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気付く不和の芽、気付かぬ不調

 同盟は保留、とは言ってもやはり困っている人を見ると手を差し伸べたくなる性分を持っているらしく、赤い髪を揺らして馬に跨る一人の王は今日も慣れない大地を駆けていた。

 朱里とて当初の予定では此処まで長居するつもりもなかった。しかし白馬の王がどうしてもと言うので、これもまた平和への必要項目だと呑み込んだ。

 孫呉の迷惑ではないか、と冥琳に聞いたこともあった。返答は意地の悪い笑顔でこういった事を告げられるだけであった。


“構わんぞ。その分、我らの街は発展の為の力を得られるのだろう? 此れが同盟の前振りだというのなら、な?”


 恩はあるが朱里達の狙いを念頭に置くのなら早い内に手は打って置いた方がいいのも事実。

 その点を鋭く突く冥琳は、朱里から劉備軍が行う予定の政策の数々を引き出したりとただでは転ばない。 

 相対するのは覇王の作り上げる国だ。当然、手を組む国は強い方がいいに決まっている。

 等価交換を無視した桃香の遣り方を推して行く以上、朱里には冥琳の言い分を否定することも出来ない。


 白蓮と共に来たのはいい事ばかりではないのだ。

 信頼を得られるのなら安いモノだと冥琳に進んで語って聞かすし、彼女に出来ることならと些細なことでも力になろうとする。

 それではダメだと思っても、敢えて朱里は止めなかった。

 自国の利を考える軍師としては頭を抱えたくなる問題だったが……朱里の心は何処か澄んでいた。




 今日も白蓮と小蓮が街と街を繋いで回っている。仲睦まじきは良きことかなと碁盤の前で、朱里はお茶を啜りながらほうと息を吐いた。

 まじまじと盤面を見やる孫呉にしては色白の少女は、モノクルをクイと上げて長い事唸っていた。そして……


「ま、参りましたぁ~」


 カラカラと黒の石を石入れに戻した後、袖で顔を覆って少女らしい声を上げる。

 顎に指を当てて難しい顔をしていた隣の美女――冥琳は眼鏡を上げた。


「早い内に敗北を読めるのも成長した証だな、亞莎」

「でも、一回も勝てないなんて……」

「後手に回り始めると深読みしすぎるのがお前の悪いクセだ。ほら……この石が後々まで響いただろう?」

「そ、其処はそう置くしかないかと……」

「違うな。此処はな……他を捨ててでも此方を取っておくべきだった」

「あ……」


 ふっと誇らしげな笑みを浮かべて、冥琳は盤上の時を戻して行く。十数手前の盤上が出来上がり、慎ましやかに座る朱里は彼女の美麗な手を眺めながら、にっこりとほほ笑んだ。


「そうですね。でも私はこう動かしましたよ?」

「ほう……」


 パチリ、パチリと再び石が並んでいく。今度はより苛烈に、より繊細に。

 亞莎は二人の打ち手の力量を盤上から読み取って、ゴクリと生唾を呑み込んだ。

 昼下がりに静かな時が流れて行く。二人の軍師が、穏やかな場所に戦を作り上げながら。


「む……」


 幾重、ぴたりと冥琳が止まる。

 先程よりも勝敗の分かり得ない碁盤の上で、勝負は最後に並べ直して分かると亞莎が考えていた直後のこと。


「一目半、ですね?」

「……そのようだ」

「えっ……えぇっ?」


 それほど細かかった勝負を、二人の軍師は数手残して読み切った。それもまた力量故に。

 後は消化試合だと言わんばかりに朱里が冥琳の代わりに石を並べ、冥琳も黙ってそれを見ていた。

 勝敗は彼女達の言う通り、冥琳の負けであった。


「ありがとうございました」

「いや、こちらこそ。久しぶりにいい碁が打てた」


