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夜の帳に半月が笑う

 溶け込むように黒に沈んでしまいたい、そう思えるのは贅沢なのかもしれない。

 鈍った頭はあまり働かない。手足を動かすことさえ億劫だった。

 あぐらを掻いた膝の上、すやすやと眠る少女の髪を優しく撫でながら、秋斗は星と月が煌く夜天の空に杯を掲げた。


「また潰れちまうなんて情けねぇ……」


 グビリ、と酒を一口。

 彼なりに今度は抑えて飲んでいたつもりが、やはり霞達に絡まれると限界まで飲まないなんてことは出来ないわけで……その上、酔いが回った状態でのまくら投げなど自殺行為に等しい。

 楽しい夜だった。

 そろそろ酔いが回ってきた頃に布団を敷いて、皆で枕をぶつけ合った。ただそれだけであるのに、子供のようにはしゃいで、笑って、騒いで、一人また一人と眠りに落ちて行った。

 人が減った所で語りを始めれば、楽しくとも疲れが出て寝てしまう。彼も知らぬうちに寝た口である。

 昼前までよく眠っていたおかげで浅い眠りで済んだ彼は目を覚まし、抱きついている雛里と朔夜をそっと剥がして……そうして、彼はいつもの如く一人夜天の下に来ていた……はずだった。

 あまり酔わなかった雛里に気付かれてしまえば、一人で寝るつもりなのかと不安がられるのは当然で、こんな状況に陥るのも詮無きかな。


 整えられた庭先の東屋。二人は静かに星の下。緩やかに流れる時間に身を任せている。


「……ったく、敵わないなぁ」


 眠いのについて来る小さな少女。この腕の中にすっぽりと収まる彼女は、やはり秋斗の心を容易く見抜く。

 皆が寝静まってから起きるだろう。誰にも気づかれないように部屋を出て、朝方に何食わぬ顔で帰ってくるのだろう。それくらい、雛里には読めていた。

 蒼髪を静かに梳く。クセが付かないように、するり、と二つに結っている紐を外して、優しく優しく撫でていた。

 温もりがあった。彼女の小さな身体から秋斗に与えられる温もりが、心の中まで溶け込むかのよう。

 抱きつくその腕、可愛らしい寝息、容易く手折れてしまいそうな存在……その全てが大切に感じる。


 彼女の存在を感じていられるだけで自分は壊れない気がした。自己乖離していた自分の心が彼女を想うだけで一つになって、その都度、自らのちっぽけさに呆れが漏れる。


 ふにゃり、と彼女が笑った。何かいい夢を見ているのかもしれない。

 抱きつく腕が少しだけ強められ、彼は彼女の頭を優しく二回、ぽんぽんと叩く。


「お前さんの夢の中で、黒麒麟は笑ってるのかな?」


 思い出した感情の一つ。抗い難い救済欲求に、少しだけズキリと頭が痛んだ。

 彼は絶望の一端に触れた。

 其処は救いたいと願う渇望の海で、切り捨てるしか出来ない自分への憎しみで溢れかえる、昏い暗い怨嗟による自責の炎の中。


 殺してくれと叫んでも、自分がやらねば生きている全てのモノが壊される。

 死なせてくれと喚いても、誰かが死ぬことを知っているから死ねるわけなどない。

 どうやって世界を変えればいい。それさえ分からぬ手探りで、自分の選択を信じるしかない雁字搦めの操り人形。


「誰にも言えないもんな……」


 誰かに吐き出すことは弱さだ。知って貰いたいという弱さで、それを見せれば耐えきれぬはずは無く……例え愛しい少女が認めてくれようとも、皆で支え合うことなど出来なくなる選択肢。


