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彼の為の優しい鎖

 仕事が終わり、悠々と配下の主要人物達を引き連れて来店した華琳は、夜天の間の中で三人の少女とお茶を飲んでいた秋斗に対して、悪戯っぽい笑みを一つ向けた。

 猪々子は居ない。誘われていたのだが、さすがに官渡を敵として戦った自分が混ざるわけにはいかないと彼女自身が断っていた。

 扉の奥にずらりと並ぶ面々を見やりながら、彼は緩く笑みを浮かべる。


「今日の仕事はちゃんと遣り切ったかしら?」


 休むことが仕事だと命じたからには、彼女もその報告を求めている。

 なんともいえない表情になった秋斗は、短く息を付いて首を振った。


「充実したお仕事をさせて頂きましたとも……雇い主様」

「それはご苦労。三人の休息にもなったみたいで良かったわ。今後とも、仕事仕事と忙しなく動いて言い訳に使うことは許さない、分かった?」

「重々承知しております、雇い主様」


 よろしい、と一言。

 勝ちの笑みを向けている華琳に対して公式の話し方でやり返してみても、それがどうしたと言わんばかり。

 霞が隣で笑いを堪えていた。春蘭と秋蘭は彼の喋り方に寒気がするというように身を震わせてドン引きの視線を向ける。彼の友は味方になってくれないらしい。


「おやおやー、お兄さんのお仕事はまだ終わっていないのでこの宴会でもずっとその喋り方で居てもらうというのはどうでしょう?」

「風……さすがにアレは違和感が凄いですよ? 私達の前で礼儀正しい秋斗殿など見るに堪えません」

「どっちにしても場の空気が汚れるんだから口を閉じて喋らないで。腹黒変態幼女趣味男」


 風と稟がまじめな顔をしていながらもいつもの如く。桂花も倣って畳み掛ける。にやりと笑う三人の顔は、彼を苛めることしか考えていない。


「兄ちゃん普通に話してよ。なんか背中がムズムズする」

「え……わ、私はそのままの兄様でもいいと思います」


 素直に自分の思ったことを言う季衣に対して、流琉は意見を別にした。季衣としては普段の秋斗でないと嫌なわけで、流琉は憧憬のフィルター越しだからかその胡散臭さが見えていない。


「兄やんあかんで、ウチもさぶいぼ立ってきおった……」

「徐晃さんの敬語ってなぁんか変なのー。沙和も嫌かなー」

「……」


 ぶるりと震えた真桜。沙和は苦笑交じりにふるふると首を振る。凪は……ジトリ、ときつい視線を投げていた。

 そんな仲間達の様子に、クスクスと彼の隣で笑う少女達が三人。確かに違和感あるわよね、と詠が零した。

 がっくりと肩を落とした彼は盛大にため息を吐くしかなかった。


「敵しかいねぇ……まあ早いとこ座って始め――――」

「秋兄様ぁ――――っ!」

「ぐっほぁ!?」


 顔を上げて華琳に促そうとして直ぐに、彼の腹に衝撃が走る。どうにか隣の雛里の方には倒れずに済んだものの被害は甚大。不意打ちの類、如何な彼といえど気を抜ききっているこの状況では対応など出来るはずもない。

 耐えようと蹲れば覆いかぶさるように見えるのは当然。小さな少女を抱き込むカタチになる。その姿は噂の通りにしか見えないわけで……まあ、こうして皆が白い目を向けるのも様式美になりつつある。約一名、神速だけはもはや耐え切れずに笑い転げていたが。

 しかし、四人の時間だからと我慢させられていた朔夜はおかまいなしに、寝台を共にして一日中一緒にいた彼女達を見もせずに、彼に抱きすくめられたことが嬉しくて恥ずかしくて、顔を真っ赤にしてぎゅうと抱きついた。


「そ、そんな、大胆な……し、しかしいつでも、準備は出来てますっ」


 ばっち来い! と言わんばかりに大きな声を出した。

 痛みに顔を引き攣らせながら、アクティブ過ぎる彼女の言葉は聞こえているが聞こえない振り。


「た、頼む。優しくしてくれな、朔夜」

「は、はひっ! わ、わたちにも、や、やしゃしく、してくだしあ!」


 噛み合っていない会話。暴走した朔夜は止めるに叶わず。彼は頭突きに対して言ったとしても、朔夜は閨でのあれこれにとってしまった。

 抱きついたまま顔を見上げて、噛み噛みの言葉を紡いで、また顔を真っ赤に茹で上げて俯いた彼女の破壊力はいつになく増している。


――何なのだ、これは……どうすればいいのだ……。


 思わず心の内で全ルートがバッドエンドな鬱ゲーの台詞を反芻しつつ、彼は頭を抱えたくなった。

 この状況は余りに酷い。もっとゆっくりと落ち着いて、緩やかな始まりを期待していたというのに、これではあのバカ共との酒宴で弄られている時と変わらない。もしくはもっと酷い。

 ぐるりと見渡せば白い目が幾多。彼に逃げ場は無い。何よりも……後ろを振り返るのが怖かった。


「朔夜ちゃん?」

「……っ!」


 優しいはずの声が紡がれ、空気が一段冷え込んでいく。

 身体を跳ねさせた朔夜は、隠れようと彼の胸に顔を埋めた。震える身体は小動物のよう。狼というより子犬にしか思えない。

 声を出したのは、雛里ではない。その後ろ。怒ることの無いはずの彼女が、怒っているのだ。


「皆でお食事を楽しむ時間なのに……」

「ひっ」

「暴れたり場を乱したりしちゃダメじゃないかな?」

「あわわ……」


 絶対零度の空気を醸し出す月の前、雛里も何故か震えあがっていた。詠でさえ、顔を引き攣らせて動けないでいる。


「離れようね?」

「ひゃいっ」


 言われて直ぐに朔夜が離れた。

 普段からは想像できないような機敏な動きに皆は呆気に取られる。ただし、彼の隣に座り直すところがまた、朔夜の強かさではあるが。


――こえぇ……。っと、このままグダグダと過ごすのも悪い。


 内心でビビりつつ、彼は華琳に向き直る。

 数瞬だけ、秋斗は呆気に取られた。微笑ましいモノを見るように、華琳が自分達のやり取りを眺めていたのだ。

 邪魔するつもりは無い。好きにしたらいい。この日は彼らの為の休日で、今この時もそうなのだから、と。見ているだけで楽しい、彼女はきっと、そう思っている。


「もういいのかしら?」

「ん、構わん。すまんな待たせて。腹減っただろ」

「これだけの料理を前にしてはさすがにね。それとね秋斗、あなたは私の隣に来なさい」

「りょーか……はいぃ?」


 いきなりの命令に口をあんぐりと開ける者が多数。軍師達でさえ呑み込めず、思考に空白が齎された。

 やはりというかなんというか、直ぐに立ち直ったのは二人である。


「い、いけません華琳様っ! 徐晃が隣など――――」

「お好みのお料理でしたら私が直ぐに取り分けますからそれだけは――――」


 桂花と春蘭の慌てようは凄まじい。二人共が彼に殺気を込めて睨みを利かせ、いつもいがみ合っているというのに仲が良く見える程。

 くつくつと喉を鳴らして、華琳は笑った。


「見た事の無い料理があるじゃない? 店長は下で料理に忙しいようだから、秋斗に解説させないとダメでしょう? それにね……一応この大バカ者は客分なの。形式上は私の隣にいさせるべきで、それを崩すのはよろしくない」


