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生死乱れる紅の狂宴

後半に残酷描写ありです。

 この世に人として生を受けた以上は、両親という存在に関わらずにいるなど到底無理な話。麗羽も例外なく、父と母が居なければ生れ落ちてすらいないし、例え人形のように命令されるだけであろうとも、関わり合いは確かにあった。


 目の前で鞭打たれている二人からの視線は憎しみを映し出し、とても親が子に向けるモノとは思えない。

 対して、未だ上位に立っている気の両親に返す麗羽の視線は穏やかに過ぎた。

 その微笑みが、余裕のある仕草が……さらに親の心を苛立ちに染め上げていた。


「血の裏切り者め。人としての誇りさえ捨て去ったお前が……今以上に人を外れるつもりか、麗羽」


 蔑みは真名を民にまで開示した彼女の異端さを突いて。この世界に生きる者ならば、神聖なる真名を顔も知らない他人に捧げる行いをした者は、犬畜生と変わらなくすら感じられる。だから麗羽の父は侮蔑を吐き捨てた。

 その昏い声が耳を擽り、麗羽は思う。


――嗚呼、なんて足りない……


 侮蔑では怨嗟に届き得ない。彼女を壊すに届かない。威圧も優越も何かも、彼女を怯えさせるにはもはや足りなさすぎる。

 片目だけ細め、麗羽は不敵に笑った。


「申し訳ありませんお父様。わたくしは歴史上でも一番の親不孝者です」

「当然だ……が、何故笑う? 真名を捧げてイカレたか」

「いいえ、感謝しているのです。あなた方がこの世界にわたくしを生み出してくださったからこそ、わたくしはわたくしだけの天命を手に入れた」

「ハハッ! 天命……だと? 片腹痛いぞ麗羽! お前は曹孟徳と黒麒麟の操り人形になっただけであろうが! 所詮我らがお前を使ってやっていた時と変わらん! 貴様など、何処まで行ってもただの人形に過ぎんのだ! ハハッ!」


 愉悦と見下し、そうする事によって従えて来たから、袁家の前当主はからからと笑う。

 やっと手に入れた地位で、力。自分も同じように人形だったからこそ分かる。そうして……人は最も憎んだモノになって行く。


「お~っほっほっほ!」


 その愉悦を、麗羽の高笑いが呑み込んだ。

 困惑と疑念が綯い交ぜになった表情で親は彼女を見つめた。

 分かるはずも無いか、と麗羽は笑いながら思う。


「ふふっ、軛が外れたわたくしにはこの世界が美しくて仕方なく見えます。

 縛り付けられた籠の中から見る世界は醜悪で、其処からすればこの世界は随分と美しい。己が幸福の為に乱世を広げるなど……とてもではないですが思えません。

 今思えば、華琳さんだけは違う世界を見ていたのでしょう……野心と呼ぶには綺麗過ぎる想いが彼女を覇王へと導いたのですから。学生時代の時点でわたくしの敗北は確定していたんですわ」


 目の前に華琳が居るならこんな事は言わない。

 こんなに素直に本心を零してしまうのは、やはり親の前だからではなかろうか……そう麗羽は思う。

 そのまま、不快な様子の両親を放っておいて、彼女は尚も語る。


「小さき家の平穏だけを願う王にも、わたくしや袁家は届かない。

 利と欲だけで動く人もいれば……心想と誇りで動く人も居るのですから。得てして乱世は、そういうモノによって鎮められて来ましたし……袁家が重く見なかったソレは人を強くする何よりの餌。

 袁家も、わたくしも、そういった力を恐れていた。抗われるから抑え付け、足掻く者が怖ろしいから管理した。しかし人の心は度し難くもあり、そして気高く美しい。

 わたくし達袁家の敗北は白馬の王を取り込めなかった時点で決定していたに違いありません」


 袁家は白蓮を軽く見過ぎた。

 成り上がりの小娘風情だと侮っていたから、黒の下へ駆ける白馬義従という怨嗟を生み出した。

 始まりの躓きは後々に大きな支障を来すは明白。従うことは無かっただろうが、後の怨嗟を緩めるくらいは出来たはず。

 ゆらりと頬に片手を添えて、麗羽は微笑んだ。


「そして人形である袁紹では……袁麗羽には敵わない。曹孟徳と黒麒麟の犬……大いに結構です。操り手が覇王と黒き大徳に変わっただけ? 否、否ですわっ」


 カツンっ、と杖を鳴らした。

 肩をびくつかせた両親の瞳には、少しだけ怯えがにじみ出た。


「わたくしは人々の願う平穏の為の使徒、袁麗羽。犬は飼い主に噛みつくこともありましょう?