――いや……それだけじゃない。


 考えながら否定が浮かぶ。

 自分ならこう思う。自分なら、絶対に許せない事がある、と。


――俺以外の誰も嘘つきなんかにしたくない。


 自分はこの世界での偽物だから、生きている皆はせめて自分の人生を生きて欲しい。

 願いは、たった一つ。黒麒麟の願いは既に世に示されていた。


「世に平穏を……近しいもんだけが全てじゃないから当然っちゃ当然かね。俺と黒麒麟が欲しいのは、今の敵味方全てがいつの日にか平穏に暮らせる世界なんだから」


 また、コクリと酒を飲んだ。

 喉を通る熱が心地いい。酒気の帯びた吐息が宙に消え、寂しさからか、ほんの少しだけ腕の中の彼女を抱き締める腕に力を込めた。


「で? お前さんは何をしに来たんだ?」


 くくっと喉を鳴らした。次いで出る言の葉は後ろに向けて。鋭くなった感覚は酒を飲んでいても鈍らず、人の気配を感じ取っていた。

 後ろでも喉が鳴った。楽しそうな足取りはよく知っているモノで、きっと二つの螺旋が揺れている。


「可愛い幼女と秘密の逢瀬を満喫している変態男の様子を見に来たのよ」

「不純な言い方しやがって」

「あら、合ってるじゃない」

「……まあ、いいけどよ。

 来たんなら一緒に酒飲もうぜ。こんな夜に一人酒ってのもなんだし」


 クスクスと笑う彼女に、彼はため息を一つ。

 寝る時は必ず気を張っている華琳のことだからバレるとは思っていた。それでも放置してくれることに賭けたのだが、結果は大外れである。

 ぽんぽんと隣を叩いて示す。並んで座って、杯を掲げることを秋斗は望んだ。しかし……


「ふふ、ありがとう。“お酒は”貰うわ」

「相変わらずなこって」

「私だもの。それにしても……良い夜ね。空が綺麗だわ」


 小さく息を付いた華琳は、置かれた杯を手に取って、彼に背を向けるカタチで座った。


「並ばせてはくれないってか」

「さあ? 私がこうしたい気分だった、それじゃ不満?」

「いんや、いいんじゃねぇかな」


 背中合わせで互いの体温がじわりと伝わる。寄り掛かる重みはそれほどなく、互いの表情は見えないし測れない。

 これでいい、と二人は思う。面と向かい合ったら、横に並んだら、きっと何かしらつまらない事を聞いてしまいそうで。

 線引きが一つ。心の中に入られぬよう、そして入らぬように。それでいて近くに居てもいいように、と。


「おいしいお酒ね」

「店長の新作だよ。米を元にしてイロイロ試行錯誤してるらしいんだが……随分といいもんになってきた」

「あなたが知ってる味なの?」

「あとちょっとってとこかな。コレでも十分イケるけどさ」

「へぇ……完成品を楽しみにしておく」

「ツマミも楽しみにしとけ。漁業の開発が進めばもっと多くの種類の刺身をツマミにして食えるようになる」

「まさか生の魚があんなに美味しいとは思わなかったけれど……楽しみが増えたわね。他にも調理法がたくさんあるんでしょう?」

「ああ。でもさっきも言ったけど川魚は刺身にすんなよ? 大抵の場合は寄生虫で腹を壊すから」

「川魚で病気になる理由も知れるなんて、ホント、あなたの知識には驚く他ないわ」


 別に探るつもりは無かった。普通に聞いただけだが、秋斗は誤魔化すように酒を一口。


「先達様に感謝しようか。いつかは知れる知識と情報なんだ。生きている皆が外に目を向けたら、だけどさ」


 憂いを帯びた声が少しだけ。

 彼の言いたいことが何かは、華琳とて直ぐに読み取れる。


「侵略されない程強い国を創り上げるから……必ずそうなるわよ」


 強い瞳で、輝く意思を宿して、華琳は告げた。背中越しであれど伝わる熱さが其処にあった。

 それは彼に対する宣言。秋斗と華琳のどちらもが抱く、国を作らんとするモノとしての想い。


 大陸の乱世など此処で終わらせる。

 五胡からの侵略でもも内部の諍いからでも崩壊の隙を与えないような、そんな国を創り上げる、と。


 今を生きる命を支払って悠久の平穏を思い描く。ついでで齎せるなど思うことなかれ。其処に至る道は険しく遠い。支払う命に違いはあるか……二人にとっては、きっと否。

 それがどんなモノでも、二人は支払うだろう。思い描く世界が必ず作れると確信するまでは。


