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洛陽にて


 連合は公孫軍と馬超軍の追撃の報告を待ちながら虎牢関にて一時の休息を取り、両軍が戻って来てから洛陽への行軍を始めた。

 追撃を行った結果は騎馬主体の両軍の働きによりきっと大きなモノになるだろうと予測されていたが、これまで涼州を五胡による侵略から守ってきた董卓軍本隊の救援もあってかあまり芳しくなかったらしく、白蓮は悔しそうに語っていたとの事。

 しばらくして洛陽に着いた俺達はそれぞれの軍が代わる代わるに攻城戦を行っている。

 難航する城攻めに諸侯達は各軍で毎日のように軍議を行っていた。




「ただいまー」

 今日は諸侯による全体軍議が開かれていたが帰ってきた桃香と朱里の表情はあまり優れなかった。

「おかえりなさい桃香様、朱里。内容は……変わらずですか」

「うん。連合全体の糧食の不安もあるしどうにか早く終わらせたいんだけど難しいね」

 虎牢関での大打撃と早期の突破によって少しは浮いているがこのままだらだらと続けても兵の士気に関わる。呂布や張遼による奇襲やらを見せられてきたため夜でも緊張感が解けないというのも大きな原因の一つと考えられる。

「毎日の攻めとは言ってもそれぞれの軍によって攻撃の激しさに差がありますから。それに本拠地により後がないので相手も必死ですし」

「兵達の士気もそろそろ落ち始めてくる頃かと」

「うーん。やっぱり夜ぐっすり眠れないのは辛いよね」

 日々の不満を漏らした桃香の発言に一つ面白い考えが浮かんだ。

 ……ああそうか。俺達だけ眠いのは不公平だな。

「桃香、お前すごいな」

「ふぇ? 私なんかすごい事言った?」

 ほわーんとしながら首を傾げ聞き返す桃香。彼女の発言によって打開策が思い浮かんだだけなので桃香からすれば何が凄いのかは分からなくて当たり前だろう。

「お兄ちゃんはねぼすけなお姉ちゃんに呆れてるのだ」

 楽しそうな鈴々の言葉で皆が少し緩やかな雰囲気になった。まあ確かにそれもあるかもしれない。

「クク、違うよ鈴々。桃香の言葉のおかげでいい事を思いついたんだ」

 そう言うと不思議そうに全員が俺を見る。

「敵からの夜襲に警戒してこっちは夜も満足にゆっくり眠れない。なら同じ事仕返ししたらいいんじゃないか?」

「しかし夜の攻城戦はこちらが圧倒的に不利では――――」

「いいや、夜だけじゃないさ。一日全部を連合で分けて攻めきるんだ」

「「あっ」」

 愛紗が戦において当然の事を聞き返すが言葉が足りなかった事を思い至って続きを紡ぐと天才軍師の二人は気付いたようだった。他の三人はまだ気付かずに首を傾げている。

「二人は気付いたか。軍それぞれで攻める時間帯を決めて一日中間断なく攻城戦を行えばいい。根競べになるが連合のほうには優秀な将が揃っているし数でもまだ勝っている。なら今の内にしてみたらいいと思うんだが」

「確かにそうですね。攻城戦を見積もっての戦況は五分五分でしたが兵の数としては三倍とはいかなくてもまだこちらが有利。ならば相手の士気低下を狙うその策が上策だと思います」

 俺の策が朱里と雛里に認められたとか凄く嬉しいんだが。桃香達は理解したのか目を見開いて驚いていた。

「秋斗さんすごーい! 確かにこっちだけ寝れないのは不利だもんね。じゃあ朱里ちゃん、他の諸侯さんにも献策してみよっか」

「はい!」

 返事をするや天幕入り口で待機している伝令に指示を飛ばす朱里。

 行動は出来るだけ早い方がいい。機を見て敏なりってとこか。

 クイクイと袖が引かれてその方を確認すると鈴々がこっちに向けてニカッと笑い話す。

「これでお兄ちゃんもゆっくり寝て身体を癒せるのだ」

 虎牢関での怪我を気にしてくれているのか。純粋な心配が心に染みる。しかし俺が倒れた理由は、確かに怪我も酷かったが、それによる血の流し過ぎのせいではないという事を俺しか知らないから申し訳なく思う。

