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高みに上らせるは鳳と月詠


 どうにか戦後処理も追え、内政も落ち着いて取り込めるようになって一月が経とうとしていた。

 愛紗、鈴々、俺の三人の部隊は先の戦に於いての武名が民に伝わったのか、そこかしこから志願者が増え、戦で減った分の兵の数は滞りなく揃いなおした。

 まだ増大の兆しが見えたが、さすがに問題点が多いためにある程度で抑える事にしたが。兵が増えると民の働き手が減ってしまうのが一番の問題であるのだから。

 幽州で白蓮との摩擦を解消していた頃の経験が役に立ち、案外スムーズにそのあたりの事は運んだと思う。

 そういえば愛紗とはあの洛陽での衝突以来どこかぎこちなく接する日々が続いていた。

 交わす言葉と言えば事務的なモノばかりで、プライベートな話など全くと言っていいほどしない。鈴々はしきりに俺や愛紗に仲良くしろと怒っていたが、俺の臆病さから飄々と躱しつづけていた。

 桃香については忙殺と言うのが正しい状況で、他方の村々を訪れて絆を繋ぐ事に尽力していた。もちろん、城に戻れば普段通りの仕事もある訳でゆっくりと休む暇などなかった。

 先の戦いは桃香の中にある何かに火をつけたらしく、倒れるギリギリを保ちつつ、朱里と雛里に相談しながら出来る事を全てこなして行っていた。

 曰く、自国の民の話を聞かずして何が王か、ということらしい。愛紗や朱里からは王の威厳というモノについて口を酸っぱくして言われていたが、それも王の新しい形だと桃香に押し切られていた。

 確かに桃香の行いは……俺がいた時代の王達の行いに近く、民に力を与えるという意味でも効果的であったので問題は無いモノだった。

 月と詠は侍女仕事を行いながら朱里と雛里の事務仕事の手伝いもしており、日々走り回っている。殊更、詠の知識と経験は朱里や雛里には素晴らしいモノであったようで、また詠にとっても二人と思考を語り合う事は充実したモノのようで、三人共がそれぞれの頭脳の幅を伸ばし合っているようだった。

 

 そうした中、大陸に大した動きは無かった……などと甘い事はあるはずも無く、遂に袁家に大きな亀裂が入った。

 袁紹と袁術が袂を分かったのだ。理由は袁紹が大将軍に任命されたことで問題が生じた、ということらしいが細かい事は分からない。ただ、袁紹からの使者を袁術の命により紀霊が斬ったという情報が入り、決定的な対立であるだろう事は全ての諸侯に伝わった。