 世に平穏を齎せないその時は、民が覇王に怯える混沌の世が来てしまった時は、英雄が堕天したその時は、このわたくしが真っ先に民の剣となれ……それが黒麒麟と覇王の処したわたくしへの本当の罰。

 あなた方に、この意味が分かりますか?」


 無言。何も言わない二人に、麗羽はため息を吐いた。


「あの二人はたかだか自分の為に戦っているわけでは無く、常に世の平穏を思い描いています。袁家の虐殺を命じたのは覇王と黒麒麟。実際のところ、“真名を捧げさせられた”わたくしが被る悪名は其処には無い。それがどういう事かも分からないのですか?」


 再び聞き返しても、二人は何も言葉を紡げない。


「……真名に関連した処罰を下し、儒への反逆である親殺し家殺しを“させた”覇王と黒麒麟はこれからあらゆる人間から非難されることでしょう。わたくしや他の者達が抗いやすく、転覆させ易い状況が出来上がり……彼女と彼は悪にも善にもなれる。

 他の英雄に敗れれば悪で、天下泰平にして平穏な世を築けたのなら善……戦の論理で自分達を追い詰め、一人の民に至るまであの二人に抗う機会を与えた。一度でも躓けば……あの二人は地に堕ち、この大陸に夜が来ます。そんな冷たい道を行くのにどれだけの覚悟を持たねばならないか、あなた方には分からないのでしょう?」


 常勝不敗の曹操軍は、黒麒麟を得たことでもはや止まることを許されない。

 黒麒麟の加入と今回の件でより大きく善悪の別が曖昧になったこの勢力は、他人に判断を任せる華琳の在り方そのものを表していると言えよう。

 殴られるかもしれない、殴られるのだろう、それなら殴ってしまえ……怯えと警戒は乱世を伸ばし、人の信を殺す毒だ。

 故に華琳は、殴って殴って、殴り抜いて……腹の中に刃を隠し持っているなら事前に叩き折り、反抗を示すなら無理矢理に従え、そうして下ったモノを慈しむ。


 そして華琳と共に儒への反逆を示した彼は……黒麒麟の価値をぼかし尽くし、皆が期待する英雄では無く覇王の作る世界の為の英雄と化し、自分を殺してもいい理由を作った。

 黒き大徳に妄信は必要ない。皆が自分で考え、自分で決めて、人々がそれぞれ自分自身にだけ従えばいい。

 桃香とは違う冷たいやり方で、彼は人々に抗う力を付けて行く。


 覇王の道と黒き大徳の矛盾螺旋。二人以外は自由で、二人だけは平穏の有無に縛られる。

 華琳が間違えば秋斗が剣を向け、秋斗が裏切れば覇王が断罪する……互いに孤独で、互いしか理解者が居ない。


 此処最近その事を見抜いた麗羽はあの二人に従うことに迷いは無い。


「自分が幸せになりたい……それは人として当然のことなのでしょう。しかし自己の欲を優先するなど民に平穏を齎す為政者としては落第にも程があります。“ついでに世に平穏を齎そう”などと……その程度の想いでこの大陸の王になれるなど甘い認識にも程があります。

 故にあの二人は暴君に非ず、世の為に戦う英雄として人が集まり、慕われ……“従う皆から幸せを願われる”。どれだけ親しいモノを失おうとも、どれだけ共に戦った戦友達を失おうとも、その屍を乗り越えて高みを目指すから、彼らはこの乱世で人を惹きつけて止まない。

 ただ幸せに生きたいだけのわたくし達では、到底届くはずもありませんことよ」


 言いながら、自分も袁の王佐も間違いであったと思う。

 人として幸せになりたいと思うのはいい。それでも、人の頂点である王として立つのなら、そのモノは世の為にあってしかるべき。


 “もしも世界か大切な誰かを選ぶしかなくなったのなら、世の平穏の為にその大事なナニカを切り捨てる”

 “もしも自分が死ぬ事で世に平穏を齎せるのなら、喜んでこのちっぽけな命を捧げよう”


