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異端が与える理不尽

 仰向けに倒れ伏し、その男はニッと歯を見せて笑う。砕けた右腕は動かず、最後の交差によっても打ち付けられた重量武器によって完全にイカレてしまった。

 幾多もの傷が付いた身体は誰が見ても満身創痍。それでも彼には、湧き上がる歓声と約束の言葉を受け止めて弱々しくも誇らしい声を宙に上げた。


「第四番隊隊長――……敬愛する先達、副長にこの勝利を捧ぐ。

 しかし我らの渇望は未だ峠を越えぬ。願え、謳え、想え、望め……末端の一人に至るまで不敗となる為に。

 我ら徐晃隊……渇望はいつでも唯一つっ……愛しき御大将の背を追い続けん! いつか肩を並べて戦えるその時まで、そうあれかしっ!」


 一呼吸。小さく間を区切った彼が空に向ける想いは決められている。

 約束を紡げ。死した皆に届くように。生きている皆に届くように。


「乱世に華をっ!」


『世に平穏をっ!』


 吹き荒ぶ声は乱れなき一声。黒麒麟の身体が上げる約束の言葉は、天まで届けと華開く。

 元文醜隊の男達は震えた。彼らの在り方に男として憧れた。

 狂信は伝搬する。もはや組み込まれた猪々子の部隊は、一人の例外なく黒に憧れてしまった。追い駆ける背中を見つけてしまった。なりたいモノを見つけてしまった。

 男として生まれた以上、彼らは意地を持たずに居られない。誇りを持たずには居られない。


 此処に世界の既存概念は崩された。

 名前さえ語られない、生まれも育ちも才能も何もかもが凡人の兵士が、世界に愛される武将を確かに倒したのだ。


 ……と彼らは思う。

 しかしながら納得できないモノが、一人。


「ふざけるなよ……」


 部隊長が倒れるより前に尻もちをついた彼女――焔耶が、苛立ちと憤慨を瞳に燃やして立ち上がり、倒れた男を睨みつけていた。


「たかだか一撃を見舞ったくらいで、私を倒しただと?」


 ゆらりと一歩、歩みを進めた。周りの兵士達の視線が鋭くなった。

 何をするつもりかなど、引き摺っている武器を見れば誰でも分かる。


 彼女の左胸、丁度心臓の位置で服が汚れていた。彼女が受けた攻撃はただそれだけ。たった一撃、練兵用の刃が潰され殺傷能力の無い槍で突きを喰らっただけ。

 刃が付いていればどうなっていたか分からないが、それは“もしも”の話である。部隊長が選んだ以上、殺すことの出来ない武器での勝ちは焔耶の降参でしか有り得ない……と、焔耶は考えていた。


「お前の負けだよ、魏延」


 歩みを進める焔耶の元にゆるりと声が滑り込む。

 椅子にもたれていた彼が身体を起こし、焔耶を下からじとりと睨んでいた。


「何を言う。倒れているのはあいつで、私はこうして動いている。敗者と勝者などこの状況を見れば明らかだ」

「そうだな、お前の基準で言うならそうなる」

「私の基準だと?」

「お前が受けたのはたかが一撃。殺すことも出来ない弱い一撃。

 しかしだ……お前の胸に刃は届いたんだよ」

「だからっ、私はまだ立っていると言ってる!」


 成り行きを見守る桔梗の目を一瞥してから、彼は盛大なため息を零した。

 桔梗が今の戦いの意味を間違えていないと読み取って。


「……果実の皮を剥く小刀を振るえば人は殺せるってことだ。例え子供であろうと、人一人を殺すのに殺意も何も必要ない」

「そんなこと当たり前だろう!? わけのわからん話を持ち出してくるな!」

「いや? それと同じなんだが」

「何が同じだ! あいつが振るっていたのは殺せない武器で、こうして私が殺されていないのだから戦いは終わっていない!」

「だからお前の基準なら、な。でも部隊長や俺達の基準は違う」


 漸く立ち上がった彼は、部隊長が取りこぼした槍を拾って焔耶の間合いギリギリで立ち止まった。

 ギシリ、と歯軋りを一つした焔耶は彼を睨みつけた。

 練兵用の槍を撫でる彼は、叩きつけられる殺気にも動じることなく悪辣な笑みを彼女に向けた。


「練兵ってのは戦場を想定して行うもんだろ? だから部隊長はお前を殺さないように戦ってたわけじゃないんだ。お前以外の全員にとって、“此処”は戦場だったんだよ。

 こいつは命を賭けていた。殺してもいいって言ったのはその為で、分かった上で認めたんだ。

 部隊長は確かに、お前を殺すつもりで動き、戦い、足掻き……お前の心の臓腑を穿ち抜いた。それが俺達の下した結論で、さっきまでの戦いの結果ってこった」


 戯言だ、と焔耶は鋭く彼を睨みつける。しかし彼は、そんな彼女の視線を受け流して違う人物に視線を向けた。


「なぁ、厳顔? 魏延の師であるお前に尋ねよう。

 練兵ってもんは戦場で戦う為にあるもんだろう? コロシアイの無い優しい優しいじゃれあいに過ぎないもんとは違う、そうだろ?」


 黒瞳が穿つ。

 緩い笑みを浮かべながらも、戦人としての桔梗の心を見抜き、返答を違えることは許さないと言わんばかりに。

 始まる前、彼は試合と言った。しかし殺すことを是とした焔耶達が、彼の理論を打ち崩すことは出来るわけがない。

 命を賭けた誇り高き兵士の心を穢すなど、武人としても戦人としても、“厳顔という一人の将”としても、看過することなど出来なかった。

 苦く、彼女はため息を吐き出す。

 将としての真理を突き付けられては、逃げられないと悟った為に。


「……練兵で出来んことは戦場では出来ん。お主の言う通り、練兵とは戦場を想定してしか行うモノ。儂らが行った試合はそういうもんじゃろ」

「な……き、桔梗様っ」

「黙っとれひよっこ」


 ギラリと睨む視線は厳しく、焔耶の腰を引けさせる。


「師として弟子の不出来を認めよう。あやつは将ではなくただの武人として試合をしてしまった。特に救いが無いのは、命を助けてやると優越を持って部隊長の誇りを穢したばかりか、武器が違えば殺されていた攻撃を受け……戦場ではないという言い訳によって自身の敗北を誤魔化した。劉備殿の代わりというからには軍としての意識を持たねばならんというのに。