 ぐ……と二人は言葉に詰まった。そう言われては何も言えない。理まで説かれると、間違いなく華琳が正しい。

 きっちりと引かれた線引きがあった。曖昧に崩れ過ぎないようにと。上と下、常識と形式、如何に気心が知れていようと大切な時もある。

 しかしながら……そんなことは気にしないのが彼でもある。


「やだね」


 べーっと舌を出して、彼は華琳に反発の意を示した。

 苛立ちは突き刺すように、華琳のアイスブルーがギラリと輝く。


「へぇ……私の言うことを聞かないと?」

「クク、その言い分だと、客分だが雇われ傭兵な俺は最底辺に等しくもあるんじゃねぇかな。そんな俺がお前さんの隣の席次ってのは違うって反論させて貰おうか。何より、だ……この宴会は俺が店長に教えた形式なんだ。形式に従うなら客分の前に座るのがいいと思うがどうかな、華琳」


 トントンと机を指で叩き、不適な笑みを浮かべる彼は自分の前を示す。

 これが彼の故郷の宴会を模しているというのならば、この部屋で華琳と秋斗が座る席は決まっている。

 あくまで彼は夜天の間の中心、それも入り口側を動かない。宴会を開くと言った以上は例え華琳の言で場所が変わろうとも、幹事としてお持て成しをする側の位置で、この宴会を動かすつもりなのだ。


――せっかく桂花や雛里の可愛い姿が見れる所だったのに……面白くない。


 からかい苛めて楽しむつもりであったのにと、ゆるりと躱されて苛立ちが募った。こういう時にやたらと頭が回る彼に、呆れも出てきた。

 これ以上何か言ってもつまらない。せっかくの時間だ。早々に始めようと華琳はため息とともに割り切った。


「……とりあえずはその形式に従ってあげる。ただし正面に来るというのだから、しっかりと私を持て成しなさい」

「ご随意に、覇王殿」

「皆は好きな所に座りなさい。それくらいは、いいわよね?」

「いいんじゃねぇか? 別に華琳の隣は俺以外の誰であってもいいわけで、取り合いするくらいが丁度いい。それはそちらさんが決めることさ」

「ふむ……戦勝祝いと言っても堅苦しすぎるのも考え物か」

「仲間内でやる只の飲み会ってんなら全部気にしなくていいんだが、お前さんが先に言い出したからな」

「相変わらず……ずるいわね、あなたは」


 華琳が苦笑を零したことで緩い空気が広がった。それを機に、彼女達は好きな席に散って行く。


「せっかく皆さんで集まるのに私達で固まるのもなんですから……席を移動しますね。朔夜ちゃんも霞さん達の席でお話しようか」

「……はい」


 如何に四人の休日だと言っても、彼が予定していた皆のための酒宴。それなら、と月が静かに立ち上がる。

 朔夜に対してのこれは罰。場を乱しかけたからには、信賞必罰を甘んじて受けるしかない。


「ボクは風達のとこ行くわ。あんた達二人の話を聞くのも面白そうだけどね。雛里はどうする?」

「そ、そうですね……まだ風ちゃんとは余り話していないので、私も行きます」


 離れたくない、とは思う。けれども友好を深めることも大事であろう。この軍で過ごしていく以上は、もっと皆と仲良くなりたいと雛里は感じていた。

 朱里を中心にして回っていた昔であれば有り得ないこと。彼を中心にして回る世界に閉じこもろうとするでもなく、彼女は自分からそれを望んだ。


「ん、そうか。楽しんでおいで」

「あわわ……」

「あんたねぇ……まあいいわ」


 優しく頭をなでられた雛里はいつものように真っ赤になりつつ立ち上がる。呆れと少しばかりの羨望を瞳に浮かべながらも、詠も立ち上がった。

 とてとてと離れていく彼女達を見送って、秋斗は対面に座った華琳に向き直る。


「あの子達が首から下げてるのはあなたが買ったの? 見たところ値の張る銀細工のようだけれど」

「……黒麒麟から借りといた」

「呆れた……昔の自分の給金でも“徐公明”のモノでしょうに。好きに使えばいいじゃない」

「そうは言うがな、汗水垂らして働いた覚えの無い金に手をつけるのは嫌なんだ。今回の事は先行投資の契約で早急な対応が必要だったから使わせて貰うが……二度とせんよ」


 自己への嫌悪感丸出しで言い放つ彼に、はぁ……と、華琳は大きくため息を零した。


――自分と黒麒麟を別人として捉えるのを止めろと言っても、あなたは聞かないんでしょう?


 戻った時に今昔の彼が交じり合うことを望んでいる華琳ではあるが、自分もこの二人を同一でありながら相似と認識しているから何も言えない。

 そも、彼が引いている矜持の線引きは好ましい部類のモノだ。どうせなら自分に言えば投資くらいしたというのに、手続きや資金管理や資金繰りの仕事を増やさないように個人で終わらせる辺りが彼らしいと言える。

 仕事のやり方は申し分ない。言われたことをするだけでなく、自分の身にあった案件の処理を判別し、何が利になるかを己自身で判断して行う秋斗のやり方は、華琳が他者に求めるやり方の理想像に他ならない。

 現代の会社であればしがらみが多すぎて出来なかった投資であっても、信頼と信用を置いて好きにしろと任せてくれる華琳の元で行えるために、秋斗にとっても最良の関係と言えた。


「まあいいわ……報告を書簡にして提出なさい。どうせあなたのことだから面白いことを考えているのは分かってるわよ。袁家を失った豪族達にばらまく餌は多い方がいい。国の名を改めるに当たって新しい特色も取り入れたいから装飾品で何が出来るかも提案して貰いましょうか。“ぱん”の普及と“労働宿舎”の建設、“学校”の試行と“はろぉわぁく”の設立は同時進行で行くわよ。それに合わせる」