 すっと差し出された手を握り合って、彼女達は笑う。穏やかながらも何処か気の置けないような空気を出しながら。


「まさか亞莎との碁を見ていたのに負けるとはな」

「いえ、私もまさかあれから此処まで持って行かれるとは思ってもいませんでした」

「道筋を覆せたようで何より、しかし……さすがは伏竜、と言うべきか」

「では私も、さすがは猛虎と」


 感嘆の吐息を吐き出して、亞莎は盤上を未だに見やる。自分では作り得ない戦絵図が其処にある。つまりは……彼女達にはまだ届いていないということ。

 ハッと気づくと胸に湧く悔しさが湧いてくる。持つ者達に嫉妬もする。だがそれよりも、不甲斐無い自身に憤る。


「思考訓練にはいいですけど所詮は盤上の遊戯ですよ、呂蒙さん。本物の戦はもっと不可測に満ちていて、たった一手で戦況が引っくり返ることも有り得るんですから」

「それは……そうですが……」


 しょんぼりと落ち込んだ。長い服の袖が肩につられて可愛く垂れる。その様子が愛らしくて、朱里も冥琳もクスクスと小さく笑う。


「ふ……こんなちっぽけな盤上では戦は表現しきれない。そんなに落ち込むなよ、亞莎。お前は……」


 一寸だけ言っていいモノかと悩んだが、朱里が目を瞑って頷いたのを横目で見て、冥琳は一つ息を落とした後、言葉を続けた。


「……黒麒麟との戦で絵図を遣り遂げただろう? だから胸を張れ」

「っ……はい……」


 あの時、あの徐州で、一番の狙いは叶わなくとも、必要なモノは全て抑えた。

 彼女が提案した戦絵図の通りにことが進み、例え黒麒麟がわざと見逃したとしても、利は確かに得たのだ。

 静かに、また朱里がお茶を啜った。


「……次の手はなんでしょうね?」

「……?」


 桜色の唇から零れた言葉に、二人は首を傾げた。

 目に入った朱里の表情は、うっとりと頬を染め上げ、愛しきモノを待つかのよう。

 冥琳も亞莎も言葉を失った。


「その次の手は? その次、その次は? 一つ一つと積み上げて、彼には何かが見えているのでしょうか?」


 ぞっとする。少女というには余りに妖艶過ぎる。

 敵になったモノを愛しく語る彼女に、二人は恐怖を覚えていた。


 震える手で、朱里は自分の身体を抱き締める。落ちる吐息は熱くて甘い。

 彼女は彼の事が怖ろしくて恐ろしくて……そして何より愛おしい。


「分からないから恐ろしい。分からないから理解したい。教えてくれないあの人は、いつだって自分勝手に進んで行く。

 どうして、自分とは全く違う大徳に仕えていたんでしょう……どうして……偽りの大徳になんてなったんだろう……あなた達には、分かりますか?」


 そっと唇を撫でてみた。いつしか甘いモノを貰えると信じて。

 先に手に入れているだろう親友から……奪い取ると知っていて。


「……分からんな。何が言いたい、諸葛亮?」

「はい、私にもわかりません。でもあなた達があの人を語るから……」


 紅い瞳が燃えていた。視線が紡がれた先、紅い瞳が燃えていた。

 妄執とも呼ぶべき感情の籠ったその瞳を覗き込んだ冥琳の表情は険しく、それでも彼女は視線を外さない。

 朱里は……そっと口を引き裂いた。まるであの龍のように。


「ちょっと意地悪したくなっただけ、ですよ?」


 胸を焦がす炎を抑え切れない。知識のケモノが喚いて吠える。どれだけ願っても会えない。どれだけ願っても側に寄れない。

 彼女の身を焼いているのは嫉妬の炎。

 知ったように話す二人には向けない。ずっとずっと傍に居続けた鳳凰にこそ、彼女の内のケモノは吠えている。


――ねぇ……雛里ちゃんなら……当然対応してくるよね?


