。目隠しをされたように。
感覚のひとつが塞がれた感じだ。
そして、逆に。
目の前の相手はその力に守られているように思えた。
相手がハッキリと見えないのは、月がないせいでも黒装束に身を包んでいるせいでもない。
敵の体全体が黒いもやにでも包まれているようにぼんやりとして、その全貌をつかむことを妨げている。
まるで、この闇に包まれた街の一部であるかのように。
相手はぼんやりとした、実体のないものに感じられる。
その迷いを断ち切るように。ティンラッドは容赦なく皓月の刃を叩きこんだ。
現実感などは、戦いの中で肌で感じれば良い。
そういうものだと彼は思っている。
打ち込んだ刃先がキンと鋭い音を立て、軌跡を反らされる。
「短刀使いか」
ティンラッドは舌打ちする。
もやに包まれた相手の体の中。
見えるのはただ、そこから突き出した小さな刃先のみ。それでもほのかな星明りの中で、それが短刀であることは見て取れた。
「大した技量だ」
間合いを取りながら、ティンラッドはニヤリと笑った。
刀身の長さから言えば、こちらが圧倒的有利。
勢いも切れ味も、ティンラッドの刀の方が数倍勝る。
だが、相手はそれを小さな動きで防いだ。
受け止めるのではなく、軌跡を逸らす。それだけで自分の身を守る。
短刀の扱いを熟知しているだけでなく、戦闘に対する感覚が優れている。そう感じる。
加えて言えば、自身の武器を越える武装をした相手にもひるまぬ度胸がある。
ああ。難敵だ。
そう思うと、ティンラッドは嬉しくなる。
この相手と会うためになら、退屈な砂漠越えの旅を我慢し続けた甲斐があった。
ただ、オウルのことは心配だった。
倒れたきり動かない。
気配は感じる。まだ死んでいないと思う。だが意識がないのなら、早く手当てをした方が良い。
ティンラッドはため息をついた。
「残念だな」
せっかく、楽しく命のやりとりが出来る相手に会えたのに。
「君と遊べる時間はあまりないようだ。私の仲間が君の一撃で手傷を負った。どうやら早い手当てが必要そうだ」
相手は答えない。まあ、それはそうだ。ティンラッドも答えが返ってくるとは思っていない。
だが次の言葉には、出来れば言葉で返事がもらいたかった。
「君。良かったら、私と魔王を倒す旅に出ないか? 君は面白そうだし、一緒に旅をしていればまた手合せをする機会もあるだろう。どうかな」
黒い影が驚いたように動きを止める。
息を呑む音が、聞こえたような気がする。
それから。
戯言を、という小さな声が聞こえた気がした。
本当に聞こえたのか、それとも気のせいなのか。
五感が狂わされている今、ティンラッドに本当のところは分からない。
オウルが無事なら、この状態を何とかしようと知恵を巡らせてくれただろう。だが、彼は石畳の上にうつぶせに倒れて動かない。今はティンラッドがひとりでケリをつけるほかない。
「戯言かなあ」
ティンラッドは軽く首をかしげた。
「しかし考えても見たまえ。とても面白いぞ? 私ではなく、そこに倒れているオウルが思いついたことなんだが。どこにいるのか実在するのかも分からない魔王を探すんだ。どこまで行ったら答えが出るのかも分からない。すごく面白いと思うぞ」
今度は明確に、ふざけるなと言われた。
子供の頃から聞き慣れた言葉だ。最近はオウルにしょっちゅう言われる。だが、それは不本意だとティンラッドは思う。
彼自身にはふざけている気など毛頭ない。いつでも至極真面目に、人生の突きつけてくる諸問題に対応しているつもりだ。
だがその対応の仕方が、他人から見るとひどくふざけているように見えるらしい。
それは価値観の相違というヤツだと彼は思っている。
彼が面白く、価値のあると思うことが他の人間にはそうではない。それだけのことだ。
十代のうちに、理解してもらおうと望むことは諦めた。
海に出るようになって、理解してもらう必要もないじゃないかと思った。
海は人間たちが何を考えていようが気にしたりはしない。
平等に恵みを与えたり、災難を与えたりする。そんなものだ。
だから彼は、海が好きだった。
そんな風に、みんな好きに生きればいいと思う。
どうせ完全に理解し合うことなど、人間同士は出来はしない。
だから、みんな好きに生きればいいのだ。
人間など、自然の前では塵芥と同じである。細かいことを気にして生きても、好きに生きても同じことだ。
仲間を選ぶ理由も同じだ。
自分が面白いと思う人間。好きに生きている人間。好きに生きたいと思っている人間。
そういうのを集めたら、自然にああいう顔ぶれになった。
ふざけたヤツばかり集めやがって、とオウルなどは愚痴るが。
別に変人を好んでいるわけではない。興味が出た相手に声をかけて行ったら、たまたま変人ばかりになっただけの話だ。
そういう意味では。
彼は、目の前の相手にひどく興味を引かれた。
黒いもやに包まれて、顔も背恰好すらも分からないけれど。
面白いかということで言えば、面白いにおいがぷんぷんした。