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彼は一人怨嗟を受ける

「劉備軍の挑発作戦はうまくいっていないようね」

 もうすでに三日目。劉備軍は毎日挑発を続けているが、未だ敵軍は関から動く様子も無く効果は表れていない。

「桂花はこの策、どう見る?」

 こちらを見ることもせずに自身の主から問いかけられ、こほんと一つ咳払いをして自分の思考を主に語る。

「守将が華雄一人の場合であったならある程度は有効だったと思われますが張遼もいる中で、となると厳しいかと。ただ――」

 言葉を区切ると、華琳様がちらと横目で私を見やり、さらに目を細めて先を促す。

「この策に張コウが絡んで来ますと成功の確率は格段に上がる事でしょう」

 あの子がいるなら話は別。私の親友の一人である明がいるのならば。

「張コウはあなたの友とは聞いたけれど、どのような人物なのかしら?」

「彼女は人の感情の機微に聡く、それを利用するのが上手いです。また人の目など意にも介しません。彼女にあるのは自分の目的のみです」

「その目的は……そうね、あなたが話したくなったら私に話しなさい」

 すみません華琳様。ここからはまだ言えないのです。私に……あの子と戦う覚悟が足りないから。

「申し訳ありません。」

「謝る必要はない。あなたは私の軍師。そうでしょう?」

 皆まで言わなくても分かるだろうと言外に伝えられる。

 そうすることで私をも労わってくださる。かつて私を助け出してくれた友達がくれた恩を踏み倒す覚悟が無い私は、まだ華琳様に甘えてしまっている。

 今の大陸の現状を理解し、袁家の状態と内部の情報を知り、そしてあの子を直接見たら……心が痛み、後悔の念が湧き出てしまっている。

 これを乗り越えろ、と華琳様は言っているのだ。自分で成長して軍師として並び立て、と。

「ありがとうございます」

 大丈夫、すぐに乗り越えてみせる。

 夕、それに明。私はこの方に付いていく。この厳しくも優しい本物の覇王に。


 †


「バカな奴らだ。いつまでも同じ事を繰り返しおって。私がそんな安い挑発に乗るか」

 砦の前に並び、口々に罵声の言葉を投げかけている将や兵を見下しながら、三日も同じ手を使い続ける敵に呆れが口を突いて出た。ただ、私がここまで冷静にいられるのは張遼が共にいてくれるのも大きいかもしれない。

「にしし、目にモノ見せてくれる! とか言うかと思てたんやけどなぁ」

 張遼はからかうようにこちらを見て、肩をぽんと一つ叩いてから言った。お前はたまに失礼なやつだな。

「あのお方を守るためだと出陣前に賈駆にも言われただろう? それならば私がいくら罵られようと知ったことではない」

 洛陽の都を出る時に我が軍の軍師から口を酸っぱくして懇々と諭された事を思い出し、そして儚げに微笑んで優しく見送ってくれた主の姿が目に浮かんだ。

 私はあのお方に出会って変われたのだ。以前の私なら、一日目ですでに飛び出していたことだろう。

「あんたはホンマええ将になったなぁ。こりゃあうちも負けてられへんな」

「ついで扱いでお前も罵られているというのに笑い飛ばす奴が良く言う」

 めったに私を褒めなかった張遼が突然褒めた事に驚いたが、それならばとこちらも褒め返す。

 張遼は共に仕事をする度に思うが本当に頼りになる奴だ。今回の挑発に対しても初めの頃に兵達がいきり立ち始めた時、私が口下手で伝えきれない事柄をうまく説明して落ち着かせてくれた。

 そのように自分には無い彼女のいい所に感心していたが、

「華雄に褒められるとか……気色悪いんやけど」

 まさにドン引き、といった身振りをして数歩私から遠のいた。

「貴様! 人が下手にでればぁ~!」

「あはは、なんでうちには怒るんや! けったいなやっちゃなぁ!」

 さすがに頭に血が上ったので怒鳴るとからからと笑いながら私を宥めてきた。戦から帰ったら覚えておけよ?

 苛立ちをそのままに張遼を睨みつけていると戦場を見ていた兵士が私達に声を掛ける。

「将軍! 敵兵、いつもと異なる動きあり! 陣中央から別の部隊が突出してきます!」

 声を聞いてすぐに城壁から少し身を乗り出して下を見ると、敵の中央から赤い髪を風に揺らす女に率いられたが近付いてくるのが確認できた。

「なんやあれ? 袁紹軍の将かいな」

「袁紹の? あの色は袁紹軍のモノなのか」

 混成軍という事もあり様々な鎧の色があったが、今日は緑の中に金色が少し混じっていた。やっとまともに攻城戦をする気になったのかもしれない。

 ある程度近づき、部隊最前から一人にやにやと薄ら笑いを浮かべてこちらを見上げる将は、目線を動かし何かを探しているように見えた。

 私と目が合うと一層に笑みを深めたが、目を少し瞑ってから真顔になり語りだした。

「華雄将軍。私は袁紹軍が将、張コウ。あなたのその武名、大陸に広く届いている。将軍が何故こんな所で縮こまっているのか私にはわかりかねる。あなたほどの方が何故正々堂々と戦えないのか。あなたが出て来たなら私たちの軍など粉微塵にしてしまえるはず」

