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理と欲と望みと




 医は仁。

 他者を思い遣る心がこれほど如実に現れるモノもないのではなかろうか。

 怪我人の手当て、病人の看護、老人の介護も……やはり助けたいと思う心があってこそ出来るモノである。

 街に出て列を為す人達は、熱気を発する男の元で笑顔を取り戻して行く。

 小さな病気も、大きな病気も、彼に掛かればお手のモノ。神医とまで呼ばれるその男の名は華佗。摩訶不思議な医術を持って病魔を退けるゴッドヴェイドォの伝道師。


「少女を蝕む悪しき病魔よっ! この俺様の手で貴様を駆逐してやるぜぃっ!」


 燃える炎の如きオーラを放つその姿はまさに異質。とても医者とは思えない所作に、初めは人々も戸惑っていた。


「我が身、我が鍼と一つなり! 一鍼同体! 全力全快! 必察必治癒……病魔覆滅っ!」


 神々しい光が眩く輝く。

 指の間に摘まんだ鍼から発されるその光も、彼が大声で叫ぶ必殺技のような掛け声もやはり何処かおかしい。

 しかし……しかしだ……


「げ・ん・き・に・な・れぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 その一刺し。たった一刺しが奇跡を起こす。

 お腹が痛かった少女も、腰を痛めて動けなかった老人も、余命幾許も無かった重病患者も……皆に笑顔が戻って行く。

 神技と言っていい程のその術に、人々はあらん限りの感謝を送った。暑苦しい言動や動作にも人々は慣れ始め、その奇跡に縋りつく。

 目の前に困っている人が居るのなら放っておけないのが華佗の性分でもあった。だから、彼は不意にぶらりと歩いた街の中で一人を助けてしまい、こんな状況に陥ってしまったわけである。


 そんな折、どうせこの街でも同じように人だかりが出来ているのだろうと理解していた蒲公英は、その場に走り寄り声を上げた。


「はいはいっ! 今日はこれまで! 華佗せんせーの治療は店じまいです! おしまいっ!」

「俺はまだやれるぞ蒲公英っ! 止めてくれるなっ! 俺は人々を救わなければいけないんだぁぁぁぁっ!」

「い、い、か、らっ!」


 テンションが振り切っている華佗は気合十分な声を上げるも、蒲公英が無理やりに腕を引っ張って連れ出して行く。

 なんともいえない表情で連れ去られていくも、手を振る子供達や感謝を述べる人々に手を振りながら、男くさく華佗は笑った。


「またなっ!」






 土煙を上げんばかりの速度で場を離れた二人。蒲公英が連れて行った先の団子屋の店先で……一人の少女が椅子に座っていた。

 憂いを帯びた瞳を浮かべて見やる表情には元気が無い。元気が無いのは華佗としても見過ごせない。しかし、彼女が誰かを知っているからこそ、華佗は言葉を選んだ。


「……初めに出会った時もそんな顔をしてたな。誰かを助けて欲しい奴は決まってそんな顔を見せるぞ」


 はっとした。目を見開く朱里を見据え、華佗は小さくため息を吐いた。


「何人も患者を診てきたんだ。君が助けて欲しい人を救うことで政治的な問題とかがあるんだろう?

 でも、ほんの少しでも助けになるのなら話を聞こう。心に巣食う病魔は絶望を好む。精神が病んでしまえばそれが大きな病に繋がることもあるんだぞ」


 ニッと男らしく笑う華佗を見て朱里が俯く。ぎゅうと自身を両腕で抱きしめ、彼女はか細い声を流した。


「記憶を……」

「……?」

「喪失した記憶を……戻すことは出来ますか?」


 街の喧騒に消えてしまいそうな声は、しっかりと華佗の耳に届く。

 切ない感情を孕ませた少女の想いを感じ取りながらも、華佗は眉を寄せて目を瞑る。


 記憶喪失の治療というのは、彼にとっても思っても見ない嘆願であった。

 数多の患者を治療してきた華佗とはいえど、記憶の喪失というのは出会ったことが無かった。神医とは言っても、万能ではないのだ。

 しかし、人を救う為に研鑽を積み、思考を繰り返してきた彼の辞書に諦観の文字は無い。

 これまで生きてきた中で吸収してきた知識を総動員して治療法を考える。幸いなことに脳髄の治療はしてきたし、大陸の外から脳髄に対しての知識も少ないながらも持っていた。さらには現代で言う精神医学的な知識も持っている。

