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偽りの大徳

 夜の行軍は静かに、されども迅速に行われていた。

 率いる兵は三万の精兵。来る大きな戦の為に、今か今かと待たせ続けてきた勇者達。

 目を爛々と輝かせ、端の一兵に至るまで油断も慢心も無く、華琳もその部下達も威風堂々の様子で先頭を進んでいる。

 幾日進んだか、遠くに見える篝火は多く、その者達も膨大な兵を連れているのだろうと一目に分かる。


「あれが我が本隊の陣です」


 短い一言。黒髪を風に靡かせる軍神のハキハキとした声は耳に良く通る。

 ふっと微笑んだ華琳は、相対するモノの思惑その隅々にまで思考を巡らせ、呆れたように息を一つついた。


「では、劉備の所に案内しなさい」


 絶句。周りの部下の誰しもが華琳の発した一言に耳を疑った。

 如何に黄巾時代に交流があったとて、この群雄割拠の乱世に於いて他勢力の本陣に交渉を求められた側が向かうなど異質なこと。

 ただ、軍師の二人は鋭く瞳に光を宿らせて思考を共有していく。主の思惑を看破出来ずして何が軍師か、と。


「か、華琳様! せめて劉備をこちらに呼び寄せるなどした方が良いのではないでしょうか?」


 跳ねるように口を開いたのは春蘭。例え誰であろうとも己が主を傷つけさせはしないが、それでも万が一ということもあるのだ。片腕たる彼女は常に主の身を案じる。主の事を信じてはいるが、彼女は危険の可能性が少しでもあるならば黙っていられるほどのんびりはしていない。

 チラと春蘭に目を向けて、華琳は獰猛な笑みを浮かべた。


「そうね、私も劉備軍を完全には信用してないわ。でも覇王たらんとしているこの私が、その程度の些末事に怯えるわけがないでしょう? だって私には信頼を置くあなた達がいるのだから当然よね」


 華琳のその言葉にぱあっと顔を明るくした春蘭は、尻尾が付いていれば千切れんばかりに振っている事だろう。

 それを受けて、愛紗は絶望と屈辱とが合わさった表情に顔を歪ませるも、悟らせまいと直ぐに顔を伏せた。

 華琳の発言は、わざわざ彼女が口に出す事によって暗に三つのモノを示していた。

 信用していないというのは……この交渉で劉備軍が望む提案を受けるかは今からの態度次第、もしくは追加の内容如何によって決めるという『選択する権利は曹操側にある』という強い意思表示。

 それに加えて些末事。仮に相対するとしても取るに足らない存在であり、同盟を受けても劉備軍の力は当てにしていないと取らせているのだ。

 最後に、自身と部下との絆を見せつけ、そちらはどうかと問いかけてもいる。覇王は一つの波紋を作るだけで満足するモノに非ず。

 グッと腹に力を込めた愛紗は強い眼光で華琳を睨みつけ、憤りに支配されようとする心を抑え付けて口を開く。


「曹操殿、我が軍の陣内警備は万全です。億が一にでも何かが起こったならば、与えられた命が遂行されるまで、私の全てを以ってあなたを守りましょう」


 数瞬の空白。後に華琳は口角を吊り上げた。うっとりと、その瞳を淡い色に染めて。


――こちらの投げた非礼ギリギリの言葉に対して、どのような答えが返ってくるのかと楽しみにしていたけれど……その在り方、やはり惜しい。


 愛紗の対応は華琳の想像以上であった。

 華琳の残した抜け道、襲い掛かるのが劉備軍とは言わなかった事を間違わずに把握したのは予想通り。しかし……命令通りに桃香との交渉が終わるまでは何があろうとも守るとまで言われるとは思わなかったのだ。

 忠義は曲がらず、自身を律しきる心力も持つ。それは華琳が欲しいと願う武将の姿。

 想い人を口説き始める前のような空気を醸し出し始めた華琳を見て、


「いや、お前はいらん。我らが守り通せんわけが無いだろう?」


 間に割って入ったのは眉間に皺を寄せた春蘭であった。そんな春蘭の不機嫌な様子が愛らしくて華琳は思わず苦笑してしまった。


「ふふ、そうね。じゃあこうしましょう。関羽、あなたは劉備軍陣内に交渉の場として相応しい天幕を用意するよう言ってきなさい。期限は二刻。もちろん、準備完了の報告はあなたに来て貰いましょうか」


 戯れは終わりとばかりに表情を引き締めての提案に、愛紗も気を引き締めた。


「……感謝します、曹操殿」

「その礼、交渉が終わるまで受け取らないわ」


 一つ目礼をした愛紗は華琳の言葉に訝しげに見やるもすぐに振り切り、馬の腹を蹴って己が陣へと駆けて行った。

 愛おしげに見送って大きく息を吸った華琳は、


「全軍停止せよ! 我らは此処に野営の陣を組む!」


 凛とした命を夜天に響かせ、己が力たるその軍に指示を放つ。後に、ゆっくりと周りに居並ぶ部下達を見回し、優しく微笑んだ。


「関羽が帰って来たら春蘭は言わずもがな……季衣と霞、それに凛と桂花も来なさい。凪と沙和は陣の設営後に春蘭と霞の部隊も纏めておくこと」


 御意、と幾つもの声が重なり、それぞれが与えられた仕事の為に動き始めた。季衣だけは親衛隊である為に動かず、華琳の隣で遠くに光る劉備軍の篝火を見つめている。

 その瞳には少しの敵意を。張飛の事を考えているのだろうと苦笑を一つ零した華琳は無言で同じようにその陣容を見つめた。


――交渉の場に徐晃がいるかどうか……いや、どちらにしろ同じ事か。あれが居ようと居まいと結果は変わらない。もし居るのなら、私に何を捧げてくれるのか楽しみにしておきましょう。