 使えるカードは色が違う。切れる状況もよろしくない。それでも勝たなければ何も手に入らない。

 考えて考えて、彼女はこの孫呉を救うことにした。悪龍によって半分以上喰らわれるはずだった大地を救い、先の為にと力を与えた。

 これでいい、これでいい。

 共に居たからこそ分かる敵の能力を見誤らず、全てを整えて挑まなければならない。敵は覇王。それも黒麒麟と鳳凰が味方に付いた最悪の敵。


 今目の前にいる二人の智者ではまだ足りない。朱里はそう思う。

 自分の方が上だなどと傲慢なことは考えていないが、敵がどんなモノかを知っていれば不足分が見えてくる。


――孫呉は致命的な問題を抱えている。それは私達がどうこう出来るようなモノではない。揚州と荊州の衝突はその問題への注意程度にはなったけど……根本的な改善には至らない。


 外から集めた情報と、中に入ってみて分かった情報の二つ。合わせて思考を巡らせば答えが出た。


――軍師周公瑾に対する王や部下達が向ける強い信頼は武器であり、弱点。換えの効かないただ一人の頭脳を失うと、孫呉は大きな選択肢を選ばなければならなくなった時に判断を誤るだろう。

 何より“人に選ばせるあの人”が、この弱点を突かないわけがない。


 それは確信。

 どう攻め崩すかと考え抜いて思い付いた……兵法にもあるように、敵を知り、己を知らば百戦危うからずとそのまま思考して気付いた同盟国の致命的な問題。

 驚異的な勘の的中率を誇る雪蓮が戦場で死の寸前まで陥った。そのことからも分かるように、常識はずれの勘ばかりに頼ってはならないのだ。

 あの時に雪蓮を失っていれば劉備軍を頼らざるを得なかったであろう孫呉は、確実にその力を大きく削がれていたに違いない。

 次は如何か。その次は、そのまた次はどうなる?

 今回は白蓮の嗅覚があったから助かった。朱里は分かっていて放置したが……それは捨て置こう。

 冥琳の頭脳があってさえ危うかったというのに、その頭脳を欠いた状態で覇王の軍と相対するなど無謀に過ぎる。

 その事に冥琳は危機感を持ってはいても、圧倒的に時間や経験が足りないのだ。


――曹操軍の怖ろしい頭脳集団に対抗しきれるかどうか……周瑜さんと私の関係が最重要になってくる。


 だからこそ、朱里達がその弱点を補わなければならない。

 悪龍の残した虎への鎖は深く食い込んでいる。全ては伏したる龍の手に渡された。


 少し悪くなった空気を晴らそうと碁盤を片付け始めた二人を見つめながら、朱里は一つだけ落ちていた碁石を手に取った。

 黒だった。盤外に落ちていた一つ。それが何処か彼のように思えて、彼女は優しく優しく包み込む。


――嗚呼……


 トクンと跳ねる鼓動と、背筋を駆け巡るいいようのない不安。

 曹操軍だけでも厄介であるのに、彼女の読みを容易く飛び越える黒が敵。それが愛おしく、恐ろしい。


――何か……絶対に何かしてくる。私がこうしてる間に、彼は全てを捻じ曲げるような手を打ってくる。


 漠然とした予感が頭に浮かび、また思考に深く潜った。

 焦りはない。ただ自らの欲求の赴くままに深く、深くと。


 そんな彼女の願いを天が聞いたかのように、軍師達の場へと一人の男が駆け込んできた。

 疑問を浮かべる亞莎と、鋭く目を細めた冥琳と……歓喜と不安を混ぜ込んだ朱里。


 三人の前で膝を折った男が汗も拭わず口にした言葉は、彼女達に更なる思考を積ませる急な報せであった。



「……益州からの急使です。諸葛孔明、公孫伯珪の両名は直ちに益州へと戻られたし。荀攸と黒麒麟の来訪によりて益州に混乱の予兆あり……と。五千の護衛兵を連れて使者として訪れているそうですが、詳細はこちらに……」