 その点で言えば、徐晃隊の部隊長は軍の代表として一騎打ちを行い、圧倒的不利にも関わらずに、敵将を殺さずに使者であるお主らの対面を守りつつ勝利を収めたと言えよう。

 勝者が誰かなど、もはや語るに及ばんが言っておく」


 小さく首を振った。僅かの期待を向けて焔耶だけに戦わせてしまった自身にも責がある、と。

 せめて、焔耶の代わりに敗北を認め、師として共に責任を被ることだけが、桔梗に残された一手であった。


「部隊長の勝利であり、徐晃隊の勝利であり……お主の勝ちじゃ、黒麒麟」


 ぽつりと、結果が零される。

 瞬間、弾けんばかりの雄叫びが場に溢れかえった。

 敵の敗北宣言が為されたのだ。曖昧で不明瞭な決着ではなく、確かに……確かに敵将は負けたと言った。


 どれほど望んだことだろう。どれほど願ったことだろう。

 いつもいつでも彼らが望んでいた一欠けらの勝利が、ようやっと為されたのだ。


 この世界に愛されている戦乙女を、凡人である自身達の手で敗北させることが出来たなら……


 願いの成就は彼らの心に希望を与えた。

 徐晃隊となって日の浅い元文醜隊の兵士達ですら震え、胸に湧き上がる熱いナニカの命じるままに歓喜を叫んだ。


 一人、俯いたままで拳を握りふるふると震えている焔耶に興味を向けず、彼は倒れ伏している部隊長の元へ歩み寄る。

 膝を付き、優しい優しい微笑みを向けて、思うがままを口にした。


「お前の勝ちだ部隊長。今はゆっくり休め。例えこの先、お前が共に戦えなくなろうとも……お前の存在証明は此処に居る奴等が心に刻んだぞ。

 お前は間違いなく“徐晃隊の最精鋭”……黒麒麟の身体だよ」


 ぎゅっと無事な左手を握りしめた。熱い掌から想いが伝わる。

 憧れを持った黒の道化師と、黒麒麟の身体の絆が結ばれる。どちらもの願いはやはり……“そうあれかし”。


「部隊長、お前の益州での戦いは此処までだ。後は俺に任せて来るべき時まで休むといい、バカ共と一緒に黒麒麟となる為に」

「……ありがとよ。しっかし当たり前だろ? 戻った時、片腕が使えなくなっても戦場に立つっての。まあ、今回はあんたと皆に任せるぜ。少し……疲れた……」


 ニッと歯を見せて男らしく笑った部隊長は、ゆっくりと瞳を閉じた。

 疲れ果てて眠る彼の寝顔を見ながら、秋斗は静かに首を振る。


「礼を言うのはこっちだバカ野郎が。お前さんが遣り切ったんだ、俺だって遣り切ってみせるさ。じゃあな、今はおやすみ……第四部隊長殿」


 敬意を持って言葉を刻み、彼はぐるりと回りを見渡す。コクリと頷いたのは数人の兵士達。馬の扱いに長けた三人が、部隊長の元に近付いて行く。

 そんな彼らに対して、秋斗が懐から取り出したるは一枚の紙切れ。それは“何も書かれていない紙切れ”だった。


「……本城に戻り部隊長を療養させてやれ。益州からの連絡を提出後、そのまま覇王の指示に従うべし。行け」


 疾く、彼らは行動に移った。訳が分からずとも、内容が分からずとも、黒麒麟でなくとも、今の徐公明の指令なら従ってもいいと思えたから。

 三人が部隊長を優しく運んで行った後、残ったのは静寂の空間。

 焔耶も桔梗も言葉を発さず、秋斗もだんまりを決め込んで何もしようとしない。

 幾分、俯いたままの焔耶を見つめる彼の視線は鋭く尖り、呆れたようなため息を吐き出した。


「認められないか、魏延?」

「……」

「自身の敗北を師が結論付けたとしても、お前自身が認められないかと聞いてるんだ」

「……」


 沈黙が答え。否定することも肯定することも出来ず、焔耶はぎゅうと拳を握りしめるのみであった。

 クセになってしまっているため息を吐き出して、秋斗は彼女の間合いギリギリまで近付いて行った。


「お前が認められないってんなら、俺は俺の矜持に基づいて一つだけ提案してやろう」


 もう不敵に笑わず、秋斗は無表情で焔耶を見つめていた。

 ピクリと、彼女の身体が揺れ動く。


「敗北を認めずに抗い続けるのはある種で俺達と同じ選択だ。だから、俺は俺の遣り方を貫かせて貰う」


 彼を睨み上げる目には怒りを宿していた。嫌う奴らと同じだと言われて激情の念が膨れ上がる。

 焔耶がギシリと歯を噛みならす。

 深く昏い感情を意にも返さず、彼はすっと目を細めて剣を抜く。


「掛かって来い。お前が納得する敗北を、俺の手で刻み付けてやる。

 俺らは勝ったと思ってた。お前も勝ったと思ってた。そう落ち着けて理解せずに認められないならお前が望んだ通りに戦ってやるよ。一戦の後で不利だなんて言い訳は聞いてやらない。武器の不利も力量の不足も理解した上で部隊長と戦っていたお前に、それを言う権利なんざないんだから」