 簡単に交渉が成立するとは華琳も考えておらず、徐晃ならば必ずここで何かしらの切り替えしを用意していると考えていた。

 沸き立つ感情から、口の端を吊り上げる彼女は逸る心を抑え付ける為に空を見上げた。

 目に映るのは夜天に煌く星々と薄く靄のように少しだけ広がる雲。今宵は新月。まるで英雄達の命をこれでもかと輝かせているようにも見えた。

 星が散りばめられた美しい空に想いを一つ零す。


 どうか、最後に一つでも多くを手に入れられるように、と。




 †




 関羽から天幕の準備が整ったと報告を受けて、先に通達しておいた者達と共に劉備軍の陣へと入って行った。

 そんな道すがら、私の前に二人の人物が見えた。

 赤い髪を後ろで括り、じっときつい目で見やる白馬の王と、白き衣に蒼い髪の昇龍。そこに関靖の姿が無いことから、やはり情報通りに忠義に殉じたのだと理解出来た。

 二人の瞳には少しばかりの敵意と後悔があった。私が密盟を受けていれば、彼女達は今も愛する幽州の地にて楽しく暮らせていたのだから当然。

 私は目を向ける事もせず、静かに横を通り過ぎ、冷めた瞳が不思議と心地よく感じた。

 彼女達が何も言わなかった事に称賛が湧く。胸に湧く怨嗟を向ける程度のモノでないのならば、やはり彼女達は誇り高き英雄である。

 稟に対しても、趙雲は友が敵対勢力にいる事を仕方なしと呑んでいるのだ。これから先、戦う覚悟もあるのだろう。

 誰も何も話さず歩くこと幾分、漸く劉備が用意した天幕が見えてきて、少しの驚愕があった。

 遠目から見える篝火に照らされた二つの人影。近付くにつれてはっきりとした人物達は……劉備と諸葛亮だけ。張飛は交渉の場に使えない為に、軍の掌握に向かっていると予測出来た。

 王自らが出迎えるなど有り得ない。それでも、それを為す姿はまさしく徳の人。だからこそ民に好かれ、臣下に慕われ、人の和を繋ぐ事が出来るのだろう。

 しかし同時に落胆が湧いた。

 徐晃が此処にいない。飄々と、不敵に、私を打倒しようと画策していた愛しい敵が居ない。さらには、徐晃の影響を一番に受けているであろう鳳統もいない。


「関羽、徐晃と鳳統はどうしたのかしら?」


 徐晃がここまで大きな交渉の場に顔を出さないなどあるはずが無い。私には顔が割れているのだから、意図的に軍師である鳳統を外す事も諸葛亮ならばしないだろう。それなら得られる答えは一つ。


「二人は遅れてこの場に来ます。袁家の暗殺によってか、袁紹軍侵攻の伝令が遅れたのです。今は本城から此処へ徐晃隊と共に向かっていると思われるのですが……」


 関羽の表情は悲哀と疑惑。その意味するところは――きっとそういう事。


「……到着予定時刻よりも遅れているのね? 不測の事態……袁紹軍との戦闘があったと考えていいわ。なら霞、我が軍の半数は戦の準備を整えて待機させよ。付近に物見の斥候を広く放ちなさい」