「ありがとな鈴々。お前も……いや鈴々はいつも爆睡していたな」

「むぅ、敵が来たら分かるから大丈夫なのだ」

「マジか……その体質が羨ましいよ」

 普通なのにと首を傾げる鈴々を続けてからかおうとしたら愛紗が真剣な顔で話し出した。

「秋斗殿、あなたは戦場で無茶をし過ぎることがあります。今もまだ完全ではないのでしょう? 私達二人は秋斗殿よりも怪我が軽いですし、この策が成功して敵が出て来たなら、前線は我ら二人に任せて後陣にて休んでいて欲しいのですが」

 お前も結構無茶ばかりしてるぞ愛紗、とは言わないでおこうか。愛紗は呂布戦の後、俺が倒れた事にかなり心を痛めてくれていたから。ただ心配の言葉は嬉しいが少し心がささくれ立つ。

「そうなのだ! それにいざとなったらお兄ちゃんがお姉ちゃんを守ってくれるし鈴々や愛紗も安心して戦えるのだ!」

 ふんすと意気込んで愛紗に続く鈴々。

 わかっているさ。お前達は優しい。

「しかしな……俺も前線で指揮して戦ったほうが被害も減るし――――」

「秋斗さん、必要な時は私たちが指示を出します。ですから今回はそれで行きませんか?」

 難色を示している俺の言葉を切って朱里も続ける。軍師の判断としても問題はないわけだ。俺も全てを自分で救える等と欲深い考えは持っちゃいないが……

「皆で協力して頑張っていこうよ、秋斗さん。今は無茶しないで自分を大事にして」

 桃香が続いて話す。想ってくれる気持ちを汲み取るのも大切なこと。これ以上は無理だな。

「……わかった。ありがとう。心配かけてすまないな。前線は頼んだぞ二人とも。後陣は任せてくれ」

 言うと皆一様に、雛里以外は安心した顔をする。

「じゃあ皆、今日する事終わらせちゃおっか。私と朱里ちゃんは軍議に行ってくるね」

 桃香の言葉を皮切りに各自が与えられた仕事を終わらせるために動き始めた。

 心配そうに見つめてくる雛里に俺は大丈夫とコクリと一つ頷いて暗に伝えてから自分の今すべき事のために天幕を出た。


 †


「うっわぁ……えげつないこと思いつきますねぇ……」

「この策。使えるよ本初」

 それぞれの陣に戻っていたが急な呼び出しに再度集められ、劉備軍から提示された策は上策だった。

 足並みを無理に揃えなくてもいいこの作戦には利点がかなりある。

 連合の軍師達でさえ思いつかなかった事を徐晃が思いつくとは。

 発想力が他とは違う。シ水関の時もそうだ。あの男にはどんな世界が見えているのか。やはり興味深い。

「一日の六分の一しか攻めないようではいつまでたっても城なんて落ちませんわよ、元皓さん」

「……」

しかし、それに気付いていない麗羽のあまりの発言に天幕内に異様な空気が流れてしまい皆も無言になってしまった。

「……本初、あくまで一隊がの話。それが六つあったら一日中攻められる」

 田豊の言葉を聞き、いつものように大仰に驚いている麗羽に対して自分の意見も滑り込ませることにする。

「田豊の言う通り、そこまで間断なく攻められたら向こうもたまったものではないでしょうね。六つに分ける事で連合としての足並みを無理に揃える事がないから士気もあまり下がる事は無く攻められるでしょうし利点の方が多いわ」