 逆転した立場の一騎打ち。

 焔耶が敗北を認めないならと……部隊長と焔耶の立場を入れ替えて自分が戦場に立つと言っている。

 力量が足りないことも体力面での不利も認めた上で、お前は部隊長のように自分が勝ったと言える勝負が出来るのか、つまりはそういうこと。

 彼は黒が作り上げる舞台上に、焔耶を引き摺り込んだ。


「待て、黒麒麟」


 しかし他の一人が黙っていられるはずもない。

 静観を決め込んでこれ以上の失態を晒すわけにもいかないのも一つ。掌の上で転がされていると分かっていても、桔梗はこれから行われようとしている一騎打ちを止めなければならない。


「儂が認めただけでは満足出来んのか?」

「此れは本人が認めない限り終わらない戦いだ。何度でも抗わせてなんざやらないねぇ。次の一回で叩き潰し、俺達の勝利を心に刻みつけてやる」


 聞く耳は持たない。持つはずが無い。

 乱世の理を以ってしての論舌を、桔梗が理解していると判断してのこと。


「……其処まで言うなら儂と戦え。弟子の尻拭いをするのも師の役目よ。それに勝者がこちらじゃと思うておる焔耶の言い分ならば、お主は約を守らねばならんとは思わんか?」


 やはりそう来るか、と秋斗は心の中で呟いた。


――勝者が双方だと思っているのだから落としどころとしては有り得てもいい……けど……それだけは許さんよ。


 積んだ思考の末、ぐちゃりと、彼の心の中で何かが渦巻いた。細めた瞳に一つの感情が燃える。

 その言い分が何を意味しているか、真に理解しているのは秋斗だけだ。

 ドロドロとタールのように粘りつく、彼の胸の内に現れた感情の名は……怒りだった。


「厳顔、お前はさっきの勝負を“無かった事”にしたいのか?」


 熱溢れる部隊長の想いを、命を賭けて戦った男の意地を、生き様を……やり直しという名目で台無しにする行為。

 戦うのは焔耶でなければならない。桔梗が戦うことはもはや、部隊長と焔耶の勝負とは何も関係の無い一戦を行うに等しい。


「っ……それは――」

「理解したな? ならこれ以上お前がしゃしゃり出て来るんじゃねぇ。傍観を決め込んだ時点でお前に戦う資格は無い。賭けに乗ったのはそこに居る魏延で、敗北を認めていないのも魏延本人。責を背負うのも意思を貫き通すのも本人であるべきだ。

 それに……さっきの話を持ち出してもいいのなら、俺は俺よりも実力の劣る部下に全てを任せたんだが? 同じように弟子に許可したお前が、本人の意思に関係なく出てくるのは筋違いも甚だしい。魏延は俺との戦いを望み、俺はその約束を果たすだけ。そして“勝利したと思ってる俺達は、約束通りにこの益州に乱世を引き込む”。こっから先は魏延の意地と誇りの為だけの戦いで、お前の言い分なんざ穴だらけだってことに気付け」


