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彼らの平穏、彼らの想い

 やんややんやと騒ぐ声。大爆笑して杯を酌み交わし、赤い顔を綻ばせて皆は一様に笑顔を向ける。

 激動の戦いを生き抜いた男達ではあれど、日常に於いてはそこいらの民となんら変わらない。

 徐晃隊――――今は鳳統隊だが――――と呼ばれる彼らは、自分達で作った料理に舌鼓を打ちつつ、昔と変わらない子供のような姿でその時を過ごしていた。


 そんな中で一際湧き立つ場所が、一つ。


「ゆえゆえ――――っ! 結婚してくれぇ――――っ!」

「っ!」

「おいこらてめぇ! 抜け駆けしてんじゃねぇぞ!? 俺と結婚してくださいお願いします!」

「へうっ!」

「がはは! 想いが足りねぇよ想いが! 御大将を負かした時に結婚してくれ! これなら受けてくれるだろう!?」


 どうだ、と男達が白銀の少女を見た。


「へ、へうぅ~~~~~」


 熱くて男くさい愛の叫びを幾多も受けて、月は顔を真っ赤にしながら目をぐるぐると回していた。

 そんな彼らのバカらしさに見かねて、遠くで飲んでいたはずなのにいつの間にか近くに駆けてくる影が、一つ。


「ちょ、う、し、に、乗るな――――っ!」


 誰かが言った。アレは鳥だと。

 月の側に昔居た小さな少女は、宙を舞ってバッタ怪人の如きキックをするのが得意だったのだが……眼鏡を掛けた深緑の髪の乙女もその少女の如く飛び上がり、彼らのうちの一人に手痛い蹴りをお見舞いした。