「軌道に乗ってからにしようと思ってたんだが……相変わらずお早い読みと決断なことで」


 三人が付けている可愛らしい華の首飾りは、贈り物の話だけではないのだ。

 一枚噛ませろという華琳は心底楽しそうに笑う。彼がすることは大抵面白いモノだ。

 多岐に亘る仕事の数々は今も尚進んでいる。いくら乱世といえど、人の暮らすこの地をより良くしないわけが無く、戦にばかり感けているわけにもいかない。


「ふふ……とりあえずこれくらいで。これから宴なのだから、仕事の話はやめとしましょう」

「クク、とか言っても俺とお前さんだったら仕事の話もしちまうんだけどな」

「あら? 仕事の話しか出来ないようなつまらない男なの?」

「“話も”って言っただろが。お前さんが面白がりそうな話なんていくらでもあるんだ―――――」

「華琳様っ! 隣いいですかっ」

「華琳様ぁーっ! お隣失礼しますっ!」


 話し込みそうになった二人の元に、元気よく声を掛けたのは季衣であった。

 それとは別に、桂花とのいがみ合いに勝ったらしい春蘭も華琳の隣に座る。


「に、兄様、お隣よろしいでしょうか?」

「徐晃、隣に座らせて貰うぞ」


 同じ時機で、彼の隣に流琉と秋蘭が声を掛けた。


「ええ、いいわよ」

「構わんよ。一人で華琳の相手はさすがにめんどくさい」

「……どういう意味で?」

「はは、こういう意味でだ」

「徐晃、貴様ぁ……ただでさえ多く話せてうらやま……馴れ馴れしく話すなど不敬だというのになんだその言い草はっ」

「ああ、訂正する。めんどくさいバカが増えたからプラスマイナスゼロだった」

「誰がバカだっ!」

「お前に決まってるだろ!?」

「ほう、徐晃……お前は華琳様と話すのがめんどうだと、そういうのか?」


 またいつもの喧嘩に発展しかけた所で、隣の秋蘭から冷たい声が掛かった。

 ぎりぎりと音がしそうな程にゆっくりと振り向けば……微笑を浮かべる麗人の姿。

 計算どおり、と華琳は笑っていた。内心舌打ちをしつつ、頬を引き攣らせて秋斗は笑った。


「いや、なに……ほら、な? そんなわけないじゃないか。言葉のあやっていうか冗談っていうか」

「言い訳は見苦しいぞ」

「うわー、兄ちゃんさいてー」

「に、兄様、ダメですよ」


 彼の味方はやはり居ない。自分で撒いた種は、自分で刈り取らなければ。

 しかし幼い季衣と流琉に言われてはどうしようもない。


「ちょ、ちょっと手洗いに……」

「逃がすと思うか?」

「逃がすか!」

「流琉、捕まえてっ」

「うんっ」

「て、典韋っ、やめろ! 分かった、逃げない! 逃げないから! すまんかった!」

「秋斗、あとでおしおきね。秋蘭も春蘭も許してあげなさい。季衣も流琉もありがとう。コレが無礼なのはいつものことよ。気にするだけ無駄だわ」


 また幼女に抱きつかれるカタチとなっているのだから、遠くで見ていた少女達が呆れの吐息を零さぬはずはなく、華琳はその様子にまた笑みを深めた。

 素直に謝ったのだから許してやろう。それでいい。こんな時間を繰り返してもいいが、そろそろ……そうしてゆるりと立ち上がった。

 ぱんっ、と手を叩いて意識を引き付ける。視線が全て彼女に向けば、大きく息を吸い込んだ華琳が凛と声を紡いだ。


「皆、今日は良く集まってくれた! 一つの戦が終わっても我らがすべき事は終わらない。それでも、この一時は仕事のことなど気にせず楽しんで欲しい。

 あの戦から十日過ぎた。本当に、随分と待たせたわね。今宵は先の大戦で奪い取りし勝利に……酔いしれましょう。杯をっ」


 びしりと張りのある声を合図に、それぞれがそれぞれの杯を手に持った。

 ただ、それで終わる彼女のはずが無い。面白いことが好きで、悪戯が好きで、苛めるのが大好きなのだから。


「では徐公明……黒き大徳よ。遠き幽州の大地で夜天の願いを紡いだ黒麒麟のように……私の街でも、皆と共に何かを紡いで貰おうか」

「……はい?」


 後は乾杯するだけだとばかり思っていた彼から素っ頓狂な声が漏れた。

 にやりと笑う華琳は本気だった。此処で冗談を言うような人物ではない。


――……やっぱ苦手だ。


 予測して予想して積み上げるしか出来ない彼は、こういったイレギュラーに対して非常に弱い。

 思い付く側が多い彼は、思いつきを向けられる事にもなれていない。

 じーっと皆が見つめていた。もはや逃げられるわけがない。期待している少女が幾人も居て、面白がっている少女達が数人居て、不機嫌そうに唇を尖らせる少女が何人か居る。

 思えば女ばかりに黒一点である。なんだか居た堪れないような気になりながらも、秋斗は気を引き締めることにした。立ち上がって、彼はいつものようにため息を一つ。


「えーっと……じゃあ、黒麒麟みたいに願いを掛けるのもアレだし、長く語るのもなんだから少しだけ。

 俺達は生き残った。この時を楽しめるのは命があってこそだ。こうして平穏に過ごせるのは生きているからだ。

 でも失ったモノも多い。救えなかった、助けられなかった、失わせてしまった、殺してしまった、殺させてしまった……そんな命が山のようにある。

 生き残ったのなら、死んでった奴等の分まで幸せになればいいと思う。そいつらは、もう戻ってこないし、幸せになれない……だから、俺達が笑わないとダメなんだ。

 憎まれても気にせず笑え。蔑まれても胸を張って笑え。懺悔していようと、同情していようと、後悔していようと面に出さず、先に生きるモノを想い、先に生きるモノに願い繋げ。それが俺達に出来る最大限の礼の返し方、なんじゃねぇかな? どうかな春蘭?」

「う? あっ、な、何故私に聞く!?」

「いや、お前が五大将軍の頭に就任するわけだし、一応さ」


 話きったところでどうしていいか分からず、彼は春蘭に投げた。慌てようが面白くて、霞や季衣がクスクスと笑いを漏らしていた。


「ふふ、春蘭。あなたが一番功を上げた。それに官渡で私の代わりを務めたのは秋斗とあなたと言っても過言ではないし、宴の始まりも“任せるわ”」


 そう言われて立ち上がるも、カチコチと春蘭の身体が固まった。彼女とて慣れていないわけで、どうしようもない。

 秋蘭なら形式を貴ぶような挨拶で綺麗に仕立て上げられただろう。しかし彼女では、余りに拙い。

 助け舟を出そうか迷っている秋蘭と、話を振った側として申し訳ない秋斗。

 ただし、此処で動かずに居るなどと、それほど“彼女”が“遅い”わけも無い。


「にゃははっ! 固まっとる春蘭もかぁええなぁ! 春蘭と秋斗だけやなんてずっこいやん? ウチも混ぜてぇな! 秋蘭も、な!」

「し、霞っ? 私は――――」

「え、え、の! ほらぁ、ウチかてはよ酒飲みたてしゃあないんや! ぱぱーっと始めてたらふく飲むで! 秋斗も立ちぃ!」

「お、おう」


 グイと手を引っ張って二人を立たせた霞。秋斗は華琳に目線と頷きだけで謝った。

 グダグダであるが、悪くない緩い空気だった。昔の曹操軍とは思えないほど、緩くて暖かい、そんな空気。

 短く呆れの吐息を吐いた華琳も、口元が緩んでいるのが分かる。


「ほな、皆も杯掲げてーな」

「か、華琳様から任されたのは私だぞ?」

「あー、あかんあかん。いつまでも始まらんのは勘弁やで。秋斗が真面目くさってええかっこしぃなこと言いよったからって合わせやんでええねん。ウチら四人なんて、こんなんやん?」

「クク、だな」

「……まあ、違いない。それに姉者、望んでいたことだろう? 此処は夜天の間で――――」

「う、うるさいっ! ええい! 皆の者! 杯を持てっ!」

「くくっ、もう持っとるちゅーねん♪」

「冷やかすなバカ霞!」


 言いながら蹴りを一つ。避ける霞は平常運転の神速。さすがに春蘭も空気を読んで追い掛けたりはしなかった。

 仲がいい四人の様子に微笑ましくなった華琳の笑みが、また穏やかになった。


「では、華琳様より任を賜った私が僭越ながら宴の開きを受け持たせて貰う! 我が主に感謝を、散った命に感謝を、戦った友に感謝を、戦った敵に感謝を、新たな同志に感謝を! 全ての者に感謝を込めて、生きている今この時を騒いで、はしゃいで、笑って、楽しもうではないか! では……乾杯っ!」


 掲げられる杯は幾多。春蘭達四人は、いつもしているように杯を合わせた。何を言わずともいい、四人はそれぞれ見えない想いで繋がっている。

 宴の始まりは大剣の言の葉から。彼の言ったことに被せて、春蘭にしては珍しく綺麗に纏まっていた。


 楽しい宴が始まる。昔よりも楽しいと思えるこの場を、華琳は素直に嬉しく思った。


――偶にはこれくらい緩すぎるのも……そうね、悪くない。






 †






 酒を飲めば気分が良くなってくるのは大抵のことで、私も少しだけ酔いに頭を浮かせながら秋斗達との話に興じていた。

 季衣と流琉に真名を許して貰った秋斗は、彼女達がこの軍に仕えることになった経緯やどれだけ春蘭と秋蘭に憧れているか、春蘭と秋蘭、そして私の三人で過ごしていた懐かしい昔話や笑い話、黒麒麟が黄巾の時にどうやって過ごしていたか、どんな言葉を発したか……そんな他愛ない話に聞き入っていた。