 甘い言論は全て封殺する。

 風や稟、朔夜や詠、雛里や華琳……意識を取り戻してから自身よりも頭の良いモノ達と論舌を交わし続けてきた彼にとって、桔梗を弁舌で封じ込めることは容易であった。

 曹操軍の聡明な軍師達と同レベルの相手でなければ、彼を理路整然と打ち負かすことは出来ない。


 ぐ、と言葉に詰まった桔梗は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。

 これ以上は何を言っても無駄。わがままでしかない。勝手に戦っても意味が無い。試合や一騎打ちというモノは、双方の納得があって初めて成り立つモノである。


「……桔梗様」


 何も言えない幾分の刻。少し過ぎてから焔耶がぽつりと名を呼ぶ。

 焔耶の目の向く先は黒のみ。ナニカを守るモノの目で、彼を睨み続けていた。


「わがままな弟子で申し訳ありません。しかし……己が納得するまでぶつかるのが私の性分で誇りです。この在り方を無くしてしまったら、私は私で無くなってしまいます。

 どうか、お許しください」


 一歩、重い一歩が踏みしめられる。

 間合いの内に入った焔耶は腰を落とした。


――そんな所は似なくともよかろうに。


 納得するまで、というのは桔梗も同じ。咎めることは出来ないと悟り、桔梗は大きなため息を吐いた。


「……すまんな、勝手にお主の負けと認めて」

「いえ、いいんです。私は……」


 詫びたのは彼女の誇りを傷つけた為。

 返される声は何処か不思議な音色。すっきりとしたような、冷めたような。

 続きの言の葉は綴られない。不思議に思った桔梗が尋ねようとしても、弟子の背中が何もいうなと無言で語る。


「……言い訳はしない。責めることももうしない。お前達が勝ったと思ってるならそれでいい。私は負けていないと思っているからそれでいい」


 吐き捨てるように綴られた言の葉。何か大きな決心をしたかのような彼女の瞳を覗きこんで、彼は僅かに眉を顰めた。


「だけど……私はお前が許せない。私の生まれ育ったこの大地を脅かそうとするお前を、許すことは出来ない。

 私を侮辱されたことよりも……お前が愛する大地に乱世を広げようとしていることだけは、絶対に許せないっ」


 だから止めると、彼女は目で伝える。

 戦う理由は自身の誇りの為だけでは無い、と。

 桔梗は僅かに笑った。


――儂は弟子を過小評価していたらしい。


 自身の為に怒っているのだと思っていた。

 しかしその実、彼女の怒りの矛先は始めから違った。

 裏切りも辞さないと言った桔梗に衝撃を受けながらも、焔耶は“今ある幸せ”を守ろうとしていたのだ。

 師と相対するやもしれぬと知った。それでも彼女は、桔梗とは別の遣り方で益州を背負って戦おうとしていたのだ。

 桔梗は劉璋が頭である益州を守りたい。焔耶は桃香が頭となる益州を守りたい。

 差異はあれど、愛する大地を守りたい心は変わらない。


 その心を、如何して止められようか。

 愛弟子を見つめる瞳を閉じて、彼女は一歩下がった。


――いいじゃろ。お主の選択を見届けることにしよう。


 結果如何に関わらず、彼女の意思を尊重出来るように、と。


「……いいな、そういうの」


 羨ましいというように笑った彼は、抜き放った長剣を静かに構えた。


「そりゃぁ認められないよな。認めてたまるかってなるよな。

 うん……分かった。じゃあこっちも全力で……お前を敗北させてやるとしようか」


 部隊長と同じ構え。否……本来あるべきはずの黒麒麟の角が其処に輝けば、同じとはとても言えない。

 白くて長いその剣は、人々が謳った英雄の証でありながら、平穏を作るために平穏を切り裂く、矛盾の刃。


 長く長く、二人は見つめ合っていた。

 風の音だけが寂しげに鳴くその場で、殺気を放っているのは焔耶だけ。

 何処か余裕のある表情をした彼は、いつもの通りにただ不敵。


 ゴクリと生唾を呑み込んだ兵士の一人が、手にした槍を取りこぼす。

 カラン……渇いた音が場に響くと同時に……共に必殺の間合いの中、二人は同時に動き出した。






 †






 かくも世の中とは理不尽なモノである。

 才能の華持つもの達は凡人の努力を一寸で追い抜いてしまう。

 人の平等など初めから無いと秋斗はいつでも考えていた。個体として生きている以上は、誰もを平等という枠に居れようとした時点で綻びが生じてしまう。


 才能を持つモノ達は評価されたい。凡人達でもそれは同じこと。争いを起こさないとは、評価されたいと願う人々を満足させ続けるという無理難題を永久に続けていくことに等しい。

 もしくは、才能を持つものを諦めさせ、評価を下さずにその才を分け与えろというに等しい。


 前者の……欲望を満たし続けるという方法は、人の欲望の底深さ故に埋まるモノでは無く。

 後者の……無償で愛を届けるその精神は、人が誰しも持てるモノでは無いのだ。


 人が人であるが故に、争いはなくなることはない。

 小さな喧嘩であれ、大きな戦争であれ、争いは世界中で起こる人の業であり……進歩の可能性。


 僅かに話をずらそう。

 一番の理不尽が何かを知っているからこそ、彼は凡人も才あるモノも全てを慈しむようになったと言っても過言ではない。


 “究極の理不尽”とは、才の如何に関わらず、その命の華を摘みとること。


 死こそが、才能による蹂躙などより醜悪な理不尽、そう彼は考える。

 可能性さえ与えない選択。死とは、そのモノの全てを奪う行為であろう。人の持つ過去も現在も未来も、相違なく奪い尽くすのだ。


 故に彼は、死を厭う。死を厭うからこそ、死を与え、その死を以って、多くの生を繋ぎ止める。

 機械的な計算だけで繰りぬかれたモノに非ず、感情を殺し、狂気さえ呼び込み、選別された少数に理不尽を与え、より多くの人々に己の思い描く平穏を与える事を選んだ。

 同時に、想いを繋ぎ続ける彼は、死を絶対の終わりとせず、生きるモノの為の糧と為す。

 生物が他の命を喰らいて生き延びるように、彼は死者の想いを糧として死の恐れを薙ぎ払わせ、死を享受させつつ生きる渇望に変えさせる。


 ただし彼は、死を厭いながらも自身の死には拘らない。徐晃隊達も同じであるが、始まりの頂点である彼だけは……他者の想いを糧として自身の崩壊に拘らない……わけではない。

 拘らない理由は……“死という理不尽を乗り越えてしまった為”であった。


 与えられた命によって死を乗り越え、与えられた使命によって死ぬことを許されない。

 言葉遊びではなく、本当の意味で初めから死んでいる人間である彼には、自分の命に拘る理由が無い。

 空っぽの器に想いを詰め込んだ、とは誰の言であったか。やはり彼らだけは、真実が分からずとも彼のことを理解していたのだろう。


 今、彼の胸に来る想いはこれまでになく高まっていた。

 理不尽に抗う証明を得た彼らと同様に、彼自身、この世界を変えられるのだと思えた。

 魏延が兵士に敗北するなど歴史的に見れば有り得ない。そしてこの世界の異質な武力を持つ将達が一介の兵士に負けることも有り得ないはずなのだ。

 だというのに、である。

 例え自分がイトを手繰り寄せて仕掛けた助けがあろうと、一人の男が将を倒したという事実はそれほどまでに彼の心を燃やさせた。


 ならば自分はどうする。

 負けを認めない目の前の女に、どれほど彼らが必死で強くなってきたかを教えなければならない。

 黒麒麟の友である白蓮と同じ言の葉を吐こうと、愛する土地を守りたいと願う純粋な人間であろうと……彼が与えられた力を以って叩き潰すだけ。


 あくまで彼の武力と言うモノは借り物であり、この世界の人間全てを騙しているペテン。

 彼本来の力は折れない心だけ。彼らと同じく理不尽に抗いたいと願う心だけだ。男の意地とプライドを胸に燃やして口先三寸で人を扇動する事こそが彼の持ち寄る力であろう。


 だから、彼は自身の武力を嫌悪している。与えられた力などで勝ってもなんら感慨は浮かばず、達成感も持ちえない。

 彼も黒麒麟も、彼らと共に戦うことが心の安寧であり、救いだった。死別によって痛みを伴うその力こそが、秋斗をこの乱世で戦わせるに足りたモノだった。きっとそれは、武力を持っておらずとも変わらないモノ。


