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虎と龍の思惑に


 愛しい人の顔を思い出す度に胸が疼く。


 悪戯っぽく笑うその仕草も、呆れたように苦笑するその声も、もう二度と向けて貰えないかもしれない。


 こんな策を考える私に、あなたはどんな言葉を掛けてくれますか?


 あの時みたいに、黒い私の事を受け入れてくれますか?


 そしてあなたは……私の策に手を加えて、私よりもいい策を行ってくれますか?


 それとも……私の策を読みとった上で制止して、私には考え付かない策で捻じ曲げますか?


 全ての策は手はず通りに整えた。


 これで私達の利は大きくなるだろう。一段階目が重要だった。



 悪龍の策には穴がある。蒼天を守護した真月はまだ生きている。それを悪龍は知らなかった。


 現状の曹操軍は旧董卓軍の主要人物の内ほとんどが揃っている。足りないのは飛将軍と悪龍の後継者だけ。


 あの二人は……否、陳宮さんは月ちゃんが生きていると知ったら間違いなく会いに行く。壊れてしまった飛将軍を戻す為に。


 それだけは避けなければならなかった。その為に、私は陳宮さんと会談をしたのだから。


 白蓮さんも桃香様も愛紗さんも星さんも鈴々ちゃんも……皆優しすぎるから月ちゃんと詠さんの事を話すだろう。


 特に桃香様と白蓮さんは確実だ。嘘を付けない。誰も騙せない。正直に生きなければならないあの二人は、陳宮さんに嘘を付いて共に戦うなど出来るはずもない。そんな事をする二人に人は付いて行かないのだから。


 それをしてしまえばどうなる?