 春蘭はその時の秋斗のことを今よりも認めていたらしい。初めから絶対に私に仕えるべきだったと言う辺り、この子なりに思うところがあったのでしょう。

 今も尚、正式に仕えようとしない秋斗にも腹が立っているように見える……私も秋斗も、それについては周りには何も言わないことにしているから少しだけ申し訳ない。


――それだけじゃないわね。秋斗と春蘭のそういうやり取りが好きだから、というのもある。あとは秋斗と春蘭が同等に見えることも大切、そんなところ。


 認めているどうこうではなく、二人の子供っぽい喧嘩は見ていて飽きない。それに私が言って聞かせるのは簡単だけれど、それをしては意味が無いもの。

 私の可愛い春蘭には、張り合いのある好敵手が必要なのだ。

 霞は確かに好敵手足り得る。軍功で競い合いも出来るし、鍛錬で戦うことも出来るだろう。

 絶対に起こり得ないことだけど、別にどうしても勝ちたいと願うならコロシアイをしてくれても私は構わない……それをこの子達の望んでしまうのなら、私の求心力はその程度ということ。

 命を乗せない戦いなど、霞は求めていない。たかだか試合程度で満足出来る、仲良しこよしの慣れ合いの一騎打ちの勝利を願う程度の渇望では、神速の部隊をあれほど見事な騎馬隊に育て上げるのは不可能。


――でも、やはり足りない。理由としては、春蘭と霞では……春蘭の中で優劣が完全確定している為に。


 春蘭は本気で戦って一度勝った相手には粗々負けない。呂布程の化け物でも無い限り確実に負けは無い。長くこの子を見てきたからそう思える。

 努力に裏打ちされる実力と、背負っているモノの大きさがその度に膨らんで行く。だから、負けない。


 本物の将軍というモノは、他者の命をその両肩に背負うモノだ。

 彼女は単純に私の期待に応えたいとしか考えてないだろうけど、見る人が見ればそれが分かる。

 今の秋斗や絶望に堕ちる前の明の剣を彼女は軽いと言ったらしい。生粋の武人で純粋な戦人である春蘭には、相手の剣の重さがどれほどのモノか分かるのだろう。

 霞が勝てない理由は、たった一つ。


――春蘭が、私の武の右腕であることが理由。それはつまり、私の想いを代替していることに他ならない。

 心が解け合う程に長く過ごしてきた彼女だからこそ、こと戦に於いて私のしたいことを直感で判断して行えるし、私の想いの一端をその剣に乗せられる。


 春蘭や霞程の武将同士が戦場で一騎打ちをする時は、単純な武力の勝負では無くなる。人の強さは心で変わり、背負うモノの大きさで何倍にも膨れ上がる。


――鼓舞すれば死力を振り絞って誰かの為に戦うようになる兵士達を見れば誰であっても分かることなのだが……それに気付くモノは少ない。


 想いの強さが上乗せされれば、呂布のような正真正銘の人外武力を除いて、春蘭は悪くても相打ちにしかならない。

 下地が出来つついい所まで戦えるのは……劉備の想いの代弁者足る関羽か、それとも呉を背負って立つ孫策……そして、あの大嘘つきの黒麒麟だけ。


 霞には酷な話だが、実力が拮抗していてもそれがあるから勝てないでしょう。個人単一の望み程度で勝てるなら、私は春蘭を右腕にしていないのだから。


――絶対にしないことだけれど、あの呂布に対してさえ、今の春蘭ならある程度の時間稼ぎが出来るでしょう……私は胸を張ってそう言える。


 哀しいことではある。武で天に昇り得るモノは飛将軍だけ。追いつけるモノがいないから呂布は飛将軍だ。

 春蘭と秋蘭を失えば倒せるかもしれない。逆に言えば、そうしなければ勝てない程にアレは人の枠に収っていない。だから別枠として考えるべきで、比べること自体が間違い。状況で縛り上げ、心理的な手を幾重も打ち込み、尚且つある程度打ち合えなければ勝つことは出来ない。

 言い換えれば、それ相手に時間稼ぎが出来る存在など、親衛隊と徐晃隊を全て並べるに等しい価値があるということ。大陸で指折りに有能で強い部隊二つ分と釣り合う程の価値が、春蘭個人にはあるのだ。

 戦の度に化けて行く彼女は、いつも私を楽しませてくれる最愛の右腕に相違ない。


 部隊を扱えば霞の方に分がある……が、それはあくまで戦の話。

 戦略級で言えば秋斗と秋蘭が抜きんでている。戦術級で言えば霞と明が。春蘭は……真っ直ぐに私の為になることをしてくれるだけ。


――彼女が肩に背負っているモノの重さは、そのまま彼女の力になる。


 奇しくも春蘭が今の秋斗といがみ合うのも、黒麒麟のことを認めていたのも、本能的に私の想いと同等のモノを嗅ぎ取ったから……きっとそういうこと。

 だから軍内で春蘭と競い合いをするには、私を追い掛ける秋斗でなければ足り得ない。


――今は、まだ……ね。秋蘭と霞も、秋斗の影響で大きく変わって来ているのだから、いつかは春蘭程の強さを持てる。それぞれに特色があるから強さの基準は測りにくいけれど。


 本当にいい関係だ。この四人はまだまだ強くなる。

 将軍として、否……五人の大将軍として、かしら。


 話を聞きながら思考に耽っていた。

 丁度、季衣と流琉が春蘭と秋蘭、そして秋斗の関係性で疑問を浮かべていたから、こんなことを考えてしまった。


「でもでも春蘭様ぁ。ボクは前の兄ちゃんよりも今の方が好きだよ?」

「ぐ……な、何故だ季衣」

「うーん……あ! あの時の兄ちゃんって怖かったんだよね。優しく話してるのに冷たくて、笑ってるのに泣いてるみたいで、なんていうかその、ほら……だめだぁ! わかんないや!」

「多分な季衣。それは黒麒麟が我らに距離を持っていたからだ。あいつはいつか倒す敵としてしか私や姉者のことを見ていなかったから」

「む……そう言えばそうだな。まあ、変な奴なのは変わらんが……何処となく距離はあった。だがな季衣! こいつみたいにふてぶてしい方がダメだ! あの時のあいつはまだ華琳様に敬意を払っていたんだぞ!?」