 そんな折、俺達の元に煌びやかな服を纏った朝廷よりの使者が訪れ、一編の書簡を提示する。 

「平原の牧、劉備。先の董卓討伐に於いて多大なる功績を上げた事を認め、徐州の州牧に任ずる。かしこみて帝のご慈愛をお受けするように」

 堅苦しい言葉を放った後、桃香に書簡と一編の印を手渡し、用事は終わったとばかりにさっさと引き上げて行った。




「わ、私が州牧に……任命されちゃったんだ……」

 ほへーっといつもの調子で言う桃香に少し苦笑が漏れそうになったがどうにか噛み殺した。

「おめでとうございます桃香様! これで大陸の平穏に一歩近づきましたよ!」

 飛び切りの笑顔で言う朱里。皆の表情も明るく、自分達が前進したことに喜びを感じていた。

 対して俺は茶を入れて運んできてくれた詠と月にコクリと頷く。

 予測は現実になった。これで俺達は確実に次に攻められる誰かに対して手助けをする暇が無くなったと言える。

 雛里にはその予測は話しており、俺の方を少しだけ哀しげな瞳で見上げた。彼女が心配しているのは幽州への侵攻の色が濃くなっている現状で、俺の精神状態を心配してのこと。

 白蓮や星、牡丹と仲が良かった俺が潰れてしまわないか心配してくれているのだ。

 感謝の意を込めて、そして大丈夫と示す為に微笑み返し、相変わらず雛里には敵わないなと思いながら思考を乱世の先に少し向ける。

 袁家への情報収集は秘匿が激しく、未だ確かで強力な情報網が無い俺達では完全には集めきれない。

 白蓮と曹操が盟を組んでくれたのならばいいのだが……。

「しかし……やっと内政も安定してきたというのにこの場を離れなければいけないのは少し寂しいモノですね」

 哀しそうに言う愛紗の言葉に俺の心も少し寂寥に沈んだ。

「そうだな。行きつけの酒屋や食事処、街の子供たちの笑顔を思うと確かに寂しい」

「でもお兄ちゃん。幽州を出る時と一緒なのだ。新しい所では新しい出会いもあるし、ここでの思い出が無くなるわけじゃ無いのだ」

 俺達が沈んでるのを見て鈴々が明るい声で元気づけてくれる。そういえばあの時もこんな風に励まして貰ったっけな。

「そうだよ二人共! 平原の人達との思い出も胸の中に大切に閉まって、新しい思い出も増やしていこうよ! 皆で一緒に、さ」

 暖かく、心に染み入る程明るい声で続けた桃香に俺と愛紗は一様に頷き返す。

 乱世を進んで行くなら、別れもあり、出会いもまたある。その度にその場所での思い出を積み上げて俺達は進んで行くべきなのだから。

「桃香様、鈴々、もう大丈夫です。皆で進んで行きましょう」

 柔らかな笑顔を浮かべた愛紗は自分の心を呑み込んだようだ。

「ありがとう。じゃあ我らが軍師達にこれからの行動を聞いてみようか」

 礼を返し、静かに俺達を見ていた二人に問いかけると微笑みを携えて引っ越しの準備の手順を説明し始めた。

 俺と愛紗は二人で兵のまとめを、桃香と朱里、雛里は事務書類の荷造りを、鈴々と月、詠は個人の持ち物のまとめに動き出した。



 †



 兵全てに移動する事を伝え、それぞれが自分達の荷物を纏めに動いてから、俺と愛紗は少しの休息を取っていた。

 練兵場の片隅の長椅子に座り、お茶を入れて一息ついていると愛紗がこちらを向いて口を開いた。

「秋斗殿とはここ最近、まともに話していませんでしたね」

「うん、ごめんな。なんか話しづらくて避けちまってた」

「私の方も避けてしまっていたので……すみません」

 愛紗は言葉の途中で俯いた。しゅんとする彼女は始めてみたので少し面喰ってしまう。

「……愛紗と俺はきっとどこか分かり合えない所があると思う。全部を分かり合うなんてのは……到底出来ない事だろう。俺には俺の基準線があるし、愛紗には愛紗の譲れないモノもある」

「そうですね。私はあなたの曖昧な所も、いい加減な態度も受け入れられません。きっとあなたは私の堅い所や、生真面目に過ぎる所を受け入れられないでしょう」

「クク、だな。真面目過ぎるのは苦手だ。ただ、愛紗のそういったブレないで真っ直ぐ意見をぶつけてくれる所を羨ましいとも思う。だからこそ俺は愛紗を尊敬しているし、絶対に嫌いにならない」

 膠着。愛紗は俺の最後の言葉に固まった。

 その表情は俺に嫌われているとばかり思っていた、と物語っていた。

「なんのことはないさ。言葉にしないと本心なんか伝わらない。俺は臆病過ぎた。嫌われるのが怖くて、少しでも誰かを傷つけるのが嫌だから逃げ回ってたんだ」

 影響を与えない為に、そんな事実も確かにある。だけどそれでも……もっと他にやり方があったかもしれないんだ。

 本当の所、ここ最近は嘘つきな自分の存在を知られるのが怖くて、責められるのが怖くて避けていたのが大きい。自分自身の浅はかさ、そして浅ましさに腹が立つ。

 そんな弱さからあの子を傷つけてばかりなんだ。

 俺をずっと支えてくれている一人の少女の泣き顔が頭に浮かび、胸にズキリと痛みが走った。俺はこれからあの子に何を返してあげられるんだろうか。

「ふふ、知っていますか? 後の一つは臆病では無くて優しさというんです」

 上品に微笑んで言い聞かせるように話す愛紗のおかげで、少し思考に晴れ間が覗く。紡がれた言葉は俺の心に甘く染み込んで行った。

「人を傷つけるのは誰でも怖いモノですよ。私だって誰かを傷つけるのは恐ろしい。でも、誰かがしっかりと意見を話さねばただの慣れ合いで終わってしまうでしょう。桃香様の作る空間は居心地が良く、誰もが安心できるモノですから」

