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居場所は変わりなく


 血と臓物が大地を彩る。本当は兵だったはずのモノ達の死臭で埋め尽くされ、慈悲など欠片も無かった。

 肩で息をする戦姫が、一人。返り血を盛大に浴びて大地に剣を突き刺して立っていた。


「……ふふ……いいわね。久しぶりじゃない、この感じ」


 ペロリと下で頬に付いた血を舐めとった。

 すっかり忘れていた。自分が生きてきた場所を。自分が生きてきた意味を。

 母に連れられて戦場から戦場を渡り歩き、命の極限と感情の津波を感じる場所を生き抜いてきた。

 何の為、どんなモノの為、誰が為、誰が大切の為に。

 南海覇王と呼ばれる剣を振るって十数年。いつも心にあったのは愛しい愛しい大地への想い。


 茶番を敷くようなクズに奪われたこの大地。

 自分の幸福の為に他者の平穏を喰らう肥えた為政者達。

 お綺麗な言葉を並べようと、その腐った心の匂いは間違わなかった。

 友好関係など築くことは出来ない。従うなど反吐が出る。そんな下らないモノ達に屈し、心折れて同調などしてしまったら、虎は虎では無くなってしまう。


 自分達が戦った意味は、自分達が勝ち取った平穏は……そんな輩を駆逐したかったのだから。その為の足がかりが、もうずいぶんと昔に奪われた。

 有象無象、悪鬼羅刹、魑魅魍魎が跋扈していた揚州の地を、虎は平らげたはずだったのだ。なのに奪われて、やっとこの間に奪い返した。

 だというのに……また奪われようとしている。


――こんな世界を変えたいと、どれだけ剣を振るってきたことか。


 いつでも繰り返しだ。

 歴史を見ても、何であっても、この世界は悪い部分が繰り返してばかり。

 求められる声だけじゃなかった。自分がそう願ってこの世界を変えたかった。


 誰も彼女には近づかなかった。味方の兵士達でさえ恐れ慄き、あまりの苛烈さに近付くことすら儘ならなかった。戦いが終わったこの時でも変わらず。

 焼け果てた村の一端で、彼女はふと、一つの小さな靴を見つけた。可愛らしい子供の靴。少女のモノであろうか、きっと未来に希望溢れるモノだったに違いない。

 憂いた瞳で靴を手に取る。この小さな足は、どんな道を歩こうとして、どんな道を歩けたのかを想うと心が締め付けられる。

 カタ……と小さな音が鳴った。横に目を向けると、其処には大きな瓶が蓋をされていた。

 不思議に思った。ネズミでも居たのか、と。でも何かが違う。気配がある。怯えが、あった。

 一歩、二歩で雪蓮は瓶の蓋を開けてみた。


「ひっ……」


 其処には、絶望の闇色に瞳を落ち込ませた少女が、一人。


「や、やら……おかーさんっ……たすけてっ、おかーさんっ」


 ぎゅうと身を縮こませた少女は、瓶の底で蹲る。何度も何度も、母を呼びながら。


 誰だろう。誰かに見える。誰かに被って見える。救いを求めるその声は、誰も助けて等くれないのだと知らなかったあの頃にそっくりだった。

 こんな時に自分はどうすればいい。母はどうしてくれた? 何をしてくれた?

 考えても分からない。雪蓮は、剣を渡されて戦場に放り投げられただけだったのだから。


 故に彼女は……『自分がして欲しかった事』をする事にした。


「っ……やっ。やだぁっ! おかーさんっ! おかーさん!」


 暴れる少女の身体を、雪蓮は無理やりに抱きしめた。腕の中にすっぽりと納まる少女の体躯は、幼さ故の暖かさは無く、随分と冷え切っていた。

 もがいて暴れて、その少女はどうにか抜け出ようと混乱の極みに居た。


「……ごめん、ね」


 ぽつりと、言葉が一つ。

 耳元で零された優しい声に、少女の力が少し弱まる。

 鼻に突く血の匂いは、きっと嫌だろう。

 臓物がこびり付いた服など、きっと気持ち悪いに違いない。

 でも、雪蓮はこうしなければならない気がした。

 零れる涙を止めることは出来なかった。泣くまいといつも決めていても、こんな時は涙が溢れて仕方ない。


「ごめんっ……ごめんねぇ……私が、私があなた達を守らないとダメなのに……っ……」


 温もりに包まれた少女は次第に微睡へと落ちて行く。

 雪蓮は村で生き残ったその子にだけ、自分の弱さを曝け出した。






 †





 現状の揚州は混乱の極みにある。

 故に責任者たるモノが城を空にするのは悪手ではなかろうか……仕事も山積みで終わる事の無い量に夜も眠れないまま、どの選択が正しいのか決め兼ねていた頃に訪れた公孫賛の救援。

