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飛将軍来る


「霞、恋殿、準備は万端ですか?」

 問題がない事は確認済みだが一応二人ともに聞いてみる。

「ばっちしやで。昼の内に関のねずみも殺しきっといたし、隊の撤退準備も問題あらへん」

「後は、行くだけ」

「了解なのです! では予定通りに月が中天に昇った時に出撃するのです。それと霞、気に病み過ぎず戦うのですぞ」

 霞は華雄の事でもの凄く落ち込んでいた。虎牢関に着いた時、自責の念からか滅多に見せない涙を流し自分達にひたすら謝ってきた。

 自分達は霞を責められない。

 シ水関にいられなかった自分達にも責はあるのだから。

「……ありがとな、ねね。うちは月を守る。いや、うちらで月を守るで」

 そう言ってこちらににっと笑いかける霞の表情は晴れやかで、今はもう心が落ち着いたのだと分かった。

「皆で、守る」

「霞、恋殿……そうなのです、ねね達で……優しい月と、ひねくれ者の詠を守ってやるのです!」

 連合の思い通りになどさせてたまるか。欲に塗れた権力者達など皆、跳ね除けてやる。

「では作戦をもう一度確認するのです。恋殿の隊は孫策軍陣地に突撃、部隊はそのまま押し込ませますが恋殿と親衛隊の少数のみそのまま抜けさせ袁術軍を強襲。恋殿の突破力なら問題ないと思われます」

「……大丈夫。恋が道作る」

「お願いするのです。ただ恋殿、孫策軍突破の途中で将と遭遇しても戦わず敵兵のみに被害を増やしてくだされ。恋殿が負けるわけありませんが、今回は敵の数を減らす事に重きを置いて欲しいのです。特に袁家の軍は盛大に大破させてやるのですぞ。それと袁術軍に続き袁紹軍陣地もかき回した後、銅鑼の合図で曹操軍の後背を突きこちらに戻って来てくだされ」

「わかった」

 コクリと、小さく返事をしてから一つ頷く恋殿の姿はいつも通りで自身の心が尚、奮い立った。

 守るものがある飛将軍の武は誰も折れない。敵が万いようとも。だからこその少数での攪乱作戦。それに呂布親衛隊の上位も一介の兵士十人以上に匹敵する力を持っている。

「霞の部隊は曹操軍陣地に強襲をかけ、できる限り兵で攪乱するのです。抜くことは考えず、その場に縛り付けるだけで。ある程度戦ったらねねが合図を送るのでそのまま陳宮隊と入れ替わり、洛陽まで最速で下がるのです」

「了解や。けどねね、ほんまに大丈夫なんか?ねね一人で両軍の後軍の指揮するんはめっちゃ大変やで?」

「ふふふ、それくらいできないと恋殿の隣に並び立つ軍師として失格なのですよ。ねねが二人も守るのです」

 そう言うと恋殿が頭を撫でてくれた。霞はうんうんと頷いていつもの優しい笑顔で自分達を見ている。

「ねね、任せた。頼りにしてる」

「うちも任せた。ねねの想い、受け取ったで」

 暖かい気持ちが溢れてくる。愛する人と信頼する友に頼りにされる。これほど嬉しい事は無い。

「はいなのです! では二人とも、そろそろ部隊に向かいましょう。欲しか頭にない獣たちを、月の光を背に喰らい尽くすのです!」


 †


 夜襲を想定して陣をある程度空にし、後方に部隊を配置していた。

 空陣前の明かりで奴らが抜けてくるのが確認できた。

「本当に来おったわ。公瑾の言った通りになるとはの。先頭は……呂布か。化け物相手は一人では無理じゃのう。兵達よ! 呂布が来た! ありったけの矢で歓迎してやれ!」

 言いながら自分も愛弓に矢をつがえ、呂布に狙いを定めると、まだ遠くにいるのに何を感じ取ったのかこちらと目が合う。

 瞬間、身体に悪寒が走った。圧倒的な死の気配が足元から髪の毛の先まで纏わりつき、構えがぶれそうになったが気力で抑え込んだ。

「恐れるな! まだ遠い! 合図まで待て!」

 浮足立った兵達が矢を放ちそうになっていたので大声を上げて制する。しかし恐れるなとはよく言ったものだ。自分も同じだというのに。

「……三、二、一、放てぇ! 次、直射するぞ! 部隊構え……放て!」

 次々と放たれ、放物線を描く矢と真っ直ぐに力強く飛んでいく矢は呂布の部隊に吸い込まれ、敵の影をまばらに引き倒していく。

 ただ――誤算があった。

 先の矢の届くより早く呂布が単騎で突出してきたのだ。自分が放った矢は難なく躱され、兵の直射は全て長い得物によって弾かれている。そして単騎のみの突撃の速さは迎撃態勢が整う前にこちらの部隊に届くほど。