 手紙を受け取ることなくポトリと地面に落ちた碁石。震える身体と上気する頬。腰に据えてあった白羽扇に手を当てた。

 幼子の見た目であるのに妖艶過ぎる顔で……朱里は笑った。


――あなたはやっぱりいつも通りに私の策を越えて行く。でも……


 願いは一つ胸の中。ジクリと痛む後悔を留めて、彼女は小さく息を吐いた。甘い甘い、蕩けそうな恋の吐息を。


――私の目の前に来るというのなら……絶対に逃がしませんよ、秋斗さん。


 紅の瞳の中には、昏い色が揺れていた。


――例え、何を犠牲にしてでも。






 †





 朱里の行動は早かった。

 益州からの連絡が届いて直ぐに、復興と強化に必要な事を書簡として残して呉を発った。白蓮に絶対の忠を誓う白馬義従と……孫呉の弓腰姫を引き連れて。


 蓮華を筆頭に、穏、亞莎、明命、思春が反対していたが、雪蓮と祭と冥琳の年長組は小蓮の小さな背を推した。

 当然のことながら反対していた者達は理由を尋ねたが、三人が三人とも答えは教えなかった。

 しまいに雪蓮が王の決断として命じた為、彼女達もしぶしぶといった様子で小蓮を見送ったのだが。


 時は夜。

 件の三人は机を囲む。ようやっと落ち着いてきた前の戦での戦後処理の疲れを癒す為、そして小蓮の旅の無事を祈る為に。

 手に持った杯に注がれた酒は少しばかり値が高い。嬉しそうに喉に流す雪蓮と祭は、普段よりもペースを落としてその酒を楽しんでいた。


「過保護じゃのう、権殿は」

「あの子の良い所でもあるんだけど……やっぱり心配し過ぎよねぇ」

「それでいて袁家との戦のことが頭にあるから昔のようにも接せない、か」


 彼女達の口に上がるは孫呉の姫君。小蓮と蓮華の確執は、目に見えなくともやはり深い。小蓮が少し変わったとは言っても、蓮華自身が呑み込めていない部分があり、それが関係改善に対する悪循環を生み出していた。

