第21話:白い街の姉弟 -4-
オウルとバルガスはちらりと視線を見かわしたが、もうティンラッドはこの街に滞在する気になっている。
船長に逆らってもムダ。それがこのパーティに属する者が受け容れるべき、唯一にして絶対の決まりごとだ。
というわけで、魔術師二人は互いに目をそらした。オウルはため息をつきながら、バルガスは諦めを表情に浮かべて。
どうやら了承されたと分かったのか、パルヴィーンが嫣然と微笑む。
「ハールーン」
「はい、姉さま」
美貌の弟が、上着の間から何も書かれていない羊皮紙らしきものを取り出す。
兵士たちが小さな机を運んできてティンラッドの前に置いた。
「これに名前を書けばいいのか?」
ティンラッドは気だるげに確認する。
「ええ。あなたの血でね」
女太守はうなずいた。
ティンラッドは小刀を取り出し、無造作に自分の腕を傷付けた。
そこから流れる血に渡されたペンをひたし、さらさらと名前を書きつける。
「これでいいか?」
パルヴィーンはうなずいた。
「お連れ様方も、それぞれ」
バルガスはあっさりとした態度でティンラッドに続く。
オウルも気は進まないが、呪術用の小刀で自分の腕を切り血を流した。魔術では自分の血を使うこともあるから、血を流すこと自体に抵抗はない。
ペンで羊皮紙に名前を記した時、手元で紙がもだえたように感じた。
血を吸う喜びに身をよじらせているような、そんな気配を感じて思わず手を引っ込める。
「どうかなさいましたか?」
パルヴィーンの美しい顔が、すぐ傍で彼をのぞきこんだ。
オウルはあわててペンを置き羊皮紙から飛びのく。
「な、何でもねえ。署名したぞ、これでいいだろ」
「はい」
女大公は微笑む。
「残りのお二方も」
「ち、血を流すのですか」
「オレも血はちょっと」
明らかに腰が引けている二人組。
「面倒くさいな。君たち、腕を出しなさい。私が切ってあげよう」
皓月を構えるティンラッド。
「ヤダ。絶対ヤダ」
「腕ごと切られそうですぞ」
アベルはもう逃げ出そうとする体勢である。
やれやれ、とオウルはため息をつき。
「ソリード」
杖を振り、対象の動きを止める呪文を唱える。
「こ、これは何としたことかあ。体が動きませんぞお」
「やったなオウル。ヒドイよ、仲間じゃないか……!」
顔色を変える二人にバルガスが素早く歩み寄り、袖をまくり上げて露わになった腕を小刀で軽く切った。
「うぎゃああああああ!」
「ひぃえええええええ!」
響き渡る男たちの悲鳴。
こういうのも息が合っているというのだろうか。そう思い、オウルは何だか悲しくなった。
付き合いづらい闇の魔術師と息が合っているとか、大変イヤな状況である。
「アニュレ」
オウルはもう一度呪文を唱えた。呪文が無効化され、石のように固まっていたアベルとロハスがまたじたばたと動き出す。
「ほれ。もう動けるから、さっさと署名しちまえ。血が止まったら、もう一度傷をつけなきゃいけなくて面倒くせえ」
「あんまりですぞ」
「痛い、痛いよお」
ブツブツ言いながら、二人も何とか署名した。
にっこりとほほ笑み、パルヴィーンは羊皮紙を弟に手渡す。
「それではごゆるりとご滞在ください。兵士が皆さまを宿屋にご案内いたします。私と弟は時々市中を散歩しておりますから、また顔を合わせることもあるでしょう」
そう言うと衣擦れの音をたて、彼女はくるりと背中を向けた。
楽団が音楽を奏でだす。
「あああ、美女が行ってしまう」
血の流れる腕を押さえながら、ロハスが名残惜しげにつぶやいた。
それからオウルをキッとにらむ。
「オウルが悪いんだよ。風呂を沸かしてくれないから、せっかく美女に会えたのにこんな垢まみれ砂まみれで。どうしてくれるんだ、オレの運命の出会いを!」
矛先が自分に向いて、オウルはげんなりする。
「バカか。女太守だぞ。旅の商人なんかに興味を示すかよ。片思いにもならねえ、寝言は寝て言え」
「弟の代わりって言ってたじゃん。本当は重責に耐えかねて、解放される時を待ち望んでいるのかも。砂漠を渡る鳥のように、このオアシスを出てどこまでもどこまでも飛んでいきたいって思ってるかもしれないじゃんか!」
「そんな下手くそな吟遊詩人の恋歌みてえな筋書きに興味はねえよ」
オウルは肩をすくめる。
灰色の目を、去っていく太守姉弟に向ける。
背を向けようとした時に一瞬、太守の弟の青い無感動な瞳がこちらを見た。
そのまなざしに、何とも言えない邪悪なものを感じて。
オウルは厭な予感が振り払えずにいた。