 ふっと、秋斗が頬を上げた。


「クク、仕事が増えるぞ? なんせ……お前さんは外の世界を知っちまった」


 異端知識で大嘘を吐きながら、秋斗の行いには一つの意味が出来ていた。

 最近気付いたことだ。華琳が殊更に興味を示し、朔夜が目を輝かせて欲しいとねだるから……彼は自分の行いが不可測を齎していると気付いた。


――求めればいい。この大陸だけじゃなく、外の国まで。

 俺が嘘を付くことで多くの智者が興味を持ち、侵略するでなく外と手を取り合える国が作れたなら、二千年後の為の布石になる。


 天竺を目指した僧が居たように。海を越えた先の地平を求めた航海士が居たように。誰かしら彼の知識の源泉に想いを馳せるモノは出よう。

 追い求めるなら国同士の交流は確実に必要不可欠であり、文化の違いを合併せず、認めた上で手を繋げばいい。大陸内での分裂は絶対に認めることは無いが。


 大陸を越えて侵略するのなら、それはただの暴君に堕ちる。

 夢は大きくともいいが、彼はソレを許さない。彼が侵略を是とする妥協点は大陸以外には決して出ないのだ……二千年後の世界の情勢を知っているが故に。


「イラつくモノ言いね。あなただけ知ってるなんて――」


 華琳は拗ねたように口を尖らせ、小さく鼻を鳴らした。


――ずるいじゃない。


 続きの言葉をどうにか呑み込む。遅れて気付いた事柄に、舌打ちを漏らしてしまいそう。

 不機嫌さが際立つ。今、自分が言おうとしていたことは子供のようなわがままだ。教えて欲しいとねだるのは、華琳としては有り得ない。

 だからだろう。せめて不機嫌を露わそうと、彼の背に強く体重を掛けた。


「うおっ」

「ふん、ばか」

「危ないだろが。ひなりんも居るんだぞ?」

「うるさい。生意気なのよ」

「しかしだな……」

「口を閉じなさいバカ秋斗」


 黙らせようと思っても、また子供のような口ぶりになってしまった。

 いつもこうだ。調子が乱され、優位に立とうと思っても偶に出てくる『華琳』の自分。


――それが楽しいとも思えるのだから度し難い。居心地良く感じている私を許せなくなる。


 落ち着け、落ち着けと心で唱えた。

 空を見上げて、誤魔化すように酒を一口。そうして華琳は心をやっと落ち着かせた。

 もうやめだ、酔っているせいにしてしまおう、と思った。きっとそうなのだ。酒に酔って楽しい時間に酔って……だからこんなに気を抜いてしまっている。


「あなたの知ってるモノは全部作り出してあげるから見てなさいよ」


 彼の耳に拗ねた声が聴こえた。華琳としては拗ねた声を隠したつもりだったが、それでも彼にはそう読み取れる。

 背中に掛かる重みは少しばかり優しく感じた。

 心の内で、彼は苦笑を零した。

 可笑しかった。可愛く感じた。でも……やっぱり哀しかった。


――なんで俺が追い駆けられる立場になってんだ。


 心を燃やして戦えたら良かったのに……そう、秋斗は思う。現世の知識も無くて、産まれたままで努力して、それでも届かないであろうこの覇王に、自分が追い縋ろうと出来れば良かったのに、と。


「クク……マジか……あははっ」

「……なによ?」


 今は野心を持てない。現世ではソレを持っていたから社畜になって働いたが、ズルをして虚飾に塗り固められたモノで得た場所になど価値は見いだせない。

 男なら正々堂々真っ向から奪い取りたい。利用できるものはすればいいが、与えられたモノでは自分自身を許せなくなる。その意地っ張りでプライドの高い所は……華琳と似通っている心の在り方。


 華琳は知らないのだ。彼の知っているモノを全て作り上げることなど不可能だと。

 今の時代のモノがどれだけ求めても手に入らないモノで、人間が不老不死や甦りを望むことと同じレベルの話なのだ。


 夜を昼のように明るくする術も、大陸だけでなくこの星の隅々まで行くことが出来る空を飛ぶ機械も、光の速さで地球の裏側と繋がれる人類の英知の塊も、星そのモノを壊しかねない最悪の兵器も……彼しか知らないし、彼には作れない。長い長い時代を積み上げ、受け継ぎ、研鑽し、そうして作られた大切な才の結晶なのだ。彼如きでどうこうなる問題ではない。