 簡単なことだ。


 私達の軍などに、陳宮さんが力を貸してくれる可能性なんて欠片も無いのだ。


 一度でも月ちゃんに合わせたら終わり。私以外と合わせても終わり。


 悪龍の元で一緒に居た菜桜さんや元直ちゃんと共に居て貰う方が余程マシだ。


 此処で陳宮さん達を獲られると困る。まず間違いなく私達の勝ちの目は無くなる。この乱世は曹操軍の勝利で終わるだろう。


 悪龍が残した最強の刃は、曹操さん打倒の為に必須。


 “同盟”で力をより集めればいいと桃香様は言うけど、“そんな程度”勝てる訳が無い。


 曹操さんだけでも厄介なのに、あの軍にはあの人が居る。


 人を、民を、兵を、狂わせる存在がどれほど恐ろしいか、桃香様は理解していない。あの人は桃香様が覇道を抱いた場合の姿だというのに。


 それに加えて大陸を滅ぼす程の異端知識の数々、大陸にも歴史にも固執しない異端思考、それを判断できる頭脳まで持ち合わせている。


 だから、だ。


 だからこそ、飛将軍だけは手元に置いておかなければ。


 純粋武力で他の追随を許さない飛将軍という刃だけは、彼であろうと覇王であろうと単純明快に打ち倒せる力。


 彼女達二人はその為の乱世の不可測。悪龍の残した最後の果実で、私が受け持つ罪の象徴。




 故に私は嘘つきでいい。


 乱世の不可測の隠し場所など、私が知っているだけでいい。


 ただ、隠れる前に一つだけ仕事をして貰おう。


 陳宮さんの望みが叶う可能性の一つに賭けてみよう。同時に、私の中のケモノにとっての餌の可能性にも賭けてみよう。





 強すぎる想いを宿すモノと戦えば、もしかしたら呂布さんは戻るかもしれない。嘗て、優しい真月に照らされて人形から脱却した時のように。




 しかしもし人形のままであっても……孫策さんを無力に出来る。あわよくば……






 †






 当然の帰結と言うべきか、劉表軍はねねの指示を待たずに村や街を食い散らかした後に合流を始めた。

 人とは欲の深い生き物だ。楔が外れてケモノに堕ちればもっと大きな餌を探してそれを手に入れる手段を講じ始める。

 正当性が自分達にあると思い込み、それでいて目の前で幾多も勝利――と呼ぶには些か下劣に過ぎるが――を重ね続けていれば自然と自分達が強いとでも思いこむ。

 孫呉側はただ時機が悪かっただけだ。分散されたからこそ手間と人員を取られて対応が遅れていただけだ。本来なら負けるはずも無い相手なのだ。

 だから……纏まって、粗雑ではあるが軍としての行動を始めたその集団を冷めた目で見つめつつ、ねねは大きなため息を吐いた。


「しかと見ておくのですよ副隊長。脳髄に欲望の汚泥が詰まっている連中の末路を。そして追い詰めた虎がどれほど凶暴かを。

 卑しいネズミの群れでは虎には勝てない。あいつらと違い、ねね達は群れでは無く“個”となるのです。虎の牙と爪を叩き折ってひれ伏させるには、今はまだ我慢なのです」


 コクリと頷く男が後ろで一人。丁度、雄叫びが上がった。

 丘の頂で平地にて行われる戦場で土煙が舞いあがる。

 現在入ってきている情報は多い。それもそのはず、各地で収束に向かい始め、今こそ機なりと挙って本城に向かい始めた劉表軍の隊を、虎の軍勢が各個撃破し始めたのだから。

 南では黄蓋の舞台にハリネズミにされたという。東では甘寧の水軍によって河に沈められたという。そして西南では……白馬義従と孫呉の姫に踏み潰されているという。


 正直な所、劉備勢力の動きはねねの計算違いだった。

 まさかこんなに早く対応してくるとは露とも知らず、それも孫呉等に力を裂く暇など無いはずだ、と。

 それでいて彼の者はねねにとって嫌な手を打って来ても居た。


――まさか諸葛亮の奴が……荊州の攻略を同時進行で進めるなんて思わなかったねねの失態。


 ギリ、と歯を噛みしめた。

 短い会合で交換した情報は幾多。しかもその全てが悪龍の残した策略を上手く使えるようになるモノばかり。

 まだ足りない。ねねでは足りなかった部分があった。一手か、はたまた二手は遅れていただろう。

 この戦が終われば身を隠すつもりではいた。そこから劉備勢力の内部に居させている菜桜や藍々と秘密裏に連絡を取るつもりで居たのだ。

 しかし、諸葛亮はそれを繰り上げてきた。それも劉備が得をするカタチで、である。


――これではねねの使える手札が限定されてしまったのです。菜桜や藍々が劉備に心酔した可能性さえ出てきた。元から龍飛の意見に反発を見せていたのですから、ねねの手伝いをしてくれるとは考えにくい。


 幾日前に邂逅した少女を思い出して歯噛みする。

 まるで成長するまえの悪龍のような見た目の少女。灼眼と金髪が彼女と被って見えた。底冷えするような冷たさと、深淵を覗き込んだかのような昏い知性の光。

 アレは敵だと、ねねは理解している。


――諸葛亮はまず間違いなくねね達を駒として使い切るつもり。飛龍の最後の鉤爪として、覇王を殺す剣として。覇王さえ死ねばこの大陸での乱世は終わる……概ね、その通りなのが癪ですが。


 ち……と舌打ちを一つした。

 自分の予測でも、この乱世は覇王の敗北か勝利でした閉じ得ないと理解していた。否、覇王が死ななければこの乱世は終わらないのだ。ねねもそうするつもりだった。


――きっと劉備軍では諸葛亮だけが理解しているのです。覇王だけは殺さなければならないことを。そうしなければ、もう漢の再興など望めない。それほど覇王と黒き大徳の影響が出始めた。