 出来すぎている。余りにいい時機過ぎた。だがしかし、本人は噂以上と言っていいほど『いい人』だった。

 私が話してみた限りでは表裏が無い。王たる決断を下すような、そんな駆け引きの場では確かになるほどと言わざるを得ないが、腹芸では無く実直な対応をしている時の彼女は信じがたい程に分かり易く素直だった。

 半日の休日を貰い久方ぶりにゆっくりと寝て、公孫賛が建設中の店に交渉して料理人を引っ張って来たことで美味しいモノを食べさせて貰った。

 正直、休んだことによって身体も心も随分と楽になった。いけるモノだと思っていたが、やはり人は休まないとダメらしい。

 そうして挑んだ昼下がりの謁見。正式に、とは言ったモノの堅苦しくする気も削がれた。


――“幽州流”と言っていたけど、情報通りならあの男が来てから出来上がったモノだろう。


 公孫賛は笑いながら話してくれた。彼女も私のように仕事ばかりに頭の大半を捉われて余裕も何もあったものじゃなかったのだと。

 姉さまがちゃらんぽらんな事をしつつも何故か仕事が出来るのは、きっと上手く手を抜いているからなのだ。能率、効率がいいと言い換えようか。私は手を抜くことなど出来ないけど、気を抜くことくらいはしようと思う。

 私が学ぶべき所は公孫賛からも多いらしい。これを機に彼女と友好関係を深めておきたい。実直な王としての先達なのだから。


 自然体のまま穏やかな瞳で見つめてくる公孫賛を玉座から見下ろして、彼女の申し出に返答した時は上にいるのに下に思えた。まだ、私は足りない。でも圧されることは無い。彼女とはあくまで対等で、彼女と手を取るというのなら……私は孫権として、そして“蓮華”として話せば良かっただけ。

 今現在、彼女と共に軍を進めている。

 城を空にしてもいい、と判断を下したのだ。内政も何も文官達に全てを割り当てて、裏切りも内部工作も起こらないと信じることにした。


 ただ実際、前々から不穏な動きはあった。

 袁家程度が相手ならばこちらについてくれただろうが、劉の名に従いたいモノは確かに居たのだ。

 此処に劉備が介入してきたことで話はがらりと変わる。

 実質的な荊州の支配者はもういない。本来跡目を継ぐはずだった劉表の娘は劉備の所にいるし、劉備も同じく劉姓だ。劉表の部下達に踊らされているモノ達も掌を返しやすくなり、身の安全を保障するには十分だろう。