 惚れ惚れするような軌跡である。放物線を描かずに、上に跳んだのに斜めに落ちるという物理法則を無視したその動きは、見る者を魅了してやまない。


「ありがとうございま―――――すっ!」


 絶叫を上げながら吹き飛んでいく表情は幸福に満たされて。その男は月派でありながら詠派にもなってしまった稀有な男だった。


「この変態共がっ!」


 鋭い眼光で腰に手を当てて仁王立ち。そして彼女は、彼らに歯を剥いて思ったまま罵倒を口にする。

 ただ、彼らがそんな言葉で折れるなどと思わない方がいい。生粋のバカしか集まっていないこの部隊では、彼女のその態度はいつも逆効果であった。


「えーりんのその蔑みを待っていたぁ!」

「もっとくれ! もっと罵ってくれ!」

「その罵り、その視線、ああ、堪らねぇ! 俺は一生えーりん派って決めてんだ! 愛してるぜえーりん!」

「うぁぅっ……き、気持ち悪いのよクソバカぁ!」

「げふぅっ!」

「ぐはぁっ!」

「うげぇっ!」


 もう彼女も将にしたらいいんじゃないかな、と誰かが思った。

 こと月が絡んだこういったふざけた場所で、それも彼らに対してだけは、詠は何故か機敏に過ぎる動きを見せるのだ。


 黄金の右手。彼女の平手を秋斗はそう呼ぶ。見えない、避けきれない、吹き飛ばされると三拍子揃った彼女の伝家の宝刀とかなんとか。

 それに加えて、今日の彼女は段違いの力を見せつける。


「ま……幻の左……」


 使われるはずの無かったその手が、今日は解き放たれたのだ。

 残像を伴ったそれは“二人”の男を吹き飛ばした。たった一回の平手打ちで、屈強な兵士二人が見事に飛んで行ったのだ。

 ゴクリ、と生唾を呑み込むもの多数。その場は異様な空気に包まれた。恐れが半分……しかし度し難いことに、歓喜が半分。

 単純に詠に殴られることが嬉しいというのもあるにはあるが、彼らが歓喜するのは別。

 こういう時に、彼らが愛してやまない一人の少女が必ず動く。


「え、詠ちゃん、そこまでしなくても……ごめんなさい。だ、大丈夫ですか?」


 月である。

 おろおろと慌てながら慎ましやかに声を出せば、彼らの表情は皆綻ぶしかない。慌てて吹き飛ばされた兵士の側に向かう彼女に、ほっこりしない輩がいないわけがない。

 癒し系子犬系なその少女の姿には、誰派構わず男共の頬が緩む。彼らとて、可愛い女の子が大好きな男だから。


「へへ、へっちゃらでさ。えーりんに殴られて逝けるならほんも……ぐふっ」


 茶番劇だが、そうして死んだふりをする男は次に彼女が手を握ってくれると知っている。

 無意識でいつもしてしまう月は天然で男殺しであると言えよう。

 そんな事はさせまいと、誰もが思う。選ばれた一人になるのは自分だと。抜け駆けだけは許されないのだ。


「そうは問屋がおろさねぇ!」

「一人で死んでろ!」

「良い想いしようったってそうはいかねぇかんな! 死ねぇ!」

「ぐはぁっ、やめ、お前らから蹴られても、いて、嬉しくねぇんだよぉぉ」

「ほらほらぁ、無様に這いつくばって希え!」

「副長が居ないからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!?」

「ゆえゆえ派の結束を乱す輩には死、あるのみ!」


 幾多の練兵で積み上げた研ぎ澄まされた動きを以って、そのバカ野郎に罰を下す。神速もかくやという程の速度で、彼らは罪人に近寄り、蹴る。

 それが彼らの日常で、本当に下らないやり取り。

 嗚呼、と月が声を上げた。目の前でげしげしと足蹴にされる男。蹴るのを止めてと言おうとしても、何故か蹴られている側も楽しそうなのだから止めるに止められない。

 おろおろと止めようかと迷っている間に、詠がその手を掴んで他の場所へと誘う。


「向こうで飲みなおすわよ。こいつらそろそろ喧嘩し始めるから危ないもん」


 初めは楽しそうでも、いつでも必ず喧嘩に発展する。そしてどちらが勝つかで賭けたりとソレを楽しんだりもする。

 詠は彼らがどういった流れでそうなるのかを既に看破している。いや、ある程度のモノなら誰でも分かる。おっとりゆったりほんわかしている月には分からないが。

 そのうちそんなことしなくなる、と月はいつも思っている……が、彼らはいつでも繰り返す。詠も月も始めは止めていた。しかし彼らがその程度で止まるかと言われれば、否。

 つまり、彼らはガキなのだ。それでいいと思っているし、斜に構えてバカを出来ないような人間になどなりたくないだけの。


「で、でも……」