 問おう。

 人を外れた存在――例えば神と呼べるモノ――に与えられた力で勝利を収めて、徐晃隊と同じ想いを宿すモノが満足するだろうか。


 重ねて問おう。

 イカサマとも呼べるハンデを貰ってまで得た勝利に、一人の男として満足感を得られるだろうか。


 否、どちらも否。

 徐公明という与えられた役目である前に秋斗という一人の男である彼は、誰彼に貰ったハンデで勝利を収めても満足出来ない。

 常に心が渇いているのはその為だった。

 徐晃隊でさえイカレていると評する彼の平穏への渇望は、その最大の矛盾から来ている。


 だからだろう。

 幾重の攻撃を避けながらも冷めきった目で焔耶の攻撃を見切り続けられるのは。

 だからなのだ。

 この世界の武将に勝っただの負けただのに拘らずに、常に乱世の終焉の為にと策を考え続けられるのは。


 仮初めの武力には感謝している。同時に心底から嫌っている。

 世界を変える力、一人でも多くの命を救えることに感謝を。

 世界の全てに嘘を付かなければならない自身に嫌悪を。


 才能も努力も嘲笑う自分の存在だけが、彼の憎む唯一のモノ。

 黒麒麟であっても、道化師であっても、秋斗という人間を壊すに足りた。


 故に彼は狂気を宿す。矛盾の果てに追い求めるのは遥か遠き理想の世界のみ。

 大切な大切なこの世界を平穏に導けるというのなら、彼は最も理不尽な、天の操り人形になろうと決めていた。





 一重。ただ一重の交差でその勝負の勝敗は決した。

 武器を合わせることは無かった。避けることも、数合だけ見ればそれ以上は必要なかった。

 彼が嫌う、あの腹黒に与えられた力は、部隊長との戦いで見極めた焔耶の武力を超えていたのだから。


「……っ……かはっ……ぁ……ぅぁ……」


 交差の瞬間に懐に潜り込み、彼は焔耶の首にその大きな掌を持って行き、彼女をそのまま持ち上げた。

 呼吸を紡ぐことさえ許さない。このまま持ち上げているだけで彼女は死に行くだろう。


 誰も言葉を発せなかった。

 確たる実力差を見せつけられて、徐公明という武将の力量を理解して。

 猪々子と桔梗でさえ、呆けたままで口を開いていた。


「……苦しいかよ?」

「ぁ……くぁ……」

「分かり易く俺がお前を殺せる状況にしてやった。これで理解出来ただろ? お前は俺に勝てないし、俺達に負けたんだ」

「は……なせ……」

「……」


 苦しみながらも紡がれた言葉。バタバタと足掻く脚が彼の身体に入るも、なんら気にしていないとばかりに片目だけを細めた彼は、悪辣な笑みを浮かべ始める。


「やなこった。理解しろ、脳髄に刻め、運命を受け入れて絶望するがいい。お前の命は俺の掌の中、俺の気まぐれだけで救われてるってな」


 尚も睨みつけてくるその目を覗き込んで、彼は声を出して笑った。


「ははっ……瞳に憎しみが滲んでるぞ? 俺が憎いか? 憎いだろうなぁ。なんせ、お前の故郷である益州を乱世に引き摺り込む大敵だっ」


 芝居がかった彼の声は、その場に居る誰しもに現実を突き付ける。

 自分が何をしようとしているか、徐晃隊達に教えてやろうと。


「生まれたばかりの赤ん坊も、ずっと街で暮らしてきた年寄りも、明日祝言を上げる恋人も、仲良く街を駆ける子供達も……そして俺がつい先日助けた小さな少女だって……戦火広がる大地で眠る事になるかもしれねぇ!」

「や、めろ……ぐぅ……かはっ」

「間違うなよ徐晃隊。俺達は確かにこいつとの賭けに勝ったが、好き勝手に益州を蹂躙していいなんて権利を得たわけじゃない。

 俺達は天下統一の邪魔をするこいつらを従わせる為に、こいつらの大切なもんを傷つけるんだ。こいつらにとっちゃぁただの侵略者で、大義も正義もありゃしねぇ。そんなもんを求める心は今の内に捨てちまえ」


 ぐるりと焔耶の首を掴んだまま回った彼は、兵士達の顔を覗き込む。俺に反抗したいならするがいい。俺を止めたいなら止めるがいい。

 伝えているのは……“俺達が作る世界を信じられないのなら俺を殺せ”。

 抗う機会は敵味方の別なく与える、黒麒麟と同じように。


 しかし誰一人として、彼に向かうモノは居なかった。

 迷いもあろう、疑問もあろう、彼がこれから行う理不尽を思えば、優しい誰かは止めようとするかもしれない。

 それでも、兵士達は知っている。彼が行うことは悪辣に見えようとも、必ずその先に誰かを幸せにするモノだと。

 ヒトゴロシを生業にしている以上、必要な犠牲というモノを兵士達は理解しているのだから。兵士達こそがその最たるモノ。自分達が命を賭けているのは、覇王と黒き大徳が紡ぐ天下泰平の世の為なのだ。