「いかん! 呂布は後ろに流すのだ!」

 叫ぶと同時に呂布が兵めがけて突っ込むのが見えた。

 兵の叫びは暴風にかき消され、馬上よりの一撃で兵が五人は吹き飛び、宙を舞う。

 鮮血が夜の月を彩り、続けて人が紙の如く弾き飛ばされていく。

「化け物が!」

 毒づきながら矢を構え呂布に向けて放つ。しかし意にも返さない様子で、振り返りもせず軽く振った方天画戟に弾かれた。そのままの動作で放たれた方天画戟の一振りによって鍛え上げた兵が幾人か千切れ飛んだ。

 その光景に背筋が凍り、弓を持つ腕にふつふつと泡が立ち始める。

「呂布よ! 天下無双が兵をただ惨殺して楽しいか!」

 感情を振り払うように大声で叫び、自身をも奮い立たせる。

 勝てるわけがないが少しでも意識を逸らさせたい。こちらに来たら逃げるが。あれとは一対一では数合と持たないだろう。

 だが呂布はこちらには見向きもせずそのまま突き進んで行った。次第に小さくなる影に戻ってこない事を確信し、安堵を覚えてしまっている自分に舌うちをしながら兵に指示を出した。

「呂布隊が来る! 迎撃しつつ緩やかに後退せよ!」

 あれは止められない。ならばどこまでも抜けて行け。初めから厄介事は袁術に押し付けるつもりなのだから。

 たった一人によって混乱を大きくされ、壊滅させられるわけにはいかない。

 今は少しでも兵同士での被害を減らさなければ。もう一つ恐ろしいのはこの混乱も公瑾の予測の範疇という事。

 確かに公瑾の言う通り、本気の混乱でなければあの女狐は騙せないだろう。

 そのために犠牲になる兵の無念を想いながら。今は自分が出来る事を。


 †


 夕食後の蜂蜜水を美羽様に出し、ゆっくりした時間を堪能していると動きがあった。

「七乃、妾の陣の前の方が騒がしいのは何故じゃ?」

「そうですねぇ、敵さんが攻めて来たんじゃないでしょうかぁ」

「ななな! 大丈夫なのかえ!?」

 手を口の前に持って行き、いかにも心の底から驚いて飛び上がった小さな主の姿に微笑みが零れる。

 慌てる美羽様も可愛い。話してよかった。

「大丈夫ですよぉ。夕ちゃんと話し合ってあの三人を借りておきましたからねぇ」

 対価は相応だったがなんとかなる。袁家上層部の目を誤魔化すのは骨が折れるが。

「……麗羽は嫌いじゃがあの三人と田豊は好きじゃ。無事帰って来てくれるのか?」

「あれらは守りに入ったほうが強いですからなんとか耐えるでしょう。それに田豊さんのことです。他にも対策をしているでしょう」

 目を伏せ、呟いてから私に涙目で訴えかける美羽様に、兵の被害を気にしているのか利九ちゃんが苦虫を噛み潰した顔をして説明する。

「なら安心じゃの! そういえば孫策もおるし」

 今思い出したのか。本当に孫策さんが苦手と見える。

「美羽様は安心してこの後陣のお馬さんの上で寛いでましょうねー。利九ちゃん、ちょっと」

 そう言って小さな主を馬に担ぎ上げ、利九ちゃんを少し離れた所に連れ出す。

「七乃様……私は今回の策、納得できません。やはり私も――」

「あなた一人が出て行って何ができるんですか? せっかく孫策さんと袁家の目を欺く為に新兵だけで先陣を組んでいるのに」

 立ち止まるとすぐに慌てた様子で口を開いた彼女の顔の前に人差し指を立てて言葉を遮り話す。

 この子にはしっかりと言い聞かせないといけない。

「しかし――」

「美羽様は何も知らないまま、綺麗なままで暮らさせてあげたいでしょう? あんなに優しい子にこの乱世は耐えられないんですから」