 問題があるとすれば数か。有利とはいえいささか心もとない。相手が音を上げるのが先かこちらが折れるのが先かの根競べになるだろう。

「そ、そうですわね! では明日から始めて行きましょう」

 麗羽のその言葉によって締められ、連合全体での軍議はつつがなく終わった。帰ろうとしていた劉備と諸葛亮に声を掛ける。

「劉備、諸葛亮、ちょっといいかしら?」

「はい、なんでしょうか?」

「徐晃は先の呂布戦で怪我を負って倒れたそうだけれど大丈夫なの?」

 情報遮断は迅速だったが兵の士気低下防止策だけでは詰めが甘いわよ諸葛亮。劉備軍にとって三将軍の存在はあまりに大きいのだから情報の断絶くらい徹底しておくべきだった。

 それと……あの男を今あなたたちに使い潰されては困る。

「……動くのも戦うのも問題ないそうなのですが……どこか急いているように見えまして」

 どこまで答えていいか迷ったのか。最後の言葉はこちらがどれくらいの情報を掴んでいるか見るための揺さぶりか。

「急いている?」

「戦場にご自身で立ちたがっている、といった感じでしょうか。洛陽ではずっと前線から外れて貰っていますしどうにか抑えてくれているようなのですが」

 話す諸葛亮の表情も声も徐晃への心配以外の感情が見当たらない。どうやら揺さぶりではなくこちらの意見が聞きたいだけに見える。

 自身の体調も考えず無茶をしようとすることは将ならば陥りやすい状態だ。劉備達の対応は徐晃を思っての事であり、軍としても当然の事だ。しかしあの男が止められながらもそこまで自己の感情を優先して行動しようとするとは思えない。

 ただ先を見据えるあの男は目の前の百よりも後の万を優先するはず。いや違う、どちらも救うために本来ならば他の将に任せる事を躊躇ったりはしないと言った方がいい。

 自分の力に驕っているわけではないだろう。呂布に打ちのめされてそれでも自分が全てを救えるなどと欲深い事は考えないだろうから。

 つまりあの男はまだ劉備達を信頼していない。目の前の百を救うために怪我を押してでも自分が戦いたい、他の者にその仕事を預けたくないということだ。

 思いやりと効率のために引き下がっただけ。まだその程度しか信頼関係を築けていない。

 傲慢だと言えるがそれもこの軍だから起こりえること。

「ふふ、徐晃らしいわね」

 目の前の二人はその事に気付かずただ首を傾げている。これは私がわざわざ答えることではない。

 あの男はさぞ辛い事だろう。徳のみを掲げる者達の中でただ一人違うモノを持っているのだから。

 結局力に頼った劉備に矛盾を感じながら苦しんでいる。既に心配を素直に受け取れないほど壊れ始めているのか。この戦が終わったらもう一度話してみるのもいいかもしれない。

「こちらも一つお聞きしたいのですが曹操さんは秋斗さ、徐晃さんに対して何を感じておられるのですか? 黄巾の時もお気になさっていたようですが……」

 諸葛亮の探りの言葉。今度は先ほどとは違い少し警戒しながら尋ねて来た。

「……そうね、今後の働きに期待しているといった所かしら」

 皆まで教える必要はない。この程度では対価としては少なく見えるが諸葛亮にとっては大きなモノになる。

「そう……でしゅか」

 しゅんとする諸葛亮は久しぶりに見たけど愛らしいわね。

 この子は少し徐晃の事に気付き始めているのかもしれない。いや、分からないからこそ他の視点からの判断が知りたいのか。私の少ない言葉で彼女が徐晃にもっと興味を持ってくれたらいいのだけれど。