「くく、上っ面だけだったが……確かに今の徐晃よりは敬意を持っていたかもしれん。倒すべき敵としてのモノがいいのか悪いのかは分からんがな」

「結局お前は華琳が一番なだけじゃねぇか」

「そうだ! それのどこが悪い! 言ってみろ!」

「ガキかお前は! ああ、そういえばガキだったっけ」

「なんだとぉ!? お前の方がガキだろう!」

「立ち上がるな! 暴れるな! 店長が来たらどうすんだよ!?」

「春蘭様ダメですっ! お食事中ですよ!」

「る、流琉までっ……くぅ~……後で覚えておけよ?」

「まじかー、俺バカだから忘れたわー。妙才は何か聞いてたかね?」

「ああ、ばっちりだ。喧嘩する姉者と徐晃が食事の場を乱していた。店長にしっかりと報告しておこう」

「しゅ、秋蘭!?」

「け、喧嘩両成敗……だと……?」

「ふふ、姉者も徐晃もどっちも悪い。さあ、報告されるのが嫌なら酒を飲むのがいいと思うぞ。流琉、季衣、注いでやってくれ」

「あいあいさー♪ 春蘭様どうぞー♪」

「に、兄様もどうぞ……」

「おっと、ありがと流琉。しっかし飲ませるの上手いな秋蘭。気分よく飲めるよ」

「何を言ってる? お前は姉者をバカにしたから三杯だぞ。また先に酔うのも癪だから、くく、早く酔うがいい」

「お前もガキか!」

「おい徐晃! 静かに飲め!」

「春蘭にだけは言われたくねぇよ!?」


 真面目な話が直ぐに砕ける。砕けた後にまた真面目な話に変わる。こんなことばかり繰り返して、私も思わず呆れのため息を漏らしてばかり。

 なんというか……秋斗を体現してるような流れだ。コレを狙ってやってるなら大したモノだけど……さすがにそれは無いらしい。

 悪くない。いい気分だ。愛しいモノ達の他愛ない平穏も極上の肴。酒がいつもよりおいしく感じる。


 店長の言うことは正しい。

 料理とは和。この空間こそおいしい料理で、私の空腹を満たすに足る。

 じっくりと楽しんでいると、黙って話を聞いていた私に測るような視線を向けて、秋斗は情けなく聞こえるような声を出した。


「なぁ、なんか言ってやってくれよ華琳」

「そうね……霞ほどでないにしてもお酒に強いんでしょう? 甘んじて罰を受けて飲みなさい」

「うへぁ、敵しかいねぇ……ま、此処で逃げたら男がすたるってことで……大盃で行ってやらぁ! 流琉、注いでくれ!」

「兄様っ、無理は――――」

「酒は飲めども呑まれるな、だ。自分の配分くらい分かってるさ。ってか掛かって来いよ春蘭、秋蘭。のんびりと見るだけか? 覇王の両腕っても大したことねぇなぁ、せっかく華琳の前で飲んでるってのに俺程度に……クク、無様だ」

「お前……季衣、注いでくれ」

「こっちもだ! 調子になるなよっ」


 相変わらずただでは転ばない。春蘭と秋蘭に対してはその挑発は十分に機能する。

 計算通りと言うように、秋斗は一瞬だけ私の目を見た。

 他愛ないやり取りだが、これでいい。場の掌握は上手くとも、相変わらず私に対しては弱いわね秋斗。

 それは読み筋。死中に活路を見出すあなたの遣り方は熟知してる。春蘭と秋蘭を巻き込んでも、自分は酔わないようにするつもりに違いない。


 まあ、久しぶりに酔ったこの子達が見たいから今はまだいい。後で思い知らせてあげましょう。それより、可愛い二人に聞いておきたいことがある。


「季衣、流琉。酒瓶だけ並べて少し話をしましょう」


 言いながら、床に座る身体を少しだけ横にずらした。騒ぎ始めた秋斗や春蘭達を放っておいて。どうやら声さえ聞こえていないらしい。


「うにゃ? ボク達に?」

「ええ。春蘭と秋蘭に連れられて来たわよね? 私か秋斗、もしくは二人共に話したいことがあったんじゃないの?」

「あ……」

「忘れてた! ご、ごめんなさいっ」

「ふふ、今の時間が楽しいということね。気にしなくてもいい。いいことよ、それは」


 飲み比べをし始めた三人はもう放っておく。

 季衣と流琉は、自分のことを忘れるくらいに楽しんでいたのなら、それはそれでいい。ただ、話しておくのは今。春蘭達三人が完全に酔う前でなければならない。


 何故、この二人が春蘭と秋蘭に並んで私と秋斗の側に来たのか……官渡の前の彼女達との差異が、そうさせたのだろう。

 澱みか、はたまた決意か。少し成長したであろうこの二人は、きっとそれを確かめたいのだ。


 当てられて驚いた流琉と直ぐに謝った季衣。どちらも変わらないように見えるけれど、官渡の戦で思う所があったはず。

 幼いからこそ成長が早く、彼女達とてバカでは無い。周りから吸収出来るモノを多く取り入れて、自分達の持ち味を生かせるように伸びて欲しい。


「話してみなさい。私でよければね」

「「ありがとうございますっ!」」


 元気のいい返事に少し気配が変わる子が一人。近くに居た凪が、こちらの様子を気にしている。聞こえたのだろう。季衣と流琉の成長が、強くなりたいと望む彼女としても気になるのだ。

 別に気にせず来ればいいのに。


「凪。あなたのソレは美徳だけれど、この場は堅苦しくなくてもいいと秋斗達が証明したはず。席の移動くらい好きにしなさい?」

「あ……は、はいっ。季衣、流琉、私も聞かせて貰ってもいいだろうか」

「全然いいよー♪」

「お気になさらず」


 言えば彼女は驚きながらも立ち上がり、二人に断ってから季衣の隣に座った。

 真桜と沙和は……月と朔夜と一緒に、話に夢中なようね。十中八九秋斗が贈ったあの銀細工のことでしょう。


 折がを見て回りを把握してみたけれど、本当に皆が好きなようにしている。纏まりずつで何かしら話ているらしく、それぞれから楽しそうな声が絶えない。

 軍師達の歓談は雛里と詠を中心にして。咲かせる話題には事欠かないに違いない。

 霞は……ああ、やっぱり秋斗達の所に行ったのね。凪はあまりお酒を飲まないから、仕方ないか。


 さて、と一息ついた。

 こちらはこちらで話をしよう。


「華琳様、おかわりどうぞ」

「ふふ、ありがとう」


 流琉が優しい味の果実酒を一注ぎ。彼女達は果実水をそれぞれ前に、凪はお茶か。

 皆が一口飲んだのを合図に、私は季衣と流琉を緩く見据えた。


「何が聞きたい?」


 可愛い可愛い私の両腕の妹分達。

 あなた達の成長を、見せて貰いましょうか。






 †






 その語りは華琳の興味を擽った。

 前までなら直ぐに答えを求めてきたはずの季衣と流琉が、今の今まで華琳に話もせずに居た一つの事柄。

 語られたのは戦場のことだった。

 官渡での一戦場。たかが一戦場である。されども彼が仕掛けた蜘蛛の巣のイトで、彼の戦のカタチを間違いなく表した一戦場。

 わざと追い詰められて官渡の内側で戦ったあの時。季衣と流琉が始めて自分達の判断で兵士を切り捨てた時の話だった。

 親衛隊を一人でも多く助けようと殿をするつもりだった二人に、覇王の親衛隊は最悪の可能性を考慮して殿を譲らなかった。

 その誇り高さに称賛を。華琳は瞑目したまま微笑み、失われた英雄達に、数瞬の黙祷を捧げた。


「……ねぇ、華琳様。春蘭様達って、凄いんだね」

「ふむ、何が凄いと思った?」


 抽象的な言葉では説明不足。幼くとも、将のなんたるかを口にしようとするのなら彼女に考えさせなければ、と。

 口を真一文字に引き結んだ季衣と、表情を引き締めた流琉。どうやら二人共答えは胸の内にあるらしかった。


「ボクは……秋蘭様と一緒にめいめいの張コウ隊と戦った時に無視されて、悔しかったんだ。これまでは力が強くて怖がる人が多かったのに、張コウ隊はボクなんかまるで相手じゃないみたいな感じで戦ってた」


 だから、声を上げた。敬愛する春蘭のようになりたくて。そして、跳躍に逃げ場無し……そう謳われる少女のような覚悟を決めて。悍ましい死兵の群れを相手取る勇気を持った。


「自分が戦えば誰かを守れる。だけど他の人に任せてもいい。黄巾の時に華琳様に言われたけど、ボクはそれを本当の意味じゃ分かって無かったんだと思う」


 ぎゅうと掌を握って、季衣は俯く。じっと見つめた拳は、するりと抜けて行って掴めなかった命を想って。一人一人が季衣と流琉のことを想っていた。名も判別できない兵士達で、彼女達は顔さえ覚えきれていない。