「……分かって……おります」

「なら私たちが背負うしかないんです。例え何を犠牲にしても」

 言うと彼女はギリと歯を噛みしめ口を噤んだ。

 まだ甘い。せっかく有能なのにもったいない。何が大切で、何を守りたいか不確定なままではいつか食い殺される。

 この子と私たちの不幸は袁家に関わった事。

 対して幸運は、逃げ出せるだけのギリギリの能力と同士を得られた事。

「大丈夫ですよー。きっとなんとかしますから」


 私の最大の幸運は美羽様に出会えた事。

 愛しいあの子を守る為に私は何にでもなろう。

 その先がたとえ自身の破滅しかなくても。


 †


「なぁ、雛里。今日の曹操の攻め、どこか変じゃなかったか?」

 共に装備の残数確認を行っている雛里に自分の感じた違和感を伝える。

「……秋斗さんもそう感じましたか」

「ああ、いつも通りなんだがどこか気概が違うというか……」

 やはり、といった感じでこちらを見上げて話す雛里の瞳には知性の光が灯っていた。

 そう、ここのところ毎日同じ攻めだったはずが夕方まで少しだけ士気が高かったように思う。

「もしかしたら何か今の現状を打開できるような情報が入ったのかもしれません。しかし今それを確かめる術が私たちにはないので……」

 俺たちの情報網の薄さは連合一だろう。

「今から曹操の陣まで聞きに行くってのはどうだ?」

「さすがに連日の攻城戦で疲弊しているでしょうし……それに曹操さんの性格上、何も対価を出さずに教えてくれるとは思いません」

 問いかけるが、雛里が返した答えの方が正しかったので自身の提案の浅はかさを自覚した。

 曹操がタダで情報を教えるような人なら桃香と気が合いそうだ。

「……うーん。しかしこの違和感が拭えないと寝れそうにないな」

「ちゃんと寝ないとだめですよ?唯でさえ長期の遠征でお疲れなのに」

「心配ありがとう雛里。そういえばお前も最近は軍議続きであまり寝れてないんだろ? 大丈夫か?」

 長い戦は疲れが溜まりやすい。寝ないと脳の働きも鈍るし心配だ。

「ふふ、秋斗さんも心配ありがとうございます。ある程度はちゃんと寝れてますから大丈夫ですよ」

 口に手を当てて上品に微笑んだ雛里に思わず見惚れてしまう。

 可愛いなぁ。ホントいい子だ。

「ならよかった。早く戦を終わらせて甘いものでも食べたいな」

 そう言って頭を軽く撫でてみる。

「あわわ……秋斗さんはどうしていつも頭を撫でるんでしゅか!」

「そりゃ可愛い子の頭は撫でたいからな」

 あわあわと慌てながらいつもの如く噛んでしまったのと、俺の返答に照れたのか帽子を下げて俯いてしまった。 こういうやりとりをしていると戦中なことも忘れられて心が楽になる。

 そのまましばらく二人で無言でいると外が騒がしくなってきた。

「何だ?」

 陣内のおかしな雰囲気に疑問を感じ、二人で幕の外に飛び出しあたりを確認すると、

「お兄ちゃん! 雛里! 董卓軍が夜襲を仕掛けてきたのだ!」

 こちらに急いで向かってきた鈴々が大声で告げる。

「なんだと!?」

「今は孫策軍と曹操軍が対応してる! 急いで戦う準備をするのだ! 愛紗は先に兵のまとめに動いてるから!」

「わかった! 雛里、行こう」

 雛里がコクリと頷いたのを確認してからそれぞれの持ち場に向かう。

 違和感はこれか。曹操はこの夜襲を読んでいたんだな。士気が高かったのは攻城戦を強く行い今日は兵の疲弊が大きくなっていると少しでも油断させるためか。

 わざと情報開示しなかった狙いはなんだ?