 張コウと名乗った将の言葉にさすがの私も面喰う。何故あいつは私を褒めているのか。

「挑発する気あるんかいな。あれ」

 張遼は訝しげに張コウを見つめ、呆れの言葉をため息と共に零した。

 尚も張コウは続けようと口を開いたが……急に様子が変わる。

「そのため……あー、固っ苦しい! 華雄ちゃん。ご主人様に尻尾を振る華雄ちゃんはこの関で待てをかけられたんだねー。かわいそうにー、あはは!」

「なっ!」

 口調が砕け、先程までの凛とした声は見る影も無くなり、甘ったるい悪戯好きな少女の声でへらへらと笑いながら語り始めた。

「ごたごたの末に国を盗んで、権力を笠に着てやりたい放題やってるご主人様のいう事を聞いて、立派に関を守ってるんだ。偉いよね、忠犬華雄。ご主人様が悪者だとも知らずにさー」

 次は泣き真似をしながら張コウは言った。しかしどの口が言うのか……袁家の者なら分かっているはずだろう。

「落ち着け、華雄」

 ふいに張遼に手で制される。掌に若干の痛みを感じたので見ると、私の握りしめた拳から血が滴っていた。

「間違ってないならあたしに反論できるはずだよねー。それもできないなんて結局はご主人様が悪いって気付いてるんじゃないのー? あ、そっかぁ! それでも愛してほしいから見ない振りをしてるんだね! 犬の鏡だ! 素っ晴らしい!」

 ころころと表情を変え、しかし口角を吊り上げて心底楽しそうな様子。こんな下卑た奴が月様をバカにするか。

「それにしても董卓は卑怯者だね。後ろに隠れて自分ではなーんにもしない。民を助けることもせず、兵を助けることもせず、聞くだけ見てるだけ。いや臆病者か。ここに来てないってことは袁紹様と言葉を交わす勇気もなかったんでしょ? 自分が悪いから責められるのが怖かったんだ。うっわぁ、やっぱり臆病者もついちゃったー!」

 張コウはそのまま身体を丸めてげらげらと笑いだした。

 ここまでバカにするのか……何故あの優しい方の誇りが傷つけられなければならないのだ。

 私が言い返したいのを未だ我慢していると、笑いを堪えながら身体を起こし、大きく息をついてから再度語り出した。

「はぁー……おもしろ。袁紹様が会ったこともないのがいい証拠。結局は他人を利用して、隠れてうまい汁だけ吸って生きていくしかしないクズじゃん。いいんだよ、そんな主に仕えなくても。ねえ、華雄ちゃん」

 にやりと笑って告げられた言葉に私の堪忍袋の緒は遂に切れてしまった。

「貴様、言わせておけばぁ!」

「あれ? 人の言葉話せたんだ。ご主人様の悪いところを指摘されて必死の弁解? それとも間違いに気付いた?」

「董卓様はそんな方ではない!」

「今更必死に弁解しようとしても同じだよ。どうせ皆気付いちゃってるんだからさ。なんならあたしたちを倒して自分たちの間違った正義を証明してみたら? ほら、わざわざ倒しやすいように部隊も近づけてあげるから。それにちょっとだけ待ってあげるよ」

 侮辱の言葉が返って来て、張コウの部隊はゆっくりと関の手前まで近づいて来た。しかも部隊の兵ですら私たちが出てこないと高を括っているのか先程の張コウの言葉に笑いあっていた。