 言葉を続けたのは流琉だった。彼女も噛みしめるように拳を握っていた。


「私も……季衣と同じです。私達は秋蘭様達に比べて将とは呼べない。本当にただの、華琳様の護衛でしかなかったって、気付きました」


 彼女達は確かに強い。多くを殺せるし多くを守れる。世界に愛された力を持つ彼女達は、兵士とは隔絶されているだろう。

 用兵のいろはを教えて貰っていて、兵士に指示を出すから将だ、などとは流琉も季衣も口には出さない。旧い者なら兵の中にも用兵のなんたるかを知っているモノくらいいる。そも、華琳の親衛隊は研ぎ澄まされてきた精兵故に、彼女達よりも兵の扱いに長けている男くらいいるのだ。


「私達は守る為に戦ってます。けど……季衣も私も、結局は個人のことしか見えてません。私達が戦えば多くの兵の命を救うことが出来るって……兵の方々の命を見ていないから言えることでした」

「秋蘭様に延津で教えて貰ったのに、ボク達はおっちゃん達に背中を預けてなかったんです」


 将とは旗だ。背中を見せる側でいなければならない。それ即ち、背中を預けることに他ならない。

 それは別に一人で先頭に立てというわけでは無い。守られていると兵士達に実感させることがいいわけでもない。否、“将に守られている”と兵に思わせる程度の存在は、将にはなれない。


 戦場で安堵することは命取りだ。兵士の命を、本当の意味で見ていないのだ、そのような存在は。

 共に肩を並べて戦う勇者達を守ろうとするモノが将など……それは違うと、華琳は内心で苦笑を零した。


――私達の軍では将とは言えない。安心を与えて十全の動きをさせるよりも、意地を張らせて、忠義を高めさせて、矜持を守らせて……そうして“命の灯を燃やさせること”が出来なければ、将では無い。


 忠義を示せ、誇りを上げよ、命を賭けろ、戦って死ね……そして、乱世に華を。五人の将がよく口にするその言葉は、守る側が口にしていい言葉では無いのだ。守るなど、自惚れにも程があり、言われるモノの誇りを穢す。極論を言えば、彼ら兵士達を弱者として見下しているのだ。そんなモノが命を賭けろと言って、誰が従うモノか。

 誰かしらが守られていると思ったのなら、五人の将軍はその兵士にそれぞれの色で対応するだろう。


『戦場で日和った考えを持つのなら軍を抜けろ、足手まといだ。街で平穏に暮らすがいい』


 魏武の両腕である春蘭と秋蘭は規律を重んじて兵士にそう告げる。誇りも意地も矜持も無い弱い兵など、華琳の為を望む彼女達にとっては邪魔でしかないのだから。


『守ったりなんかせんでぇ。お前ら神速はウチについて来ればええ。出来へんのやったら後ろでガタガタ震えとけや腰抜け』


 神速は共に駆けるモノしか求めない。守られるだけの弱い男達など、神速にはなれないのだから。


『生きたいなら戦場になんか立つなよクズ。逃げたきゃどっか行け。戦うことを選んだなら黙って死ね、従って死ね、戦場で死ぬのも仕事の内だってば。あたしの兵に守られたい奴は必要ないんだよ』


 見下し、軽蔑し、紅揚羽はそう言うだろう。戦場で兵士を守ろうなどと……口が裂けても言わない。彼女は傲慢なわけでも、暖かいわけでも無く、口から綺麗事を吐き出す偽善者を一番に嫌っているのだから。



 そして秋斗は、何も言わない。わざわざ秋斗が言わずとも彼らが許さない。練兵の時にふるい落としているはずで、徐晃隊がそんな半端モノを許すはずが無い。

 将に守られる兵士など必要ないのだ。守られるだけの兵士など、黒麒麟の身体には相応しくないのだから。


 季衣と流琉が気付いたのはその点。将が“兵士と共に戦う”という事の意味。

 戦っているのは一人では無く、彼らと共に。それでいて散った命を掬って背負って、自分の力と為していくことが出来て初めて将となる。

 それを理解せずして将にはなれない。個人の一騎打ちをするだけのお手軽な武人など、戦場には必要ないのだ。


――武人達だけの戦いで戦が決まることは無い。もしそれで決まるなら初めから将達だけで戦わせればいいのだ。

 兵士が切り拓いたから、兵士が戦ったからその舞台が出来上がる。その散って行く命を背負えない将など、この曹孟徳の求める将では無い。


 華琳は優しく微笑む。自分の元に集った将達はそれが出来るから、と。きっと成長した先でそうなっていくに違いない。

 凪を見れば、難しい顔で唸っていた。凪も丁度、そのことで悩んでいたのだから当然。


「そう、あなた達は兵士の想いを知ったのね。ソレを知ったなら、きっとあなた達の両肩には命の重みが乗っているはずよ」


 今までとは違って。華琳はそう締めくくった。

 首を捻る季衣と流琉、凪は少しだけ驚いて秋斗達の方を向く。


「それはあの方たちの強さにも通ずるモノがありますか?」

「ええ。自分で気付けたのならまずは其処から始めなさい。兵の想いを知り、“自分の判断で殺した命”の重さを確認し、それを力として使う術を身に付ければいい。明を含めたあの五人はソレが出来るから、私の認める五将軍よ」


 想いが刃に乗る。それぞれ色が出る部隊はそのまま将の力であり、彼ら兵士達の命が将を強くもする。

 あの明でさえ、自分の部隊だけはクズのロクデナシと言いながら特別に信頼して、信頼を向けられている。故に、夕を失って中身の入った彼女は春蘭達と並ぶに足りる。


「背中というよりは剣と言いましょうか。

 命を乗せていない剣にも、想いを宿さない剣にも重さは無い。当たり前よね。春蘭の剣には、どれだけの人の命が乗っていると思う?」


 特に魏武の大剣が持つ責は大きい。今まで殺した命も、従ってくれる兵士も、そして……平穏に暮らす民の命も、全てその剣に乗っているのだ。

 大きさが違う。違い過ぎた。強くなりたい、負けたくないと思っても比べるべくもない純然たる大きさがある。


「ま、確かにな。春蘭の剣はホンマに重い。なんでやろって思っとったけど……ウチとはちぃとばかし違うんやもんなぁ。

 でもアレやでしかし。そのうち試合程度でも勝つつもりやけど、用兵と戦働きではウチが一番って言わせたるで華琳」


 声は唐突に季衣と流琉の後ろから。

 いつの間にそこに居たのか神速が笑っていた。


「あら? 春蘭と戦ってくれてもいいのよ?」

「春蘭と本気で戦うつもりはもうあらへん。コロシアイせな本気とちゃうさかいな。命の保証がされた茶番なんざで満足でけへんて。ウチの渇望は安ぅならへんもん」

「コロシアイをしてもいい、と言ったら?」

「ははっ、ウチ個人の想い程度で勝てるってぇ考えるんやったら、それは春蘭と……華琳の想いへの侮辱やろ? 

 鍛え上げた実力でどうこうなるんはお綺麗な試合だけで、戦場での力量ちゅうんは全くの別もんやて。

 月の為に戦っても、ウチの欲の為に戦っても、華雄の雪辱の為に戦っても……そんな想いぜぇんぶ乗せても勝たれへんかったんや。今やと足りひんもんが多すぎるやん?