 犠牲になるものが他の国の民であろうと、作られる平穏は変わらない。


「分かってるなら結構。んじゃ、こいつを処理するか」

「かはっ、っ……ケホ……っ……」


 焔耶の武器を後方に蹴り飛ばした彼は、漸く彼女を解放した。

 喉を通る空気を咳き込みながらも取り込み、それでも焔耶は秋斗を睨んだまま。

 面白い、と口を引き裂く黒は……悪辣に過ぎた。


「なぁ、魏延。お前を此処で殺したら……人間の命がどれだけ救われると思う?」

「な、にを……」

「優秀な将、特にお前みたいな武将と呼ばれるモノが一人いないだけで、軍ってのの力は一気に下がる。兵士達が集うべき旗が一本足りないだけで、覇王率いる魏軍の勝利確率は揺るがないモノになっていく。

 言うなれば……此処でお前を殺しておけば、俺の愛しいバカ共の誰かはお前に殺されることもなくなり、一人でも多くの人間を救えるってこった」


 異端者は語る。

 異なる視点から物事を見やる彼の思考は、考え込めば思い付けるモノではあるが、即座に思い浮かぶモノは少ない。

 徐晃隊の兵士達は、悪のはずなのに正論に聴こえる語り方をする彼の背に、黒麒麟の姿を幻視する。


「そんな、ことは……」

「言い換えようか。

 お前が戦わなければ……そして劉備が抗わなければ、覇王に大人しく従ってしまえば、人は死なないんだよ。

 戦わないという選択を一つするだけで、お前らは大嫌いなヒトゴロシをしなくて済むし、民の平穏は守られる。

 お前の大好きな劉備様は、他人を信じ、自分も信じて貰えるように努力するんだろ? なら、誓ってヒトゴロシなんてやりませんしさせませんって、心の底からの臣従を誓って、間違った時に抗うだけで済むことだろうが。現に俺達は、河北も中原も平穏に導いてるんだ。結果で示されたことすら満足に理解できんほど愚かじゃないだろうに」


 解釈のすり替えによる思考誘導は彼の十八番。

 僅かに考えさせる時間を与えて、そっとその筋道をすり替えるだけで彼の望む言論の場に引き摺り込まれる。

 内容的に同義である小さな“例えば”から大きな“例えば”に変えることで、秋斗は焔耶の中にある桃香への妄信を崩しに向かったのだ。


 桃香との対極的な論は、完全に真逆と言っていい。

 何せ、桃香なら此処で、“従う従わないじゃなくて皆で平和を継続させられるようにしたいから”、とでもいうはずなのだから。

 ナニカに服従した時点で桃香の力は失墜する。

 民に抗う力を与えさせる彼女の理想というモノは、逃亡しようと味方を切り捨てようと失われないが……他の力に服従を誓うことで崩れるモノなのだ。


 民の希望が、極論ではあるが戦わなくても分かり合えると説く仁や徳と言った力が……権力や武力に屈するというのなら、誰もついて来ることは無くなる。

 しかし、其処まで深く考えられるか否か……突き付けて見ないと分からない。

 人を救いたいのなら折れるべきであるし、理想を語るのなら折れてはならない。


――これは劉備に語ってもきっと無意味だ。疑心を持たせるなら、周りから……


 武での勝利にも己の力にも酔いしれず、無感情に思考を回す彼は、戦略行動を一つ一つと積み上げていく。

 ただ一つの成果だけで満足するような彼では無い。


 彼の狙いは桃香への追い打ち。

 無関心を突き付けた相手を、より深い虚無の渦に引き摺り込む為に行う一手。

 親しくなった周りの者達に疑念をぶつけさせて、彼女を迷わせることにこそ意味がある。

 主がブレれば臣下もブレる。ブレないからこそ人は付き従い追い掛けたいと望むのだ。

 大切な大切な仲間から疑問をぶつけられてしまえば、今の迷っている彼女の心をより深く傷つけることが出来るだろう。


――まあ、あの女がこの世界に愛された英雄であるというのなら、時間稼ぎ程度にしか使えないだろうが。


 ただし、迷いを乗り越えた時、人は成長する。それを忘れぬ彼ではないし、今回のことで叩き潰せなかった場合のことも考えていた。

 いや……この言い方は正しくない。

 彼は確信しているのだ。あくまで迷っているだけで、より強い意志を携えた劉備と乱世の果てで相対することになるだろう、と。


 強大になった仁徳と覇王が争えばどれだけの犠牲が出るかも分からない。

 成長を助けるよりも此処で潰してしまった方が人の命は救われる。焔耶をここで殺す事と同じ意味を持つ選択肢。暗殺だろうと毒殺だろうと、事前に潰してしまった方がはるかに楽なはずなのに、彼はソレを選ばない。


 抗う人間を分かり易いカタチで潰さなければ、人間という生物は納得しない。

 もう既にばらまかれてしまった妄信の種は、芽吹いてからしか刈り取れない。

 桃香や焔耶を殺すよりも、どちらもを利用して憎しみや怨嗟の想いを抑え付けさせる。それが彼のとる選択肢。

 感情の排された効率の為に、彼は人の命を生贄にする。


「俺は此処でお前を殺してもいいんだが――――」

「がっ!」


 わざわざ語ってやる必要も無いと、秋斗はまだ呼吸が整っていない焔耶を蹴り倒し、冷たい瞳で見下ろし始める。

 黒いブーツで肩を抑え付け、口を引き裂いて笑った。


「とりあえず、劉備のことは理解したか? お前らが抗えば抗うほど、大陸の命は失われるんだ。それにさ、俺らを悪だと断定できないから劉玄徳は俺達を殺さないつもりだぞ?