「張遼」

「我慢せい」

「無理だ」

「それでもや」

 隣に佇む同僚の方すら目を向けずに言うと、全て言い切る前に悉く否定された。もはや私は自身を抑える事が出来ない。

「月様をあれだけ侮辱されて……黙っていろというのか!」

「あれが挑発やってわかるやろうが! うちかて腸煮えくりかえっとるわ!」

 普段の飄々とした態度もなく、そこにいるのは必死で自分を抑えている将の姿。

「……すまん張遼。私は出るぞ」

「あかん。ここで出たらうちらが不利になる」

「なら誰が月様の誇りを守るのだ! 勝った後で弁解するのか!? あの方の想いが万人に伝わるのを待つのか!? 今ここで守らなければ意味がないだろうが!」

 言い放つと張遼は悲痛な面持ちをして俯いてしまった。それでも、きっとこいつは止めてくるだろうから構わず続ける。

「ここで月様の誇りを守らなければ私たちは勝っても勝ちきれない! なぁ、張遼! あの方が貶められて、それを見過ごして、何が臣か!」

「せやけど負けてしもたら月さえ守れへん!」

「だからお前がいる!」

 私の言葉を聞いた張遼が息を飲み、心底驚いた顔をした。張遼は頭が悪くないから、きっと私の言っている事の全てを理解しただろう。

「お前は虎牢関に引け。私は月様の誇りを守る、お前と呂布は月様自体を守る」

 そうすればいい。こいつが虎牢関にいればいいんだ。呂布と張遼がいればまだいけるだろう。

「華雄、お前――」

「皆まで言うな。これは私のわがままだ」

 そうだ、我が兵達をも犠牲にすることになる。私の為にいつも命を賭けてくれるバカ共を道連れにしてまで私の忠義を貫き通したいというわがままだ。

「私はバカなんだ。わかってくれ」

 私の瞳を見て心を感じ取ってくれたのか張遼は少し微笑み普段の調子に戻った。

「はは、華雄はホンマにバカやなぁ」

 すまない張遼、素直に言えずに心の中で謝るが、

「まあ、こんなバカほっとけへんうちも大馬鹿もんや」

 続けられた言葉に一寸思考が止まる。

「おい、張遼――」

「黙って聞き、うちらがすることは下策や。ただ確かに譲れへんもんの為に戦わなあかん時もある。打って出るで」

 お前まで戦うのは……ダメだ。そう言おうとしてもビシリと人差し指を私の顔の前に立てられ、口を閉じるしかなかった。

「ただし! あのクソ女ぁぶちのめしたらさっさと虎牢関に一緒に引き上げる。倒しきれんと旗色悪くなっても一緒や。追撃に対する殿はうち。うちの二つ名、知っとるやろ?」

「……すまん。もし私に何かあったらお前は一人ででも虎牢関に引いてくれ。それと、ありがとう張遼」

 張遼まで巻き込んでしまった事に後悔の念が湧いたが、同時に自分のわがままに付き合ってくれる友に感謝と歓喜の想いも溢れる。

 もし、万が一私が取り残された時はお前だけでも生きてくれ。戦場では何が起こるか分からないのだから。

「わかった。その時はほってでも引くで。後で恨むなや。しかし華雄、水臭いわぁ。全部守って洛陽で美味い酒おごってくれたらええねん」

「約束しよう。どんな店でも連れていってやる」

 そう言ってにやりと笑ってみる。張遼もにへらと笑い返す。

「おっしゃ、ほな行くで。うちらの怒り、全部ぶつけたろやないか」

「おう! 華雄隊! 出撃準備をしろ! 私たち董卓軍を相手にすることの恐怖、刻み込んでやれ!」

 言い切ると兵達から怒号があがる。この言葉を待っていたと言わんばかりに。

「張遼隊! 半数だけ華雄隊の援護を主に戦え! 残り半分は関で待機! 出る奴らはいつも通りうちについてこい!」

 本当に頼りになる。ありがとう張遼。

 待っていろ張コウ、貴様だけは私が血祭りにあげてやる。

 大きな覚悟と怒りを胸に、私達は誇りを守る戦いに身を投じに向かった。




 出てくるか。

 関が慌ただしい雰囲気に包まれ、怒りの気が溢れているようだった。

「朱里、お前の読み通りか?」

「読み通りです。公孫賛様の軍なら張遼さんの部隊に対応できるでしょう。伝令はすでに出しました」

「俺はどうすればいい?」

「秋斗さんは張コウさんが引いてきた部隊をある程度で切ってください。逆側から星さんの部隊が同じ事をしてくれますから交差し向かいの軍と合流後、秋斗さんは中軍側、星さんは関側の兵に対応をお願いします」