 前よりはマシになった。それでも、この三人にとっては違うと感じるらしい。

 グビリと一息。おかわりを継ぎ足しながら祭が笑う。


「くくっ、儂はまあ、単純に経験を積ませたいから賛同したんじゃがな」

「同感。白蓮のこと好いてるみたいだし、部隊指揮とか政治のあれこれを沢山学んで来てくれることを願うわ」

「雪蓮、この三人だけなら話してもいいだろう。確かに経験を積んで頂くのも狙いの一つだが……私と雪蓮の本当の狙いは別にある」

「本当の狙い?」


 冥琳の答えに眉が寄る。苦笑を零して酒を煽った雪蓮を見て、蓮華には言い辛いことだと祭は直ぐに分かった。


「祭……シャオにはね、劉備軍に絆を作って貰うのよ」

「ほう、同盟は保留にしておいてか?」

「その為の保留、その為の時間稼ぎ……ということ」


 謎を呼ぶ言い草に今度は首を傾げた。


「訳がわからんぞ」

「簡単よ。曹操と敵対確定の劉備に対して胸襟を開くってこと。孫呉の後継を連れ添わせるっていうのは、あっちにとったら人質を取ってるのと同じことだもん」

「な……」


 絶句。

 なんでもないことのように語られた雪蓮の言葉に、祭は言葉を失った。数瞬、拳がギシリと握りしめられる。


「……それが、何を意味しておるのか分かっておるか?」

「ええ、分かってるわ。私達がしたことは袁家と何も変わらないってね」


 そんな祭の拳の上に、雪蓮はそっと掌を乗せた。じっと瞳を覗く深い海のような眼の奥底には、冷たい輝きが在った。


「これは数年単位の策じゃないの。

 目の前の曹操だけが敵ではなくて、例え盟を結ぶにしても手は打っておかなきゃダメ。おいそれと手を結ぶわけにはいかないでしょう?」

「じゃがそれでは……小蓮様があまりに……」


 歯を噛みしめて、苦しそうに言葉を紡いだ。

 長く長く人質として暮らしてきた小蓮が、今度は身内の方からそう扱われる。それはなんとも酷であろう、と。

 祭の心は哀しみに沈む。


「……小蓮様が敵になるかもしれない、という不振の芽が育ってしまっているのが……蓮華様。

 近くに置くよりも距離を置かせた方がいい。他の国に身を置かせて、家族としてではなく客観的に小蓮様を見なければその不振は拭えない」

「そういうことよ、祭。

 今は蓮華の立場も難しい時期に入ってる。何時までも孫策ありきの考えで居るようじゃあ孫呉は終わる。不和の可能性なんてもってのほか。だからね……蓮華の心の澱みを少しでも減らす方をとったの。

 まあ、小蓮は自分から望んで行った分、私達の狙いや考えを把握してないし、人質のような状態なんていう自覚持たないでしょうけど。さすがに無理命令しても意味が無かったから今回は助かった」


 王としての立場を考えれば、蓮華という後継の成長を考え、不確定要素となり得るモノを遠ざけることは一つの手としてありだろう。

 ただし、やはり周りの思惑よりも本人の意思あったから軽く送り出せたとも付け加える。そんな彼女を見て、祭は王の籠に捉われたる三人の少女達の苦悩を想って目を伏せた。


「……雪蓮は其処まで、なんだな。私はもう一つ懸念事項があるからこそ、小蓮様の遠征に許可を出した」

「なんじゃ公瑾、まだあるのか」

「そうなの? 諸葛亮に対するモノ……ってわけじゃなさそうだけど」


 考えを巡らせてみるが、いい好敵手のような関係で過ごしていた一人の少女の名を出すくらいしか雪蓮には出来ず、それもあるにはあるが、と唸った後で、冥琳は窓の外に目をやった。


「……諸葛亮は私達の思惑に気付いているさ。あちらとしても願ったり、孫呉の姫君と友好関係はあいつらの理想の一助となるだからな。一番若い姫を出したことで、天下統一を封じる手を幾重も仕掛けてくるだろう。

 だが……そんなモノよりも今は崩壊を防ぐ方が大切だった」

「崩壊……とな?」

「ええ。小蓮様と蓮華様の関係の改善は最優先事項。例え劉備の理想に毒されることになろうとも、それはまだマシな部類。何せ、この乱世で勝てなければ意味がない。壊されてしまっては、意味がない。

 不和の元を放置して曹操軍との戦に臨むことこそ絶対にしてはならないことだ。何せ、相手はあの覇王と……」


 瞳の奥には僅かな恐怖を。

 孫呉の頭脳である冥琳が警戒を置くほどの朱里が、狂気を孕む程に恐怖し恋慕し求めているソレを、冥琳は恐れていた。

 話を聞けば聞く程に恐ろしくなった。齎された利を理解すればする程に怖かった。

 明命の持って帰ってきた情報を判断すれば、今回の小蓮の遠征は絶対に必要と思っていた。


「……あの紅揚羽を裏切らせた、黒麒麟だ。不和の一つでもあれば聡く読み切り、人の心に亀裂を見つければそれを利用する。あの狂人を裏切らせることが出来たのだ、こちらに裏切りが齎されない保障もない。