 どれほど悪辣な策を用いようと、どれだけの人を殺そうと、きっとあの女は俺達を生かそうとするだろう」


 雛里や月や詠から聞いた情報を重ねて焔耶に送る。

 桃香の甘さを知っているモノからすれば、彼女との戦場は茶番だと断じていい。


「なにを、バカなっ」

「じゃあ帰って聞いてみな。お前の大好きな劉備様ってやつに。

 劉備は俺達を殺さない。侵略を行う覇王でさえ殺さないつもりだろうよ。そんな甘ったるいもんじゃぁ世界は変わらない。その点で言えば、部隊長を殺そうとしたお前の方がまだマシかもな」

「ぐぁっ」


 踏みつけた脚を除けると同時に、彼は焔耶を桔梗に向かって蹴り飛ばした。

 確りと受け止めた桔梗は彼を見つめる。彼女は彼の語りを理解していた。


「お主は劉備殿と絶対に相容れぬのだな」

「その通り、俺と劉備は相容れない。愛しいバカ共が生きてきたこの乱世を、“自分達が幸せに生きられたらそれでいい”なんて願いで諦観して、茶番になんざするわけにはいかないんでね」


 もう用は無い、と彼は背を向ける。

 ギシリ、と歯を噛みしめた焔耶は、黒き背中を睨みつけた。


「貴様は……貴様は“悪”だっ!」

「ああ、俺は“悪”だな」

「何が大徳っ……私は、お前の作る未来を認めないっ!」

「口にするなら誰でも出来る。認めないって言うんなら戦場で俺を殺してくれ。部隊長を殺そうとしたように、劉備の想いに矛盾して俺を殺せ。

 終わりだ、野郎共。客人を丁重にお返ししてやれ。茶菓子の土産を渡すの忘れるな」

「っ……」


 彼の声を合図に、ざ、と兵士達が立ち並ぶ。姿を覆い隠すように焔耶の前に立ちはだかった。

 兵士の壁の後ろから、飄々とした声が彼女の耳に届く。


「それよりも、ちゃんと認めとけ。クク……お前は確かに、俺達に負けたんだってな。劉備の代わりに戦ったお前が負けた、覇王と俺の代わりに戦った部隊長は勝った。

 安心しろよ、戦場では必ず殺してやるから。それまでは悔しさを噛みしめてぴーぴー喚いているがいい」


 からからと笑う声が次第に遠くなっていく。

 震える拳を叩きつけた焔耶は、余りの悔しさから涙を零した。


 桔梗の心の中は何処か曖昧に。

 悪だと自分で言った彼のことを憎めず、焔耶を生かしたことに驚愕こそすれ、責める気にもならなかった。


「……桃香様は……間違ってなど、いない」


 涙ながらに語られた彼女の想いを、桔梗は肯定することも否定することも出来なかった。

























~蛇足~  一人蚊帳の外に置かれた彼女は








「座りなさい」


 静かに、しかし反抗を許さないその声は、彼にさえ冷や汗を垂らさせる代物。

 携えているのは微笑みでも、まるで極寒の地に放り投げられたかのような震えを持たせる恐ろしさ。


「な、なんで起きてるんだ」

「あんだけうるさくしてたら起きるに決まってるでしょ? それよりはやく……座りなさい」


 ビクリと肩を跳ねさせた彼は、大人しく彼女の言うことを聞いてその場に正座した。


「見てたのか?」

「見てないわよ。でも部隊長が重症になったのは知ってる」

「怒ってます?」

「そうね、とっても」

「何に対してかは――」

「それが分かってないなら、あんたは許昌に帰って貰う」


 ジトリ、と見据えられて彼は顔を背けた。

 彼女の怒りの理由を当てなければ、本当に帰すつもりなのだと目を見れば分かる。


「……部隊長には随分と無茶をさせた」

「二度と剣を握れなくなるかもしれないって」

「俺か猪々子が戦えば簡単に勝てた」

「そうね、あんたと猪々子なら魏延なんか直ぐに倒せたでしょう」

「無駄な犠牲って……わけじゃない」

「そうよ、あんた達には必要なこと……あんた達みたいな大バカ男達には、部隊長の想いを優先することは絶対に必要でしょうね……」


 ツカツカと歩み寄った彼女は、睨みながらも瞳を潤ませていた。

 片方の手が上がる。風を切る音が一つと……肌を叩く乾いた音が一つ。


「……頼む、分かってやってくれ」

「分かってるわよ! 無駄なんて言えるわけない! あんた達の想いだって分かってるつもり! でもっ……それでもやっぱりボクは哀しいのっ!」


 震える声を耳に入れて、彼は詠の瞳をじっと見据えた。彼女の想いも、受け止めなければと。


「肯定なんかしてあげないから! 分かってるわ! あんた達は止めても無駄だって理解してる! でも! でも……だって……哀しむ人もいるんだって……ボクはあんた達が傷ついたら哀しいって、知ってて欲しい……」