 悪龍の最期の願い、そしてねねが守りたい約束の一つ。漢の再興という、どうしても成し遂げたい一つの目標がある。

 思い出の中に取り残された陽だまりの一時は帰って来ない。けれども、その時にあった国だけは滅ぼしたく無い。

 優しい微笑みを思い出して、ジクリと胸に痛みが走る。


 今はいい。小さく頭を振った。

 別に思考に向き始めた意識を戦場に向ける。

 現れた集団は兵力一万前後の軍。孫の旗が掲げられていることからも分かる通り虎の首魁が其処に居た。

 ほう、と感嘆のため息を一つ。軍師としての彼女は、その軍の精強さをしっかりと見抜く。


「……副隊長、アレが本物の軍なのですよ。我ら飛龍隊の完成系はアレに近い。頭が先頭で戦う、後ろで軍師が指揮をする、そしてお前達が手足や牙となって食い破る。

 孫策と周瑜の阿吽の呼吸が部隊全ての能力を段違いに引き上げ、周瑜が兵士達を操ることで孫策の命を守り切っているのです」


 見事だ、というしかない動き。一番多く集まった劉表軍の兵士集団の数は四倍に近いというのに、彼女達の方が戦場を操っているのだ。

 一つの動きも見逃すまいとしていた副隊長の男は、小さく呆れたような吐息を漏らした。


「皮肉ですな。我らは龍なのに虎から学ばないといけないとは」

「足りないと気付けるだけお前達はマシなのです。堕ちた同朋達は、あれだけ無様に負けていても勝てると思っているでしょうからな」

「……何故、奴等はアレだけ不利なのに向かっていくのでしょうか?」


 確かに数では有利だ。しかし結果は火を見るよりも明らか。殺した数に反して、積み上げられる味方の死体が多すぎる。


「村を襲い、街を襲い、奇襲で軍を襲い、そうして勝ち続けてきたから慢心や油断が出る。自分達は強いと錯覚し始める。ド素人の集団と何も変わらないのです。

 あそこに武将の一人でも居れば少しは違うのですが、如何せん劉表軍には武将と呼べる程の才覚を持つモノは居ない。だから判断も下せず、勝ち過ぎで鈍った頭では劣勢の見極めも非常に困難になりますな」

「……肝に銘じておきます」

「しかし」


 鋭く目を細めて言葉を区切ったねねは、じ……と一所を睨みつけた。

 不思議そうに首を傾げた副隊長は、ねねの次の言葉をただ待った。


「このままでは面白くないのですよ。何よりあいつらにも想いがあった。そして我ら飛龍隊にも想いがある。こんなあっさり負けては何も為せない、変わらない。落とし前くらいは付けさせましょうぞ」


 にやりと引き裂いた口は楽しげに。薄緑色の二房が笑うように揺れた。


「さて」


 小さく頷けば、副隊長は胸を張る。誇らしげで、まるでねねが次に言う言葉を分かっているかのよう。


「お前達はどうしたいのですか」

「あなたに従います」

「なら……我らは飛龍であり悪龍。ふふ、すべき事など……決まっているのですよっ」


 舌を出した。紅い舌が食したいのは何か、言わずとも知れている。


――此れも一興。お前の思惑に乗ってやるのです、諸葛亮。こいつらが強くなる為にも。


 ばさりと上がる旗が丘の上、強い風にはためいて存在の証明を上げる。


「羽を広げよ飛龍隊! 我らは地に伏す竜に非ず! 虎を喰らいて天を舞う力と為せ! 孫策を……喰い殺すのです!」


 銅鑼が鳴った。戦場に鳴り響く金属音は天まで響く程に高く気高く。

 太鼓が鳴った。まるで鼓動を早めさせるように強く力強く。


「さあ、悪い事しようぜ、なのですよ!」


 ぞろりと立ち上がった飛龍の群れが、翼のような旗を靡かせて声を上げた。

 大きな、大きな声だった。虎も気を向けざるを得ない程の大きな声だった。


――お前はやっぱり最悪の軍師なのです、諸葛亮。

 孫呉の怨みを全てねねと恋殿に集め、自分だけはのうのうと味方の振りをするつもりなのですから。


 部隊長と同じ馬に乗りながら、最後列で赤兎馬に乗る彼女をチラと覗き見た。

 何も言わず、何も意思を宿さず追随する彼女は人形だ。自分の言うことを聞くだけの。

 チクリ、と胸が痛んだ。

 これでいいんだろうか。これが正しいんだろうか。また、彼女が嫌う戦場に向かわせるしか無くなった。

 