 そしてあの平穏な国が、どれほど幸せであったか彼は知っているし、彼がこの世界に作りたいと目指している理想の場所の一つだったことも知っている。


 だから可笑しくて哀しくて、笑った。

 生きている間では絶対に届かないから、哀しかった。逆転した立場から見える自分がちっぽけ過ぎて、可笑しかった。


「いやなに……やってみろ。出来るもんなら」


 これが精いっぱいの強がり。彼に出来る嘘は、本当に少ない。不敵な笑みで、作った声で、自分を大きく見せるしか方法が無いのだ。

 出来ないと分かっているから傲慢に聞こえて、その言い方こそが、華琳を勘違いの渦中に落とすと知っている。知ってて騙すしか、彼には出来ない。


「むかつく男ね」

「ああ、俺は悪い奴なんでね」


 もっと違う出会い方をしたかった、なんて考えてしまうのは彼の弱さだろう。ただの人として出会えたなら、憧れて追い掛け追い抜こうと出来ただろうから。

 この関係が居心地良くとも、本当なら話すことすら出来ないほど目に見えて格が違うはずなのに。


――お前さんを現代に連れて行ったら、どんだけ面白いんだろうな?


 きっと彼女のことだ。国の一つでも治めようとするに違いない。やり手の会社の社長にでもなっているかもしれない。下手をすれば世界全てを掌握しかねないとさえ、秋斗には感じる。


――それでも……生まれ落ちたこの世界で生き抜くことを選ぶんだろ? 自分の誇りを命を賭けて示すことこそお前のお前たる所以だ……そうだろ、華琳?


 ゆっくりと首を振って、ため息を一つ。今はいいか、と思考を切って捨てた。


「なぁ、華琳」

「……」

「拗ねるなよ、聞きたいことがあるんだ」

「……なに?」


 声を掛けて見ても帰ってくるのは不機嫌で、彼はくつくつと喉を鳴らした。聞いてくれるだけありがたい、と。


「自分の領地しか守ろうとしない奴はお前の隣には並べない。そうだな?」


 平坦に、感情を見せず、ただ投げかけるように。愛おしさすら垣間見えたはずのその声は、少年のように笑う彼にしては珍しく大人びていた。

 ゆったりと、華琳は秋斗の背に己が背をもたれ掛ける。固くならないと決めたのだから、と。


「ええ、私が隣に並べてもいいと思えるのは……月と黒麒麟、そして劉備だけよ」


 さしてその他には興味が無いと、華琳の声から分かった。


「孫策は?」

「ついでで平穏を望むようなら覚悟が足りない。火の粉しか払わないようなモノは並べるに足りない。器はあれども想いの広さが違いすぎる。どうしてその程度のモノに、自分達のことを最優先として考えるモノに大切な者達を預けられる? そのモノが思い描く平穏は幻想でしょう。ことこの大陸に於いてだけは」


 欲しいのはあくまで自分の世界で、それを害するなら殴って従わせるだけ。

 国を一つにしてしまえば全てが自分の民になる……などとそんな甘ったれたことは言わない。

 協力者は欲しいし、それが臣下になればいいというだけだが、華琳の言う隣に並べてもいいとは……自分の代わりに天下を統一してもいいと認めているモノだった。

 孫呉の大地密着型の思考は『臣下として』は正しい。与えられた領地を守ることに特化した、幽州の白馬の王と同じく。だが、天下統一まで話を広げると華琳としては否。孫呉の地“しか”愛せない存在では、万が一敗北した場合でもこの大陸を任せることなど出来ないのだ。