 故に、彼は二つの予測を立てた。


「記憶喪失の患者と出会ったことは無いが……喪失に至った理由が分かれば治療することは出来るかもしれない。

 外的傷害によって喪失した記憶を戻すことは五分五分だ。脳髄が損傷しているとすれば記憶の喪失ではなく欠損の可能性もある。脳髄については難しい問題だからはっきりとは言えないがな」


 きゅっと朱里が手を握った。彼女にはその状況は分からないのだ。もしかしたら二度と戻らないかもしれない。そんな絶望が彼女の心を満たして行く。


「内的な要因……つまり精神的な苦痛や絶望によって記憶を封じてしまう例は聞いたことがある。

 耐えがたい絶望による心の崩壊を防ぐ為に、自己防衛として記憶を封じる。その場合だと記憶が戻る可能性は高い。脳髄が思い出すことを拒否している状態なわけだ。鍼で刺激を与え、脳髄を活性化させることで戻せるかもしれないな」


 バッと勢いよく顔を上げた朱里の目には涙が溜まっていた。

 言葉を紡ごうとしても上手く紡げない。廻る思考と、華佗の苦い表情が……問題点を明らかにしていた。


「ただしだ……その状態はいわゆる休んでいる状態なわけだから、無理やり記憶を呼び起こしてしまうとその時の絶望の負荷が心に圧しかかって廃人となってしまう可能性もある。

 心の崩壊は俺には止められない。事前に他の刺激を与えて偽りの安らぎを与えることくらいは出来るが、それで抑えられるかどうかは分からない。もしそれを容易く超える絶望を感じるのなら……俺にはどうしようもない」


 そんな、と朱里が声を漏らした。神医と呼ばれるモノでも危うい賭けとなるのだと、悲壮が心を染め上げる。

 記憶を失った原因は何か……朱里はここ数日で考え抜いた。


 彼女が立てた予測は一つ。

 狂信と言ってもよい程に桃香を信じていた彼が、桃香に信を向けられなかったことで絶望し、そのショックで記憶を失ったのではないかと。

 部下を切り捨て部下を無くし、友を切り捨て友を無くし、その果てにあったのが主からの不信……それでは壊れてもおかしくない、と朱里は思う。

 雛里が言っていたではないか……信じてあげれば良かったのに、と。

 それが全ての答え。彼はただ、皆に信じて欲しかったのだ。


 震える掌を握りしめる。どうすればいいのか分からなかった。

 きっと華佗を紹介すれば彼は記憶を取り戻そうとする。朱里は分かっていた。

 優しい彼が、雛里の絶望を取り払う為の賭けを恐れるはずがないと。


 しかしそれで壊れてしまったら? それで台無しになってしまったら?

