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戦端は凡常にして優雅なりき

 南皮の居城での出撃前の事。

 麗羽は夕と会う事が出来ずにいた。

 先の戦の後、真名は交換したが袁家上層部の目もある為、自分から訪ねて気軽に会うという事も出来ない状態にあった。

 次の戦の事で少しでも彼女の明晰な頭脳を頼りたかった麗羽はどうしても会っておきたかったが、しかし現実は甘くなかった。

 現在、上層部に感付かれず、どのようにして会いに行ったものかと執務室で一人頭を悩ませている所である。

 そんな折、一人の少女が自身の執務室にやってきた。

「本初ー、入るよー」

 快活な声と共に入室してきた者は自身が一番苦手とする家臣である張コウ。ひょこひょこと爪先立ちで猫のように机の前まで近付き、立てかけてある簡易の折り畳み椅子を開いて腰かけた。

「なんですの儁乂さん? あなたがわたくしの部屋まで訪ねてきて下さるなんて……珍しい事――――」

「無駄話してる暇あんまりないよー。今部屋の前で立ってる護衛兼見張りがあたしの下僕だから時間あるだけだし。話が漏れる事はないけどあたしがここに長い事いるのはまずいんだよねー」

 やんわりと綴られる忠告にすぐに口を閉じた麗羽は、申し訳なさそうにぺこりと無言で頭を下げた。

「何も黙らなくてもいいけど……ま、いっか。とりあえず夕から伝言――――」

「っ!?」

 急に机の上にばっと身を乗り出した麗羽のあまりの勢いに、何事かと飛び跳ねて驚いた張コウはじと目で一睨みして元の位置に座らせてから続ける。

「がっつかないでよー、もう。

 一つ目は……次の戦で公孫賛、関靖、趙雲の三人は確実に捕えること。殺しちゃダメだよってさ。後々の事を考えると生かしておかないと困る。

 二つ目、今回はあのクズが軍師だから必ず外道策を使うだろうしそれを猪々子と斗詩とあたしで止めろって。ただ、毒との内応程度は許容範囲なので行きすぎない限りは目を瞑るべき。あ、戦端のは別ね。

 三つ目、これは激励なのかな? 侵略を行う事になるけど潰されず心を強く持って。相手がどんな輩であろうと従わせられるほどの女になって。それに公孫賛ならあなたの助けになってくれるだろうから、捕まえた時に思いの丈をぶちまけたらいい。そうそう、あたしがその時は天幕周りを警備するよー」