 私達孫呉側としては腹立たしいことだが、今起きている戦を収束させてからでないと前に進めない。


――苦肉の選択、と言ってしまうのは失礼か……これを上手く利用した方が“私の描く理想”の為になる。


 信頼はまだしてない。でも信用は出来る。

 隣で小蓮と話ながら穏やかに馬を進めている公孫賛を見ていると不思議に信頼したくなるけれど。

 彼女の穏やかさは……少し羨ましい。


「――――ってな感じでさ、あいつはいっつもバカなこと思いついて正座させられてたんだ」

「うっそ、シャオが考えてたのと全然違うんだけど……」

「普通の男だよ。バカで、悪戯好きで、意地っ張りで、しょうもない事考えてばかりで、可愛い女の子に弱い、そんな普通の奴」


 小蓮はしきりに公孫賛から話を聞いていた。言葉遣いを砕いたのは公孫賛が言ってきたからだ。

 今の話題は黒麒麟のこと。幽州で公孫賛が見てきた、私が戦場で対面しただけのあの男のこと。

 耳に入れながら驚愕する。聞く限りでは確かに普通だった。行いにしても、平穏無事に生きている時の徐晃はそこらに居る兵士となんら変わらない。

 命をゴミのように切り捨てる黒麒麟とは到底思えなかった。

 どうして公孫賛は……黒麒麟に切り捨てられたはずなのにそこまで楽しげに語れるんだ。


「思い出してもへたれたり怒られたりしてる時の方が多いんだよなぁ、あいつって」

「でも仕事は出来たんでしょ?」

「そうなんだよ。変なこと思いつくし人を使うのが上手いから、適当な文官を二、三人付けるだけで大概の案件は終わらせて来る。自分だけ遅くまで仕事するくせに他人の寝る時間には口うるさかったかな」

「へぇ、それって優しさじゃない? 情報で知ってるよ? 幽州の白馬長史は仕事の鬼、何時睡眠を取っているか分からないって」

「仕事の鬼とか……私のそんな情報集めなくてもいいだろ。まあ、その話はいい」


 少し寂しげな表情の公孫賛は小さくため息を吐いた。感情を帯びた瞳が揺れる。


「優しさ……ね。ちょっと違うかもしれない。

 心配するのは誰でも出来る。気遣うのも誰でも出来る。でもあいつのは……自分勝手のわがままなのさ。勝手にやって、勝手に奪って、勝手に笑わせて来て、勝手に側に来る……そんなわがまま。

 互いに寄り掛かったりしないけど絶対切れない絆が出来たのはあいつがそんなわがままを押し通してくれたからで、あいつが優しいってだけじゃきっと此処までならなかった」


 不思議な瞳の色が示すのはきっと親愛。彼女はそのわがままを許容していて、その関係が好きだったということ。

 誰だろう。誰かと誰かの関係に似てる。私はソレを近くで見てきた……そうだ……姉さまと冥琳の関係に似てるんだ。

 むむっと唸ったシャオがポンと一つ手を叩いた。


「あ! なんかアレだね、伯珪さんと黒麒麟って夫婦みたい」

「……へ?」


 一寸止まった公孫賛から呆けたまま出た変な声。

 徐々に、徐々に顔が赤く染まって行く。半笑いでぶんぶんと首を振り始めた。


「は、はは、わ、私とあいつが? いやおかしいだろ! ないないないない!」

「だってなんでもわかり合ってる夫婦みたいにしか思えないんだもん」

「無い! あいつは無い! 私とあいつは友達なんだ!」

「えー? そんなこといいながら真っ赤になってるじゃん♪」

「お前が変なこと言うからだろ!?」

「変じゃないもーん、ね? お姉ちゃん♪」


 私に話を振るな。

 とはいえ、シャオからこんな気兼ねなく声を掛けられたのは久しぶりな気がする。なんだか胸の中がジワリと暖かくなった。

 自然と、口の端が持ち上がっていた。静かに瞼を閉じる。穏やかな空気が心地良かった。


「そうね、きっと伯珪殿と黒麒麟はお似合いだと思う」

「な……孫権殿まで……」

「ほら♪ 敵対してるけど伯珪さんの愛で黒麒麟を取り戻して乱世を終わられば……なんか物語みたいだね」

「やめっ、やめろよ恥ずかしい! 私の愛とかなんなんだよ! そんなんじゃないし!」


 なんだろう。この人は自分から弄られやすい方向に話を持って行くクセがある気がする。

 緩い空気に、クスクスと笑いが口から洩れた。


「でも黒麒麟が欲しいんでしょ?」

「欲しいとかじゃない! あいつは一回ぶん殴らないとダメな大バカ野郎なだけなんだ!」

「つまり伯珪さんと黒麒麟の戦は夫婦げんかに等しいってこと? ダメだよ? 家の中でだけにしなきゃ」

「だからそんなんじゃない! それにいいんだよ、あいつの帰る家は私の居る場所で、それなら家族の喧嘩になるんだから」


 ああ、ダメだこの人は。どうにか言い返そうとしたんだろうけど、その発言は最悪の方向にしか持って行かない。


「伯珪さんの居る場所が家って……やっぱり家を守ってる妻にしか思えないんだけど」


 言われた瞬間、公孫賛の顔が更に赤くなった。


(あいつが夫……? 私の? 雛里と星が居るんだぞ? それに朱里だってアレだし……確かに秋斗は一緒に居て楽しいし暖かいけどさ)