――何故ならば……王とは公平に物事を見なければならないモノであるのだから。優先順位がある時点で器が知れる。


 雪蓮のことは認めている。乱世で覇を競う相手としてはいいだろう。

 それでも国創りに関してだけは……絶対に認めない。大陸全てを想う覇王として。


「じゃあなんで劉備は認めてるんだ?」

「“あなたや麗羽と同じ”で民の剣だからよ。私とも似ているあなたには教えてあげましょう。

 きっと私を殺すのは……私自身か民だけ。否、それ以外に殺されるつもりは無い」


 なんでもないことのように言って退ける華琳に、秋斗は小さく苦笑を漏らした。


「それを望む王ってのはお前さんくらいだろうよ」

「月はそれをしようとしたけれど……それに黒麒麟も、でしょう?」

「あー……ゆえゆえには賛同だが、黒麒麟は王にはなれんよ。分不相応ってやつだ」

「私の裏として動ける男がよく言うわね」


 呆れを込められたその声は、いつも通りに自己評価の低い彼に対してのモノ。

 また彼は小さく笑った。


「俺はそんなんじゃないけど……まあいいや。大体読めたから。劉備と孫策、んで馬騰と行う交渉の内容はソレ系統でいいかね」

「ええ……と言ってもあなた、また別のこと言いながら下らないことも考えてるでしょう」


 ぴたりと言い当てる声は弾んでいた。


――下らないことは無いさ。お前さんの気持ちがちょっとだけ分かったんだから。


 彼は内心で微笑む。少しばかり今回は自分が勝てそうだと思った。

 優しく緩く、雛里の頭を撫でやった。この小さな少女が救われることを願って。そして少しだけ謝罪の意味を込めて。

 今から言う言葉は誰にも聞かれないからいい。華琳にだけは伝えておかなければならない気がした。

 夜天に浮かぶ半月を見上げて、コツンと彼女の頭に自分の頭を合わせる。


 その小さな背中と存在に、どれだけの責と期待を背負っていることか。

 一人で高みを目指し続ける彼女は、きっと一人ぼっちの寂しがり屋だ。

 英雄を求める気質は寂しさから。隣に並べる程の存在を欲するのは、楽しいからだけでは無くて、人間なら誰しもにある理解して欲しいという欲求の発露。


 分かってる、理解してる、同じ想いだ……などとは言えるわけも無い。

 だから……彼は口を引き裂いた。


「……クク、愛してるぜ、覇王殿」

「なっ!」


 唐突な言の葉。堪らず、華琳の身体が固まる。驚いた声が珍しくて、秋斗はからからと笑った。


「あははっ! おっかしぃなぁ……華琳がそんな声を出すなんて……クク」

「な、何を言って……あなたねぇ!」

「他の言葉が浮かばないんだよ。安心してくれ。お前さんが考えてるような意味じゃねぇんだから」

「それでもっ……それなら言わずに居ればいいじゃないっ!」

「伝えたくなった。そんだけだ」


 飄々としてる彼はいつも通り。

 同じ言葉でも違った色を持つソレは、彼なりの贈り物。

 励まされるのも嫌だろう、分かった気になられるのも嫌だろう、頼れなどとは口が裂けても言えないし、傍に居るなんて言うわけにも行かない。

 それをすれば彼女の誇りを穢してしまう。だからあくまで、自分勝手に与えるのが彼の遣り方。

 せめて真名で呼ばずに覇王殿と呼ぶことくらいしか……本当にそれ以外で、華琳に伝えたい言葉も方法も彼には思い浮かばなかったのだ。


 横暴に想いを与えてくる男だと分かっていた。悪戯が好きなことも、人の心を読み取るに長けていることも分かっていた。だというのに、彼女はぎゅうと拳を握って悔しさを表す。


――……秋斗のくせに、秋斗のくせに、秋斗のくせに、秋斗のくせにっ


 分かっていても、華琳は耳まで真っ赤に染める。

 有り得ない言の葉。使い方としては間違い……それでも其処に乗っている意味は、大きな想いでしかなく、華琳に向けられたのは甘くはないが暖かい想い。

 ギシリ、と歯が鳴った。動揺している自分が愚かしい。睨みつけてやりたくとも、振り返ることだけは絶対にしたくなかった。


 どちらも何も話さない時間が過ぎて行く。

 話し掛けることなどしたくない華琳と、穏やかさに身を任せるだけの秋斗。

 背中合わせで二人は同時に、グビリ、と酒を飲みほした。

 幾分、風が一陣吹き抜ける。少しばかり寒く感じたのか、雛里がくちゅんと可愛らしいくしゃみを漏らした。


「……そろそろ寝に行くとするよ」

「勝手にすれば?」

「風邪引くぞ?」

「要らない心配は止めてさっさと行きなさい、バカ秋斗」


 そうかい、と彼は一言。雛里を抱きかかえたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 急にふっと消えた支えと温もりに、少しばかり華琳は寂しく感じた。