 本当に大丈夫か? というように張コウの大きな金色の瞳が訝しげに見つめていたが、目を瞑って何やら考えている麗羽には見えていなかった。

 突如、麗羽の頬に涙の雫が一筋伝う。

「……なんで泣くのさ」

「いえ、あなたのお友達からのお心遣いが……嬉しくて少し……」

 麗羽の心は今、歓喜に満ちていた。

 本当は共に戦に行けないという事が寂しくて、心細かったのが大きかった。

 だからこそ、麗羽は自身の事を考えて激励までくれる王佐に感謝し、感動の涙を流した。

「ふーん。ま、いいけどさ。夕からの言伝はこれくらいかな。本初から伝えたい事あったら言ってよ」

「で、では……その……」

 急に話を振られ、急いで涙を拭って答えようとするも咄嗟に思いつくはずも無く、麗羽は頭に手を当てて俯いて悩み始めた。

 そんな麗羽の様子を張コウは冷やかな瞳で見つめる。

 ただ、前までと違いその瞳には少しだけ期待の色があった。

「はーやーくー。あたしも時間無いって言ったじゃんか」

「……では一つだけ。優雅にお茶を飲んで待っていてくださいな、と」

 そんな麗羽の言葉を聞いた明は目を丸くして、少しだけ微笑んで、

「あーあ。夕の勝ちかぁ……」

 悔しそうに呟いた。麗羽は訝しげに聞き返す。

「なんの事ですの?」

「ふっふー。本初がなんて返すか賭けをしてたんだー。夕は一語一句違えずに言い当てたんだよ」

 驚愕。そう麗羽の顔は物語っていた。まさか自分の答えまで予測してくるとは、自身の王佐の頭脳の明晰さに思わず舌を巻いた。

「んで、賭けにあたしが負けた場合はー……」

「……負けた場合は?」

 いい所で区切られてじれったくなり、ゴクリと生唾を呑んで聞き返すも、明は意地悪く笑って小さく鼻を鳴らした。

「し、儁乂さん?」

「まあ、時間無いし教えるよ。本初にあたしの本心を話す事、だってさ。どれだけかは言われてないから一つだけね。

 ちょこっとだけ信じて期待してる。本初が大陸を制覇出来る程の王に成長出来る事をさ。んじゃね」

 ひらひらと手を振って出て行く明に茫然としながら、麗羽は先ほど言われた言葉を胸の内で反芻する。

 信じて期待している。大陸制覇出来る程の王になれる事を。

 確かに彼女はそう言った。幼い頃より袁家の昏い部分を見続けてきた、全てを憎いはずの彼女がである。

 自然と二つ目の涙が零れ落ちる。

 人から認められる事がこれほど幸せなのかと、麗羽は二度目になる心の暖かさを噛みしめていた。




 †




 国境を越えての侵攻、宣戦布告の報が届いた。

 一つの関が落とされた所で漸く先発部隊の情報が入ると、

「なんたることですか! 宣戦布告同時に開戦!? 袁家というのはどこまで腐っているのですか!」

 というように張純は城を出る前に激怒していた。私よりも先に。

 いつも冷静なだけに怒ると怖いな、あいつは。

 情報操作に関しては袁家の方が一枚も二枚も上手であるのは分かっていた。準備が足りなかったのは確実にこちらも悪い。

「して、白蓮殿。破竹の如き勢いで攻めてこようとする袁家に対して、如何なさるおつもりで?」

 馬に揺られながら星が尋ねてくるが、答えはとうに知っていると言わんばかり。

「初戦だけは好きなように動くし動いてくれ。策も戦術も、私達のいつも通りの事をすればいい。堅い戦などしない。行軍中の敵の先遣隊を全力で叩きのめして、そこからだな」

「そうですよ星。私達の主力は騎馬。ならばこそ、初っ端から全てをぶち当てて蹂躙して勢いを挫いてやればいいんです」

 元気よく声を上げる牡丹もいつも通りで私は些か気持ちがほぐれてきた。

 今回、袁紹軍が続けて向かったとの報告があった第二の関所に向かっているが、敵の迅速な進撃から予測すると既に落とされていてもおかしくない。

 だが、焦って急いても軍自体の無駄な疲労に繋がるだけ。急いで着いて疲れていたので負けました、では話にならない。

 それなら兵達が全力で戦えるように、怒りの力を溜めさせ、戦で爆発させるほうを取る。

 間違いなく勝つために全速力の行軍を行っている。

 急く心が現れているのか、手綱を握る手に力が入るが、誤魔化す為に二人に話しかけ続ける。

「そういえば……あいつらも徐州に無事移り住んだらしいな。桃香も初めての州牧だ、きっと大変だろうに」

「やはりこの機を狙ってわざと徐州に送ったのでしょう」

「あー……そういう考え方も出来るのか。単純に前の戦で立てた功績がかなりあったから、そのおかげかと思ってたよ。そうかぁ、全て私の国を攻める為に仕組まれていたなんてなぁ」