 御意の返答と共に霞が全速力で駆けて行く。関羽は目を見開き、言葉を発せずにいた。


「ふふ、用意周到に越した事は無い。もし徐晃や鳳統が捕えられていたらあなた達はどうするのかしら? まあ、今は答えなくていいわ」


 我ながら意地の悪い事を言ったと思う。この交渉で向かう先は一つだというのに。あれが捕えられているとしても、彼女達に選択肢は無いのだから。

 思わぬ所で交渉に使える札が増えた事を喜ぶべきか、悲しむべきか……否、結果こそ全てだろう。焦る事は無い。少しばかり予定が遅れるというだけなのだから。

 再度無言になった所で劉備と諸葛亮の目の前に辿り着いた。

 劉備の様相は前にも増して力強く見え、それでいて初めに出会った頃から何一つ変わらない穏やかさを纏っていた。


――ああ、間違いなくこれは私の敵対者。やっとあなたは本当の王になったのね。犠牲を伴っても、自身が悪を為そうと世に平穏を作り出さんとする本当の王に。


 微笑みと共に目を合わせた。瞳に煌く輝きは意思の強さ。彼女はきっと最後まで折れる事は無く……私は全力を以って叩き潰さなければならない。


「遠い所をご足労かけさせてしまい申し訳ありません。お久しぶりです曹操さん。天幕の内にご案内します。あ、皆さんの分も娘娘のおいしいお茶をご用意してますよ」


 にへらと笑い、敬語ながらやんわりと発された言葉に私の部下達の雰囲気が少しだけ緩んだ。

 素でやっていてこの影響力なのだから、きっと関羽は軍を引き締めるのに苦労している事でしょうね。


「ふふ、久しいわね劉備。連合以来ね。お互い、この乱世で為さんとする事は決めているのだから当然の行動をとったまでよ。気にしないでいいわ」


 愛らしく首を傾げて一寸だけ悩んだ劉備はそのまま天幕の中へと進んで行った。続いて諸葛亮も……私をチラと覗いてからそそくさと入って行った。諸葛亮の瞳にあるのは緊張と歓喜だった。


――そう、やはりあなたは……これを狙っていたのね。


 私が示した言葉は諸葛亮に対してのモノが大きい。

 関羽を送り込んだのは、私と劉備に直接交渉をさせる為なのだろう。私の性格を読んで、大徳の風評を最大限に利用して、公孫賛との先の交渉における相違点を秤に掛けさせて……そして私が欲しいモノを見極めて。

 ありとあらゆる事柄を高い視点から見透かして、固い計算からはじき出された一手。

 軍師たるモノ王の為になる行動をとるのは当然。劉備の為の思考を積み上げれば、確実にここに行き着く。最後に描いている劉備軍の取らされる結果が私と同じならば。

 天幕内に入ろうかと脚を進めようとした時に……ふいと、季衣が私の前に出た。先に入ってもいいかと聞くように振り返り、目には守るという意思の光を携えて。

 私は優しく、彼女の頭を撫でた。季衣の行動は親衛隊として褒められこそすれ、責められるモノではない為に。

 嬉しそうに肩を竦めてから進み始めた彼女の二歩後を進んで、私は劉備軍の天幕に脚を踏み入れた。

 簡素ながら綺麗に整えられた机には果物と茶菓子、そして魔法瓶に湯飲み。手前側には煌びやかな椅子、奥には折り畳みの椅子。奥の椅子の横に立っているのは劉備だった。

 客に対しての配慮は上出来。これならば席に着いてもいい。

 私が椅子に座るのを見て劉備が対面に座り、関羽と諸葛亮が劉備の後ろに、私の部下達も同じように私の後ろに並んだ。

 さっと、諸葛亮が手慣れた仕草でお茶を次々に人数分淹れて行く。盆に乗せて皆の前に差し出し、残った三つを自分達のモノとして、諸葛亮は一口だけ啜った。毒見役として私に見せつけ信用を得る為に。普段なら礼を失しているが、そこは目を瞑りましょう。

 目を細めて小さく頷き、諸葛亮がほっと息を付いたのを見てから私は膝を組み、机にゆったりと両肘を乗せて手を組んだ。


「では……交渉を始めましょうか」


 ビシリと幕内の空気が張りつめた。劉備達の顔は緊張に引き締まる。

 先に大きくなるであろう王同士が相対して交渉をするなど滅多にない。私は楽しさに震える心を抑えるのに必死だった。

 キッと力強い瞳を向けて、劉備が大きく息を吸う。圧されないで、空気に呑み込まれないで強気な姿勢を取る所は及第点。例え自らが求める側だとしても。


「初め、私達は徐州を守る為に袁術軍の侵攻を跳ね除けている最中でした。どうにか戦えていたのですが幽州の戦に敗れた白蓮ちゃんが私達に助けを求めてきてから暫らくして、袁紹軍までもが徐州に攻め入ってきました。

 今の徐州の状態……いえ、私達だけじゃ……悔しいけど守りきれないんです。だから……お願いします曹操さん。民の平和を守り抜く為に、一人でも多くの犠牲を減らす為に、私達に力を貸して下さい!」


 短い内容だった。交渉を行うとは思えない程に粗雑なモノだった。ある程度戦い、死活問題となるほどの窮地に追い込まれているわけでは無いというのに助けを求める。厚かましい卑怯者、と通常のモノならば判断するだろう。

 しかし真に迫る物言いは間違いなく正論であり、弱者が強者に求めるだけの単純なモノ。

 王としては間違い。でも、劉備という王ならば正解。

 彼女は民の側に立つ希望の星。弱者を率いる弱者の為だけの王。だからこそ、彼女はこうでなくてはならない。

 私の持つ誇りとはかけ離れている。しかしその姿は、その在り方は、間違いなく私の『下』に必要なモノ。


「そう……相変わらずあなたは優しいままなのね。確かに……私達の力があれば両袁家と孫策軍、全て戦えるでしょう。結果的に見れば、大陸の民の犠牲人数で見れば少なくなるは必至。だけど……交渉には対価というモノが必要なの。あなたも、分かってるわね」