「曹操さん、うちの将を気にかけて頂きありがとうございます」

 にこやかな笑顔で言う劉備。私をも信じて疑わない目、この真っ直ぐさが庶人を惹きつけるのだろう。

 ただそれは甘い毒になる。特にあの男に対しては。

 しかし劉備もどこか変わったか。少しは成長したようにみえる。

 自身に満ち溢れているというか……言葉一つにしても一本芯が通った強い力を感じる。

 この調子であの男がこれからも上手く影響を与えてくれたらいいのだが。

「……どういたしまして。質問に答えてくれてありがとう。また次の軍議で会いましょう」

 言って両者共振り返りそれぞれの軍に向かい歩く。

 まだ足りない。

 乱世は待ってくれないわよ徐晃。まあそれはあなたもわかっているのでしょうね。


 †


「……眠い」

 連合の攻城戦はある日を境に嫌らしくなった。

 日中日夜攻められ続けこちらは落ち着いて眠る事ができない。

 虎牢関から早期撤退してきた時壊れそうだった恋も月に会って落ち着いた様子だったがさすがに睡眠を邪魔されて苛立っている。というか既に座りながら寝ている。

 しかし連合がここまで効果的な策を取ってくるとは思わなかった。

「毎日毎日、朝も昼も夜も攻められたらたまらんなぁ。根競べなんはわかっとるけど……うちらへの仕返しなんやろなぁ、ねね」

「なのです。多分霞の奇襲と虎牢関での夜襲で相手も警戒して眠れてなかったのですよ」

「倍返しされてるみたいだけどね」

「このままやとまずいで。兵の士気もすぐ下がってまう」

 霞の発言は尤もと言える。確かにもう既にそこかしこで下がり始めているのだから。

「……士気が下がりきる前に決戦するしかない、か」

「ここで座しているよりも死中に活路を見出すほうがいいのですよ」

 長く戦っていると洛陽の民達からの不満も大きくなる。それならば力の残っている内に短期決戦したほうがいい。

 でもこの状況……厳しすぎる。負けてしまったら月は……

「ところで月はどうしたん?」

「体調を崩して奥で寝てるわ。最近満足に眠れてなかったから」

 月に手を出そうとしていた奴らは霞が処理してくれたが慣れない長い戦と皆への心配と華雄の事が絡んで大分と参ってしまっている。

「そうか……。なぁ詠。ちょっと話があるんやけど。戦の事やないで」

「どうしたの?」

 霞にしては珍しい。戦のことじゃない話ってなんだろうか。

「月、なんやけどな。あんた十常侍に対しての報告したとき言うてたよな。月みたいな優しい子をこんなことに巻き込ませてしもてって」

 確かに言った。罪悪感と自分の不甲斐無さから零してしまった言葉。

「ねねと恋殿と霞で話し合ったのですが月はこんな所で死んではいけないのですよ」

「まだ負けると決まったわけじゃ――――」

「詠、あんたは頭がええ。この状況がどんだけ厳しいかわかっとるやろ? もしもの場合も考えとかなあかん」

 霞からの言葉とその圧力に先の言葉が紡げず黙ってしまう。この三人がしようとしている事も読めてしまった。

「うちらは戦場で死ぬ覚悟なんざとっくに出来とる。ただな、月はあかん。うちらはあの子に助けられた。あの子の事が皆好きなんや。やからせめてあの子の命だけはどうか助けてやってくれへんか?」

「そんな……でも、あんたたちまで死んだらこの子は――――」

「何を言っているのですか。例え負けそうになったとてねね達も簡単には死んでやらないのですよ。それにその時は月の安全が確保できたのならねね達も再起を図るために逃げるのです」

 今回の責任の所在は月だけになすりつけられる。皆は地の果てまで追いかけられる事はないだろう。

「でも月は逃げても地の果てまで追いかけられるのよ?」

「姿を知っている者はねね達と涼州の者以外ほとんど死んでいるのですよ。それに連合の目的は権力争いのため洛陽の制圧と帝の身柄確保。例えば董卓がすでに殺されたとなれば……」

 ここに来てから月の暗殺を警戒し、姿をあまり見せないようにしてきた事が功を奏したというわけか。

 ただ最後の詰めを誤ったのが痛すぎた。帝がこの洛陽から連れ出されていた事に気付けなかった。

 月の誘拐を警戒しすぎてそこを疎かにしていたのはこちらの失態。誘拐を企てていた十常侍は見せ札で本命はそちらにあったということだ。

 今はもう終わったことを考えても仕方ない。もしもの時の事を考える。

 決戦のごたごたで屋敷の一部を燃やし敗北を悟った配下に裏切られ董卓は焼死……したように見せかける。そんな筋書が頭を過ぎった。

 ただしこれをするともう董卓という名は今後は使えない。別人として生きる事が必須条件。

「そう……董卓殺しの汚名を被るのが誰か、と言う事ね」

 決まっている。ボクが被るべきだ。

「あんた達は戦っていて内部状況が分からなかった。もし負けそうになった時、敗北を悟ったボクが董卓を裏切って屋敷の離れを燃やし月を一人だけ逃がす。反論は受け付けないわ。これはボクの仕事、誰にもできないし渡せない」