 だから愛紗は進んで嫌われ役を引き受ける、そう言っているのだ。

 いつの時もそうだった。黄巾の時も、シ水関の後でも、洛陽の戦の後も彼女は真っ直ぐ自分の意見を曲げないで伝えてきた。そこから皆の意見を聞き、己が意見と違えば最善の方を取る。

 嫌われようとも、疎まれようとも汚れ役を引き受ける、そんな彼女は、

「……愛紗、優しいというのは愛紗のような人の事を言うんだろうよ。いつもありがとう」

 誰よりも優しい人ということだ。これはきっと母性に近い。甘い優しさでは無く厳しい優しさであり、それはもの凄く分かり辛いモノだ。

「あなたは本当に……ああ、女の人を誑かす癖も受け入れられませんね」

「……なんで皆そんなこと言うかね。別に誑かした事なんかないんだが」

 感心していたら全く訳の分からない発言をされ、愛紗の言葉を否定すると盛大にため息をついてやれやれという様に首を振った。

「まあ、今は置いておきましょう。とにかく……私達は平和な世界を目指す同志です。これからもよろしくお願いします。鈴々と私の背中は任せますので、あなたの背中も任せてください」

 キリと引き締めた表情で語ってからすっと手を差し出され、迷いなくその手を力強く握る。

「ああ、これからも変わらずよろしく頼む」

 いつかのように信頼を込めて握手を交わしたが、

「それと、あまり無茶はやめてください。目の下の隈が取れないのはまた無理しているからではないのですか?」

 じとっと俺を非難の目で見詰め、問い詰められた。

「無茶も無理もしてないよ。夜もしっかり眠れているんだがな……何故か取れないのさ」

 そう、眠り薬で寝れているはずなのに薄っすらと浮かび上がっている隈は取れない。きっと精神的なモノだから無理なんだろう。

 昼なら思考の外に追い出せるが、どうしても夜遅くになるとあの夢が頭をちらついて思考が落ち着かない事が多い。

 焦燥感、罪悪感、責任感、使命感、色んな感情が綯い交ぜになってどうしようもなくなり、そのような時は剣を振ってから薬で寝る。身体的な疲れと相まって良く眠れるから。

 ぶっ壊れたら全てが台無しなんだから何でもするさ。

 そんな事を考えていると愛紗が目を瞑り、また一つため息をついてから言葉を紡いだ。

「多くは聞きません。ですが何か話したくなった時は……話相手くらいにはなります。星のように酒有りき、とはいきませんが」

「ありがとう。そうさな、その時は少しお言葉に甘えさせて貰うよ。……クク、やっぱり愛紗は優しいな」

 またあなたはそうやって、と何やらお説教の雰囲気が出そうになったがどうにか止まり、今までのぎこちなさも露と消え、俺達はしばらく仕事の話や他愛ない話に華を咲かせた。



 †



 秋斗の部屋の、先に纏められた荷物を運び出す時、棚に並ぶ酒瓶に紛れて一つ異常なモノを見つけた。

 自分が使ったからこそ気付けたのだ。その小瓶の色は、まさしくあの時月に使った眠り薬と同じ入れ物だった。中身を一滴ポトリと肌に垂らして確認すると薬の色も同じであり、確信に至る。

 きっと秋斗は誰にもバレないと思っていたのだろう。

 だが甘い、眠り薬は洛陽でも希少だったから、種類は一つしかないのだ。

 そして理解してしまった。

 あいつはこれを使っても隈が取れない程……精神が摩耗している。

 こんな状態で次に起こる事態に耐えられるのか?