 黒がゆっくりと隣を過ぎる……寸前、華琳の肩にふわりと布が広がった。


「んじゃあ、おやすみ……華琳」


 雛里に掛けていた自分の外套が、華琳の背にゆるりと落ちる。

 さりげなくそういう事をする辺り、また華琳の苛立ちを増やして睨みつけさせているのだが……背を向けたまま過ぎ去る彼には分からなかった。


「……おやすみ」


 小さな声は聞こえたか分からない。普通に返すことが出来なかった。


「……なによ、ばか。そういう言葉は雛里にだけ言っておきなさい」


 それでは意味が無いのだと、華琳だけは分かっている。

 秋斗が何を伝えたかったかなど、彼女が読み取れないわけもなく。

 ほんの少し自分の心が満たされていることに気付いて、口惜しさと嬉しさの綯い交ぜになった心を持て余す。


 空を見上げた。

 綺麗な半月がにこやかに笑っていた。

 いい夜なのに、彼のせいで曖昧に乱されてしまった。

 届いたのは世の全てを愛する覇王に対しての、愚かで真っ直ぐな想いの刃。

 浮ついたモノなどでは無い純粋なその感情を直接届けられて、与える側と常に身を高めてきたからどうしたらいいか分からなかった。


「あなたのそういうとこ……嫌いよ」


 不思議な温もりと鋭い痛みが胸に一つずつ。

 からから、からからと、黒の笑う声が華琳の耳に響いていた。



















 蛇足 ~月は日輪の光にて輝くか~





 衣擦れの音が一つ。動く気配が一つ。絶対に彼はこうして一人で出て行くことは分かっていた。

 浅い眠りの微睡の中、気を張っていたから彼の動く気配に気付けた。

 追い掛けようか……そんな気持ちは、続いて鳴る一つの音に霧散する。

 そうだ。彼女が追い掛けるべき。やっぱり秋斗さんのことを一番分かっているから、雛里ちゃんは迷わず動く。

 白蓮さんの絶望を受け止めたあの夜みたいなこと……望まない方がいい。


 去って行く気配を余所に、ズキリと痛む胸は知らない振り。

 それでいい。彼の隣は雛里ちゃんじゃないとダメなんだから。


「……呆れるほどバカな男……そう思わない? ねぇ、月」

「へぅっ」


 ギクリと身体が跳ねた。

 耳元の近くで聞こえたのは、この人が私を抱き締めているからだ。

 まくら投げが終わってイロイロとお話をして……何故か私を抱き枕にして寝ていた“彼女”が、私に問いかける。


「お、起きてたんですか……」

「寝てたわよ。あのバカが起きるまでは。あなたと同じで眠りが浅かったというだけ」


 そういえば余りお酒を呑んでいなかったように思える。

 考えて飲んでいたんだろう。誰にも気の抜けた所を見せない“彼女”らしい。

 ゆっくりと身体を離された。静かに伸びをして、“彼女”は私に微笑みを見せる。


「さて……勝手なことばかりするバカ者には罰を与えないとね。私は少し話があるから追いかけるけれど、あなたはどうする?」

「わ……私は……」


 追い掛けたい、という言葉を呑み込んだ。

 何を話すつもりなんだろう。きっと彼のことだから、何かしら乱世に関係したことを話すと思う。

 それより……どうしてか胸の辺りがもやもやする。

 雛里ちゃんはいい。けど、“彼女”が会いに行くのは……


「ふふ、一つ宣言しておくけれど……私の可愛い子達であのバカに惹かれるモノが出たらけしかけるわよ?」

「え……」

「当然でしょう? 私と並ぶというのだからその程度の甲斐性は持って貰う。見てきた限りでは……黒麒麟も秋斗も人の絆が深ければ深い程に逃げられなくなるのだから。

 昔の絆も大切に、でも今の絆もより深く。そうして……今の道化師も手に入れる」


 茫然と、彼女の蒼い水晶の瞳を見つめた。

 そうだ。そうなんだ。私や詠ちゃんやだけじゃなくて……誰かしら他の人が懸想を持つこともある。

 友達のように過ごしていたから気にならなかった。深く繋がっているからと、油断している。

 今の彼が私と詠ちゃん達を特別視しているのは、黒麒麟の時から支えていたという事実があったから……ただそれだけ。

 本当は一からの関係の方が心地いいのではなかろうか。


――だって……今日の夜の彼は……本当に楽しそうだった。


 ズキリ、と胸が痛んだ。