 なんのことは無い。

 どうせ自分も、あの女と同じ最悪の軍師だ。

 何せ、愛しい人さえ、自分のわがままの為に利用しているのだから。


――恋殿……ねねは……


 彼女の想いを知るモノは誰も居ない。

 日輪が突き刺すような光を向ける昼間の事だった。






 †






 他愛ない、と感じ始めた頃合い。些か数は多かったがそれでも戦えない程では無く、連戦に次ぐ連戦であっても身体は羽のように軽い。

 だからだろう。その音が聴こえた時に自然と笑みが零れたのは。

 雄叫びと銅鑼の音。戦が正常に動いているという証明のような合図。ただの賊討伐のような戦では無い戦場の空気。

 ケモノのように人を殺していた自分の脳髄が一寸冷えた。カチリと切り替わった頭の中は、最適解を出すと同時に口を開かせた。


「方円陣展開っ! 守りを固めよ!」


 到着してからでは遅い。アレは気合を入れて掛からなければ呑まれると勘が告げていた。

 兵士達は長年付き従ってくれていたからか、冥琳の指示を待たずに雪蓮の指示に従いすぐさま陣容を変える。合わせるように後続の者達も陣容を変化させていた。


――さすが冥琳……よく合わせてくれる。


 増援は期待していない。冥琳の計算上はまだ掛かるらしいから。本城で全ての兵が合流するまでに各個で叩いてしまうのが一番なのだ。

 せめてそれくらいはしてくれないと困る。亞莎も穏も次世代の軍師。いつまでも冥琳を追い抜けないようでは未来は無い。

 蓮華にしても、この状況を打破する策を実直に考えているだろうからきっとしてくれると信じている。

 祭はきっと問題ない。あの人はいつでも経験から判断してくれるし、思春は得意な水上戦闘にもつれ込ませれば敵は居ない。

 それぞれがそれぞれの役割を果たせばこの程度の戦などすぐに終わらせられる。


 だからだ。私と冥琳だけは……此処に来なければならなかった。

 一番的が集まり易くて、それでいて一番……死が近しいこの場所に。

 開けていて丘から見渡せるこの場所なら、陳宮と飛将軍は間違いなく出てくる。私が長時間戦闘を繰り返せばそれにつられてのこのこと出てくる。

 まずは前に立たないと始まらない。此処で逃げられるのは拙い。悠々と掻き乱すだけ掻き乱して逃がすなど……許すモノか。


――六人がかりでも抑えられなかった最強の武人を私一人で……


 弱気にはなっていない。むしろ望むところ。此れが私の仕事で、孫策の、雪蓮のしたい事なのだから。


 私は戦う事でしか彼女達に教えられない。

 私は戦う事でしか皆を守れない。

 私は戦う事でしか存在を証明出来ない。


 だから私は、この命を賭けて皆に全てを伝えよう。

 それでいい。それでいい。

 此処が、此処こそが……私が命を賭けるに相応しい場所。

 だから早く来い、飛将軍。


 遠く、赤い髪が燃えていた。

 薄緑色の軍師を連れて、最強の武が遠くに見えた。

 変わりないあの姿に、虎牢関と洛陽での戦いが思い出されて身体が震えた。

 間の辺りにしたからこそ分かる力の差がある。あいつは間違いなく人の頂点に位置している。武のみで天に昇れる者がいるとしたらきっとあいつだけだろう。

 本物の天才、と言ってもいい。私達や夏候惇みたいな才に秀でたモノではなくて、本当に天から与えられたモノを持っているに違いない。

 しかしなんだ……この違和感は。

 遠くに見える飛将軍が小さく見えた。

 前のように圧倒的なまでの力の差を感じない。

 なんでだろう。なんで、なんで……考えるのは面倒くさいからやめようか。


 私はただ、あいつを打ち倒す剣になる。

 ギシリ、と拳が強く握られた。知らぬうちに口元が笑みを刻んでいた。

 強者なのだろう? 暴力で王を殺せるのだろう? 外策で国を崩せるのだろう?