 疑問が頭に浮かぶがどうにか振り払う。

 少し月と雛里に相談してみよう。三人で打開策を話し合ってみよう。




「――――という訳なのよ」

 未だ片付けを行っていた二人を休憩の名目で食堂に呼び出して説明すると、どちらも愕然とした表情に変わった。

「元気になったように見えたのは……無理してたんだね」

 月の言葉にも、雛里はただ宙を見つめるだけで反応しなかった。

 支えるとはよく言ったモノだ。結局ボク達はあいつに対して何も出来ていないのだから。

 平原での安息の日々に幾分か隈は薄くはなった。しかし一月経っても完全には消えない。

 そのうち消えるだろうと安直に考え、何も知ろうとしなかったのだ。

 忙殺されていた、というのは言い訳にしかならない。時間というモノは有限であるが、自分で作り出す事も出来るのだから。

「……私は……あの人に何もしてあげられないのかな……」

 ポツリと、雛里が感情の抜け落ちた声を空間に投げ入れた。

 そんな彼女の悲痛な心を読み取ってしまい、胸がズキリと大きく痛んだ。見ると月も同じようで、悲しみを表情全てに映し出していた。

 空白を許さず、あのバカの為に思考を開始する。

 人を支えるにはどうすればいい。

 壊れてしまいそうな者を助けるにはどうすればいい。

 自身のこれまで生きてきた記憶と経験を引きずり出してただ考える。

 潜る事幾分、そこで、一つの解を得た。彼女に確認をしてみよう。

「雛里、あいつは……秋斗は泣いた事ある? ううん、人前で感情をさらけ出して泣いた所を見た事ある?」

「……あります。一度だけ、初めて人を殺してしまった賊討伐の帰り道で」

「それを傍で受け止めたのは……雛里なのね?」

 コクリと、小さく頷いて肯定した雛里は、知性の光を瞳に宿して思考に潜ったのが分かった。

「でも詠ちゃん。秋斗さんは人前じゃ泣かないんじゃないかな」

 反論を唱える月の言葉は正しい。確かにあいつは泣くことをしないだろう。

 でも違う。これはただの確認。

 人に対して一度でも弱い部分をさらけ出したかどうかを聞きたかった。

 その状況がどんなモノで、あのバカがどんな人間かを把握したかったから。

「そうね、あいつはそういう奴よ。心を無理やりこじ開ける事なんか出来ない捻くれ者。だから……引き出すんじゃなくて、こっちから押し付けてやればいいのよ。言葉で足りないなら態度で、ね」

「でもどうやって……?」

 雛里は考えても答えが出なかったのか不思議そうに尋ねて来た。

「簡単よ。追い詰めて、逃げられなくして、安心させられる人が傍にいる事を無理やり教えてやるの。ここに帰って来て少し安定したのは子供達と触れ合ったから、守るモノを、安息のある場所を確認したからでしょう?」