 コクリと、劉備は力強く頷いた。その瞳を哀しげに染め上げて。

 次に言うであろう事は分かっている。しかし私の発言はまだ終わっていないのだから先は言わせない。


「それと一つ言っておく。私の国の民である兵の命、軽くは無い。それに見合うモノでなければ交渉は受けない。戦争とは命を対価とした外交手段なのだから当然でしょう?」


 にやりと口の端を上げて言い放つと、劉備がグッと唇を噛みしめる。フルフルと机の上に置いた手が震え、次いでぎゅっと握りしめた。


――さあ、あなたはどう答えてくれるのかしら『仁君』劉備。矛盾を貫き冷たい道に脚を踏み入れるのか、それとも久遠の理想を現世に落とさんとする大徳の道を望み続けるのか。


 しばしの沈黙に諸葛亮の額から汗が一滴零れ落ちた。彼女としても、劉備の選択如何によっては行動を起こさなければならない為にだろう。


「……曹操さん。あなたはこの大陸の事を憂いているんですよね?」


 ぽつりと、劉備が零した。眉を寄せて、悲痛に歪む表情は暗く、重い。


「その通りよ。私はこの大陸の現状を憂いている。力無きモノが理不尽に搾取され、罪なきモノが非道の輩に喰い物にされるこの世界を変えたいわ。一人でも多くの人々が救われる世界を望んでいる」


 ビシリと言い放つと、彼女は静かに目を伏せた。後に、光溢れる瞳を私に向ける。


「だったら、協力しませんか? これから先、侵略が行われないように力を合わせて、皆でこの大陸を良くしていきませんか? ゆっくりと、でも確実に対価は払っていきます。お金であれ、土地であれ、それ相応のモノを人生全てを賭けて払いますから。だから、皆で手を繋いで大陸を良くしていきませんか?」


 緩く耳を抜ける言葉は心地いい。

 綺麗で、美しくて、何よりも尊いモノだろう。

 誰かと誰かが協力すれば、そこに平和は訪れる。

 侵略する者が一人もいなくなれば、弱きを虐げるモノを抑え付けられれば、全てが平凡な日常を享受できる。

 殺した人は数多く、死なせた人も数え切れず。だからもう間違えず、今生きる人を共に救おうと言っている。

 誰かから何を言われようと構わない。この大陸を救えるならばそれでいい。

 そして行き着く先は皆同じ。乱世の果てに望むモノは……どの王も同じなのだ。

 ただ……劉備は一人でも多くを確実に救いたい。

 私は……一人でも多く、先の世に生きる人を確実に救いたい。



――だから……私はあなたと手を繋がない。その尊さを分かっているからこそ、全てを私の下に置く。



「劉備……あなたの言っている事、どういう意味か教えてあげましょう」


 訝しげに見つめられるも、私は目を伏せて彼女の瞳を見ないようにした。ここから少しの間、どんな感情も受け付けない。あなたの言葉を聞かない人もいるのだと教える為に。


「漢の再興。それがあなたの目的となるでしょう。帝の名の元に全てが手を繋ぎ、より良い世の中を作るために」


 優しく言葉を紡ぐと、劉備がほっと息を付いた。まだ何も終わっていないというのに。


「作り出してみなさい。……いつかこの私と相対する事になっても」


 笑みと共に最後まで紡ぐと、何かが壊れる音が聴こえた気がした。

 目を瞑ったまま、湯飲みを手に取って静かにお茶を飲む。穏やかな暖かさが心地いい。この場には似合わない味だと思いながら、その味をじっくりと楽しんだ。


「そ……それは、どういうことですか?」


 深くは言わない。それを言っては私が逆賊になる為に。明確に示すと虫の息の漢に対しても敵対を示す事となる。帝を手中に収めていようとも、それは望ましい事ではない。


「さあ、あなたが考えて出した答えが全てになるでしょうね」


 言いながら目を開くと、諸葛亮が少しだけ不安の色を瞳に映していた。

 ここからは理想の話では無い。現実的な話をしましょう。あなたは何を選ぶのか、見せて貰いましょうか。


「交渉の話に戻る。関羽から仮の対価の話は聞いているが……こちらから欲しいモノを示しましょう」


 何か話し出す前に全てを言わなければならない。劉備の心が揺れている内に決めさせなければ。

 関羽は困惑を、劉備は悲壮を、諸葛亮は……歓喜と期待を瞳に浮かべていた。


「同盟、という形は取らないわ。あなた達劉備軍には我が領の通行許可を与えよう。その対価として、徐公明と公孫賛の身柄をこちらに渡して貰おうかしら」

「なっ!」

「それと公孫賛をこの交渉の場に呼ぶのはダメよ。あなたがこの軍を纏めるモノで、その所在を預かるモノなのだからあなた一人で決断しなさい」


 短く声を上げたのは関羽だった。

 劉備は絶句して何も言えず、私の部下達は静かに聞いていた。無言の信頼は心地いい。私が何を言おうとも、彼女達は私の為を考えてくれているのだと心が暖かくなった。

 一人、諸葛亮だけが瞳に知性の光を宿し、口を白羽扇で隠して私を見据えていた。


――きっとそれで隠した口は歪んでいるのでしょう? そしてここからあなたの主が私に言う事も、あなたの読み筋なんでしょう、諸葛亮?