 彼は死ぬのと同義になるのだ。愛しい彼は帰って来ずに、今の彼でさえ壊れてしまう。

 大切な彼を失うのが怖い。大切な彼が居なくなってしまうことが怖い。


 そう思えば、このままでもいいのではないかとさえ考えてしまう。

 記憶を失っているとは言っても、彼は昔のような彼のままで生きている。それなら、と。


 幾人もの少女達が悩んできた問題が朱里に圧しかかっていた。

 選択肢のハザマで揺れる彼女は華佗に依頼を掛けることが出来ない。


 喧騒が遠くに聴こえる。世界が切り離されたような空間の中……少女が一人、コトリ、とお茶を朱里の横に置いた。


「はい。白蓮さんが言ってたよ。焦ってる時こそお茶でも飲んで落ち着いた方がいいって」


 湯気のたつお茶を眺めて朱里の思考が止まる。奇しくもその行動は、愛しい彼が教えてくれたことだったから。


――あなたが教えて広めてくれたから……


 思いやりが伝わる。秋斗から白蓮へ。白蓮から蒲公英へ。そして蒲公英から朱里へと。

 連鎖して繋がってきた想いなのだと朱里は思った。同時に泣きそうになった。


 桃香の理想は、いつでも小さくとも叶えられているのだ。

 秋斗の想いは、今も世界の何処かに広がっているのだ。


 相容れぬと思われる二人の在り方は、どうしようもなく優しいだけの心を映している。同じなのに分かり合えない。それが哀しくて、でも同じであることが嬉しくて。


 それならば、と朱里は拳を握った。

 いつでも彼が言っていた。想いを繋げと。繋いだ想いの華を咲かせと。

 繋いで来た想いの華を失わせるわけにはいかない。それが例え、危険な賭けになろうとも。

 受けた優しさを返さなければ。与えてくれた想いを贈らなければ。


 せめて彼の望みを少しでも叶えたい……そう、朱里は願った。


 小さく唇を噛んで、彼女は心を決めた。見上げる瞳には決意の炎。信じることが彼の力。それならば、自分は可能性を信じよう。託すこともまた、人としての力なのだ。


「華佗さん、お願いがあります」



 ゆるりと流れる午後のこと。

 熱い想いを持った男は少女の願いを笑顔で聞き入れる。


 任せておけと自身の胸を叩いて、神医は己の信念に誓って救うと約束を結んだ。


 隣で話を聞きながら蒲公英は何も言えなかった。華佗が西涼の敵であろうと治療をする男だということは知っていたから、というのも一つ。朱里の悲哀に溢れる瞳に同情したというのも一つ。

 自分も着いて行くと言った目には、ほんの少しの怨嗟が燃えていた。












 †








 夕暮れが色濃く浮かび上がる逢魔が刻。急な来訪者は詠と秋斗の前に立っていた。

 まさかこんなに呆気なく出会えるとは思わなかった人物……“神医”華佗。そして助手の少女が一人。

 とりあえずとお茶を出したのはいいモノの、此処に来たということは記憶喪失の事が関係しているのは明白であろう。

 何処から漏れたのか、とまず訝しんだのは詠。しかし助手と名乗る少女に何故か既視感を感じて……思い至る。


――この子……馬超に雰囲気が似てる。もしかして西涼からの密使?


 連合戦では、洛陽の城壁の上から俯瞰していたのだ。思い出せばいろいろとイトが繋がって行く。

 そろそろ何かしらのアクションを起こして来るとは考えていたが、まさか使者に華佗をやるとは思わなかった。

 聞きたいことは山ほどあるが……とりあえずは此処に華佗が来た原因が何かは分かった。


――朱里か。たまたま使者として華佗が来たから罪悪感に耐えられずその事実を漏らしたってわけね。


 願っても無い。月と詠の第一目的である華佗との邂逅は果たせたわけである。記憶が戻る可能性は自分で確認しているのだから、もしかしたら神医の力ならば治せるやもと期待してしまうのも詮なきかな。

 機密事項がばれているのはこの際目を瞑ることにする。どうせいつかはばれることだ。戻っているのかいないのかと悩ませることすら策に出来るのだし、この好機をまずは逃すまいと詠は気を引き締めた。