 いや、今はいい。来てしまったものに対応しなければ。

 俺たちの陣は曹操軍側の後ろ。簡単に抜かれる事はないだろう。それより袁紹軍よりに戦力を集中するべきかもしれない。

 胸騒ぎがする。最強の武が近いからかもしれない。ふいにシ水関での夕の言葉が甦る。

『曹操軍でも抜かれる』

 脳内で響くその言葉に若干の焦りを覚えながら俺は自分の部隊を整えに向かう。

 着くとすでに集合していた部隊に面喰らうも、愛紗が説明をしてくれる。

「秋斗殿、あなたの部隊は徐晃隊副長が整えてくれましたよ」

 副長は本当に頼りになる。義勇軍の時からずっと一緒に闘ってきた仲だしな。

「副長、ありがとう。じゃあ――」

「袁紹軍から伝令! 呂布への対応のため関羽、張飛、徐晃三将軍は少数部隊を率いて至急袁紹軍が陣前に移動されたし!」

 兵に指示を出そうとしたら急ぎの伝令が俺たちに告げた。

 拒否権はないだろう。使いっぱしりも楽じゃないな。


 †


 柵の強化は万全。神速が来るのを警戒していた将兵達の対応は完璧といえた。しかしやはり彼女も本物の武将。一筋縄ではいかない。

「ちぃっ! 読まれ取ったとしても対応速すぎやろ!」

 春蘭の部隊と秋蘭の部隊で張遼隊の主力は抑え込ませているが若干押し込まれている。

 二人の隊を相手にここまで押し込める用兵などそうはない。彼女の実力に感心しながらも隣に控える春蘭に指示を伝える。

「春蘭。張遼の意識を引き付けてきなさい。あなたならできるでしょう?」

「はっ!」

 あの子に引き付けさせて秋蘭で周りの対応を。

「凪、真桜は最右翼の援護に向かいなさい。出過ぎず、徐々に押し込まれて戦線をじわじわと下げること」

「「御意」」

 張遼が引くまで持たせるだけでいい。その後は陳宮率いる部隊の相手。凪達のいい経験になるでしょうね。そのため各隊には防御主体で指示を出してある。

「華琳様。呂布隊が孫策軍を蹂躙しています」

「そう、抜かれた先は袁術の陣。数だけは多いのだから時間稼ぎくらいにはなるでしょう」

 袁術にここで死なれては困るがあの張勲がいる。確実に何か手は打っている。

 孫策軍は味方にして使えているうちはいいが目の上のコブ。あらゆる手を尽くして内部事情を調べているはず。今回の事も情報が入っているだろう。

 だがひっかかる。何故もっと奥に下がっていないのか。そうか……わざと被害を受け孫策を安心させる気か。元が袁家の戦、袁紹軍も噛んでいるのか。麗羽は別としてあの田豊が手を組んでいないわけがない。