「いいの。あいつらだっていつも通りにしたいんだから、そういう時は放っといてあげましょ」


 連れられるままに、後ろの遠くで怒声が聴こえた。振り返れば、目に映るのは男の背中が幾多。やはりやんややんやと盛り上がっていた。


 彼女達が離れた場所を遠目に見ながら、カレーの大鍋の前で苦笑を零しているモノがいる。


「あいつらやっぱバカばっかりだな」

「人のこと言えんのかよ? ゆっくり飲まずに気ぃばっかり遣ってる奴がよ」

「ん? だってお前ら肉ばっかりよそるだろが」

「そりゃ早いもん勝ちだから仕方ねぇってもんだ。食うの遅ぇ奴が悪い。早くおかわりくれよ、徐公明」

「ったく……おらよ。野菜マシマシじゃがいも大盛りだ。ちなみに肉無しな」

「うげっ! ふざけんなこの野郎!」


 鍋の横には机を置いて、彼は皆におかわりを配りながら兵士達と話をするだけ。


「意地悪したらダメですよ? えと、えと……お、お皿を出してください」

「おおっ、さっすが我らが軍師様!」


 ひょい、と彼の隣で小さな少女がお玉を扱い、肉だけ綺麗に取りよそった。

 褒められてたじたじと身を捩る雛里は、白い割烹着姿で彼の意地悪を止める。うひょーっと歓喜の声を上げてその兵士は自分が話していた場所へと駆け出した。


「案外楽しそうじゃないか」

「彼らにとっての日常は黒麒麟が居なくとも回るモノになっています。それは全て、彼がこういった場を繰り返し繰り返し積み上げて来たからに他なりません」

「何度も何度も、飽きる事無くこうして絆を繋いで来たってわけだ」

「毎日のお食事ですらこんな感じでした。あの人は……私達よりも兵士達と過ごしたがる人でしたから……」


 遠い目をして雛里が語る。

 桃香の成長を待つ為に、と彼は将とすら深く関わらなかった。それも理由の一つ。

 しかし重鎮達と絆を繋ぐことは大切なのだが、黒麒麟の遣り方は成り上がりモノ故の変わらない方法。

 こと戦場に於いてモノを言うのは兵士との絆なのだからと、自然と肩を並べて戦うモノ達と過ごすことを選び、一つの組織を纏める上で一番重要な部分を強めた。


 普通の将は、上に行けばいくほど練兵の時くらいしか兵士と関わらない。街や外での仕事に連れて行った兵士くらいとしか絡みもしない。

 仲良きことは素晴らしきかな、将同士の絆が強ければ連携も出来よう。他の部隊に任せもするし、信頼も置ける。

 だが彼が選んだ戦術は一部隊特化型の特異なモノ。たった一つの部隊だけでも戦況を動かせるように……小規模になればなる程兵士個人との信頼の方が優先されるのは言うまでもない。

 左方に突撃しろと命令が出ても、その場その場で細かい戦闘は個人同士が為すのだ。それを彼は逆手にとった。


 バカでも分かるように『三人ないし二人一組で一人に当たれ』と命じたとしても、誰が誰と組むのかはその場で判断するしかない。

 それなら前々から決めて置いた方がいい。誰かが死んだら先に圧した奴等から一人加わればいい。小さな所ではあるが、そういった意思疎通の時間こそ彼が省いたモノである。

 効率的な戦場は戦友達との絆から生まれるのだ。仲良くない奴の方に向かうよりも、仲のいい友を助けに行く方が力も上がる。だからその関係を作り上げることにこそ重点を置いたのだ。


 自分が兵士ならどうしたいか。どう動いたら死なないで済むか。どう動けば多くを殺し、多くを救えるか。個人単一では無い戦場で、兵士一人ひとりの生き残る確率を上げる為に。

 誰も考えないような思考の果てに、秋斗は徐晃隊を作り上げた。

 彼らのような意地っ張りがついて来てこその話ではあるから、少しでも兵士達との時間を多く取って、将同士の絆よりも兵士との関わり合いを優先した、ということ。


 なるほど、と一つ零した秋斗は納得した様子。


「組織の連携は一朝一夕じゃ出来ない。上だけで繋いでる絆は兵士には浸透しない。戦うのはあいつらで、命を賭けるのもあいつら。その命を守るよりも、高めて引き上げて生き残らせるように仕向けたかったってこった」

「最も死ぬ確率が高くて最も生き残る可能性が高い兵士、と彼は言っていました。伍長、十長、百人長、千人部隊長……役職の区別なく全員が戦場で等しく平等にあれ。同じ命を賭けるなら、隣を救って笑って――――」


 死ね、と。

 驕りも優先順位も無視された駒。彼が望んで、彼らが望んだ部隊のカタチ。

 ふ……と雛里は笑みを零した。隅々まで彼らは秋斗と同じく、命をゴミのように投げ捨てながら、生きる為にと力を振るう……彼の変わらない部分は、きっと兵士達という理解者の元でこそ救われる、そう思ったから。