 小蓮様自身が覇のモノを否定している為、黒麒麟が益州で何をしているかを見せれば小蓮様も敵対の意識を持てるだろう。あの方の内には大徳と呼ばれる彼奴への興味があった。

 そして蓮華様だが、この次に曹操が打ってくる手の一つを考えれば、小蓮様と離れることこそ最善。きっと曹操は、蓮華様を荊州の牧に任ずる」


 さすがの雪蓮も口を吐け放って絶句していた。祭に至っては冥琳に正気かと問いかけるような目を向ける。

 そんな彼女達の驚愕を見て取って、冥琳はクイとメガネを上げて不敵に笑った。


「根拠はあるが……説明は数日後に来る曹操の使者の話を聞いてからとしよう。

 来るのは郭嘉。今回は交渉というわけではなく、幾つかの通達と我らや揚州の状態把握、そして……先の戦の宣戦布告、だろうな」


 一度だけ会った軍師を思い出して笑う。

 食えない相手で、朱里と同じくらい手強い相手だと知っている。

 最後の言葉で二人の表情も引き締まった。


「曹操軍との衝突は何時になる?」

「西涼を平定して暫らく経った後、始まりは荊州を、後に揚州に来るだろう」

「へぇ……益州を先に、とはいかないの?」

「悪龍と共に行った謁見が戦の理由になっている。蓮華様を荊州に送って戦力分散を図り、従わなければ我らの同類と見なして踏み潰す算段が一番有力だ。荊州さえ手に入れれば、どちらにも防衛戦を張れて侵攻の要にも出来るのだからな」

「……先に後顧の憂いを絶ってから来る、というわけか」


 然り、頷く冥琳はつつましく酒を飲みほした。


「そうなると劉備軍が益州を手に入れるのに時間が掛かるのは拙い。黒麒麟の動きは先の戦を大前提として動いた長期戦略の一環。益州の平定に時間を使わせこちらとの足並みを揃わせず、兵力や兵糧も下げさせ……全てを掻き混ぜる強力な一手だ」


――どのような策を用いているのかは知らないが、たかが五千の兵数で戦など出来まい。使うなら……人間の欲望と忠義。劉備の理想を知っているからこそ、奴はその裏を突いてくる。


 自分でも考え得る掻き乱し方。人心操作は思いついても、それを実行に移せるかと言われれば冥琳には否。

 人の心を動かすには言の葉に説得力を持たせなければならない。論じるだけでは動かせない。それがあの男には出来ると、冥琳は確信していた。


「故に、孫呉も危うい。蓮華様が荊州を治めきれるか否かに大きな部分が委ねられる。私や雪蓮の庇護なく、孫権という王個人としての力量が今後の全てを左右してくる。

 私が懸念したのは黒麒麟の齎す不和の芽だ。蓮華様の成長を助ける為にも、小蓮様の遠征に賛同し、蓮華様が敷く人の和の絆の力を信じた。蓮華様なら黒麒麟の民心操作をも越えられると私は踏んでいるが、どうだ?」


 不安はあるが、迷いはない。

 次世代を担う王才は日々成長している。雪蓮とは違う蓮華だけの力に期待し、任せる為に冥琳は今回のことを是としたのだった。

 嬉しそうに、雪蓮は酒を飲みほした。祭も同様に喉を鳴らして杯を空ける。


「言われずとも信じているわい。誰にモノをいっておる。この孫呉の宿将から見ても蓮華様の王才は確かじゃ。黒麒麟などに負けることはなかろうて」

「姉としても、孫策としてもそれには同意ね。私じゃ荊州を治めることは多分無理、でも蓮華なら……きっと出来る」


 二人共、大きくなり始めた蓮華を信じている。ふっと笑った冥琳の表情は影もなく、優しく穏やかな微笑みであった。

 再び満たした杯を、かちり、と三人は合わせてから、一息に飲み干した。


「じゃあ私達は私達の役割を果たしましょう。数日後に来る使者との応対を始めとして……全ては孫呉の繁栄の為に」


 雪蓮の声には、御意、と二つの声が応えた。

 酒宴の夜は更けていく。孫呉の古参である三人の英雄は、後を継ぐ者達への道を少しでも広げようと心を高めた。


 一人、孫呉最高の頭脳だけはより高く。


――まだ死ねん。まだやることが沢山ある。まだ、まだ……せめて覇王と黒麒麟を打ち滅ぼすまでは。








読んで頂きありがとうございます。


今回は孫呉のお話。

シャオが劉備軍に同行。

蓮華さんの成長に孫呉の未来が掛かっているようです。


朱里ちゃんが完全にヤンデレ化しました。

「はわわ! 来ちゃったんですか! じゃあ逃がしません」ニッコリ



次は曹操軍のお話。

ではまた

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