 そこまで言い切ると皆一様に哀しい瞳で見つめてくる。

「詠も一緒に逃げるのですよ。誰かが月と一緒にいてあげなければ心が壊れてしまうのです」

 ねねに言われて気付く。

 そこまで考えてなかった。自分が残って言い訳を取り繕おうとしたのだが、確かにあの子を一人にはできない。

「せやな。何が何でも守りきりや。例え月が反対しても、や。けど戦場を逃げ出した卑怯者の汚名も裏切り者の烙印もついでに被ることになんなぁ」

 霞の言葉に覚悟を決める。これは一方的な押し付け。そこまでしてでも生きて欲しいという私たちのわがまま。ただ生きていてくれるならボクはどんな汚名も被る。

「……わかったわ。その時は必ず逃げ切って見せる。どんな手を使おうとも。けどあんた達、勝てばいいのよ! 皆で月を大陸の王にするわよ!」

 勝つことが出来たなら、全ては変えられる。ほんのわずかな望みだがそれに賭ける。

「ははは、詠らしいこっちゃ。そうと決まれば決戦のために少しでも休んどこか。ほら、恋もおねむみたいやし」

 霞の言葉に皆が頷く。恋は話に入ってこないと思ったら本気で熟睡しているのかよだれが口の端からつたっている。

 その愛らしい姿に笑みが漏れ、この優しい仲間たちが無事で生き残れるようにと自分は決戦の準備の指示を出しに向かうことにした。




 聞いてしまったのは偶然だった。

 恋さんが寝ていたから私が息を殺して話を聞いている事には気付かなかったみたい。

 私は……また守られるのか。

 何もできずただ皆に助けられるのか。

 今更自分が責任を取る為に立ってもこの大切な人たちの想いを無視してしまう。

 かといって逃げ出しても自分の為に戦ってくれた人の想いを無駄にしてしまう。

 どうすればいいの?

 私には何が出来るの?

 考えても答えは出ず一人寝室へと足音を忍ばせ歩く。

 この胸を締め付ける痛みは罪であり罰だ。

 ただ守って貰う事しかできなかった、何もしなかった自分への。

 他人を頼る事しかしなかった自分には何も言う権利がない。

 ただ助けたかっただけなのに。

 苦しそうな、悲しそうな殿下を笑顔にしてあげたかっただけなのに。

 乱れていく大陸に平穏を広げたかっただけだったのに。

 ここに呼ばれた時点で私が傀儡にされるのはわかっていた。

 それでも中から変えられると甘い夢を見ていた。

 逃げられなかったから選択したんじゃなく自分で最後はここに来ることを選んだ。

 どうしてもっと早くに自分から動かなかったのか。

 どうしてもっと早くに決意を固めなかったのか。

 私は親友の優しさに甘えていたんだ。

 慕ってくれる人たちの想いに酔っていたんだ。

 今更遅い。私が全て巻き込んでしまった。

 きっとこの人達は何がなんでも私を助けてくれる。

 私に今できる事は……その想いを受け入れることだけ。

 せめて今を生きている大切な人達の気持ちを汲む事だけ。


 でも私は……どうやってこれからを生きていけばいいんだろう。



 †



 今日は敵の旗が少なく、明日か明後日には決戦になる事が予想された。

 緊急で開かれた軍議では各諸侯の攻城戦の順番の変更を行うか否か。

「いやなのじゃ! 妾の軍は明日からは攻城戦に出んからの! 兵達の犠牲が大きくなってしまうのはいやじゃ! 順番を回してきても良いが回ってきたとしてもぜーったいに出んからの!」