 なんだろう、この痛みは。もやもやして、嫌な気持ち。こんな感情を持っている自分さえ嫌になりそうなそんな感覚。


――例えば、私達以外の誰かと寝台を共にするなんてことになったら……


 ズキリ、と胸が痛んだ。

 妄想してしまう光景に、嫌な気持ちが湧きあがる。

 私達四人で幸せに寝る時間を他の誰かとしている……もやもやする。


 ああ、そうか……これは嫉妬だ。

 此れは醜い感情だ。独占欲と優越感から来る人間の欲の発露。

 余り持たなかったはずのこの感情を感じれば、普通になったんだなと実感する。

 器が小さくなったと思うけど……存外、私は人にも戻れるらしい。


 いい。別にいい。大丈夫だ。簡単なことだ。

 “あなた”の好きにすればいい。私は、黒の主に相応しくならないと。

 きっと彼は何も言わずに、あなたの予想を超えるから。私はそれを信じよう。

 嫉妬することなんて、初めから無駄だ。彼に受け入れられるかどうかは、私達個人次第なのだから。

 受け入れるだけじゃなくて呑み込もう。そして……捻じ曲げてみせよう。大切なあの人のように。それが世界の理不尽であれ、好きな人の心であれ……黒の主になる私がすることは変わらない。


「よしなに……“お姉様”」

「……まだそう呼ぶのは早いけれど……まあいいでしょう。及第点をあげる」

「ありがとうございます」


 どうやら試していたらしい。

 欲を取るか何を取るか。私に相応しい答えを出せたら合格で、“彼女”の線を越えたなら不合格。

 いじわるかもしれないけど、試すのは信頼の裏返しでもある。それが“彼女”なりの気遣いの一つ。

 じわりと、暖かい気持ちになった。

 さっきまでの感情はもうなかった。厳しく優しく、それが彼と“彼女”の在り方で、私はそれが好きだから。


「じゃあ、月。ちょっとからかってくるわね」

「はい。いってらっしゃい」


 ふりふりと手を振った。

 その背を見送って私は思う。

 多分だけど……“彼女”も彼のことが気になってる。

 そうでなければ雛里ちゃんとの時間を邪魔しようなんて思わなかったはず。

 同じ未来を描き、同じ想いを宿しながら桃香さんの所を離れなかった事実が悔しくて悔しくて……黒麒麟に認められないことが許せなくて苛立って……その果てに今があるんだろう。

 曖昧にぼかされたままの関係は居心地がいいけど、彼はそれだけじゃなくて思いもよらないこともする。


 同じで違うその存在に恋をするかは分からない。覇王の高みに昇らんとする“彼女”が、私みたいな普通の少女の恋心を持つかも分からない。

 でもきっと、恋じゃなくても、彼と“彼女”の関係は……もう既に一定の親愛に到達している。


 ふるふると頭を振った。

 どちらかが一歩を踏み出さないと、二人の関係は変わらない。どっちもが割り切れるから大丈夫だと思うけど……


――その時が来たら、私が手伝おう。


 もし、“彼女”が彼を選んだなら。

 覇王の中に見え隠れするその救われない“彼女”を、私が救おう。


 増えて行く大切全てを幸せに……黒の主になるならそれくらい出来ないと。

 幸せを探せる世界になった時に、ゆっくりと。


 穏やかな夜。

 嫉妬の感情は一寸だけだったようで、もはや感じることは無い。また少し、私は呑み込んだらしい。


 変わってしまった私でも、まだ想いを繋いでる。この時があるのは生かしてくれた命があるからだ。人としての感情を持てるのも、全て。

 だから感謝を。全てに感謝を。

 一つ一つと段を上って、必ず“彼女”と同じ高みに立とう。そして……“彼女”すら越えないと……


「だって私がなる王は――」


 夜の闇に声を零して、私は瞼をゆるりと閉じた。

 心の内で約束を一つ。


――小さなことも、大きなことも、全てを呑み込んで、私はきっと……になるから



読んで頂きありがとうございます。


日常パートの宴回はこれでおしまいです。

実は華琳様が本当のヒロイン(大嘘)


次はずっとしてなかったあの三姉妹のパートで拠点フェイズ系統を終わり。

二話後に本編を進めます。


ではまた

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