 伏したる龍は首を擡げている。しかし羽ばたくには力が足りない。だからその力を得る為に、私を利用したということ。小賢しい、とは思わない。愛おしい敵である仁君、その本物の王佐となってくれた事が今はただ嬉しい。


「どうして……あなたは……さっき一人でも多くの人を救いたいって言ったじゃないですか。なのに……自分達だけで戦って、自分達の国の犠牲を増やすって言うんですか!?」

「ええ、その通りよ。私の国の兵を多く犠牲にして、徐州と徐公明と公孫賛を手に入れるの。それ以下は認めないし、それ以上は望まない。あなた達の力は認めているし有力でしょうけれど、今回の私が望むモノでは無いのよ」


 きっぱりと言い切ると劉備の表情が怒りに歪んで行く。

 許せるわけがないのだ。一人でも多くの人を救いたい彼女が、それが出来る可能性を目の前にぶら下げられているというのに拒絶されるなど。

 だからあなたは矛盾している。だから……徐公明は壊れる寸前まで追い込まれているのだ。


――嘗て、初めての邂逅の時、あなたの軍は何をした? 多くの犠牲を伴って、私からの補助という力を得たでしょう? それは評価されてしかるべき事であり、綺麗事で治められないモノ。その行いを否定するモノは覇王たる私の部下に相応しくないが、皆は考えさせたなら最後に質問してきて、答えれば理解してくれる子ばかりだから問題は無い。必要な犠牲を払って力を得る。それをあなたも行ったはず。長い視点で見れば、私はあの時のあなたと同じ事をしているだけなのよ。


 しかし私は何も言わないし指摘しない。その矛盾を呑んで尚、手を繋ごうとする劉備を認めているから。部下では無く、敵対者としての彼女をこそ、乱世では求めているから。嘗ての矛盾が、罪があろうとも、今の人を救おうとするならば、それは同じように人を殺している誰からも責められるモノであり、同じように人を救おうとしている誰からも認められていいモノ。ただ、その時々で人を救いたいという想いを穢すことも、二度と同じような間違いを繰り返さないことも、正しいし間違いであるだけ。


「そんなの……そんなの間違ってます! 自分の国の民を、膨大な人々を犠牲にしてたった二人を求めるなんてっ!」


 ええ、間違っている。人として、あなたの方が正しい。ただ、私は乱世を治めきる王として正しい選択をしている。他の王ならば許容出来ない罪だとしても、私だけはそれを呑み込んでみせる。

 切り詰めて切り詰めて、漸く手が届く頂。そこに辿り着く為には、なんであろうと切り捨てなくてはならない。莫大な痛みを伴おうと、誰かに人と見られなくなろうと。

 此処に霞がいたのなら、きっと劉備に殺気をぶつけているだろう。董卓を生贄にしたあなたがその口で否定するのなら、怨嗟を向けずにはいられない。対象が二人の人物か多くの民かで認識が分かれるだろうけれど、結局の所全ては同じなのだ。


「其処をどれだけ否定してもいいけれど結果は変わらないわよ。あなたが喚こうと、私はこれ以外の交渉を認めない」


 さらに口の端を吊り上げて劉備を見ると、悲哀の感情が渦巻く瞳を私に向ける。何か話そうと口を開くも何も出て来ずに、震える吐息を吐いて直ぐに閉じた。

 痛いほどの静寂が天幕内を包み込む。

 ふいと、劉備は諸葛亮に目を向けた。それを受けて、諸葛亮の瞳は一瞬だけぶれ、小さく首を振った。

 何かの合図か、他に手があるのか、幾多も劉備軍の立場に自分を置き換えて考えるも、選ばれる答えは二つだけ。そして劉備の思考の行く先を考えるならば、私とは違う答えが一つだけ。

 大きく息を吸って、深く吐いた劉備は悲哀と絶望にくれる瞳を私に投げかけた。


「曹操さん、徐州は対価として足りませんか? あなたなら、この地の民を良くしてくれるのは知っています。あなたの兵隊さん達の犠牲も減りますし、無茶をしないで済むんです。だから……」

「へぇ、やはり徐州を差し出すつもりだったの。仁君、大徳とは聞いて呆れるわね。慕う民を捨て、治める地を捨て、義勇軍のように悪を続けるモノを裁く為に他の場所に行くと……そう言うのだから」


 皮肉を込めて彼女に言うと、ギリと悔しそうに歯を噛みしめた。ただ、その悔しさは自身に対するモノ。あなたは私を憎めない。善性を見せた人間を憎む事が出来ない。それがあなたの、人を信じるという本質、そして最大の弱点なのだから。


「選びなさい、劉備。あなたの軍は私の交渉を受けるのか否か。まあ、断ったらどうなるかくらい考えているのでしょうね。

 ねぇ、稟。大陸を渡り歩いたあなたなら、この規模の軍が抜けられる道でどれくらいの被害が出るのか分かるのでは無いかしら?」


 静かに、後ろを見ずに問いかけた。彼女が後ろで眼鏡をクイと持ち上げている姿が目に浮かぶ。


「……劉備軍の規模でしたら、そうですね。我が軍の精兵を基準として、現時点で直ぐに陣を破棄して行動に移したならば、兵の被害が半数に足りないくらいだけで荊州まで抜けられます。ただ、徐公明と鳳統の合流を待つならば、将の被害も兵の被害も半数を超えるでしょう。言わずもがな、時間が経てば経つ程に抜けられる可能性さえ薄くなっていきますね」