――敵わないなぁ……


 何処にでもいる恋する少女なら、本当は自分を選んでほしいと思うだろう。

 しかし雛里はもう、彼が兵士達と同じように命を使って戦うから、その背を見送る女で有りたかった。

 将だから命を捨てるな、と咎めたことはあった。なのにいつでも彼は先頭を突っ走り、自分を使ってでも策を為す。


「男ならぁ……何かの為に強くなれ……だろ、徐公明?」


 声がしたのは後ろから。

 酒の瓶を持った一人の兵士が立っていた。


「あ、第三の……」

「その服お似合いですぜ、鳳統様。徐公明は褒めてくれやしたかい?」

「あわっ……しょの……」


 現れたのは第三の部隊長だった。記憶を失おうが相も変わらず無自覚な女たらしなんだろう、とその男は予想を付ける。

 雛里の真っ赤に染まった顔を見れば分かるが、食事を作る時点で言っているのだ。


「そうですか。相変わらず女たらしなバカ野郎ってか」

「女の子が可愛い服着てたら褒めるだろ?」

「口に出して言う奴ってのは少ねぇのさ。特にあんたも御大将も、鳳統様以外にも言うから性質悪い」

「……聞かなかったことにしとく」


 女絡みの話は秋斗にとって苦手なところ。いつも通り逃げて、彼はカレーのおかわりをよそる為にすっと手を出した。


「おかわりだろ? 皿くれ」


 ただ、予想に反して部隊長は動かない。じっと彼の瞳を見つめて、幾分後にぐびりと酒を飲んだ。


「いや、メシはもういい。鳳統様、徐公明借りてもいいですか?」

「えっ、あ、ど、どうじょ、あわわ……どうぞ」


――童女はあんたの方ですがね。っと、御大将みたいなこと考えてる場合じゃねぇや。


 噛み噛みで発された言葉に苦笑が漏れる。きっと彼ならそんなことを考えるに違いないと思ったから。


「……りょーかい。ひなりん、此処任せる」

「は、はひ、いってらっしゃい」


 まだ噛んだ影響が残っているのか、彼女は俯き加減にふりふりと手を振った。

 借りた練兵場の端の方に歩いて行く二人の背を追い駆けることはせず、雛里はしばらくそのままじっと見つめたままであった。








 †






 武器を持ってくれとその男は彼に頼んだ。

 秋斗が手に持ったのは刃を潰した彼専用の訓練用長剣。昔と同じその装備を見れば、部隊長の頭には幾重にも重ねた訓練の記憶が甦る。


「聞いたよ。お前さんが一番古くて、一番徐晃隊の中で強いってな」


 第三部隊長はまだ年若い。結婚年齢の低いこの時代であるから、妻がいると言っても秋斗よりも幾歳だけ下だった。

 副長に追随するように鍛え上げてきた力は、血反吐を吐く練兵と個人訓練で身につけた己が生きた証明。それでも、イカサマで強くなっている彼には敵わない。


 重心を落とした。左足を斜め前に。そして右手に槍を、左手に剣を。

 秋斗は肩に剣を担ぐ。随分と慣れ親しんだ動きで、身体が反応するままに軽く。

 見間違うはずも無い黒麒麟の姿。記憶が無いことを除けば、戦闘能力は黒麒麟と同じ。


「御大将とまともに数合だけでも一騎打ち出来るようになったのは副長だけだ。俺らと違う武器を持ったのはそれが出来るようになってから……あの斬馬刀は副長が少しでも御大将の負担を減らす為に選んだ、敵将を落馬させる為の武器だったんだ」


 ただ彼の為に。そう願っていた副長の想いは徐晃隊の中でも飛び抜けている。脚がもげようが手を切り離されようが、副長は秋斗が一番戦いやすいように出来る状況を想定していたのだ。