 それに、其処までした勝ちたいってぇ望んだ時点でウチはあんたの欲しいと願った神速から外れてまう。ウチかてそんなアホにはなりたないわ。一緒に戦っとるバカ共の想いも汲み取れへんドアホウにだけは、な」


 挑戦的な視線は、見くびるなよ、と言わんばかり。霞は華琳の言いたい事を看破していた。

 やはりいい将だ、と華琳は思う。自分が欲して、春蘭の片目を捧げてまで手に入れた将は、間違いなく正解だった、と。


「それがあなたのしたい事?」

「せや。ウチは神速の張遼やもん。

 季衣も流琉も凪もよう聞き。ウチの名はバカ共と一緒やないと響かん。あいつらと一緒に最強目指して好きなようにひた走って最強になるんや。秋斗のバカには負けへんでぇ?」


 にかっと笑った表情は子供のようでありながら、その声には芯が通っていた。

 背中が大きく見えるのは、きっとその背に乗っている命の数々から。敗北した将である霞だけが持つ重みも、きっと其処にはある。


「期待しているわ、霞」

「任せときぃ……って、秋斗ぉーっ! あんたそれウチの卵焼きや! 何さらしとんねんこのドアホ!」

「知るか、居ないのが悪い。偶にはマヨネーズ付けて食べたいんだよ」

「あほ言え! ウチは大根おろしと醤しか認めへんで! あ、華琳も季衣も流琉も凪も、ほななっ」


 急いで動いた神速に呆気に取られながら、四人はそれぞれに苦笑を漏らした。

 何処かすっきりした顔の凪が、華琳に話し掛ける。


「まだ自分では全く勝てません。強くなりたいのも、守りたいのも、見つめなおすいい機会を頂きました。あの人達をしばらく追い掛けてみようと思います」

「そう。よく見てよく学びなさい。あなたはまだまだ伸びる。ちなみに将のなんたるかを教えなかったのは自分で気付いて欲しかったからよ。与えて貰った成長では、いつか痛い目を見ることになる。思考を回しなさい。頭を使いなさい。ただ聞くだけではなく、考えてから聞きなさい」

「は。感謝を、華琳様」

「ボクは……」「私は……」


 凪の決意の後に、季衣と流琉が悩ましげに声を出した。


「親衛隊でいたい? それとも将になりたい?」


 彼女達はきっと悩んでいる。このまま親衛隊として過ごすのが正解なのか、それとも一角の将として部隊を持つのか。

 幼いから、というのは言い訳にしかならない。戦場に立つ以上は、年齢よりも実力がモノを言う。

 尋ねた言に対して、二人はきゅっと唇を引き結んだ。


「ボクは……春蘭様みたいになりたい。それでいつか追い越したい。目標なんだっ」

「私は……秋蘭様のようになりたいです。少しだけ後ろで支えながら、それでも誰にも負けないように」


 姉のように慕っている目標が居る。親衛隊のままでは、彼女達は其処に到達できないだろう。

 小さな両肩に今回失わせた命を乗せて、彼女達は華琳と親衛隊の庇護から飛び立つ決意を持った。


 優しく微笑んだ華琳は、二人の頭を優しく撫でた。


「いい子。これから辛い選択がたくさん待ってるでしょうけど、あなた達なら乗り越えられる。春蘭と秋蘭に負けない良い将になりなさい」


 心地よさそうに、そして嬉しそうに目を細めた少女二人は、少しだけ寂しさを心に宿す。


「季衣と流琉がバカ共に任せるって決めたってのは……まあ華琳なら大丈夫か」


 のんびりとした声は横から。綻んだ頬は嬉しさに染まっている。親衛隊の男達を想って、彼は大盃を傾けて酒を飲みほした。

 見れば春蘭と秋蘭が霞に絡まれていた。何時の間にそんな状態になったのか分からないが、秋斗が何かけしかけたのだろう。

 華琳が季衣と流琉に意識を向けていた隙に、彼は窮地を脱していたのだ。


「なによ?」

「お前さんも親衛隊を認めたってこったろ? 死んだ奴等も報われるんじゃねぇかなって」

「……どうせ生きてる親衛隊が想いを受け継いでるんでしょう? 徐晃隊とほぼ同じ部隊に……あなたがしたんだから」

「まあな。でも攻撃と守りじゃ戦い方も違ってくるし、何よりあいつらはあいつらだよ、華琳」


 緩く話す言葉は曖昧で、季衣達には何を伝えたいのか少しばかり分かり辛い。凪でさえ首を傾げていた。

 華琳は、むっと不機嫌になった。


「……秋斗のくせに生意気」

「へいへい。生意気で悪かったです覇王様」

「あなた、酔ってるわね?」

「ちょいと……まだまだ行けるが。お前さんはもう終わりなんで?」


 飄々と何処までも緩く受け流す。挑発に等しいその言葉に、華琳はまた苛立ちが募った。

 そこでふと、思い至る。


――そろそろ命じてやろうか。あなたが困ることを。


 城でするはずだった宴会をわざわざ娘娘で執り行った理由を秋斗に話せばきっと困るに違いない……そう考えて、楽しさが胸に湧き立ち苛立ちを打ち消した。


「秋斗、どうして娘娘で宴をしたか教えてあげましょうか」


 にやりと笑う顔に、寒気が一つ。こういう表情をする時は決まって悪戯を考えている時だ。それも、秋斗が困るような。

 ひくついた頬を無理やり上げて、秋斗が笑う。


「へぇ、聞かせてくれ」


 哀しいかな、彼には読み取れなかった。


「店長に話して今日はこの夜天の間で泊まることにしたのよ。もちろん、あなたも皆と一緒に同じ部屋で寝て貰うわ。存分に困った顔を見せて頂戴ね。ちなみに皆には了承を得てるし、その為に風呂も入らせて来た」


 絶句。

 雛里達とだけでも拒絶していたというのに、黒一点の彼に女の子達と同じ部屋で寝ろと華琳は言っているのだ。

 男として精神衛生上よろしくない。秋斗個人としては最悪に近しい。


「ま、待て。俺は拒否するっ! なんで男の俺がお前さんらと一緒に寝なきゃならんのだ!」

「ふふ、いいわね、その顔。拒否権は無しよ」

「知らん! 女だらけの場所でなんか寝てられるか! 絶対に嫌だね! 俺は帰らせてもらう!」


 フラグが立ちそうな言葉と共に立ち上がろうとしても……流琉に腕を抑えられて立てなかった。

 大きな声を出せば皆に聞こえるのは当然で、先に話を聞いていたらしい皆が一斉に秋斗を見やった。


「兄様……せ、せっかくなんですから……」


 うるうると涙目で見つめる瞳は子犬の如く。

 これだけ人数がいれば間違いなど起きるはずが無い、皆と一緒なら恥ずかしくもない……そう考えていた流琉は、秋斗が本気で嫌がっていることにショックを受けていた。

 やっと仲良くなったと思ったのに、と。

 その横、しなり……と彼の肩にもたれ掛かる美女が、一人。

 蒼髪が肩を擽り、ほんのりと朱に染まった頬と潤った瞳が妖艶に過ぎた。


「なぁ、徐晃。せっかくだろう? せっかく楽しい夜なんだ。皆で朝を迎えるのも悪くない。そんな意固地にならず一緒に寝よう。たまには……なぁ?」


 耳元で囁かれる声にドキリと胸が脈打つ。普段の秋蘭であれば絶対にしないような、まるで閨に誘うような甘い声にさすがの彼も固まった。


――こいつ……酔って気が大きくなってやがるな……じゃあそろそろ春蘭もやべぇ。


 華琳の少し横を見れば、春蘭が俯いていた。隣で霞が慰めに彼女の喉を撫で繰り回している。毎度毎度、酒盛りの度に起こる事なのだ。分からぬはずも無い。

 嗚呼、と声を漏らした時にはもう遅かった。酔わせるように仕向けたのは秋斗だ。自業自得とはまさにこのこと。

 肩を震わせ、目に涙を溜め、下唇を噛んで春蘭は秋斗を睨みつけた。


「わ、わたしたちだってなぁっ! きしゃまとはしゃぐのを楽しみにしていたんだっ! 出来るだけ長いこと楽しみたかったんだっ! なのにそんなに……そんなに嫌がることないじゃないかぁ! ばか! ばか! 秋斗のばぁかっ!」