「たった二人の人物の身柄であなたの兵と将が安全に抜けられるのよ? ふふ、安いモノだと思わない?」


 挑発するように、再度現実を告げる。突きつけるのは絶望。劉備軍が選ぶ選択肢は本来一つしかない。徐晃と鳳統の無事も……最悪ここで待って確かめたいのだから、徐晃と公孫賛を差し出すと言えばそれも為せる。劉備や関羽としての最善は同盟を締結させて徐晃と鳳統を助けに行くことだろうけれど。

 これを受けると言うならばあなたは冷たい覇の道を歩む事が出来るだろう。そしてそれこそが徐晃の望む王の姿。近しい他者を切り捨てて、それでも大陸の平穏を望む覇王を……あの男は望んでいる。

 だから劉備が選べなければあの男は壊れる可能性が高い。何よりも、きっとあの男は『信じてくれなかった』と感じるからこそ壊れるでしょう。

 ただ、相手が私ならば出来うる事がもう一つある。その答えに、諸葛亮は私を冷徹な瞳で見据えていた。


――抜け道は……たった一つだけ。その為に私を此処に呼んだのでしょうね、諸葛亮。


 劉備の返答は無言。

 そう、ただ何も答えず、己が提案を呑んでもらう為の我慢比べをする事。

 どちらも引かず、このままの状態が維持されるならば、彼女達の味方が増える。

 もし、諸葛亮が徐州内部の情報工作を行っているならば、大徳の風評が味方に付くのだ。

 私がこの場に来たという事実、そして見捨てたという事実。その二つがあれば、徐州の平定は時間が掛かるのは確実。公孫賛を受け入れた劉備と、劉備を見捨てた私を民は比べ初め、じわじわと首を絞められていく事になるのだ。

 同盟を受けてしまっても同じこと。劉備は理想の道をそのままに未来が開けて、民の思想も安定し私の領地内部に毒が残る。

 だから私は劉備軍を此処で追いやりたい。対面的に『劉備軍を助けた』という事実を残しながら徐州の安定を迅速に行い、幽州の公孫賛と大徳の徐公明を手に入れて河北と徐州への先手を打つ。

 劉備という大徳が居なくなれば、徐公明という大徳がこちらの手に渡り、情報操作も容易く行える。『劉備は国を、民を見捨てる偽の大徳なり。徐公明が認めた曹操こそ徳と覇を合わせ持つ真の覇王である』と。

 全ての箱は開いている。だから中身のいい所全部を貰う。通常の王ならば同盟を選ぶだろうけれど、私は劉備にも打撃を与える道を見つけている。

 そして諸葛亮の考えている抜け道は……私に落としどころを付けさせる事。

 それも公孫賛や徐公明のどちらかでは生温いモノ。もっと遠大な思考を以って行われる、覇道を持ったモノが選ぶ落としどころ。

 そしてそれこそが……私の求める答えであり、劉備軍にとって、そしてあの男にとって最悪の選択となり得る。


「だんまり、か。どうしても私の言う事を聞かないつもり?」

「曹操さん、せめて犠牲を減らす道を選びませんか? その後でもう一度交渉を――」

「提示する側はこちらなの。あなたに残されている選択はたった三つ。私の提案を受けるか、それとも戦場へと戻るか、莫大な犠牲を払ってここから逃げ去るかだけよ」


 答えを返すと尚も、口を噤み続ける劉備。あなたがしているこれは脅しだという事に気付いてしているのか……いや、それは言うまい。交渉では当たり前の事。如何に相手側から自身の利を掠め取るか――それこそが交渉の神髄なのだから。

 一刻ほどであろうか。静寂の時間は続いていた。ふいに季衣が後ろで動く気配がした。


「ねぇ、華琳様……あのお菓子見た事ないんですけど……食べていいですか?」

「ちょ、ちょっと季衣! 厚かましいわよ!?」

「だってぇ……お腹すいてきたんですよ~! 娘娘でも見たことないお菓子だから食べたくて……」


 張りつめた空気が和らぐような愛らしい季衣の発言に対して静かに怒鳴った桂花だったが、少しだけ声音が何時もと違った。


――あなたも食べたいという気持ちが声に透けて見えてるわよ桂花。


「お腹が空いてしまう程の時間を使わせられたのだから仕方ないわね。桂花も食べて構わないわよ。せっかく出して貰ったモノを食べないというのも悪い。ふふ、食べ終わるまでに劉備から何か言ってこないのなら、この交渉を終わらせてあげる」