 ふるふると震える身体、何やらぶつぶつと呟いているが聞き取れなかった。


「ふふっ、伯珪さんって面白いね♪」

「こら、小蓮。からかい過ぎよ」

「でも気にならない? 黒麒麟に切り捨てられたのに伯珪さんは全然悪感情を向けてないんだもん。それってやっぱり好きだからかなぁと思って」


 鋭く光る瞳、その目には見覚えがあった。意思をもって何かをしようと決めた時の目だ。

 私にだけ聞こえる声で語りかけてきた小蓮は、あちらから情報を得ようとしていたらしい。


――何を狙って? 疑心暗鬼過ぎか? でも小蓮の目が気になる。公孫賛と出会ってから急に態度を変えた事も。


 全てを聞き出そうとする事はよろしくない。誰だって踏み込まれて嫌な部分はある。

 小蓮が私達を騙している、というわけではない。

 きっと孫呉の為になることで、それでいて小蓮が秘めている事を叶える為の方策か何か。


――今はいい。


 難しく考えすぎるのはよくない。何より妹を疑っている自分に腹が立つ。

 というか……妹がすることを管理したい、そういうように見える。支配と管理のどこが違う。首輪を付けられて箱庭で暮らす窮屈さは自分達がよく知っている。

 家族を利用などしたくも無い。


 寸分の吐息は切り替えの為に。

 数瞬の思考を切り捨てて、小蓮の瞳をじっと見つめた。


「恋仲かどうかは置いておきましょう。伯珪殿を見るにそういう事に慣れていなんじゃない?」

「お姉ちゃんもでしょ? シャオもだけどさ」

「言わないの。そんな暇も無かったわよ。

 でも、何処かの誰かと結婚して血を残すとして目は養わないとダメね。そういう点で……黒麒麟を間近で見てきた伯珪殿は私達よりも上でしょう」

「……男を見る目、かぁ……」


 思い悩むような一言に、シャオの眉が僅かに寄る。

 公孫賛が漸く自分の世界から戻ってきたようで咳払いを一つした。

 ハッとしたシャオが僅かに首を傾げる。


「……一応言っておくぞ? 秋斗……黒麒麟徐公明には恋仲の女が居る。互いに想い合っているし絆は私よりもきっと深く繋がってるだろう。だから夫婦なんてからかうのはやめてくれ、あいつら二人の為にも」


 生真面目にそう説明する彼女は、本当に友達想いの良い人だ。

 先ほどの対応から見るに、彼女も少なからず徐公明の事を意識したりはしているのではなかろうか。

 その点の考えはシャオも同じだったようで、さらに首を捻った。


「情報だと徐公明って侍女を三人侍らせてるらしいし、結構な女好きかと思ってたんだけど」

「……其処はあいつの為に弁解しとく。

 好意を寄せられるだけで想いに応えるとか、好きになってくれた人皆を愛してやるぜとか言っちゃうような、そんな都合の良い男じゃないんだよ、あいつは。優しいとかそういうありきたりなモノで女に惚れられるような奴でも無い。可愛いからとか魅力的だからとかで直ぐに女に惚れる奴でも無い。

 きっと尚香は何人も妻を持てばいいから問題ないとか考えてるだろうけど、あいつは余程じゃない限りしないだろう。それがあいつなりに考えてる誠意の返し方、だと思うぞ」


 先読みして返された答えにむっとシャオの眉が寄る。

 有力者であれば妾等の存在を持つのは当たり前のはずなのに……その意思には好感が持てる。

 ただ、また公孫賛の瞳が翳った。次に語られた言葉に、私の背筋が凍った。


「でもな、あいつの本当にバカな所は……世界の為ならなんでも切り捨てる所だよ。自分自身であっても、自身の子であっても、私や星みたいな友達でも、共に戦った仲間でも、ずっと傍で支えていた最愛の一人であっても、なんでもだ」