 知らなかった情報を教えられて、秋斗は一寸だけ目を見開いた。


「ただの兵士じゃ満足できねぇ。俺達は金が欲しいわけじゃねぇ。地位が欲しいわけじゃねぇ。名誉が欲しいわけじゃねぇ。

 生きたいとは思う。けど命よりもっともっと大事なもんがあんだ」


 視線が絡んだ。部隊長の突き刺すような視線に、秋斗は目を細めて返すだけ。

 ぐ、と脚に力を入れた部隊長は、大きな息を吐きだして、心を決めたように不敵な笑みを彼に向けた。


「だからちょっとだけ付き合ってくれよ……徐公明っ」


 突然の動きは右手の槍から。戦場で行うモノとなんら変わらない一突きを放った。

 当たればただでは済まない研ぎ澄まされた一閃。兵士としては最上級の実力と言えるも……彼は空いている左手を添えて軌道をずらし、横薙ぎを封じた。

 一撃で終わるのは徐晃隊である限り有り得ない。その為の二重武器で、盾を捨てた攻撃の型。

 片手の振りきりは小さく器用に、部隊長の剣は彼の身体に襲い来る。


 それがどうしたと言わんばかりに、秋斗は上げた片足のブーツの鉄板で部隊長の持ち手を蹴り上げた。

 追撃が来る、と分かっていた部隊長は二歩下がり、また彼を見つめる。


「意地があんだよ。男として生まれた以上、誰にだって負けてられるか。全ての始まりはそんな想いだった」


 徐晃隊に入ったのなら、例え誰であろうと負けたくなくなる。

 厳しい訓練を積んでいるのだ。強くなれないなら意味が無い。先達は序列が付けられ、片腕に成り得たのは一人だけで、所詮、男は部隊長にしかなれていない。

 満たされない。満たされない。

 目の前の男だけは化け物達に負けない強さを持っている。それが悔しくてたまらない。自分達が無様にしか見えず、ちっぽけにしか感じられない。


 また、部隊長の方から躍り出た。

 虚実を交えた槍と剣の連撃を、易々と彼は一つの剣だけで撃ち落としていた。一合、二合、三合、と。

 衣服にさえ掠らせず、抜き身の刃に恐れも持たず、ただただ冷静に。

 幾分、また部隊長が離れた。


「御大将みてぇな力が欲しかった。一人でも十二分に戦える力が欲しかった。でも足りないから、俺らは群れてでも強くなるしかなかった。ありがたいし嬉しかったぜ。こんな俺らでも御大将みたいな化け物達の倒し方があったんだからよ。だけど毎日、口惜しくてたまらねぇから訓練を重ねて……強くなりてぇと願ってる」


 求める強さに上限など無い。しかし一筋さえ刃を掠らせも出来なかった自分達が、黒麒麟にキズを付けられるようになった。

 戦場に出てみれば、他の部隊よりも多く働ける。誰かを救って、自分達が世界を変えているのだと実感できる。


 今度は両の武器を同時に振る。見切った秋斗は、近づいて長剣で鍔迫り合いに持ち込んだ。

 難なく吹き飛ばすことが出来る力の差があった。兵士としては確かに強いが、それでも猪々子や春蘭……否、秋蘭にさえ劣る自力の差があった。


「……っ……だけどよ、いつか一人で倒せるように訓練してるが、俺らがなれる戦場での限界は副長の場所だ。それ以上を求めるなら……俺らは黒麒麟じゃいられない。軍神や燕人、昇龍のように黒麒麟と舞うことは出来ないんだよ」


 泣きそうな声だった。

 自分の男としての価値を高めたくて強くなろうと努力を繰り返し、それが出来ないと男は言う。

 何を読み取ったのか、何に気付いたのか……秋斗は彼の言いたいことを理解した。


「……部隊で戦うには我が強くなり過ぎるってか?」

「ああ。黒麒麟の身体は自分を律しなけりゃなれねぇ。俺らが使ってる戦術は単純なもんじゃねぇんだ。合わせる奴等と力量差があり過ぎるとどっちもの足を引っ張っちまうし、我が出過ぎると御大将の邪魔をしちまう」


 昔の黒麒麟の戦では。そう付け足した。


「戦場では近付けなかったんだよ。大地に脚をついて本気で戦う御大将の周りには副長でさえな。自分の戦い方だから一番分かってるだろ?」


 俊足の縮地を駆使して変則的な動きで兵士を狩る。長すぎる長剣と長時間の戦闘を考慮した不可測の動きは味方さえ殺す可能性が高く、徐晃隊の兵士達と連携を取るのは不可能で効率も悪い。ギリギリの線で見極めて合わせあうから戦えるその状況はいいのか悪いのか、昔の秋斗でさえ悩んでいた。

 真正面から兵士と一緒に突撃。騎馬で難なく敵の部隊を切り拓く……そんなことは、歩兵部隊の徐晃隊では為し得なくて、一人でも多くを生き残らせる最効率の戦場は作れない。

 如何に個人が強くなっても、彼らの戦い方ではそれが全てでは無いのだ。徐晃隊が黒麒麟として戦うとするならば。


 そして、彼らが思うのはもう一つ。


「んでよ、例え俺らが御大将と同じように成り上がれたとしても、同じように馬に乗って兵士を扱って後ろで指示なんざしたくねぇ。この手で泥だらけになって戦わないと気が済まねぇ。徐晃隊の、小隊分離の特異戦術で、バカ共と一緒に戦わねぇと、もう……我慢できないんだ」