 言うや季衣は机の上のお菓子に手を伸ばす。

 ふと、一つの引っかかりを覚えて諸葛亮を見やると、悲しみに瞳の色を落としていた。切なげに、今ここには居ない誰かを求めるように。


「諸葛亮、この甘味は徐晃が作り方を教えたモノね?」

「は、はひっ! しょ……コホン、その通りです。どら焼きといいます」

「へぇ……小型のほっとけぇきに餡を挟む、か」

「味も薄く、生地の膨らみも足りないようですが……店長の店ならば改善されるでしょう」


 既にもくもくと食べ始めて、顔を輝かせている桂花と季衣。稟と私はマジマジと見ながらゆっくりと食べ進めていった。

 それでも、劉備は沈黙を貫いていた。劉備軍のような緩い雰囲気にしてあげても、結局彼女は現実を選べなかった。

 お茶を飲んで一息。もはや結果は決まった。

 諸葛亮の目的は私にこれを提案させる事。そして劉備にこれを選ばせる事。そうでなければ先程あのような瞳をするはずがない。

 きっと諸葛亮も鳳統と同じように徐晃を慕っている。そして将としての有用性も、あの男自身の在り方にも気付いていて、私の元に少しでもやれば取られると考えているのだろう。


――さて、王としてこれを選べないのなら劉備に未来は無い。そうなると、少しの風評低下は我慢しなければならない、か。せめて私に立ち向かう王であれ、劉玄徳。


 心を決めて、コトリと机の上に湯飲みを置いた。

 後に、私を見据え続ける劉備を……殺気を込めて睨みつけた。ビクリと震えあがった劉備の身体、それでも私を見つめ続けていた。


「劉備。これだけ時間をやっても決められないとはなんたる様か。しかし民の平和を願うあなたを見捨てるのだけは……黄巾時代のよしみでしないでおく。

 対価だけ変えてあげる。徐公明も公孫賛もいらないわ。私の領地の通行を許可する」

「か、華琳様!?」


 春蘭がすっとんきょうな声を上げたと同時に、驚愕に目を見開いた関羽と劉備は直ぐに昏い表情に変わる。何も解決していない、というように。


「ただし! あなた達がこの先……益州と荊州を平定したのなら、私はその地を奪いに行くわ。あなたの嫌う力を使って、話し合いの場も持たずに侵略してあげる。それを以って対価と認めてあげるわ。あの二人は益州と荊州二つの土地でさえ釣り合うのだから」

「でも――」

「私の国の兵は私のモノ。お前が口を挟む事では無い。劉備、これさえ選べないというのなら、此処で劉備軍を見捨てても、潰してもいいのよ? あなた達の命運を握っているのは私。逆らうなら、私の敵だというのなら容赦しない」


 大きく、殺気と怒気を叩きつけて言い放つと、劉備も関羽も苦い表情に変わった。

 今回、犠牲を伴わずに軍としての姿を保ったままで抜けられるのだから、選べないのはどういうことか二人も理解している。

 次に生かす機会を貰ってさえ、自国の民たる兵さえ生かせないのならば王として落第。これ以上のわがままを言うのなら、そこまでの人物だったということ。


――さあ、答えを聞かせて貰いましょうか。




 †




 桃香様も、愛紗さんも分かっているはず。

 提示された選択肢を選ぶ事が出来ればまだ機会がある。曹操さんを抑え込み、漢の再興を測る機会が得られるのだ。

 皆が無事に生き残る為に、私は桃香様に一つの事を言っていた。


『何があろうと、桃香様の理想を作り出す事を考えてください』と。曹操軍が此処にくればどのような利害があるかを説明した上で。


 桃香様ならきっと曹操さんに対して語りかけると思っていた。そして……曹操さんならばそれを提示してくると確信していた。

 徐公明と公孫賛の身柄譲渡。政治的に見てあの二人は影響力が大きいから必要不可欠。

 もしかしたら、秋斗さんだけを求めてくるかとも思っていたけど、この場に辿り着いていないから白蓮さんを最後まで対価として提示したのだろう。

 不安の渦が心を支配する。

 彼が交渉の場に間に合わないように、休息の為の兵を中途地点に少し送ってもいる。命令ならば聞く人だから彼は少し休んでから此処に来る……はずだった。

 しかし白蓮さんから幽州の戦の話を聞いて、その必要すらなかったのだと絶望した。

 袁紹軍の街道封鎖は迅速にして的確であり、追撃のしつこさも異常。だから戦闘が行われるのは必至だったんだ。それでも、徐晃隊七千なら抜けられる。最低でも秋斗さんと雛里ちゃんだけは此処に辿り着けるだろう。

 不安が大きくなっていく。

 もしかしたら、捕まっているかもしれない。

 もしかしたら、殺されているかもしれない。

 ただ、嬉しくもあった。

 私の策で皆が無事に徐州を抜けられる。秋斗さん達が無事に辿り着いたなら、曹操さんに誰かを取られる事も無い。

 きっと、秋斗さんなら分かってくれる。劉備軍が力を持ったまま、桃香様の理想を叶える為にここを抜ける選択を是としてくれる。あの人が交渉の席にいたならば、確実に自身の身を差し出しただろう。彼と雛里ちゃんは曹操さんへ払う対価の上乗せをも考えているはずだから。


――でも……どうして曹操さんはあんなに楽しそうに私を見るの?