 自分で知っていてそれを言えるのか、この人は。

 何も言葉を返せなくなって沈黙が訪れる。シャオの喉が渇きを潤す為に音を一つ鳴らした。


――それを知って尚、如何して公孫賛は徐公明を信頼できるんだ。


 私には理解出来ない。

 自分が切り捨てられると分かっていて、それでも徐公明を信頼出来る公孫賛が。

 ふいと、彼女と視線が繋がれる。疑念の色を見てか、くくっと喉を鳴らした。


「分かんないよ。私でも全然、半分も理解出来てないんだ。あいつがどれだけ……どれだけ生きてる人達の事を好きで、どれだけ世界を変えたいと願ってるのかなんてさ。

 でもそんな生き方を出来るあいつが好きなんだ。自分の命を投げ捨ててでも他人が笑って暮らせる世界しか優先出来ない愚かなあいつの事を、誰かは信頼してやらなきゃさ……私達自身がすっごくちっぽけに思えてくるんだ。敵だ味方だなんて関係ない。それが例え――――」


――――殺し合いをする間柄になったとしても。


 最後まで紡がれた時に、前方の兵士達から声が上がった。

 凛とした横顔からはもう寂寥は消えていた。公孫賛が目を細めるだけで空気が張りつめる。

 先ほどの言葉が、私の心に重く圧し掛かった。


――敵でも愛する……か。


「孫権殿、それでも“落とし前”は必要だよ。調子に乗り腐った連中がいけしゃあしゃあと……なんて民に思わせちゃならない。私達の一番大きな仕事はそれを無くしていくことだ。諦観させずに納得させ、隷属させずに手を繋がせるってすっごく難しいけど、それでも目指さないと始まらない。

 孫権殿が悩んでた時間は無駄じゃない。悩めるってことはそれだけ相手を想ってるってことなんだよ」


 ニッと笑った顔に引き付けられた。何処までも信じているような透き通った声、瞳。彼女は……光だ。


――これが白馬の王。信と義と仁を貫く北方の英雄。今出会えて良かった。


 ぐ、と腹に力を入れた。直ぐにほうと息を吐いて全身からは力を抜く。

 学ぼう。一歩一歩進んで行こう。私は恵まれている。まだまだいける。

 後に、すっと手を差し出した。一寸驚いた公孫賛が、はにかんでから手を差し出してくれた。


「私は孫権、真名は蓮華。あなたと出会えたこと、嬉しく思います」

「……公孫伯珪、真名は白蓮だ。それと敬語はやめてくれ。私の中で友に優劣は無い。蓮華も今から私の友達なんだから」


 優しくて暖かい手の温もりが、きっとこれから強い絆が育まれる事を約束しているようで嬉しかった。

 いい出会いだ。きっとこの窮地も乗り越えて、乱世を終わらせて……私や皆の望む平穏な世界を手に入れてみせよう。





 †






 軍としてのまとまりを持った集団に百数人の兵士達が合流した。

 進軍を停止して確認した蓮華達の前に立ったのは、小さな金髪の少女だった。

 白馬を進めてその少女の前に出た白蓮は、少しだけ心配を向けながら声を掛けた。


「用事は終わったか、朱里?」

「はい。万事問題有りません。この戦の終端はもうすぐそこに」


 こんな幼子が……とは蓮華も言わない。小蓮でさえまだ年端もいかないのだ。それ以上に幼い見た目だとしても、袁術を思い出せばなるほどと納得も出来よう。

 じっと見つめる蓮華を見上げて、朱里はふっと微笑み声を上げた。


「初めまして孫権様。私は劉備軍が軍師、諸葛孔明と申します。此度の盟を受けていただき、真にありがとうございます」

「まだ受けたわけじゃない。白蓮のことは信じられるけど劉備との盟はまだ保留させて貰う」

「……それは失礼いたしました。では後日、会談の場を設けさせてください。この戦を早急に終わらせてから」


 灼眼が燃えていた。その昏さを見て取って、蓮華の背筋に悪寒が走った。


――なんだ……? これが少女の纏うモノか?