「張遼が華雄の救出に突撃してきたら?」

「そのための星さんと愛紗さんです」

 張遼対策も万全というわけか。抜け目がないことで。

 俺達の軍での挑発は将にのみ。兵達の怒りを溜めさせるため。ここで出てくるとすれば華雄のみだったろう。

 所詮は弱小軍の戯言よと少し冷静さを取り戻したところで事を起こした張本人である袁紹軍からの挑発。

 弱くなった火に油をぶち込んだ。再燃した怒りは燃え広がり伝播する。大きさをまざまざと見せつけられ、兵達も抑えきれなくなる。

 極めつけは董卓へのあの罵倒。忠義の厚い将は耐えられるものではない。

 この小さな軍師は人の心も、戦場がどうなるかも全て予測しているのだろうか。

「さすがは朱里、味方でよかった」

 言いながら、先程から小刻みに震えている朱里の頭を撫でる。緊張と恐怖が少しでも和らぐように。

「はわわ! い、戦中に何を……」

「震えてるぞ。子犬みたいで可愛いけどな。お前たちは安心して指示を出してくれ。戦い守るのは……俺たちの仕事だ」

「……は、はい」

「頼りにしている、軍師様。じゃあ行ってくる」

 朱里がいってらっしゃいと言うと同時に関の門が開きはじめた。

 ここからは殺し合い。俺達クズの仕事場だ。




 うまく乗ってくれたみたい。夕の言では張遼も出てくるだろうとのこと。

「相手は賊軍、ただしとびっきりの上モノだ! 気合いれてかかりな!」

 さあ、劉備軍と公孫賛軍はうまく合わせてくれるか。

 戦端は開かれ、猛り狂った兵たちの声、肉と金属のぶつかる音がそこかしこで聞こえ始める。一応新兵ではないがあまり耐えられるものじゃないだろう。

 真っ先に戦場の合間を抜けて突撃してきた敵兵が一人見え、近づいて来たその首を自分の武器である大鎌の一振りで斬り飛ばし、

「はは、残念。無様だねー」

 笑いながら吹き出す鮮血を身体に浴びないように首の無い死体を蹴り倒す。

 死体が地に倒れた瞬間、自軍の兵が空を飛ぶのが見え、自分の部隊が分かれて道を作った。

「張コウ~~~!」

 なかなか速いじゃんか。しかもそこそこ強いのか。

「さっすが忠犬! 速い速い!」

「貴様だけは私が殺す!」

 怖いなぁ。そんな怒らなくていいじゃん。あたしが怒らせたんだけどさ。

「ばーか。やってみな、雑魚が」

 接近同時の単純な戦斧での大振り、予測していたモノより速いが軽く避けきる事が出来た。ちょっと痛めつけないと文醜には荷が重いかな。

 斧が振り切られた場所の地面が爆ぜ、鈍い音を轟かせて土が飛び散った。

 眼前に迫る土くれを鎌の一振りで払いのけ、返しの刃で反撃に移る――だが斧を素早く引きつけながらの振り上げで軽くいなされた。この女、意外とめんどくさい。

「貴様には誇りがないのか!」

「んなもんない……よ!」

 戦ってる時に喋るなようざったい、と思いながらも口には出さず、返答と同時に巻き込むように鎌を大振りする。

 しかしそれも弾かれ、反発する力に腕がギシリと軋む。華雄はすっと目を細めて斧を掲げ、

「そうか! ならばただ首を置いていけ!」

 さっきまでとは段違いな速さでの一撃を放ってきた。

「ぐっ!」

 あまりの速度変化に回避が間に合わず、馬鹿力の一撃を受けてしまった。地を蹴って少しでも衝撃を受け流すと自然と距離が開く。

 前言撤回だ、文醜だけじゃ勝てない。本気で戦ってもいいがあたしがここで縛られ続けるのも厳しい。

 もうちょっと時間かけたかったけどまあいっか。とりあえず作戦通りに。

「あーあ。あんたなんかに構ってらんないや。んじゃね。張コウ隊引けー!」

 出来るだけ弱く見せての撤退。こちらは本気で崩れ始めてるから相手は罠にかかる。

 引き始めると両軍が助けるように押し返して、さらには敵軍に矢が放たれ追撃が鈍った。

「逃げるな張コウ!」

「やだ、逃げる」

 華雄の怒号に対して振り返りながら舌をだして最後の挑発をしておいた。

 追ってこい。隊をつれて、他を蹴散らして。夕、時機は任せるよ。




 鍛え上げたはずの精兵たちでさえ振りなどでは無く実力で圧されていた。これが賊相手ではない兵同士による戦か。

「怖気づくな! 我らは寡兵なれど鍛え抜かれた精兵!」

 言い放って最前へと飛び出し、挙って私に向かい来た敵兵を偃月刀の横なぎで一息に斬り飛ばす。

「見よ! 所詮は賊兵! なんのことはあらん! 正義は我らにあり!」

 そのまま奮い立たせるために先頭に立つことにし、戦いはじめてすぐに後ろの兵達から雄叫びが上がり、士気が上昇したのが分かった。

 これでしばらくは持たせる事が出来るだろう。

 張コウはうまくやってくれた。しかしあの挑発には嫌悪しか浮かばない。

 いくら挑発とはいえ人の主を楽しみながら平然と貶めるなど……これではこちらは下卑た賊と同じに見られるのではないか。私たちは民のために立ち上がったというのに。

 戦端を開いた将の事を不快に思いながらも考えていると、敵後方から紺碧の張の旗が公孫賛軍に突撃していくのが見えた。

 あちらの軍は異民族との戦を長く経験してきた真の精兵、騎馬の扱いに長けている張遼が抑えるのは当たり前か。

 怒りで門を開けたにしては冷静だ。さすがは神速の張遼か。

 両軍は今、傾いている。張コウ隊を中心にして。さらに徐々に後ろに下がっていたためもうすぐその先端は袁紹軍に付きそうなほど。

 張遼隊の突撃接触と同時にこちらも公孫賛軍も一気に押し返し、その後そのまま鈴々の隊と並ぶまで戦場を維持し続けなければいけない。

 合流後、徐々に下がり、張コウか秋斗殿が華雄を討ち取る。間に合わなければ袁紹軍になだれ込み押し付けるという朱里と雛里の策、信じている。

「最前、引けっ!」

 号令後、すぐさま自分の隊の兵による急な後退で、敵は反応が追いつかず両軍の間に空白が出来た。

「槍部隊、突撃! 前方一面押し返せっ! 右翼は突撃兵をいなして流せ! 後陣には徐晃隊がいる、恐れるな!」

 槍を構えた兵達が後退を行う兵の隙間を縫って突撃し敵兵を押し返し始める。このまま続けさせて最右翼は私が行き、押し上げてみせる。そして――




 愛紗の隊は押し上げながらの後退に徐々に成功していた。公孫賛軍の方を見ると――さすがは白蓮、張遼の部隊相手に押し返していた。

 挟み込むように敵を押し込む俺の隊に忙しく指示を出している中、明と先程一瞬だけ目線が交差した。記憶に残っている緩い顔では無く、厳しい表情と真剣な目は何を伝えようとしていたのか。