 ギシリ、と歯を噛みならした。両の手の力を抜き、鍔迫り合いを止めた。トン、と剣を握った拳で自身の胸を叩いた。

 ゆっくりと、彼は頬を吊り上げ笑う。その目から一筋の涙を零して。


「此処が……喚くんでさ。

 戦わせてくれ、救わせてくれ、世界を変えさせてくれって……どうしようもないくらいに」


 するりと、男は剣と槍を落とした。力で届かないのは分かっていた。今の力を知りたくて戦ってみても、やはり絶対の壁を感じてしまう。

 そんな中で、彼は自分の主と違う心を持つ秋斗に対して、想いのたけを力と共にぶつけてみたかった。ただ、それだけなのだ。


「なぁ、徐公明……俺は御大将と……一緒になっちまった……」


 大きな喪失がその部隊長の心を変えた。

 叩きつけられた絶望は、子供のように憧れて止まなかった英雄が居ないからより大きく強く。

 凡人の指標たる片腕も居ない。彼の心を分かってやれるモノは、本当に少ない。

 グイ、と袖で涙を拭って、彼の襟に縋った。


「あんたが作った九番隊には、絶対負けねぇぞ? だけど……渇いて仕方ねぇんだよ……」


 足りない、足りない。そう彼は言う。憧れた部隊で、誇りに思っている。誰にも負けたくないと意地もある。


「俺は家族を守りたい。愛する嫁と子供と幸せに暮らしたい。おっさんになってから娘の連れてきた男をブッ飛ばしてやりたい。腰が曲がったら嫁と茶ぁ飲みながらのんびりと過ごしたい。

 ……でもそれ以上に、例え嫁と子を悲しませようと、俺の命を使い果たしてでも、このクソッタレな、戦を繰り返してばっかりの世界を変えてやりてぇんだっ」


 想いは重なる。憧れて憧れて、そうあれかしと願ってきたから。

 誰よりも近くに居てくれた英雄は、己が幸せを考えられない程に壊れていたから。

 幾多もの楽しい時間を繰り返しながら、幾多もの哀しい別離を繰り返しながら、絆を繋いだ者達の想いを繋いで来たから。


「生きたいさ! もっともっと笑顔が見てぇ! 皆とバカやりながら幸せに暮らしてぇよ!

 でもっ、自分の幸せなんかよりもこの世界の平穏が欲しいっ! 命一つ賭けられなくて何が乱世だ! そこいらのガキだって誰かの幸せの為に命張るってのに!」


 男はただの部隊長。しかし想いだけは、いつでも黒麒麟の身体に相応しく。

 賊に襲われた村の子供でさえ守る為に命を賭けて武器を持つのに、自分達がそうなれずに作れる平穏などないのだと。

 いつしか兵士達が集っていた。秋斗と部隊長の声を聞いて、見つめる瞳には熱が宿っていた。

 誰も声は出さない。代表と認めている第三の部隊長には、他の誰もが敵わない故に。


「徐公明、あんたは御大将と同じで、俺らと同じだ。バカみてぇに命を投げ捨てるのが皆の平穏の為で、それがあんたの力になってる。自分を大事にしろなんて俺らにゃ言えねぇ。それだけでっけぇ願いだって分かってる」


 秋斗は男の視線を真っ直ぐに受け止める。ため息を零した。いつも通りに自然体で。


「……お前らはホントに……黒麒麟なんだろうなぁ」

「へへ……俺達を誰だと思っていやがる。あんたが追い駆けてる御大将と戦ってきた黒麒麟の身体なんだぜ」


 不敵な笑みも、吐き出せた想いから安息に染まる。自分が伝えておきたかった言葉は、秋斗の心に届けられたから。

 雛里も、詠も、月も……彼らの渇望の大きさに理解を深めた。

 大きく手を広げた秋斗はぐるりと彼らを見渡して笑みを一つ。


「……ありがと。お前さんらが居てくれてよかった。

 改めてよろしく。黒麒麟になりきれないマガイモノだが……徐公明という。

 お前さんらと共に、乱世に咲く想いの華を後の平穏な世に捧げよう」


 部隊長は置いてあった酒の瓶を差し出す。彼を認め、戻るまでは共に戦ってみせようというように。

 杯は数が足りないが、回し飲みで十分だ。皆、瓶を持ってきたモノの周りに集って、うずうずと秋斗を見やった。

 何がしたいのかは、彼であれど分かっている。


「クク、楽しい夜だがバカ騒ぎの続きと行く前にお前らの証を教えてくれや! 叱られるのは俺だから困らねぇだろ!」


 ふい、と部隊長の方を向いて頷く。今それを言うに相応しいのは、黒麒麟として戦ってきた彼らなのだから、と。

 応と上がる返事は力強く、胸いっぱいに息を吸い込んだ彼らは拳を掲げる。

 その口から発される証は――――――


読んで頂きありがとうございます。


名をかたられることの無い彼らの平穏。

一度くらいは書いておこうと思いまして。

兵士の戦う意味って大切だと思うんです。


次は短めですが早いうちに上げますね。


ではまた

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