 他愛ない話であるはずなのに、全てを高みから見下ろされているような感覚。

 自分が知っているどの軍師とも違うその少女の気に蓮華は……圧されず。


「分かった。だが姉さまと、だ。この国の主は孫策、それを忘れるな?」

「重ねて失礼致しました。孫権様の気質が余りに我が主や白蓮さんと似てらっしゃったので……孫策様がご隠居したいと耳にも挟んでいたモノでして、早合点してしまいました。申し訳ありません」


 何処からそんな情報を、とはこの場で言うべきではない。

 互いの軍に草など居て当たり前。如何な孫呉といえど完全に情報断絶などは出来ない。

 蓮華が気になったのは、一つ。


――諸葛亮は姉さまを見ていない。何か理由があるはずだ。盟を結ぶのが姉さまだと……劉備に都合が悪いのか、それともこいつが信用していないだけか。


 駆け引きの言葉に蓮華の空気が変わる。しかし、やはり止めたのは白蓮だった。


「朱里、ご苦労様。続けてで悪いが軍の予定を話してくれ。まずはこの戦を終わらせるのが先決だろ?」


 二人が口を開く前に割って入って、彼女は呆れたようにため息を一つ。

 さも当然のようにこの戦の手伝いをすると言い切って、同盟の話はまだ宙に浮かせたまま。今はまだそれでいいと、白蓮は互いの国に線引きを引いた。


「はい。では今後の予定と予想をお話いたします。小規模の軍議で構いませんので、主要人物を集めてその時に話しましょう」


 そんな白蓮の対応に内心で舌を巻きつつ、朱里は軍議の主導権をもぎ取りにいった。

 自分が知っている情報があるから、孫呉が行うはずの戦に自分達の介入をやりやすくしていく。

 白蓮と先に邂逅させたのは正解だったと、朱里は微笑んだ。


「分かった。部下を集めよう。中心に幕を張らせるから少し待っててくれ」

「ありがとうございます」


 短い返答の後に、朱里は去って行く蓮華の背をじっと見つめた。

 大きく見えるその背中に、彼女の王才を見て取る。ただ……心の内で呟いた。


――白蓮さんや桃香様に似てる。でも、“あの人”なら……此処で緩く笑って楔を打ちに来る。


 様々な王を見てきた彼女は思う。特に、自分が一番恐れ、そして愛する男の背にはまだ届かないと。

 飢えていた。自分の全てを使っても足りない存在に。敗北させられたのは覇王と黒麒麟の二人にだけ。

 自惚れることなく、彼女は冷静に人を見極めていく。


“足りない所を補わないと。その為には孫策さんが……邪魔だ。”