 そういえば朱里も恐ろしかったが田豊、夕も大概だ。明の兵に随時補充を送り、挙句の果てに本陣を押し上げている。混戦のごたごたで華雄を討ち取らせるつもりなのだろう。

 隊に指示を出し戦場を見回していると、華雄とその親衛隊が駆け抜けて行く姿を捉えた。少し華雄の周りの士気が高すぎるな。

「朱里の伝令はまだか」

 横合いを突撃する指示を今か今かと焦れる心を抑え付けてただ待っていた。

 今は華雄の兵を少しでも減らすべきか、とも思ったが独断は徐晃隊をも巻き込む事になるため他に何か出来る事は無いかと別の思考に潜り、少しして一つの名案が浮かんだ。

 それを伝える為、後ろに控える義勇軍時代から追随してきている男を呼ぶ。

「副長」

「はっ」

「練兵の時の突撃の合図は全員染みついているな?」

「あの地獄の突撃練習は恐怖とともに我が隊には刻み込まれております」

「ならいい」

 徐晃隊を組むにあたって行った一つの訓練、それが全ての兵に染みついているのなら使える小細工だ。

「徐晃隊什長全てに伝えろ、対岸と合流と共に『鳴らす』から耳を澄ませ、とな」

「御意」

 対して期待はしていないが攪乱くらいにはなるだろう。味方でさえ惑わす可能性があるので星にだけは伝えなければならないか。

 少し考えに耽っていると朱里の隊から旗を振った合図が届いた。振り返り、自身の隊に大声で指示を放つ。

「徐晃隊、此れより敵横合いに突撃を行う! 真横から敵を食い破れ! いつも通りだ、俺に続けぇ!」

 言うが早く先頭をきって敵軍目掛けて全力で食い込む。流されるままだった敵達の抵抗は激しくはなかったのでそのまま徐晃隊を後ろに貫いていった。

 華雄さえ分断してしまえばこちらの策は一段階成功。

「押し広げろ! 半分までくれば趙雲の部隊が助けてくれる!」

 ただ前の敵をなぎ倒していく。兵達は左右に少しずつ押し広げていくが敵兵もやっとこちらの狙いに気付いたのか一気に抵抗が上がった。

 練度の高い兵ばかりだ。賊とは明らかに違う。だがいきなりの突撃に敵は混乱もしているようだ。

 抵抗に耐えそのまましばらく敵部隊を切り開き続けると視界の端に純白の趙旗が見えた。

 予想よりも早い、星の突破力は公孫軍でさらに磨かれたか。

「秋斗殿、お久しぶりですなぁ」

 突如、一羽の蝶がひらりと舞い降り、返り血に汚れた顔で笑いながら言った。戦場に似合っているようで似つかわしくない妖艶なその姿はただ美しかった。

 見惚れそうな頭を振り切り、隊に突撃を続けるよう指示して少し立ち止まり口を開く。

「星、少ししたらこちらで合図をする。その時は振り向かず全力で逆側を押し込み続けろ」

 一瞬不思議な顔をしたがすぐに公孫賛軍の士官に伝えてくれた。

「戦場でいたずらですかな?」

「そんなところだ」

「では楽しみにしておりますよ」

 他愛ない、戦場でするモノではないいつものようなやり取りを交わし、俺達はそれぞれが敵軍を切り裂いていった。




 部隊を引き連れ、突撃を続けているといつのまにか中軍に位置していたはずの袁紹軍が上がってきていた。劉備軍を犠牲に乱戦に持ち込むつもりか。

「将軍! 後方、分断されはじめています!」

「なんだと!? くそ、もう少しだったと言うのに!」

 張コウの隊はじりじりと減らしたが周りからの援護のせいで奴まで辿り着けなかった。このまま囲まれるのはまずい。

「仕方ない。張コウは諦めるか。張遼との約束もあるからな。全軍反転! 囲まれる前に引けぇっ! 殿は私と共に耐えろ!」

 こうなるとせめて少しでも隊の被害は抑えておかねばならない。くそ、連合のくせにここまで連携が出来るのか。

 舌打ちをしながら向かい来る敵を屠り、徐々に下がり始めることが出来そうだと考えたその時、戦場にはあまりに不釣り合いな音が鳴り響いた。




 公孫賛の軍がここまで精強だとは思わなかった。これは自分の失敗だ。

 気を取られ過ぎて華雄隊が分断され始めているのに気付けなかった。いや、うまく意識から逸らされていた。公孫賛と関靖の阿吽の連携はそれほどまでに脅威だったのだから。

 やっとこちらの一番部隊を引き連れて抜ける事が出来たので華雄の突撃していった中央に駆けて行く。

 道を穿てばまだ間に合う。華雄も気付いているだろう。

 思考していると軌道上に兵が飛んで来るのが見え、反射的に偃月刀の一振りで吹き飛ばしてしまった。

「……お前、邪魔すんなや」

 飛んできた方を見やると立ち塞がるは後ろで括った長い黒髪を風に棚引かせる一人の美女。

「我が名は関雲長。張遼、ここは通さん」

 名乗りを聞いて目を見開く。何故関羽がここにいるのか。右翼側の足止めのために精強な兵を集中していたので来れないと思っていたのに。

 関羽から溢れ出る闘気に身体が疼き、強者を求める武の血が騒ぐ。しかし今は構っている暇がない。

「一騎打ちしたいとこやけどなぁ。愛すべきバカ助けやなあかんねん。どけやぁ!」

 騎乗からの最速の一撃を放ち、受け止めた関羽を勢いのまま弾き飛ばす。しかし圧し下がっては行ったが倒れることは無かった。これが軍神か。自分の体が歓喜に打ち震えるのが分かった。