 そう考えると確かに納得が行く。

 今回、桃香の異例の出世には私も曹操も全く口添えをしていなかったはずだから。

 そこで思考に少しだけ変な考えが起こった。

「なぁ、まさかとは思うが……桃香達を徐州に送ったのって、この次に攻める為じゃないのか?」

 袁紹領の他の州内部も着々と制圧して完全な勢力下において行っているとの情報もあるし、迅速に行動出来るわけだから桃香の所に攻め入るのも容易にだろう。

「……しかし白蓮様、今袁家は二分されておりますし、袁術が先に攻めるんじゃないですか?」

 牡丹から反論が上がる。確かに袁家は二分されているから今頃移り住んだばかりの桃香達を攻める算段を立てている事だろう。

 だがどうしても……何故か不快感が拭えなかった。

「然り、南には曹操もおるのです。その大きな敵を放置して、言っては悪いですが移り住んで間もない小さな敵である劉備殿達を狙うというのはあまりに浅はかではなかろうか」

「そう……だな。曹操は強いし……ていうかダメだこれじゃ! なんでこんな話をしてるんだ!」

 あまりにバカらしい話をしてしまった。

 何故自分達が負けた後の話などしてしまったのだろうか。

「クク、友を想う心の発露でございましょう。まさしく白蓮殿らしい。その優しさこそ幽州の民があなたを好きな理由なのですから、胸を張って誇っていいのでは?」

 嬉しい事を言ってくれる。

 現在目の前に迫る敵に頭を悩ませるで無く、桃香達の事を心配してしまう私をも認めてくれるなんて。

「星、白蓮様は暗にこう言ってるんです。袁家なぞもう眼中には無いからさっさと倒して星を秋斗に会わせてやる、って」

「……牡丹。洛陽で甘えた声を出して秋斗殿に擦り寄っていたのは何処の誰だったのか……」

 にやにやと笑いながら星にからかいの言葉を投げる牡丹に、何やら私の知らない出来事の話を返す星。

 途端に牡丹の顔は真っ赤になり、何か言い返そうと口を開くが魚のようにパクパクと開け閉めするだけで言葉が紡げてなかった。

「なんのことだ?」

「それは――――」

「星! 違うんです白蓮様! 私があいつに対して星のような感情を抱いてるわけないんですそうですだって私には白蓮様しかいないわけでほらあれですそれは一種の気の迷いとか若気の至りとかに近いわけでしてあいつが私の真名をちゃんと呼んでくれて嬉しかったとかいつまでも帰って来ないのが寂しいとか考えたりしてしまうのはそう友達としてです何事も初めは友達からですよねいやいやこれじゃいつかそういう関係に発展したいみたいじゃないですかおかしいですどうしてこうなった――――」

 必死に弁解しているがそういう事か。

 あらぬ方向を向いて喋り倒している牡丹を放っておき、笑いを堪えている星に聞いてみる事にした。

「牡丹もあいつに惚れたんだな?」

「まさしくその通り。あの無自覚女たらし殿は白蓮殿一筋だった牡丹すら籠絡してしまったのですよ。全く……狙ってやっていたのなら節操無しといじめてやるのですが……」

 盛大なため息をついてここにはいない友の事を語る彼女はどこか楽しそうに見えた。

 ふと、もうすぐ戦端が開くというのにこんな会話をしている事に笑えてきた。

「くく、あははは! もうすぐ戦だというのに、私達はいつも通りだな」

「そうでしょうとも。兵達も普段通りの我らを見て張りつめすぎていた心が和らいだようで。なに、まだ敵の部隊の場所までは時間があるのです。それまでに最高の状態まで持っていきましょう」