「突然の来訪に茶菓子まで出して貰い感謝する」

「華佗、って言ったかしら? 要件を聞こうじゃないの」

「そこに患者が居るのなら俺は治したい。目の前の救える人を見捨てることは出来ない。救ってほしいと願われたら救わずに居られない。だから此処に来た」


 まるで秋斗のような考えだ、と詠は思った。同時に桃香のようだ、とも。


「へぇ……さすがは医者か。んじゃあ戯れに問いたいんだがいいかな?」


 楽しげな声を紡いだ彼が口の端を吊り上げる。何を……というより速く、彼は質問を華佗に投げかけた。


「お前さんが救いたいと望んだ相手がこれから先に大量の人間を殺すって分かってても、お前さんは救うのかね?」


 救いたいと願う尊き想いを否定するような質問に、詠は眉根を寄せる。

 それは彼が徐晃隊に言い聞かせるような侵略者の理論。はたまた、彼や華琳が理解した上で敵を踏み潰している行いそのモノに対しての問いかけ。

 ああそうか、と遅れて気付く。


――秋斗は華佗を……値踏みしてるんだ。


 神医とまで呼ばれるモノを、彼が欲しがらないはずはない。

 医学の発展は間違いなく国益となる。疫病の抑制はこの時代において大きな問題点。医学に従事するモノが少ないというのも原因の一つであった。

 故に、彼は華佗を推しはかる。彼自身の信念を問いかけることによって。


 じっと秋斗の眼を見つめる華佗には不快さは無い。煌々と輝く意思を宿した瞳には、炎が燃えていた。


「愚問だな、黒麒麟」


 呆れともとれる声音は力強く、揺るぎない。


「俺の患者に善悪なんかない。俺はただ、目の前の人を救うだけだ。救いを求める声に応えるだけだ。掬える命を掬い上げるだけだ。喘ぐ苦しみを打ち消すだけだ。

 俺は正義の味方じゃない。人の命を救い、病魔を滅する……医者なんだよ」


 苦悩があったのだろうと分かる目。渦巻く感情は、きっと絶望と希望。人が人を殺す世を憂いて、それでも人を救うことを選んだ。

 人の本質を知りながらも、華佗は己の“目の前の人を救いたい”という欲を推し通しているということ。それはまるで、華琳や秋斗、そして桃香のように。

 小さく苦笑した秋斗は喉を鳴らす。結ばれた視線をそっと外した。


「そうか、つまらんことを聞いた。なるほどなるほど……確かにお前さんは生粋の医者なようだ。

 お前さんの元患者がどんな行いをするか、そしてそれをどうするかは政治屋の責任だわな。悪かった」


 責任転嫁であったと彼は謝罪を一つ。

 元患者が大量虐殺を行うとしても、それは華佗の責任にはならない。止められないのは為政者の責任である。

 話を変えよう、と彼は視線を戻した。もはや聞きたいことは無かった。


「問診が最初か?」

「ああ、まずは喪失の状況を聞きたい。後は本人に確認事項がいくつか」

「この子に記憶喪失前後の状況は聞いてくれ。現状と本人の自覚症状はその後で話そうかね」

「ああ。ただし状況確認は荀攸殿と、本人確認や治療は黒麒麟との一対一で行う」


 別々で、と言われて詠は華佗を睨んだ。


「なんでよ?」

「他の人には聞かれたくないような質問もするからだ。状況確認は別にいいが本人確認だけは絶対に二人きりでさせてもらう」


 何処か引っ掛かりを覚えながらもその圧力に圧される。静かに目を閉じた詠は、小さく首を頷けた。


「分かった。じゃあ先にボクからあの時のこと話すわ。でも……」


 すっと目線を後ろの少女に向けて、冷たい声を流した。


「助手の同席は無しでお願いね」

「いいだろう。承知した」


 ビクリと肩を震わせた蒲公英。華佗は仕方なしと首を振る。ゆるりと立ち上がった秋斗は天幕の外へと歩みを進め始めた。


「えーりん、終わったら華佗先生を俺の天幕に案内してくれ」

「ん、了解。この子はどうする?」

「猪々子を呼んでおくよ。多分、実力的には同じくらいだと思うから。そうだろ、馬家の武官さん?」


 横を抜け際に発された声は楽しげで、下から睨み上げる憎しみの籠った瞳を飄々と受け流す。

 口元を歪ませた彼は視線を合わせようともせずに通り過ぎた。