 精神的に幼くなってしまう春蘭は、酔えば驚くほど素直になるのだ。


「ほら、春蘭。泣かないの。そうよね、あなたが一番楽しみにしてたモノね」

「うぅ……華琳しゃまぁ……」


 あーあ、と誰かが声を漏らした。小学生の男子が女子を泣かせたような空気が出来上がる。

 彼にはどうしようも無い。華琳に抱きついた春蘭の頭を撫でる霞が、呆れたように口を開く。


「ほんまあんたって……あれやよなぁ」

「……うっせ」

「で? どうするん? 帰るん?」

「ちくしょう……ああもうっ……そりゃあ嬉しいよ! だってお前さんらみたいな友達と夜通しはしゃげるのが嬉しくないわけねぇだろ! もう帰るなんて言わねぇから泣くな春蘭!」

「だまればかっ! お前なんか店長や徐晃隊といちゃついていればいいんだっ! 男まみれの中がいいんだろう! そうなんだろう!? 徐晃隊を誘って大部屋ででも寝てればいいんだ!」


 ぶふっと噴き出す声が幾多。頬を染めるモノが数人。子供のようなやり取りににやけるモノが多数。

 春蘭の言葉に彼はがっくりと項垂れ、乾いた笑いを漏らしてから……大きなため息を吐いた。


「なんで好き好んで男だらけの汗臭い中で寝なくちゃならんのだ……」

「くっくっ……秋斗、お前が悪い」


 捩れそうな腹を抑えながら、秋蘭は秋斗の肩を一つ叩く。


「秋斗殿と店長がくんずほぐれつ……いやそれよりも、女だらけになるなら私達は華琳様と――――ぶはっ」

「ちょっと稟! ダメっ!」

「おおー、さすが桂花ちゃん。華琳様に被害が出ないようにならそんなに速く動けるんですねー」

「あわわ……でも稟さんの服が、ま、ま、真っ赤です。桂花さんの手も……」

「はい、御手拭き。まったく、むっつりも行きすぎたらこうなるのね」


 軍師達は一人の妄想少女によって異質な場へと変化した。それでも気に留めない辺り慣れているのだが。


「兄やんは女の気持ちに気付かへんにぶちんやから……まあ、しゃあないか」

「二人とも素直じゃないだけなの。春蘭様ももう少し徐晃さんに伝えたらいいのに」

「いや、それは無理だと思う。だって徐晃殿はあんなだし」


 あー、と納得の様子の三羽烏は、意地っ張りな二人を呆れて眺めていた。


「秋兄様のてんちょーの絡みを邪魔するわけには……でも一緒に寝たい……ぅぁ……どうすれば」

「だ、大丈夫じゃないかな? だって彼は……でも店長さんとの絡み……かぁ」


 朔夜に毒されて、乙女の妄想を広げていく月。寸での所でフルフルと首を振って、頬を染めながら彼を見つめた。


 皆がそれぞれ話す中、秋斗と春蘭は喧嘩の中心。止められるモノは、一人だけ。


「秋斗は春蘭に貸し一つ。いいわね?」

「ぐ……ああ、分かった」

「ほら、春蘭。あなたが秋斗に何か一つ好きな命令が出来る権利をあげましょう。それで許して上げなさい?」

「おまっ、それは――」

「もう一つ罰を増やされたいのかしら?」


 やはり彼では、華琳に勝てなかった。

 計画通り、と彼女は笑みを深める。戦術では勝利しても最終的には華琳の勝ちであった。


――敵わねぇなぁ、ほんと。


 苦笑を一つ。このどうしようもない悪戯好きな覇王に、彼は降参と手を上げた。


「春蘭、すまんかったな。とりあえず飲み直そう」

「……うるしゃい」

「こんな楽しい夜だ。泊まるってんなら後で枕投げもしよう」

「……まくら投げ?」

「ああ、枕を投げてぶつける遊びだ。大人数が泊まりで遊ぶ時、寝る前にやる合戦遊びなんだ」

「へぇ……いいわね、それ」

「クク、せっかくなんだろ? なら俺は本気で遊び倒す。その為に、ほら、酒で気分を上げよう」

「……きしゃまには負けんからなっ!」


 合戦と聞いてか、それとも遊びたかったのか、漸く少しだけ気分が上がった春蘭は、秋斗が差し出した杯を手に取った。


「ほら、華琳も飲もう。お前さんも酔っちまえ」

「酔った程度で私に勝てるとは思わないことね、秋斗」

「威勢のいいこって。秋蘭、霞、お前らも来いよ。季衣と流琉もちぃとだけならいいさ、飲め飲め!」

「軽い酒やったら大丈夫やろ、ほい、これ」

「わぁ! ボクも飲んでいいの!?」

「あんまり多くはダメよ、季衣!」

「分かってるって!」

「おっしゃぁ! 飲むでぇ!」

「ふふ……霞、今度は程々に頼むぞ。まだ潰れたくない」

「にしし、意識あるうちは大丈夫やて!」


 真ん中の机で、盃が幾多の音を上げた。

 グイと飲み干す彼女達と同じように、秋斗は大盃を傾ける。

 楽しい夜だ。まだまだ楽しもう、と。


「せっかくだし役満姉妹も呼んで来ましょう。店長もそろそろ終わってもいい頃合いじゃないかしら?」

「ああ、確かに。じゃあ……」

「あんたは行くな! 時間稼ぎはさせへんでぇ! 朔夜ーっ! 店長と役満姉妹呼んで来てやー!」


 酒宴はまだまだ中頃。

 騒ぐだけ騒いで、今この時を心に刻む。

 笑顔が溢れていた。声に溢れていた。悲哀は其処には無かった。

 生きている事に感謝を。生かしてくれたことに感謝を。戦ってくれた者達に感謝して、彼女達はこうして明日を繋ぐ。


 昔よりも華やかな、心よりの笑顔を浮かべながら……華琳は内心でぽつりと呟いた。


――バカばっかり。こうなったのはあなたのせいよ。


 思いながらも苛立ちは無い。楽しかったから、嬉しかったから、そして何より、笑顔の華を咲かせる皆が愛おしかったから。


――私の軍を変えた責任は取って貰うわ。逃げることも消えることも裏切ることも、絶対に許さないんだから。


 絆を繋げ、そうして彼を縛ればいい。

 平穏による優しい鎖で、彼の心を此処から離さないように。黒麒麟の絶望に喰われぬように。


 今は楽しい夜を。

 華琳は弾む心をそのままに、秋斗に見えないよう舌をぺろりと出した。


――友達なんでしょう? それなら私の悪戯にずっと付き合いなさい、秋斗




 皆の夜は更けていく。

 大事な絆をまた繋いで、笑ってはしゃいで、子供のように。黒麒麟がやらなかったことをこの軍で。

 雛里は一人、この暖かな場所に感謝を。愛しい彼を想って胸の内で呟いた。


――あなたが帰る家は、もう一つ出来てますよ……“秋斗さん”。

読んで頂きありがとうございます。


遅れて申し訳ありません。

真面目な話したり喧嘩したりなんだかんだで騒がしいのが彼らのようです。


霞さんと春蘭さんの強さの違いはきっとこんな感じかなと。

華琳様の為に、華琳様の剣として、華琳様の代わりに戦うってことは、どれだけの想いが乗っかってるのか、みたいな感じで。

自分の為に戦う人では絶対に勝てません。恋ちゃん以外ですが。


次は短いですが早めに上げれるよう頑張ります。

ではまた

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