 関羽はこちらに睨みを聞かせながら口を開いた。

「私にも引けない理由がある。後ろには、傷つけてはいけない主もいるからな」

「ええなぁ、関羽。最っ高や! ほんならうちは通さんでええ。兵は……別やけどな!」

 手を挙げ一番隊に合図すると同時に周りの兵が騎馬で突撃を行う。華雄救出の道を作るために。

「なっ! 将を置き去りにするのか!?」

 兵に斬りかかりかけた関羽に自分が向かい、振り下ろされた偃月刀にこちらも振り上げで対処を行う。

「あんたは黙ってうちと楽しもうや! お前ら! 華雄助けて来い! それまでにこいつ倒して楽な道作っといたる!」

 まだ全体の戦況は五分五分、ならやりきって逃げるのみ。これは自分の部隊を信頼してこその行動だ。

 気合を一つ入れ、軍神と呼ばれる美女と無言で相対し、お互いに斬りかかろうとしたその時――――戦場に甲高い音が響いたのが聴こえた。




 特製の笛の音が戦場に鳴り響くと同時に最前列が敵に槍を突きだす。

 音の方に一瞬気を取られた兵から突き殺される。

 もう一度鳴らすと最前の兵は皆が同じ動きで下がりながら道を開ける。

 後方に構えていた次列の兵が間を縫って突撃し戸惑っている敵に止めを刺す。

 もう一度、さらにもう一度と同じ動作を機械的に繰り返し続ける。

 参列による一定面への波状突撃。

 統率のとれたその動きにより敵は徐々に後ろに流されていく。

 徐晃隊の訓練では倒れるまで繰り返させた。身体に染みつかせるために。

 そして倒れても繰り返した。反撃を喰らって誰か倒れても同じ動きが出来るようにと。

 命令伝達の簡略化、行動の単純化。

 戦場では声が完全に届くとは限らない。

 ならば聞きなれた、戦場で鳴るはずのない音に反応させればいい。本来は訓練での統率の為にしか使うつもりは無かったが、思いついたまましてみたら上手く行ったようだ。

 しかし今回は範囲が狭いからこそできるだけだ。広かったなら音が届かず動きに乱れが生じてしまう。

 幾分か続けると相手が圧されて趙雲隊との間に大きな空間が出来た。これで張遼隊が突撃してきても対応しやすくなっただろう。

 そのまま合図を繰り返していると一人の敵が突出してくるのが視界に映り、普通の突撃の合図を一つ、長く鳴らした。

「そのまま押し込み続けろ! 中央、道を開けろ! 華雄が来た! 俺が行く!」




 なんなのだあれは。

 我が兵が簡単に押し込まれている。一部の乱れもない完璧な攻撃によって。

 この音を出しているのはあいつか。あれを止めねばこのまま流されてやられてしまう。

「私が奴を倒し血路を開く! 全軍、修羅になりて周りの敵を蹴散らせぇ!」

 言うが早く駆けると、黒い衣服を纏ったモノが男だと気付いた。劉備軍の将ならば黒麒麟徐晃か。

「そこを通してもらうぞ徐晃!」

 その男も私に気付いたのかこちらに向かい駆けだした。

 接敵後、戦斧を袈裟に全力で振り降ろす。もはや様子見などしない。時間がないのだから。

 奴は剣をゆらりと頭の上に掲げ、剣ごときで受けるつもりと見えた。そのまま叩き折ってやろうと思った瞬間――目の前から奴が消えた。

 視界の端、自身の真下に徐晃の姿を捉え、咄嗟に斧から片手を放して相手の突き上げられた拳を受け止めたが、引きずられるように身体が浮く。

 そのまま奴は流れるような動作で次の行動に移っていた。

 斧を無理やり引き上げ刀身でギリギリ蹴りを防御するが、浮いた身体は衝撃を緩和することが出来ずにそのまま吹き飛ばされた。

「猛将華雄。投降しろ。お前じゃ俺は抜けない」

 たった一度の交差でこちらに勝った気でいるのか、徐晃はすっと目を細め、剣先をこちらに突き付けて言い放った。

「抜かせ賊将。私には待っている友がいる。守らなければいけない主がいる。意地でも抜かせてもらう」

 不可思議な動きに合わせるほうが不味い。ここは反撃もさせないよう攻め続けなければ。




「やれやれ。戦場で笛の音を聴くとは思いませんでしたぞ」