「ああ、張りつめすぎた袋が割れるのはすぐだからな。後一刻程の行軍の後に陣地構築を行うから、それまでは少しこうしていようか」

 そうして私たちは、やっと自分の世界から戻ってきた牡丹をからかいながら行軍を終え、すぐそこに迫る戦に備えて心を落ち着かせていった。



 †




 数多の軍勢を従えて、牙門旗をこれでもかというほどはためかせる強い風が荒野の砂埃を巻き上げる中、麗羽は目を閉じて時を待っていた。

 ここまで落とした関は二つ。

 自国の領を出て関の真正面まで付いてすぐに宣戦布告を行うという卑怯な手段であったが、麗羽は上の命令だからと無理やり呑み込んだわけでは無かった。

 己が心から、自ら望んでその策を用いる事を是としたのだ。

 対応に慌てふためいている内に城門に取り付かせ、相当数の衝車で門を砕き、人の津波と呼べる程の兵で押し潰した。

 逃げる兵にも容赦無く追撃を仕掛け、怯えて泣きわめき、服従する者をも選別しつくした。

 初戦に於いては大勝である。

 如何に罵られようとも、蔑まれようとも、憎まれようとも、侵略を行っているのだから何事にも変わりはない。

 卑怯者――――そのくらいなんだというのか。

 このような戦に於いて卑怯者と罵る事は弱者の弁舌ではないのか。

 乱世の行く末を読んでいたならば、攻められる事くらい頭に入れておいてしかるべき。

 隙を突かれたモノが大概に言う言葉こそが卑怯者の一言である。

 侵略を行うに於いて卑怯も何もない。なんとしても勝たなければ、ただの間抜けな欲深い愚かな王となるだけであろう。

 覇道という厳しく冷たい道はどんな言をも受けてしかるべきなのだから、その程度の汚名は自ら被ってみせよう。

 そんな考えの元、彼女は策を用いることを是とした。

 麗羽は今、先の戦の自身より一回り成長していた。それを自分でも自覚している。

 自身に忠を誓ってくれた正当王佐を得た事で、変わらなければならなかったのだ。

 以前であれば、怯えた瞳を携え、本陣最奥でただバカの振りをしながら高笑いを上げ、心の内で涙を流していた事だろう。

 今はどうか。

 彼女は雄大に、優雅に、華麗に、自身の軍を引き連れ、不敵な笑みを浮かべたまま、兵達の御旗となっている。

 誰かが背中を追いかけたくなるような英雄の姿、それが今の彼女といえる。

 信頼は自信となり、忠義は心力となり、例え遠く離れていることから、隣で無敵の策を献策してくれなくとも、袁本初の王佐は彼女の事を確かに支えていた。

 ふいに彼女は小さく鼻を鳴らした。

 自身の愚かしさを自嘲して、そして己が王佐と後ろの全ての者達に感謝して。

 後方左右翼に控えるは最愛の友である二人。

 彼女の両の羽と呼んでいい古くからの友。戦前にかけてくれた暖かい声を思い出すと心が震えた。

 後方中央に位置するは自身の事を少しだけ認めてくれた王佐の友。

 彼女の期待に応えられなければ申し訳が立たないと挫けそうになる心を奮わせた。

 そして、幾万の兵達は己が姿に存在の全てを乗せてくれているのだと想いを高鳴らせた。

 あらゆる感情を内包して麗羽はここに立っていた。

 麗羽はただ待っていた。

 自分を真っ直ぐな眼差しで、真面目に、愚直に見据えてくれたかつての友の事を。

 ただ己自身で全てを伝えるが為に。




 †




「圧巻、だな……」

 ぽつりと、白蓮は無意識の内に零してしまっていた。

 陣を出て行軍を行い幾刻。広がるは眼前を覆い尽くす数多の軍勢。その数、報告の限りでは三万。

 対して、白蓮の軍も三万。

 なんでこんな事になったんだろうな、麗羽。

 目を閉じ、心の内で迫りくる敵の大将である者に問いかける。

 確かに私とお前はあまり仲が良かったとはいえないかもしれない。口げんかする事も多かったしな。

 それでも、私はお前の事嫌いじゃなかった。

 袁家のやり口は汚くて、強引で、上に上がれば上がる程にそれが分かるようになった。

 だからかな。お前がどれだけ苦労してそこにいるのか分かってしまったんだ。

 汚いやり方を自分から望んでするような奴が、顔良や文醜とあんな風に笑い合えるはずないんだから。

「白蓮殿……。準備の程、万全となりました」

 隣に並ぶ星の一言に目を開く。

「ああ、じゃあ行ってくる」

 前方からは既に一騎、豪著な鎧を着こみ、煌びやかな金髪を幾重にも盛大に巻いた美女の乗った馬が突出して来ていた。

 舌戦。

 戦端を開くにあたって、麗羽は白蓮に言葉での戦を仕掛ける事を望んでいるということ。

 星に一言残した後、愛馬を駆り、軍列から突出し、離れて向かい合った。

「お久しぶりですわね、白蓮さん」

 優雅に、そして妖艶に、まるで魅了するような不敵な笑みを浮かべた麗羽が、戦の直前とは思えない一言を口にした。

「久しぶりだな、麗羽」

 気圧されぬように挨拶を一つ。

 そのまま互いに無言。吹き抜ける風は二人の髪をはためかせ、早くと急かしているように感じられた。

 すっと、静かに目を閉じた麗羽からは笑みが消え、次に開いた双眸には凍るような冷たさが宿っていた。

「降伏する、という選択は?」

「無い。ここは私の家だ。家を争うと押しかけてきた相手には、それ相応の対応をさせて貰う」

「我が軍がこの程度の数だけでは無い事も分かっておいででは無くて?」

「それがどうした。例え百万の軍勢を連れてこようとも、私達が袁家に従う事などありはしない」

「どれだけ多くを犠牲にしようとも?」

「幽州への侵略者は、白馬が命を以って駆逐し、殲滅するというのがこの地に住まう者の望みだ」

 それは、舌戦というには余りに静かで、短くて、簡潔なやり取りだった。

 両軍共に、全ての兵達は固唾を飲んで日常会話を行っているような二人に魅入っていた。

「なら、もう……」

「ああ、そうだ……」

 短い静寂の後、目線を合わせて微笑み、互いに剣を抜き放ち、

「言葉は要りませんわね」

「言葉は不要だ」

 切っ先を向け合い、指し示す。

「袁紹軍っ! 我らが覇道の、大いなる一歩に立ちふさがる大敵を蹂躙せよっ!」

「公孫軍っ! 我らが家たる幽州への侵略者を、徹底的に叩き潰せっ!」

 舌戦と同じく短い口上。すぐさま両軍からは凄まじい怒号が上がった。


 ここに、河北での動乱の大きな一幕の火蓋が切って落とされた。



読んで頂きありがとうございます。

遅れて申し訳ありません。

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