 彼女の瞳は歓喜の色。既に桃香様から視線を外し、私だけを見据えている。その表情は、勝ちを確信した人が見せるモノだ。

 隣で桃香様が顔を上げる。その口から、悲痛な声音ながらも決断が下された。


「……っ……分かりました。私達はこの地を……今から捨てます。曹操さんの提案を呑みます」


 どっと安堵が胸の内に沸き立った。これで全てが上手く行く。誰も失わずに劉備軍のままで乱世を抜ける事が出来るから。


「ふふ、いい子ね。なら交渉は終わりとするけれど……私は此処で徐晃達の合流を待つわ。稟、あなたは私の代わりに霞と凪、沙和の部隊を率いて袁家の対応に向かいなさい」


 一瞬思考が真っ白になった。曹操さんが此処に残るなんて……せっかく握り潰したのに、万に一つの可能性が現れてしまった。

 思考がまとまらないままでいると、愛紗さんは次の行軍を開始させる為、天幕の外に控えていた兵に指示を出し始める。


「諸葛亮、ちょっと来なさい」


 にやりと意地の悪い笑みを浮かべた曹操さんは私に手招きをした。

 人形のように、私の脚は彼女に向かう。脳髄が嫌というほど警鐘を鳴らしていた。この人の言葉を聞いたらダメだ、と。


「あなたの策、見事だったわ。私の全てを読み切った事は褒めてあげる。見誤ったのは一つだけ。あなたは徐晃の事を何一つ分かっていない」


 小さく耳打ちされた言葉に、私の頭は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


――私があの人の事を理解していない? そんなわけない。同じ軍でも無いあなたに何が分かる。覇の思想を持っているとしても、彼はあなたよりも桃香様を選んでいる。だから……勝ったのは私なんだ。彼が選んでくれるのは私達なんだ!


 身体を離して、キッと曹操さんを睨みつけると……楽しそうに、獰猛な笑みを浮かべていた。


「あなたの負けよ。首を上げるだけの伏竜。見上げるだけじゃ空は手に入らない。天駆ける黒麒麟は……必ず私を選ぶ」


 小さく、私だけに聞こえる大きさで紡がれた一言。やはり、最初から曹操さんの狙いは秋斗さんだけ。彼を手に入れる事こそ、今回の彼女の目的だったんだ。

 苛立ちが込み上げて歯を噛みしめた。何故、そこまで自信満々でいられるのか。

 正対している事が出来ず、私は踵を返して桃香様の隣に並ぶ。心を落ち着けるようにゆっくりと息をついて、お茶を手に取って啜った。

 内で喚く黒い獣がうるさかった。勝利の雄叫びを上げながら、覇王に対して怒りの声を向けていた。

 どうして全て上手くいったのに、こんなに不安なんだろう。

 どうして私は……彼の事を心の底から信じられないんだろう。

 彼は私達をいつでも信じてくれているというのに。

 静寂が包み込むその場は幾刻も続いた。たまにお茶を啜る音が聴こえるとしても、陰鬱な空気はずっと払拭されなかった。

 長い時間を待って漸く、私が待っていた情報が入った。


「りゅ、劉備様! 徐晃様と鳳統様が到着なされました!」


 その報告に、安堵と不安が綯い交ぜになった心が溢れかえった。


 ただ……曹操さんが大きく口を引き裂いた事だけが、私の心に苛立ちと焦燥を落としていた。















 †



 諸葛亮、あなたの負け。


 あの男はこれで一度壊れかける、もしくは壊れてしまう。


 それを直すのは私の役目。


 それを包み込むのは私の仕事。


 それを呑み込むのは私だけしか出来ない。


 劉備に切り捨てる事を選ばせればよかったのに。


 そうすれば徐晃はきっと……最後の最後まで私に抗う事もあったでしょう。


 内に隠し持った刃を研ぎ続けて最後に歯向かうようになるか、私の思想に浸かって想いの鎖から解き放たれるかの賭けを出来たのに。


 徐晃は劉備を異質な程に信じている。自分の在り方を曲げてまで、偽りの大徳を演じている。


 だから、信じて貰えなかったとなるとどうなるのかしら? 信じるに足りないと突きつけられたらどう思うのかしら?


 私なら、徐晃の事を信頼して、私の為に動いてくれると信じぬいてその背を送り出したでしょう。共に戦うモノを信じられなくてどうするのか。



 責任と死者の想いによる重圧によってあの男が壊れるかどうかだけが不安だが……そうね


 きっとそれは……鳳統次第なのかもしれない。




読んで頂きありがとうございます。



交渉の結果、華琳様と朱里ちゃんの選んだ答え、如何でしょうか。


一つお話を

原作魏√にて、朱里ちゃんは華琳様の提案を聞いて、誰もが驚いている中で一人だけ思考に潜りはじめたんですよ。

きっと彼女は腹黒くこんな感じの事を考えていたのではないかと、妄想が膨らみました。


そして私の物語ではこんな感じに。

桃香さんは変わりません。そこだけは変わってはいけない人なのです。彼女が劉備である為に、変えるわけにはいきませんでした。


次は主人公の反応と……最終結果を。

絶望の中で何が起こるか、です。



ではまた

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