 まだあれらに退場されては困る。

 あの二人にはもっと働いてもらう。内部の腐った林檎の除去を私の代わりにさせなければ。

「桂花、あなたの予想を聞かせなさい」

「これから田豊の指示で劉備の将が動くと思われます。もし我が軍の後背に呂布が来た場合どうしますか?」

「その時は陳宮と合流させるための道を作りなさい。後に虎牢関に向かうであろう孫策にも再度痛手を与えてもらう」

 袁術の被害に見合う形で。一番乗りなど呂布の被害に比べれば安いものだ。

 後方に抜けさせず、洛陽までの追撃で力を削ぐほうがこれからのために何倍もいい。

 虎牢関を抜けた後は関がないので馬超と公孫賛がよく働いてくれるでだろう。

 こうすることによって洛陽に着いた時に我が軍が連合において被害が少ない部類に入り、且つ張遼と当たる確立が増える。

 張遼さえ手に入ればこちらにとっては最大の功なのだから問題ない。

 呂布が洛陽まで辿り着いたとしても隊が少数ならば簡単に押し付けられる。

 ふと見ると桂花が恐怖と歓喜の入り混じった眼で私を見つめている。私の思考の先を読んだのか。

「桂花、私の軍師ならば私の考えを全て看破してみせなさい。そうして初めて私の王佐足りえるのだから」

「はい! 生涯掛けましても必ず!」

 いい返事。できればこの子のために袁家の呪縛から田豊も救ってあげたい。

 それはまだ先になる、か。

 先に向かう思考を続けながら今の自軍の戦況にも目を向ける。

 予想より陳宮の用兵が上手い。もう少し時間が欲しい。

「沙和の部隊も出なさい。真桜と凪に合わせるように動き、一度押し返しても構わない。桂花、春蘭と秋蘭の部隊への指示は任せるわ。私は三人の補佐をする」

「「御意」」

 さあ、ここから今回の戦場という生き物はどう動くのか。


 †


「うっわ、あれ無理じゃない?」

 遠くで人影が飛ぶのを見て戦慄し、恐怖を悟られないように軽く言葉を吐く。

「何言ってんのさ張コウ。あたいたちが止めなきゃ誰が姫を守るのさ」

「文ちゃん、今回は袁術軍の補佐だよ」

「ばっか斗詩! ここでやっつけちまえば終わりじゃんか!」

 ため息混じりに諭す顔良を豪快に笑いながら根拠も無しに跳ね返す文醜。あんたがバカだよ。あれは無理、格が違いすぎるんだから。

「まあ時間さえ潰せばいいし三人で稼ごうか。ね、顔良」

「うぅ、正直不安しかないよちょこちゃん」

「二人とも気合が足りないぜ?」

「はいはい、どうせあたしはいつもやる気ないよー」

 不安しかないのは同意する。秋兄達が来るまで持つかも分からないのだから。かと言って二人を見殺しにだけは絶対にできない。

 この状況を読んであたしたちの袁術軍配置を夕に指示した七乃に怒りが湧く。

 七乃め、お前はどっちの味方なんだ。ああ、ただ公路の味方なだけだった。

「りょ、りょりょりょ呂布だぁぁぁ!」

 思考に潜っていると兵の絶叫が聞こえた。ついに袁術軍中軍まで到達したか。

 重たいモノがぶつかり合う音が間近に聞こえ、月明かりではっきりと見える空に人影が蝶のように舞っていく。

 そうして抜けてきた影から殺気がそのままぶつけられた。

「斗詩!」

 文醜が顔良の前に下から武器を振り上げ、重厚な金属同士の鳴る音が二つ聞こえた。

 顔良も武器を構えどうにか堪える事が出来たようだ。文醜の咄嗟の判断がなければ真っ二つだったかもしれない。

 あたしは少し止まった敵に向かって鎌を振りぬく。だが、赤い髪を二つ触覚のように立てた化け物はつまらなそうに最小の動作でそれを避けた。

 続けて死角から鎌を振り切った反動で鎖分銅を投げつけるも、

「……無駄」

 無感情で無慈悲なその声が聞こえたと思ったら片手で受け止められていた。

「でぇぇい!」

 文醜と顔良の左右からの同時攻撃を行った。

 対して呂布は片手に持った戟を音もなく振り、二つとも一度に弾いていた。弾かれた勢いで二人はもんどり打ちそうになったがどうにか立て直したようだ。

 鎖分銅をつまらなさ気に地面に投げこちらを見やる呂布。改めてそのデタラメな武力を確認して逃げ出したくなる。

 あたしは顔良と文醜と共に囲むように相手と距離を置いた。しかしこんな化け物相手に時間を稼げと言うのか。

「はじめましてー。あたしは張コウっていうんだ」

 会話のできない獣じゃないと信じて名乗りを上げてみる。時間が少しでも稼げるようにと。

「……はじめまして?」

 いきなり斬りかかって来たくせに一応名乗りはさせてくれるらしい。首を傾げて呂布から紡がれた一言にさっきまでとは打って変わって和やかな雰囲気になった。

 でもやばい、この子可愛い。夕と並べてギュってしたい。

「あたいは文醜」

「顔良です」

 口々に自己紹介し合うと、

「……呂奉先、よろしく」

 何故か行儀よくぺこりとお辞儀をされた。

「一応聞くけど三体一でもいい?」