 呆れてモノも言えない。いやこれが公路だから仕方ないか。七乃の笑みが少し濃くなってこちらと一瞬目が合う……ああ、そういうことか。

「公路殿、わがままはダメ。どこの軍も必死で戦っているのは同じ。ただ……代わりの軍が出られるならいいけど。どう思う、本初?」

「そうですわねぇ……孫策さんの軍が代わりに出ればいいと思いますわ。虎牢関ではわたくしの所の将があなたの軍を助けたそうですし聞いて頂けますわよねぇ?」

 貸しをつけたのが上手く行った。しかし麗羽の演技は中々面白い。公路の事が可愛いから助けたいという本心もあるだろうけど。

 麗羽の発言に周瑜と孫策の顔がわずかに歪む。

「連合総大将の命令だけど……拒否する?」

 ここはさらに威圧をかけておくべき。怒りの矛先を私たちにも向ければ少しは七乃の負担も軽くなるだろう。

「……構わないわ。私たちの軍が代わりに出ましょう」

 柔らかく言ってはいるがその心までは隠せていない。

 無様。力がなければ英雄と言っても所詮飼い猫。首輪付きには抗う術もない。

 ここでもう一人の英雄にも無茶を押し付けられるけどどうしようか。

 ……今回はこのくらいで抑えておいてもいいかもしれない。

「決まり。それぞれの軍の時間帯は孫策軍以外昨日と同じ。本初」

「ではこれにて今回の軍議を終わりますわ。いいですの皆さん。最後は雄々しく美しく、華やかな決戦で幕を閉じましょう! おーっほっほっほ!」

 麗羽、私はたまにあなたのそれが演技じゃなくて本気かと疑ってしまう。

 見回すと最後に一人だけ携えた笑みをより一層深めた人物と目が合った。

 あの女は……気付いていたのか。わざとこちらに目を合わせたのは警告。全て分かっている、と。自分は分かっているのだから後々本気で来いという挑発とも取れる。

 しくじった。今回は無茶を押し付けておくべきだった。麗羽の演技が長くなり、あの女に話が向けられる事で違和感を覚えさせてしまう不安を感じた私の失態。元から気付いていたなら話は別だったのに。