 彼の合図は敵味方どちらの意識も持って行った。戦場で笛の音が鳴るなど誰が予想する事が出来ようか。

 聞いていたからこそ私は迅速に動けたのもあった。飛び出した私を合図に味方の行動が良くなり、混乱し始めた敵兵の隙を突いてさらに押し込む事ができた。

 そのまま続けていると敵後方に騎馬隊が見えたが、張遼の姿は見当たらなかった。ふふ、騎馬の相手など腐るほどしてきた私達だ。張遼がいないのならなんのことはない。

「騎馬が来るぞ! 烏丸との戦を思い出せ! 奴等を相手にするつもりで当たるのだ!」

 異民族の騎馬の怖さは嫌と言うほど身に染みている兵達だ。その対処法も。

 そうか、これあるを見てのこの配置か! 恐ろしきは伏竜の先見か。

 ここで戦線を維持し、華雄を討ち取る時間を稼ぐ。愛紗が張遼の相手をしてくれているのだろう。引き際を見極めなければここで全て終わってしまうぞ張遼よ。




 何合互いの武器をぶつけ合ったのか。敵の戦線を見ても未だに崩れる気配がなく、華雄は戻ってこない。こちらも守勢に入られて抜くこともできない。

 連合の即席とは思えない連携にしてやられた。関からも距離が離され続けている。

 そんな中、部隊の一人が血相を抱えて戻って来て、

「将軍! 趙雲隊の猛攻が激しく抜けません! このままでは総崩れになります!」

 絶望的な報告を一つ。戦前の華雄の言葉が甦り、自分は一つの覚悟を決めた。

「第一部隊の撤退を指示! 最速でや!」

 聞いた瞬間は戸惑っていたが、自分の表情を見てどうにか命令を聞いてくれた。

 きっと味方の将を見捨てたと詰られるだろう。しかしここで引かなければ董卓軍は連合に敗北が確定してしまう。それだけはダメだ。

 渾身の一撃を放ち関羽との距離を取り、彼女に言葉を放つ。

「関羽、しまいや。董卓軍は負けるわけにいかへんのや」

「……行くがいい。我が隊は追撃に参加しない。他者の主をあれほど貶めて追撃まで行う。それは私の武人としての誇りが許せない」

 一瞬呆気に取られたが、その眼は真実を語っていた。現に関羽の隊は動こうとする気配もない。敵ながらその誇り高い心に感心してしまう。

 連合は意地汚い獣ばかりだと思っていたが、戦の分かるモノも多少は混じっているようだ。

「にゃはは、ええなぁ。あんたの事気に入ったわ。ほんならまた再戦しようや。今度は正々堂々、武人として」

「ああ、また会おう張遼」

 関羽に背を向け駆ける。第一部隊が戻ってくるのも確認できたので未だ戦っていた部隊の元へ行き、指示を伝える。

「張遼隊撤退や! 残った部隊も追撃に意識を置きつつ撤退! 虎牢関まで引け!」

 華雄、すまん。地獄で先に待っててくれ。うちも月を守って……いつかそのうち行く。




 慢心は無く、焦りがあるか。しかしながらもその武、見事なものよ。

 幾重もの戦斧を躱しきり、彼女の力を奪うように細かい傷をつけ続ける。

 ずっと戦場を駆け回っていた華雄と先程分断策を行うために突撃を行っただけの俺では体力の差がありすぎて一騎打ちもあっけないモノだった。

 長期戦になればなるほどこちらは有利。張遼も愛紗と星が抑えてくれているので問題は無い。

 俺にとっては華雄を投降させる事が第一であり、殺すつもりが無いからこそ時間を掛けている。桃香の成長の為にはこいつを生かして捕まえたい。

「張遼は抜けない」

「黙れ」

 何回目になるか分からないほど振られた戦斧を避け、そのまま斬りつけてまた細かい傷を一筋入れる。

「お前の兵も全部死ぬ」

「黙れ!」

 更なる反撃の一撃が俺に向かい来るが、あまりに単純すぎる。

「お前の負けだ」

「黙れぇぇぇぇ!」

 膝を抜いて躱し下段、上段の蹴りを放つと、二撃ともまともに当たり華雄は吹き飛ばされた。

 だが――驚くことにまだ膝をつかない。

「貴様に何が分かる!」

 憤怒の形相でこちらを睨み、華雄は語り始めた。

「あの方はただ一人天子様のために魔窟洛陽に行くことを決意されたのだ! 争いのない世のために! 自分が利用されるとわかっていてだ!」