 私の全てと、孫呉の全てをこの剣に乗せてやる。

 お前達二人に、教えてあげる。

 国を守るモノの剣を。






 †






 早馬が来たのは必然。広い対応をさせていた情報収集の賜物であろう。

 二里ほど離れた開けた場所で戦が行われていると言う。其処から軍師の出した予想は一つのみ。

 誰が戦っているか……そんなこと聞かずとも分かった。帰ってきた姉さまと冥琳が戦っているのだ。


 全速力で行軍すること幾分、土煙の上がる戦場に漸く到着して私達は目を疑った。

 幾重モノ死体の山、未だ止むことの無い剣戟。姉さまが連れていたのは一万程度のはずで、敵の数は五万を超えていた。

 しかし未だにことを運んでいる様は称賛するしかしようが無い。

 此処まで違う。姉さまと私達は。


 カチャリ、と音が鳴る。

 横を見れば諸葛亮が不思議な筒を目に当てていた。


「……未だ部隊同士の戦で膠着しているようですね。飛将軍はまだ出てません。孫策さんは少し傷が多いです」


 まだ遠くて見えないはずなのにそんなことを言う。丘の上からだから確かに戦況は分かるが、呂布は旗さえ掲げていないというのに。姉さまが傷だらけなんてことも見えないだろうに。

 その道具が答えなのだろう。遠くが見えるモノなのだ、きっと。徐公明はモノづくりも出来ると言っていたし、きっとその名残に違いない。


「完成してたのか、それ」

「まだ試作段階ですが……望遠鏡の効果はまずまずです」


 白蓮の問いかけに答えながら諸葛亮はぶるりと震えた。一寸宿した瞳の光は暗く、それでいて少女に似合わない妖艶さ。口元の笑みが気になった。


「……黒麒麟の発明?」

「此れについては後で。今は増援を送りましょう」


 確かにその通りだ。聞く時間などこれからいくらでもある。今は便利な道具よりも戦場の方を優先しないと。


「私が行こう。城で待機させていた部隊もそろそろ我慢の限界だからな。いつも以上の働きを見せてくれるだろう」

「孫権さん自ら、ですか?」


 訝しみながら諸葛亮が首を傾げた。


「飛将軍が何時出てくるとも限らない。その時の危険は重々承知の上よ。でもここで指を咥えて見ているなんて……私自身が許せない」


 そうだ。姉さまみたいな武力は無くとも、部隊を指揮することで手助けくらいは出来る。後ろで構えているだけの王になどなりたくも無い。もう私も、随分待ったのだから。


「……賛同できません。あなたは飛将軍を知らなさ過ぎます。たった一人で三万の賊徒を壊滅させ……徐公明、関雲長、張翼徳の三人掛かりで傷一つ付けられない武人を前に、何が出来るというのですか」


 冷やかな目で飛んでくるのは真正面からの否定。

 その圧力に、私は思わず生唾を呑み込む。

 諸葛亮はその被害の大きさを理解している。それがどれだけ馬鹿げていることか分かっているのだ。灼眼の瞳は雄弁に語る……敵は間違いなく、化け物だと。


「情報では知っている。だが……」

「じゃあシャオも行く」


 ギシリと歯を噛みしめたと同時に、後ろから声が掛かった。

 振り向くと見えたのへ決意の眼差し。強い光を宿す蒼い目に、煌く輝きが燃えていた。

 しかし容認など出来ない。


「シャオ、お前はこれが初戦場だろう? 却下だ」

「ヤダ。シャオだって戦えるもん。姉さまが戦ってるんだよ? お姉ちゃんも行くんでしょ? なのにシャオだけ此処で待ってろって?」


 そういうだろうとは分かっていた。私達が戦うというのにシャオだけ置き去りに、なんて出来るはずも無い。妹の個人的な武力は……今はもう私より上。

 難色を示し押し黙っていると、シャオの頭をグシグシと白蓮が撫でた。


「シャオは私と一緒に行こうか。朱里は蓮華と共に行け。お前と蓮華なら周瑜とも上手く合わせられるだろ? 私とシャオは白馬義従による遊撃と攪乱主体で飛将軍の意識を引き付ける。それにお前ら……勝利条件を間違ってるぞ」