 これからこの女だけは最大限に警戒しないといけない。今までよりもさらに。麗羽の一番の壁となる敵。

 それと同時に覚悟を決める。その意を込めて目を細めて相手を見つめる。

 曹孟徳。私達はあなたを越えるから首を洗って待ってるがいい。




 見返された瞳は決意の瞳。

 彼女は王佐。私が求めてやまない愛する敵。

 欲しい……

 内に広がる欲望はとどまる事が無い。

 全てを賭けて戦い、打倒して、ひれ伏させ、そして私のモノにしたい。

 ふいと視線が逸らされ彼女は麗羽とともに席を離れてしまった。

「華琳様?」

 しばらくそのままでいた私に掛けられた声は私の王佐のモノ。

「……陣に戻りましょう桂花。それと明日の準備の指示が終わり次第私の天幕に来なさい」

「は、はいっ!」

 嬉しそうな声。本当に可愛らしい。

 でも今日は駄目よ桂花。今日はまだ我慢しなさい。

 私がこの戦で我慢しているように。

 まだ青い実が熟すのを待つように。

 きっと手に入れた時の喜びはより大きなものでしょう。

 その時がきたなら、奪ってあげる。

 私のために、あなたのために。



「雪蓮」

「大丈夫よ冥琳、分かってるわ。今はまだ耐える時。そのために蓮華を残してきたんだから」

 己が計画は着々と進んではいるが、じりじりと嫌らしく、少しずつ邪魔もされている。その事に苛立ちを覚え帰り道にて気が立っている私を心配してか冥琳から声が掛けられた。

 本当は私自身もある種の見せ札。全ては孫呉の大望のために。

 蓮華は内を守る盾。民草の心を学び、王としての成長を行っている真っ最中。

 未だ不完全な彼女をこの黒い欲望渦巻く連合に連れて来て学ばせる事も出来たがそれはまだいい。私が上手く出来たならそれが一番だから。

「蓮華様の成長を促すために亜紗を残し絆を深く繋がせる、か」

 孫呉の古参を全て連れてきたのはそのため。新たな世代の絆を深く確固たるものにさせなければならない。

「目先の敵が多すぎてあいつらは気付かないわ。私たちは牙を研ぎながら時機を待つだけよ」

「ふふ、牙を鋭くするくせに爪でも引き裂くのだからお前も人が悪いな」

 物騒な事を楽しそうに言う。その笑顔を見て心の苛立ちは消え、午後の陽だまりのように穏やかな気持ちになった。同時に私はいつも彼女に支えられて、本当に世話をかけていると実感する。

「……いつもありがとね、冥琳」

 ふいに私から放たれた言葉に少し照れたのか、彼女は変な顔をしてこちらを見ていた。

「……急にどうした?」

「急に言いたくなったの」

 答えると彼女はため息をつき微笑みながら一言呟いた。

「相変わらず訳がわからん奴だ」

 酷い言い草。けどその言葉の裏にある信頼が心地いい。

 共に並び、支え合えるものがいる、というのはそれだけで安心できる事だ。

 冥琳とならどこまでも進んで行ける。

 このうさんくさい連合も後少し。そうすれば本格的に私たちの目的に取り込めるだろう。

 今はこの戦を早く終わらせる事を考えましょう。


 †


 この戦の終着は全ての王に機会を与える。

 一人の王を排除することによって。

 董卓は洛陽に火を放ち、長安まで逃げた。

 正史の事実はそうだった。

 この世界では……決戦を行い、死中に活路を求めて抗うつもりだ。

 だが一発逆転の目はこの時代の戦争ではあまりに少ない。

 既に後手後手の状況でどうやってひっくり返そうと言うのか。

 連合の不和と糧食の減衰を狙っての長期防衛も行えなくなり、夜襲も奇襲も行えないほど攻められ続け、不利な兵数での決戦に持ち込まれたこの状況で。

 あるとすれば連合側の単純な手柄の食い合いか飛将軍の押し付け合いという隙を使うくらい。

 だがそれも望みが薄い。やはり決戦ともなればこちらに分がある。

 負けが確定したなら董卓はどうする。

 逃げるか、腹を括って戦で死ぬか。

 今まで一度も姿を現していない董卓は必ず逃げると思われる。

 例え巻き込まれたにせよ、火種を撒いてしまった責任を放棄して。

 だが逃げても再起を計るなど不可能。連合はどこまでも追っていくし世は董卓を悪と断じているのだからどこも助けてはくれないだろう。

 どの諸侯の軍師も俺の思考の先に思い描いている展開程度は軽く読んでいるはず。

 なら俺は今回、後陣で桃香達を守る事に徹しよう。自ずと動かなくても事が動いた後で十分対処できる。

 それにうちの軍には天才軍師が二人いるのだから俺はその判断に従うだけだ。下手に動いたり、何かを献策するよりはずっといい。

 この世界での反董卓連合は長安まで続かない。ここで決まる。逃げる間など与えない。


 考えている最中にも多大な罪悪感に苛まれ、吐き気を堪えながらも思考を続ける。


 ただ……董卓に対する同情が少しだけある。

 集まった情報で、華雄との一騎打ちで、呂布との戦いで、董卓は利用されただけなんだと確信している。

 これが乱世。正義も悪も無く、慈悲も無く、情けも無く、ただそこには勝者と敗者がいる。力と運が無ければ生き残れない。

 華雄の言の通りなら董卓の立場は俺に似ていると思う。

 巻き込まれ、理不尽の袋小路に立たされ、結局自分で選択をしたところが。

 軍の事ではなく俺のこの世界での存在自体に被る。

 同情するが……利用させてもらう。

 お前のようなものがこの先に出ない世にするために。


 一人の王を踏み台にする決意を固め、寝付くまでこれからの乱世の為に自分が出来る事を考え始めた。




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