 まだ分からないようなのでにやりと笑って、

「ふふ、いい? 今日の夜にね――――」

 説明をすると二人は顔を真っ赤に茹で上げて慌てふためいたが、最後にはボクの策に乗ってくれた。

 別に、あんたの為だけじゃないわ秋斗。月の為、雛里の為、そしてボク達が望む未来の為に……恥ずかしいけどこれをするんだから。



 †



 日中の喧騒も穏やかになった頃、夕食を終え、まだ明日も片付けが残っている事から酒は飲まずにいた。

 静かに浮かぶ半月が窓の外からにこやかに見下ろしてきて、少し憎らしいと思ってしまう。

 一陣の、今の季節にしては冷たい風が首筋をなぞり、体調を崩してはいけないと窓を静かに閉める。

 もう寝ようかと思い立って、いつものように薬を飲もうと棚の側に行くが……そこにはあるはずのモノは無かった。

 慌てて探し回っていたらコンコンと二回扉が乾いた音を立て、誰かが来た事を知らせる。

「どうぞ」

 静かに扉を開けて入ってきたのは三人。寝間着姿の雛里、月、詠であった。

 椅子に座り、こんな夜遅くに尋ねて来るとは何事かと思い、疑問を尋ねようとすると、

「あんた、これ探してたでしょ」

 すっと、俺の求めていた薬を詠が目の前に突きだした。

「……中身が何か知ってたのか」

「当たり前じゃない。ボクが月に使ったのと同じなんだから。やっぱりあんた、どこか抜けてる時あるわね」

 呆れた、というように肩を竦めてため息を一つ。

 そして手に持つ薬を――――するりと落とした。

 俺は詠がそうする事を分かっていた。だからただ茫然と、スローモーションで落ちて行くそれを眺めた。

 甲高い音が床に響き、欠片と中身が辺りに散らばる。

 泣きそうな瞳で雛里が俺を見つめ、月は少し哀しげに眉を吊り上げて目を閉じた。

「……受け止めようとしたら蹴り飛ばしてやろうと思ってたのに」

 非難の目を向ける詠の物騒な言葉も、どこか悲しそうだった。

「縋りつかなかったって事は、私達がここに来た意味を理解してるのね」

「……こんなモノに頼るくらいならお前達を頼れ、そう言いたいんだろ?」

 分かっていた。臆病な俺はまた自分自身から逃げ出して、愚かしい事にまた……傷つけていた。縋りつかなかった理由は――――

「……頼ろうとしない理由があるのは分かっています。自分だけで呑み込まなければいけないモノで、誰も背負う事の出来ないモノだから一人で背負おうとしているんでしょう。

 ご自分から話そうと思うまで話してくれなくていいです。ただ、そんな自分を顧みずに無理ばかりする秋斗さんには……」

 そこで雛里の言葉が止まる。

 俺は目を瞑り、耳を傾けるのみで何も言わない。

 パチン、と小気味良い音が部屋に響き、俺の頬が雛里に打たれたのだと遅れて理解した。

 続いて……抱きしめられ、

「私も自分勝手を押し付けます」

 優しい声が俺を包んだ。

 洛陽の戦の後もこうして救われた事を思い出して漸く、俺の頭の中で響く一つの言葉が消えた。否、呑み込めた。


 俺はいつからあの日の覚悟を見失ったんだろう

 皆それぞれが思い描く理想を押し付けていると言うのに

 奪ってでも、世界を変える

 この世界の未来を奪って、俺の描く未来を与える

 その道すがら、誰彼の何であろうと受け入れ、背負おう


 切り詰めて切り詰めて、屍と矛盾を積み上げて、爪先立ちで背伸びして初めて平穏に届き得る……可能性が出てくる。だからこそ俺は自分自身が見せる罪の夢を踏み越えなければいけない。 

 高みへと上り詰める為には、膨大な屍の群れに立ち向かい、引き倒し、踏み越えなければダメだった。

 そして……嘘つきと、この少女が言う事は無い。

 例え、俺を送り出したあの腹黒にどんな思惑があろうとも、雛里達は俺が思い描いた平穏を作る事を望んでくれているのだから。

 効率や理論なんかじゃなく、俺は俺の信じた道を進めばいい。

 何よりも、彼女達が信じるなら、俺もまた信じよう。目の前にいる彼女達をこそ信じて、一つ一つ進んで行こう。



 胸に灯った覚悟の火は煌々と燃え上がる。俺は少しの間雛里に抱きしめられたまま、目を閉じて一つ一つの想いを見つめなおしていた。



 



 縋りつくように小瓶を受け止めようと手を伸ばしていたのなら、まだ逃げ出す事は出来たのに。

 それでも選ばなかったのは彼が弱さを呑み込んだ証だった。

 自分はこんなに感情的に誰かに当たる事など今までなかった。それでも、彼には今回どうしても怒っておかなければいけなかったから……手を出した。

 詠さん曰く、目が覚めるくらい強烈な事をしないとまた繰り返すから、らしい。

 思わず耐えきれなくてその後に抱きしめてしまったけど。

 身体を離すと彼には昏い瞳の色は無く、いつかのように透き通った覚悟の光が輝いていた。

「俺はどうやら大切な事を見失っていたらしい。ごめんな」

「許せません」

 即答。答えたのは……月ちゃんだった。キッと厳しく秋斗さんを睨んで言葉を紡ぐ。

「一人の女の子を傷つけた罪は謝ったくらいでは許されませんよ」

 その言葉を聞いた秋斗さんは目を丸くし、優しく微笑んで立ち上がり、すっと頭を下げた。

「そうか、でも傷つけたのは一人じゃないみたいだ。月も詠も……ごめんな。俺は弱い。だから、間違った時、迷いそうな時、道を違えそうな時、その時はこうやって正してくれ」

「あんたは本当にバカよ。一人で抱え込まなくちゃいけない事も確かにあるけど、その時に一人で我慢するのは違う。秋斗、そこに行きなさい」

 詠さんがきつい口調で言い、寝台を指さした。

 訝しげな表情で秋斗さんは見返したが、言われるままに寝台に腰かけると、月ちゃんと詠さんが私が言うべきだと無言で促してきた。

「し、秋斗さん。その……一緒に寝ましぇんか!?」

 恥ずかしいけど、その言葉を放つ。

 人の温もりは安らぎを与えてくれる。辛い時に誰かが隣にいるだけでも安心が心に湧いてくるから。

「……さすがに年頃の女の子と夜を共にするわけには――――」

「だ、か、ら! 間違いが起きないようにボク達も一緒に寝てあげる。勘違いしないでよね。あんたが壊れたら、ボク達が望む未来も見れないんだから」

 ビシリと指を立てて語る詠さんの言に秋斗さんは悩み始めた。真剣な話をしていたのにどうしてこんな事に、という様に。

 その間に私は少し勇気を出して彼の寝台に上がった。それを見て二人も寝台に上がる。身体の大きな秋斗さん用の寝台は大きめだから、どうにか四人で並べそうだった。ただ……かなり密着する事になるが。