 落ち着かせるように息を一つ吐いた白蓮は、私達をぐるりと見渡した。

 感嘆の吐息を漏らしたのは諸葛亮。浮かべるのは期待の色と、信頼の微笑み。諸葛亮は分かっていて私達を試した、ということ。


「勝利条件は揚州の防衛であって、飛将軍の討伐じゃあない。頭を討ち取らないと終わらない戦ってわけじゃなくて守れば勝ち。そうだろ、朱里?」


 咎めるような視線を向けられて諸葛亮は苦笑を一つ。


「はい。ある意味、この戦はもう既に終わっています。相手の悪あがきがどのくらいの時間続くか、それだけです」

「しかし飛将軍は……」

「たった一人が精兵の壁を時間無しに突破出来るとお思いですか? 孫策さんを守ればこちらの勝ちなんですから……兵士の犠牲がどれだけでようと、それで私達の勝利です」


 またばらける事も無く、飛将軍が揚州に潜伏し続ける事も無い。諸葛亮はそう言っているのだ。

 孫呉ならばそれくらい出来るだろう。飛将軍さえいなければ警戒の幅はグッと下がる。だが何故、白蓮も諸葛亮も確信を以って飛将軍撤退を断言できる?


「……根拠の説明は?」

「……切片だけでも。敵軍師陳宮が潜伏していたのは荊州。現在戦に来ているのは荊州の兵士達。そして現在の荊州を一時的に掌握するに足る人物が劉備軍には居る。此れだけでどういう事か分かるはずです」


――そういう……ことか。


 ニコリと微笑んだ諸葛亮の瞳の冷たさに寒気が走った。


「ほら、終わりでしょう? 敵が頼れる場所など、何処にもないんですから。

 それに飛将軍単体を屠る術など幾重もありますよ? 武人の誇りを優先したいのなら別ですが、強すぎる化け物とは真っ向から戦わなくていい。人間というのはそうして虎を屠り、龍の怒りを鎮めてきたんですから」


 この少女には何が見えている?

 それとも私達の動きすら掌の上か?

 疑い出せばきりがない。しかし……こいつを信頼しても、いいのか?


 居辛い空気の中、慌ただしく駆けてくる兵士が居た。

 汗も拭わないその姿に何事かと思った。


「どうした?」

「で、伝令! 周瑜様よりの指示をお伝えします!」


 冥琳から? 広く周辺をも探っていたんだろう。これで私達の動きも確定させられる。


「劉備軍の助力、感謝する! 白馬義従は遊撃と攪乱! 孫権様は孫策隊本隊と合流後に後詰めと制圧を! 残りの兵は千ずつでばらけさせ敵離脱兵の殲滅とのこと!」


 諸葛亮や白蓮の予想通りに、冥琳はこちらの動きを決めてきた。

 最適解はそれらしい。なら、あとは私達が動くだけだ。


 しかし……最後に兵士は苦悶の表情で言葉を続けた。

 私にとっては、全く理解など出来ない言の葉を。


「……飛将軍は我らが主孫策が討ち取るべし! よって、戦場で一騎打ちに発展した場合は何が起ころうとも手出し無用也!」


 吹き抜ける風が寂しげに頬を撫でた。

 一際大きな雄叫びと銅鑼の音が鳴り、戦場の狂気がより一層増した気がした。
















 驚く皆の後ろで、一人の少女が微笑んでいた。

 茫然と衝撃を受けたまま馬に跨る蓮華も、何をバカなと悪態をつく白蓮も、心配と不安が綯い交ぜになったまま固まっている小蓮も、その笑みを見たものは誰も居なかった。

読んで頂きありがとうございます。


きりが良かったので分断。お許しください。

朱里ちゃんはイロイロと考えているようです。

ねねちゃんもお悩み中。


次でちゃんと孫呉は終わらせます。


ではまた。

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