第22話:朔の日 -7-
じわじわと闇が濃くなる。
肌を刺すように冷たい夜気の中、世界が変容していくような気配を感じる。
厭な予感がする。
厭な予感がする。
逃げ場のない罠にいつの間にか入り込んでしまったような。
終わらない狂気の中に落とし込まれたような。
脱け出せない悪夢の中にいるような、気持ちの悪さが五感を絡め取る。
「船長」
オウルは低い声で言った。彼も魔術師だ。
単なる懸念や心配と、本当の予兆の違いくらい嗅ぎ分けられる。
「これはマズい。いったん引き返して、他のヤツらと合流した方がいい。離れているのは多分……危険だ」
「何を言ってるんだ」
しかし前を行くティンラッドは聞く耳を持たなかった。
「せっかく魔物と戦えるんだぞ。何もしないで帰るなんて、どうしてそんなつまらない提案が出来るんだ」
「だから」
オウルは怒りを抑えながら言った。
「どこにいても同じだって言ってんだよ。今、この街中が魔物の気配でいっぱいだ。あの宿屋だって危ねえ。だからバラバラになっているより、ひとまとまりになった方がマシだろうって言ってんだ!」
あちらにはバルガスもいる。
認めたくはないが、攻撃魔法を操れる彼はパーティにとってかなり頼りになる存在だ。
アベルもまあ、考えようによっては戦力になる。
ロハスをかばいながらオウルが自衛に徹すれば、ティンラッドとバルガスは自由に動けるだろう。
それだけでも合流する価値がある。
「そうだなあ」
ティンラッドは気乗りしない顔で言った。
「もう少し歩いて、何もなかったら考えよう」
このオッサンは。
オウルは本気でイラついた。
何でこう、いつもいつも気楽なのだ。そして、戦闘をすることしか考えていないのだ。
「あのなあ! アンタはパーティの統率者なんだから、もう少し考えて行動しろよ! アンタの判断に全員の命がかかってるんだぞ、その辺、真面目に考えたことあるのか!?」
そんな場合ではないのだがつい、怒りに任せてツッコんでしまう。
その時。不意にティンラッドが、表情を引き締めた。
「静かに」
声を潜める。彼の引き締まった全身から、殺気に似た気配が立ち上る。
「何かいる」
オウルはハッとして口をつぐんだ。
自分の気配を押さえ、周りに注意を向ける。
静まり返った街路を、ひたひたと歩く足音がした。
「行くぞ」
ティンラッドはするりと、肉食の獣のようにそちらに向けて動き出す。オウルは慌てて後を追った。
ひと足ごとに暗さが増すような街路を。獲物を見つけた野獣の如き男はするすると危なげのない足取りで進んでいく。オウルは路地を横切るたび、横町を通り抜けるたびに気が気ではない。
いつ、どこから魔物が現れて自分たちに襲いかかってくるのか。
緊張感で口の中がからからに渇く。自分の息遣いがひどく大きく感じる。
ティンラッドが足を止めた。
「船長?」
小声で訊ねるオウルを、ティンラッドは押しとどめる。
星明りの下。
昼間の噴水の傍に、人影があった。
小太りのその姿に見覚えがある。
宿屋の主人のような気がした。
引き止められるのを振り切って、外へ出た自分たちを探しに来たのだろうか。
声をかけようとしたがティンラッドに制された。
視界の中でその男は、何かに気付いたようにその歩みを止める。
その首がぎこちなく横に動いて、オウルたちの位置からは建物の陰になって見えない方向で止まった。
蛇に見入られた蛙のように。
全身が固まってしまったかのように、彼はその場所を動かない。
やがてその喉から声が漏れる。
「あ……。ああ。あああああああ!」
それは恐怖に満ちた、人のものとは思えない叫びだった。
そして。
その体が突然に自由を取り戻し、今まで見据えていた方向にくるりと背中を向け逃げ出そうとする。
瞬間。
血しぶきが飛んだ。
見えない何かに貫かれたかのように。有り得ない量の血が男の背から噴き出している。
それだけでは済まなかった。
続けて、無数の見えない一撃が。男に襲いかかった。
腕が飛んだ。
脚がちぎれた。
首が、砕けた。
ばらばらに裂かれて敷石の上に落ちた胴体からは臓物がはみだし。
辺りには、血の臭いが充満する。
「う」
オウルは思わず鼻を押さえた。
何かがいる。
あんな風に簡単に人間をちぎる何かが、あそこにいる。
「オウル」
ティンラッドが叫んだ。
え、と思った。
その瞬間。
後ろから忍び寄った何者かに、背中に刃を突き立てられていた。