「……どうぞ。たくさんいても無駄。お前達じゃ恋には勝てない」

 その通りだけどそれを言ったらダメだ。

「なんだとぉ!? あたい一人だって――」

「文ちゃんダメ!」

 よく止めた顔良。さすがに洒落にならない状況なんだからイノシシはよくない。

「呂布、ありがと。じゃあちょっとあたしたちに付き合ってねー」

「……来い」

 呂布は戦闘用に意識を切り替えたのか方天画戟を肩に担ぎ一言。それだけで辺り一面に死の気配が一気に溢れ出した。

 頼むから早く来て。さすがにこんな化け物相手は無茶だ。


 †


 袁紹軍の陣の前に着くと同時に袁術軍の方へ行けと指示を出された。

 呂布を止めろ、と。

 三人共を呼んだのは夕の判断だろう。事の重大さは伝わった。

 連合総大将の軍への単騎突撃。本来ならそんな無茶苦茶な事ができるわけがない。常軌を逸した存在がいない限りは。

 剣戟の音が戦場中に響いていたがその場は特に異常だった。

 鈴々も愛紗も異質な空気にいつもとは違うモノを感じているのか無言だった。三体一で全く歯が立っていないのだ。

 遊ばれているようにも見える。

 本気を出せばいつでも殺せるように見える。

 そして三人の攻撃をいなしながら周りの兵を殺している。デタラメにもほどがある。

 俺は走りながらまだ少し遠くの赤い髪の悪魔と目が合った。

 ドクンと心臓が跳ね、耳鳴りが高く鳴り響き、脳髄の奥から警鐘が鳴り続ける。


 逃げろ、今は死ねない


 強迫観念にも似たモノが込み上げてきて、反射的に身体が震える。この世界に来て初めて体感する本物の死の恐怖が心を襲ってきた。

 思考が巡り恐怖が心を捉えて離さない。

「秋斗殿、鈴々、覚悟を」

 突然の愛紗の言葉が耳に届きさざ波のように反芻された。

 覚悟を決めろ、生き抜く覚悟を。

 心を止めろ、恐怖の震えを。

 自分で自分を鼓舞し、落ち込む思考を無理やり前に向け、

「あれを止めよう」

 自分のすることを言葉にすると恐怖がほんの少しだけ薄らいだ。

「お前が呂布だな!?」

 愛紗はあらん限りの闘気をぶつけて言うと、呂布はこちらに意識を尖らせコクリと頷いた。

「我が名は関雲長! 平原の相、劉元徳が臣なり!」

「張翼徳、右に同じくなのだ!」

「……徐公明、尋常に勝負、とはできそうにないな」

 ヒーローモノの悪役みたいな登場だなんて考えながらさっきまで戦っていた三人に向け頷く。

 これ以上の被害を増やさないよう、自分達も死なないよう守り一辺倒で戦っていた三人はどこか安堵したようにその場から散った。呂布軍の兵が袁術軍に到達したためか。

 彼女らの体はそこかしこに傷があり疲労は見てとれるほど。いつも飄々としている明でさえ青ざめた顔になっていた。

「秋兄、ごめん。任せた」

 通り過ぎ様に明が呟く。無茶を言うな。

「呂布! 武人として卑怯かもしれんがお前相手ではそうも言ってられない! 三人で当たらせてもらう!」

 三人が完全にこの場から確認したのを見てから愛紗が叫ぶ。だがその通りだ。こちらとしても一人じゃ敵わないのだから。

「……お前」

 不意に俺を指さしての一言。

「……は?」

 いきなり呼びかけられて一瞬だけ思考停止してしまった。

「……華雄のカタキ」

 言葉が紡がれた途端、辺り一面をありえないほどのプレッシャーが襲った。

 飛将軍の本気の殺気に充てられて周りの兵が蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めた。愛紗と鈴々は腰を落としてすばやく迎撃態勢を取る。

 心に殺しきれなかった恐怖が再燃する。逃げたくなる心を抑え付け自分も迎撃態勢を取った。

 その時、回り続ける思考にノイズが走り、懐かしい白の世界が頭をよぎった。すると突然自分に纏わりついていた恐怖が霧散した。

 冷えた頭で華雄の最期を思い出す。自分が決めた覚悟も同時に。

「憎しみから俺を殺すのか?」

 無意識の内に口を突いて出たのは疑問だった。

「……恋は皆を守る。それが華雄のため。ただ――」

 そこかしこに飛ばされていた殺気は収束しはじめる。俺に向けて一つの槍のように。

「――お前は恋が殺したい」

 向けられる想いは純粋な憎悪。俺が受けてしかるべきモノ。

 瞳に映る昏い炎を真っ直ぐに見つめる。

「そうかい」

 ゆっくりと剣を上げ、構えを変え、

「すまないが、まだ死ねないな。先の世に想いを繋ぐために」

 一層強くなる気当たりに圧されそうになるが目を逸らさず耐え、

「三体一だが怨むなよ?」

 前までなら渦巻いていたはずの感情を凍らせ、ただこの場を生き残る為に思考を開始する。

「……誰がいても同じ。お前達はここで死ね」

 その言葉を皮切りに四人が同時に動き出した。




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