「狭いから無理だろ」

「ふふ、秋斗さんが雛里ちゃんを抱きしめたらいいんですよ」

「ボクと月もくっついて寝るしそれでいいでしょ」

 もはや彼には逃げ場が残されてはいない。

 別の部屋に行く選択肢は先程からのやり取りで封じる事が出来る。

「……いや、ダメだ。さすがに看過出来ん。お前達が動かないなら俺は別の部屋で――――」

「一緒に寝るのを……罰としましゅ」

 きっと顔が赤くなっているだろう。きゅっと目を瞑って、手を胸の前で握ってそう告げると、

「……分かったよ」

 漸く観念したようで、私の身体は彼に暖かく包み込まれた。

「あわわ」

 思わず、口癖が突いて出た。恥ずかしい、でも幸せだ。

 彼の二の腕を枕にして、大きな手で頭を撫でられ始める。自分の背には詠さんの背中があたりじんわりと暖かさが伝わって来た。

「なんかすごい状況ね」

「そうだね。でもこういうのも楽しいよ。こんなに大勢で寝るのなんて初めてだから」

 苦笑気味の詠さんの言葉に月ちゃんが楽しそうな声で返す。

 私はそんな会話に入れるような状態ではなかった。

 大好きな人に抱きしめられて寝台にいるんだ。鼓動が跳ねないわけが無い。

 幸せで、安心するけど緊張もしている。

 彼を見上げるも、あまりの顔の近さに慌てて俯く。まともに目を合わせる事など出来そうもない。

「っていうか灯り消しなさいよ!」

「ああ、すまん。忘れてた」

 すっと身体が離れた途端に寂しい気持ちが少し湧いた。灯りを消し、戻ってきてまた抱きしめられるとすぐに消えたけど。

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」

「お、おやしゅみなしゃい」

「ああ、おやすみ皆。ありがとう」

 皆が一様に言うと、静寂が空間を包み込んだが、私の高鳴る鼓動は眠らせてくれそうになかった。

 そのまま、どれだけの時間が経ったか分からない。気付けば背後から二つ、静かな寝息が聞こえてきた。二人はどうやら、こんな状況であるのに眠ってしまったようだ。

「雛里、俺はお前に何か返せるかな」

 声を押さえて、ゆっくりと掛けられたその声に顔を上げると目が合った。

 ドクンと心臓が跳ねて、胸が締め付けられる。

 想いを全て吐き出してしまいたい。そんな衝動が沸々と湧き上がり、口から突いて出そうになった。

 それでも、それは今じゃない。

 どうにか呑み込み、彼の胸に顔を埋める。

「たくさん貰ってますから、おあいこですよ」

 一つだけ選んで想いを伝えると、彼は小さく笑って、

「やっぱり雛里には敵わないなぁ」

 少しだけきつく抱きしめていつも通りの言葉を私にくれた。


 今はまだこれでいい。

 ゆっくり進んで行こう。

 この人が壊れないように。

 

 しばらくして、彼からも静かな寝息が聞こえ始めた。その表情は凄く安らかで、私の心に安心を齎した。


 ずっと、何があろうと傍にいますから。


 心の内で呟いて、彼の温もりに包まれたままいると、いつの間にか私も眠りに落ちていた。




読んで頂きありがとうございます。


基本的に主人公が正しいだけの物語ではないのでたまにバカしますが、雛里ちゃんのおかげでどうにか正常に。


ただ主人公が無理やりのんだモノってかなり厄介なモノだったりします。


何が正しいかなんて誰にも分からないんですよね。

華琳様と同じ頂きに立てるくらいの覚悟を持つためには無理やり呑み込んで成長していくしかないかと。


ではまた

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