「憎しみを持ってるのがお前だけだと思うなよ? お前んとこの主が奪った幸せも確かにあったんだから。俺達はその清算をしに行くに過ぎない」


 激情に支配されそうになった心をどうにか抑え付ける。

 蒲公英の中には、先日謁見に来た儚げな侍女の姿が浮かんでいた。芽生えている疑念はある。正義感が強いからこそ、自分達に対する欺瞞にやるせなさを感じてしまう。

 そんな彼女の空気を見抜いてか知らずか、彼は去り際、小さく笑った。


「迷うなよ。迷ったら俺らに喰われるだけだ。絶対に譲れない誇りがあるのなら、気高い心のままに戦えばいい。曹操軍はそういう奴等との戦いを求めてる。

 まあ、ソレとは別の大バカ者どもと戦いたいってんなら……戦場で会えるのを楽しみにしてるよ、武官さん」


 バサリ……閉じられる天幕の入り口を三者三様の眼が見つめていた。

 詠は普段通りの呆れのため息を零しながら。

 蒲公英は困惑したような表情で固まったまま。


 華佗は……苦々しげに、怯えを孕ませながら。







 †







 記憶喪失の状況を確認し、秋斗の天幕を訪れた華佗。

 迎えた秋斗は脚を組んで椅子に座りながらお茶を嗜んでいた。

 緩い空気に気の抜けた表情は先ほどまでとはまるで違うように感じながらも、華佗は促されるままに椅子に腰を下ろす。

 コポコポと湯飲みにお茶が注がれる。香りの良い緑茶は精神を和らげる効果がある。


「緑茶か」

「緑茶の成分は心の鎮静作用を僅かに含んでいるらしい。殺菌消毒……あー、怪我の悪化を防ぐことも出来るんだが、やっぱお前さんなら知ってるかね」

「まあ、な。しかし武将のあんたが知ってることこそ異常だと思う」

「クク、それもそうだ。旅をしてきた時の名残でさ、一応は色んな知識を持ってんだ……お前さんが求めるような医学の知識も少しはある。例えば……目には見えない病気の元の存在とソレへの簡易な対処法、とかな」


 一寸目を見開いた華佗は、食い入るように彼の眼を覗き込む。


「別に情報の対価に交換条件を出すつもりもない。治療の対価ってことで受け取っておいてくれ。詳しくは後で教えよう」


 まずは何をするべきか、彼が示したのはそういうこと。

 あくまで華佗は朱里に頼まれて彼の記憶喪失を治す為に来たのだ。医者として今回の目的を穿き違えてはならない。

 一口緑茶を口に含み、華佗は大きく息を吐き出してから口を開いた。


「荀攸殿から聞いたが、あんたの記憶喪失は外傷的なモノではなくて精神的なモノで間違いない。それなら治療は出来るかもしれない。

 氣を鍼で送り込み、脳髄と魂魄に刺激を与えて本来の記憶を取り戻すきっかけにはなるだろう。あくまで可能性であって確実じゃないのは分かってくれ」


 華佗の説明を聞いて、秋斗の表情が驚きに変わる。


「魂魄への、刺激?」

「ああ、俺のゴッドヴェイドォは鍼と氣による治療なんだ。鍼で人体の治癒力を活性化させることを基礎として、病魔を氣の力で弱体化させることも出来る。

 氣は魂とも繋がりが深い。記憶もそうだ。脳髄にも刻まれるが、魂にも記憶は刻まれると聞いたことがある。だから多分俺の鍼なら、最近戻りかけたと聞くあんたの記憶を戻すきっかけになるかもしれない」


 現代で言えば有り得ない話。しかし氣という概念を凪の技で既に知っていた彼としては、華佗の理論をなるほどと理解するしかない。

 それにだ。

 彼は魂の記憶理論に関して明確に是と答えることが出来る。あの腹黒少女とのやり取りは、間違いなく魂だけでしか行っていなかったから。


「へぇ……んじゃあ、頼んだ。記憶が戻るならなんにでも縋るつもりだったんでね。今更怯えることもない。少ない可能性であっても俺は賭けるよ」

「いや、ダメなんだ」


 突然返されたのは拒否の言。何故か分からずに首を傾げる秋斗の前で、華佗は僅かな恐怖を滲ませて冷や汗を一滴垂らした。


「俺は特殊な目を持ってる。病魔を見抜く目を。人の氣の流れも見抜けるし、“人ならざるモノの氣”も感じ取ることが出来る。だから……この治療が失敗に終わるって、分かった」