 心の声を振り切って、彼女は頭を小さく振った。

 上手く行く策は多々ある。これからの為に遠大な戦略思考で組み立てられる手はいくつかある……が、朱里はそれをしない。

 あくまで桃香の為に。桃香の望むやり方をしなければ意味が無い。


――“偶然喰らえる”のなら……問題は無い。私だけが黙っていればいいんだ。こんな筋書。


 幾重にも渡る計算の元、彼女が出した答えは二つ。

 この戦で手に入れられるモノを考えた上で、欲しいものはたった一つ……“だった”。

 彼女は誰にも話さない。結果がどうであれ、もはや欲しいモノは手に入れたのだから、と。


 二人だけ残った白蓮と朱里。どちらとも無く目があった。


「……何処に行ってたか、なんて私は聞かないぞ?」

「ありがとうございます」

「秋斗なら朱里の策を言い当てるんだろうけど私には出来ないし」

「……あの人なら……私よりも上手く終わらせますよ。きっと」


 自嘲の笑いは渇いていた。ぎゅうと抑えた胸が痛みを訴える。

 嫉妬もある。羨望もある。彼のことを考えただけで甘い感情が沸々と湧いてくる。


「あいつはなんでも出来るわけじゃない、朱里の方が頭もいいのに……って言っても無駄か」

「……秋斗さんは、私達軍師にとって天敵ですから」 


 天敵、と聞いた白蓮の表情が曇った。


「最近さ、良く聞くんだ。徐公明は“天の御使い”じゃないかって話」

「……」

「乱世を終わらせる為に遣わされた天の意思。人々の祈りと願いを叶える為に戦う天よりの使者」

「……」

「苦難の人生に光を指し示す人々の希望、本当はただのんびりと暮らしていたい普通の男なんてこと、あいつをそう呼ぶ人達は知らない」


 朱里は答えない。確かに民の間でもよく噂になっている。

 人気の高い将で、他勢力にまで噂が広まっていて、英雄としての名が広まり過ぎている。

 ただし、最近その質ががらりと変わってしまったが……。


――あの人は……有利だったはずのモノをそっくりそのまま引っくり返した。自分と覇王の描く世界を作り上げる為に。


「……ただ、敵には容赦しない。悪であれば神聖なる真名さえ捧げさせ、儒の教えに反しようと親兄弟を殺させる。

 天の御使いってのは……人を恐怖と諦観に塗れさせるにも使えるなんて……皮肉にも程がある」

「天に勝とう、そう考えることこそ私達の主観と概念を打ち滅ぼす猛毒です。あの人と覇王ならこのくらいの手は打ってきます。これでもまだ序の序、始まりに過ぎません」


 矛盾の押しつけは彼の十八番だ。

 誰であれ、矛盾に気付かれてしまえば責められる。華琳でも、桃香でも、秋斗でも、白蓮でもそれは変わらない。

 他勢力で広がりつつあるその噂は、桃香の行っている方策に対して何よりの邪魔。彼が他勢力に居るという事態こそが、朱里や白蓮にとっては最悪と言っていい。


「まあ、今はいいか」

「はい。あの人の話は、今はまだ」


 遠くの空を眺めた。遥か北の大地を見る白蓮と、彼が居るであろう街の方を見る朱里。

 どちらもの目には寂寥の色が浮かび、まるで何かを待っているかのよう。

 蓮華達から軍議の合図が来るまで、二人はじっと空を見つめていた。

 まだ夜は遠く、日輪が燦々と輝いていた頃のこと。






 †






 幾分、幼子を安全な街に送るように指示してから、雪蓮は泣き腫らした瞼で友の隣に居た。


「……呂布の……いや、陳宮の取る戦略は大詰めだ。此処から南西の街道に従って本城を目指すだろう。ばらけた兵士集団は続々と集まり出す。祭殿は東南、思春は東北に向かっているそうだ。我らは――――」

「決まってるじゃない」


 遮られる話。俯いた顔から聴こえるのは声だけ。桃色の髪のせいで表情は見えなかった。


「……何が、決まってる?」

「もうね、私は我慢出来ない、出来そうにない。皆殺しにしても満足出来なかった。あんな奴等じゃ腹の足しにもならない」

「……」


 つーっと、彼女の唇から赤い雫が垂れる。

 目を細めた冥琳は、同じように唇を噛みしめた。雪蓮がどれだけ、この地を好きか知っているから。抑えがたい激情の渦を、どれだけ抑えて来たか知っているから。


「愛しい愛しい、私の大切を汚してくれた落とし前……つけさせてやろうじゃない」


 上げた顔、その蒼い水晶の瞳に炎が燃えていた。

 怒りか、憎しみか、昏い色を宿したモノにしては……少しばかり透き通っていた。

 何の為に戦っているのか、その想いを再確認した雪蓮は敵を間違えることはない。


「やめろと言っても行くんだろう?」


 苦笑と共に冥琳がため息を一つ。世話の掛かる親友だ、それでも彼女の事は自分が一番良く知っている。


「うん、ごめんね冥琳」

「じゃあこれだけは言っておくわ」


 慣れた手つきで髪を一掻き、雪蓮の前髪をかき分けて……冥琳は彼女のおでこに口づけを一つ。


「あなたを信じてる。おかえり言わせて、絶対よ?」


 心配も不安もあるはずなのに、そうして送り出してくれる友がどれだけ有り難いことか。

 いつもいつもこの人には敵わないと、雪蓮はそう思う。

 照れくさそうに舌を一つ出して、雪蓮は笑った。


「はーい♪ 愛してるわ、冥琳っ」


 二人のやり取りはそれだけで良かった。

 自分達の想いを胸に秘めて、双頭の虎が己が戦場に脚を進め始めた。



読んで頂きありがとうございます。

遅れて申し訳ありません。


少し急ぎ足ですが孫呉の所は次で終わらせたいと思います。

ではまた

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