 必死の、震える声で叫ぶ華雄を見ると嘘をついているようには思えなかった。やはり……こちらに正義はなかったか。いや、勝った方が正義になる。それだけのことか。

「貴様らなど賊と変わらんではないか! あんな優しい方を己が欲のために食らいつくす獣だ!」

 華雄の語りの途中に聞こえた一つの言葉に思考が落ちた。世界が壊れないためにと動く俺が――賊だと?

「劉備の理想も聞いたぞ! 偽善ではないか! 偽善でこの大陸が救えるか!」

 続けられた言葉も俺の心を押しつぶすには十分だった。抑えきれず、自分の心が抗うも、肯定している自分に嫌気がさし思わず話し始めてしまった。

「その通りだ。だが平和になるなら例え偽善でも貫き通し、大陸を救って見せる」

 自分が零した言葉も矛盾で彩られていた。俺は……俺にすら嘘をついているのか。

「ふざけるな! 貴様らの作った平和などいらない! 綺麗事の先の世など、そんなものに入るくらいなら死んだほうがマシだ! 徐晃、お前は気付いていながら劉備の元で戦っていたのか! 人殺しの偽善者め! 私の兵を、月様の幸せをよくも!」

 抑えきれない重圧がのしかかり、心が悲鳴を上げ始め、殺したものの怨嗟の声が脳髄に溢れ返った。

 その渦に呑み込まれ、俺のあらゆる感情は、一つを除いて凍りついた。たった一つ残った感情は――殺意だった。

「もう黙れ敗北者。お前に俺の何が分かる? 自分だけが正しいと思うなら、そう思ったままここで死ね」

 言葉と同時に最速の突きで華雄の胸を貫いた。

「がっ!」

 華雄は斧を落とし、膝が折れかけたが、驚くことに胸を貫いている剣を掴んで倒れなかった。

 そのまま前進し、ずぶずぶと胸をより深く突き刺されながら俺に近付き、胸倉を掴みあげ睨みつけられる。その瞳は深い憎しみに染まっていた。

 すぐに猛将は天を仰ぎ魂の叫びをあげた。

「我は華雄! 月様の一の臣なり! その誇りを守り、ここで逝く!」

 すっと顔を下げてこちらを向いた華雄は不敵に笑っていた。

「さらばだ偽善者徐晃。未来永劫呪われろ。乱世のハザマでのたれ死ね」

 そう言ってから盛大に血を吹き出し、不敵な笑みを携えたままこと切れた。剣を抜き、誇り高い猛将を横にさせる。

「敵将華雄、劉備軍が将、徐公明が討ち取った!」

 俺の声を聞いて周りから鬨の声が上がり始めるが、残りの華雄隊が死兵となって襲い掛かって来た。

 身体は勝手に反応して、近づく敵を薙ぎ払い、弾き飛ばす。

 それでも死力を尽くして俺だけに群がろうとしたが、周りの兵に背後から突き殺されていった。まさに地獄と呼ぶに相応しい状況だった。

 兵達の華雄への忠義はそれほどまでに深く、熱いモノだったということ。

 もはや賊相手の殲滅と変わらない戦いを続けていると、明の隊が敵陣を穿ち、周りを開けてくれる。

「いやー、やったね秋兄。お手柄じゃん」

 軽い言葉を掛けられ、漸く気付く。お前が仕組んだんだな。華雄と俺がぶつかるように。

「そうだな。助かったよ明」

 自分でも驚くほど冷たい声が漏れ出た。これが本当に俺の声か?

「……へぇ、甘いねぇ。覚悟は立派だけど、割り切らないともたないよ?」

「そうだな。俺は甘かったらしい。思い知ったよ」

 俺から何かを感じ取ったのか曖昧な言葉を投げかけてくる明。

 思いついたまま返すと、それを聞いてクスクスと笑い、耳元に口を近づけて囁いてきた。

「何かを守りたいならやりきりな。偽善者」

 瞳を合わせてにやりと笑ってくる。

 俺も合わせて笑ってみた。

「やりきるさ。俺の目的のために」


 そのまま戦場が落ち着いていき、勝利の空気があたりを包む。生きている事に安堵した兵が喜び叫ぶ声が耳を打った。

 歓喜の声が増えて行くのを聞いてから、まだ俺を見ている明に背を向け自軍の本陣へと脚を向ける。


 未だに耳に残る華雄の怨嗟の声は俺の頭の中でずっと繰り返し反芻されていた。



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