 説明されていく言葉の意味は分からない。秋斗は耳を傾けるだけしか出来なかった。

 そんな彼に向けて、華佗はゴクリと生唾を飲み込み……ギシリと歯を噛みならす。


「あんたは……存在自体が異常だ。

 この世界から乖離されそうな魂を無理やり何かの糸で縛り上げ、本来は有り得ない力を鳥の骨のような何かから引き出している。

 人としての魂の在り方じゃない。言うなればあんたの存在は、この世界の理から外れてる。この世界にその魂が留まっていることこそが奇跡なんだ」


 すっと秋斗の目が細まった。

 華佗が何故、詠を除いて二人きりを望んだのか……その理由が語られる。


 一度死んだ人間が甦り、あまつさえ別の世界の住人となっているなど通常は有り得ない事だ。しかも常人とはかけ離れた武力まで手に入れている。

 間違いなくあの腹黒がナニカシタのだろうと至り、内心で自嘲の笑みを零した。


「……へぇ」

「気分を害したなら謝る。だが……俺は医者だ。患者の身体状況を正しく診る必要がある。だから偽りなく答えて欲しい。あんたは……本当に人間か?」


 真剣な目で答えを待つ華佗から視線は外さない。痛いほどの沈黙が場を包んだ。

 話していいかどうか。今まで誰一人として自分の存在の真実を明かしたことなど無い。世界全てを騙すペテン師として、ずっと黙ってきたのだから。

 やがて諦めたように、秋斗は首を左右に振った。


「そうさな……人かどうかなんざ俺には分からん。答える事が出来る質問には答えよう。俺の魂がどうしてこの世界に留まっていられるかの疑問にも……絶対に他言しないってんなら話そうか」


 天秤が傾いたのは、やはり記憶の復元に対して。

 この短い時間で華佗の人となりは少し分かった。心の芯まで医者らしい彼ならば、きっと患者の個人的な情報をどこにもばらさないと思えた。


「約束しよう。誰にも口外しない。患者の秘密は守るのが医者だからな」


 ゴクリと生唾を飲み込んだ華佗に微笑んで、彼はゆっくりと口を開く。


「世迷い言と思うかもしれない。妄想だと笑われても仕方ない。有り得ないと一笑に伏してくれても構わん。俺も自分に起きていることを全部理解してるわけじゃない。だが……お前さんに全てを委ねるよ、華佗」


 遥か昔の出来事のような白の世界を思い出す。

 少女の見た目なのに抗えない存在が思い出される。

 ずっとずっと誰にも明かせなかった秘密を、遂に彼は語り始めた。


「まず初めに……俺はこの世界の人間じゃないんだ。そして既に一回死んだことがある」


















 †





 白の世界の中心で一人の少女がモニターを見やる。思惑から外れた邂逅に舌打ちが一つ鳴り響く。

 輝く鍼を受け入れる秋斗と、必死の表情で施術に取り込む華佗が其処には映し出されていた。


「道術は世界側の理。さすがに私の頸を取り除くことは出来ませんけど……存在定着率の低下は避けられない」


 カタカタとキーボードを鳴らして打ち込む文字の列。しかしやはり、彼への介入は不可能だった。

 小さくため息が漏れ出る。頭を抱えたくなるも、どうにか項垂れるだけで我慢出来た。


「……最悪の場合、巻き戻された記憶にまで影響を与えてしまいます。黒麒麟だけならまだいいですけど……“黒雀蜂”や“黒龍”の時の記憶まで復元されたらどうなるか私にもわかりませんよ」


 切り替わったモニターの中に移されたのは過去の映像であった。

 袁家と共に生きた紅揚羽の相棒と、悪龍の遺志を継いだ世界の敵。

 悪徳に染まった彼が駆けた乱世には甚大な被害が齎されるだけで救いなどなく、欲望と絶望の底で彼は最後に笑っていた。


「愛し合ったモノと刃を交えなければならず、誰も覚えていない事実に打ちひしがれ、共に目指した未来をたった一つ以外全て切り捨てて……それでも、お前は世界を変えようと思えますか?」


 何も無い天を仰いで、彼女は寂寥の吐息を吐き出した。


 あまりに絶望の多い彼を想って。

 あまりに残酷な世界を厭いて。


「全ては選んだ選択肢次第ですよ。

 でも……やっぱり最後にお前は……笑うんでしょうね」


 彼女にも、もはやこの事象の未来がどうなるか分からなかった。

 ただ一つだけ分かることは、全ての事象の終着と同じように、彼が笑顔を浮かべて最後を迎えるだろうことだけであった。





読んで頂きありがとうございます。


華佗の回はこれで終了。

結果は後々にでも。絶望フラグ乱立中。


次は益州での戦のお話


ではまた

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