 はらりと零れた一滴。そっと手をやった彼は涙を指先の乗せる。

 意地を張っているモノがいるのなら、引き止めたいのを我慢して待つことを選ぶモノも居る。

 戦場に向かう夫の背を見送る妻達は、きっとこんな気持ちなのだろうと詠は思う。

 だから伝えた。

 無茶ばかりに気を取られて、自分達のような“待つモノ”の想いをいつか忘れてしまいそうで。

 一人でも多くに生き残って欲しいが故に、仲良くなってしまった彼女は彼らに怒る。


 そうして、人を外れた狂信を持つ黒麒麟の身体は、大切なモノの想いを知ることが出来るから。

 そうして、人を外れた黒の道化師は、自分が切り捨てるモノ達その家族に、向けられる感情を知ることが出来るから。


 我と意地を通すのなら傷つく人が居る。敵だけではなく、味方であっても。


「……部隊長には、なんて?」

「陣を出る前に退き止めて叩き起こして怒ってやったわよ……そしたらあいつも送りの兵士達も……ありがとって言ってきた。ホント……バカばっか」


 グイと涙を袖で拭って、彼女は呆れたようにため息を吐いた。


 止めても聞かない男達と共に在るのは、心が痛んでばかりだ。

 それでも彼女は彼らと共に戦いたい。想いを繋いでいこうと決めた。

 三人の少女達は、それぞれに違う在り方で彼らと共に過ごしてきた。


 雛里は彼らと想いを解け合わせて戦える。月は淡い想いやりで導いて心を掬える。では詠は……如何か。


 彼らを叱ることは、彼女にしか出来ない。

 叱ってくれることがどれほど有り難いことか、どれほど心が救われることか。


 彼女だけの遣り方で、詠は絆と想いを繋いで行く。

 苦しくて、哀しくて、つらくて……だからこそ感情をぶつけて、詠は彼らを救うのだ。


「叱ってくれてありがと」

「……うっさい、ばか」

「ごめんな、教えないで」

「どうせ、ボクに誰かが傷つく所を見せたくないから、とかそんな理由でしょ」

「……敵わねぇなぁ」

「あんたはいっつもそう。いいわよ……除け者にした罰さえ受けてくれたら」

「罰ってなんだ?」

「それはね……」


 機嫌を直した彼女は、意地悪い笑みを秋斗に向ける。

 嫌な予感がする、と彼は頬をひくつかせた。


「猪々子とボクと一緒に寝なさい」

「却下だ!」

「罰だって言ってるでしょ? それとも、許昌から持ってきた“どらむかん式ごえもん風呂”で一緒に湯浴みでもさせてあげようか?」

「……お前さん、だんだん華琳みたいになってきてねぇ?」

「あんたが一番苦手なのって華琳だもん。お、女関係のこういうことが苦手ってのも分かってる……ば、罰なんだから甘んじて受けなさい!」

「……そりゃ二人よりはいいが猪々子と一緒に寝る意味は――――」

「あたいはいつだって準備“おっけぇ”だぜ!」


 布団の中から上がる声。上げられた手のブイサインが元気よく応えた。

 謀られた、と思った時にはもう遅い。此処は荀攸という軍師の手の中だった。


「なんでこうなるんだ……」

「ふんだ、自業自得よ」


――ちょっとくらい役得を貰っても、いいよね? ごめん、二人共。


 雛里と月に心の中で謝りながら、詠は跳ねる心臓を抑えるのに必死である。我ながら大胆なことをした。

 きゅっと袖を握る詠が彼をじっと見上げた。


「断らないで? だってあんた、最近なんか変だもん」

「……そうかね」

「そうそう、さっきも悪モノになり切ってたし、アニキがホントにおかしくなっちゃいそうに見える。昔してたことばっかりじゃなくて新しいことしてみるのもいいんじゃねぇの? それにあたい、友達と布団一緒にするのなんて子供の時以来だから楽しみなんだっ」


 上半身を起こしてニッと笑う彼女を見て毒気が抜けた。

 詠の不安も分かる。彼自身も、何処かおかしいとは感じている。

 ため息を一つ。もう諦めた。流されるのは嫌だが、自分が何もしなければいいだけなのだから、と。


「ほらアニキ、来いよっ」


 ぽんぽんと自分の隣を叩く彼女を見て、彼は小さく噴き出した。


「クク、ベッドに女を誘う男じゃあるまいし」

「はーやーくー! あたいもう眠いんだってば!」

「しゃあなしだぞ?」

「へへっ、詠はアニキの隣な!」

「ぅ……分かってるわよ!」

「両手に華で嬉しいだろー?」

「はいはい、嬉しい嬉しい」

「うっわ、てきとーすぎ」

「ちょ、ちょっと詰めて猪々子。なんかいつもより近い」

「限界だから無理ぃ。諦めてくっついて寝ればいいんだ」

「ぅ、ぅぅ~~~~~っ」


 どっちが自業自得か分からないな……なんて考えながら、ゆっくりと目を瞑った彼の心は僅かに暖かくなった。

 こんなことをしていてもいいのかと沈みそうになる心もある。けれども自分の中で渦巻く何かが、彼女達と過ごす時間のおかげで溢れ出ないで済む気がした。


 明日からが本番だ、と二人に気付かれずに心を引き締めて……少女達よりも早くまどろみの中に意識を溶かして行った。




読んで頂きありがとうございます。


部隊長の一騎打ちの結果。

黒は桃香さんを追い詰める手を緩めない。まだだ、まだ終わらんよ……


どれだけ兵士達が努力しても、腹黒が与えた力には届かない。

理不尽で、彼はそれが嫌いなようです。


次かその次くらいに使者のお仕事。

ではまた。





おまけ


蛇足の時、雛里ちゃん達はこんな感じ。


「ねぇ雛里ちゃん。詠ちゃん達、今頃どうしてるかな?」

「……嫌な予感がしましたか?」

「……うん」

「……多分、当たってるかと」

「……」

「……」

「「……ふふ」」

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