――あの二人が辿る道は冷たく、救いは無い。人々の代わりにナニカを捨てるから、敬意を持たれても追い掛けられず高みに昇る。


 極論だが、麗羽は二人の持つ覚悟の大きさを正しく見抜く。

 彼らに我欲は無く、それでこそ人々を魅了し、平穏の為の生贄として身を窶すのだ、と。


――しかし黒麒麟だけは……別。その背中を追い掛けるモノ達は狂信者。同じモノを増やして増やして、そうして世界を変えていく。本当に……不思議な人達。


 ただ、平穏の為の供物のような在り方に憧れるモノなど居ないはずなのに、それを追い掛けてしまうモノは確かに居たのだ。

 忠義とは違う子供のような憧憬で、英雄の生き様と誇りに魅了されて命を散らす。


 麗羽には分からないのだ。

 バカ共の男の意地など、分からない。生かされるくらいなら戦って死ぬ。引くくらいなら突撃して死ぬ。逃げるくらいなら誰かを守って死ぬ。

 生きて掴む幸せよりも、彼らは世界を変えたいのだ。

 その想いを諦観など出来るわけも無く、諦観に塗れた生になど価値は無い。

 そういう自分達に惚れてくれた妻を持ち、そんなバカを支えてくれる友を持ち、そんな自分を送り出してくれる親を持ち、彼らは大バカ者の頂に辿り着いた。

 黒麒麟の狂信はそうして広がり……覇王と同じ高みにある。


 ふっと苦笑を漏らす。

 麗羽は分からずとも、そんな異質なモノだからこそあの曹孟徳と並び立てるのだと思えたから。


「夕さんもわたくしも間違いでした。王の力とは、すなわち末端に至るまでの人。

 恐怖と利で縛ろうとも、率いる人の心を魅了せずして王には成り得ません。非道悪辣は効率的ではあっても、いつしか袁家は滅亡したでしょう。管理されるだけの社会に人は耐えられない。それは夕さんと張コウさんを絶望に落とし続けたあなた方が一番分かっているのではなくて?」


 綻びは小さく、されども大きく育ち行く。

 今が幸せならそれでいい……自分達が幸せならそれでいい……その自己満足の想念に、人は反発を殺せず、同じ欲持つモノに駆逐されていくだけであろう。

 自分の愚かしさと、己が王佐や袁家の原罪を鑑みて、麗羽は震える。


「作りたい平穏が“ついで”だというのなら、その程度の想いこそ命を賭して戦っているモノ達への侮辱に等しい。誰がそのようなモノに付き従えましょうや!

 子を、孫を……先へ先へと繋いで行く人の命を……ずっと平穏と安寧を繋いで行くことこそ血族の絆たる所以では無いのですか!

 血族だけで繁栄が為し得られるわけが無い。血肉たる税を治めてくれる民と、傷だらけになりながら戦う彼ら兵士が居るから血族による平穏は作り出せた。本物の王とはそれを理解した上で戦ってこそ。二人は血では無く才を以ってそれを成し遂げるというのです……ふふ、中々どうして、面白いじゃありませんか」


 覇気を纏い、麗羽は不敵に笑う。

 自分よりも上手く治められるモノが居るなら従い任せる。華琳にとっての敗北とはそういうモノ。

 元より黒麒麟は、覇王が自分よりも上手く世界を回せると知っているのだからさもありなん。

 麗羽から向けられた威圧に、男も女も震えあがった。


「全ての民に機会を……甘美な響きでしょう? 保身を願うあなた方にとっては恐怖以外の何物でもないですが。

 蹴落とすでは無く競い合えばいいというのに……ねぇ、お父様? 奪われないように強くなろうと思えば、それだけで高みに昇れたのではなくて?」


 声を向けられても、喉が張り付いて何も言葉が出ない。


「ねぇお母様? 当主の親というだけで得た甘い蜜は、さぞやおいしい事でしょう? わたくしは夕さんと共に抗うと決めるまで、なんらおいしいと感じませんでしたが」


 母でさえ同じように、ふるふると首を振るだけで何も言えない。

 ため息を一つ。もはやこれまでにしよう、と。


「故に感謝を。わたくしは此れより、自身の力を誰かの為に振るえるのですから。

 与えられた地位などもはや零。期待に応え続けなければ死あるのみ。裏返せば、わたくしが為したことは全てわたくしを表すということ。

 その機会を作り出してくださった大切な友達、覇王曹孟徳と……壊れる程に平穏を願った同志、黒麒麟のことは……誰にも穢させはしません」


 穏やかに微笑んだ。それなのに、ぞっとするような冷たさが其処にはあった。


「た……たすけてくれ……なぁ、麗羽」

「ああ、麗羽……本当に殺したりは、しないわよ、ね?」


 縛られたままで、怯えを孕んだ視線が向けられる。

 ズキリ、と麗羽の心が痛んだ。

 人から堕ちたと言っても人の子。心は優しいままなのだ。

 麗羽は紅揚羽の気持ちが分かった気がした。


――張コウさん……確かにこれは……寂しいですわ。


 ずっと親から恐れられていた紅揚羽。その手を血で染めて血で染めて、それでも愛してくれていると信じていた。

 寂しくて堕ちた。ずっと昏い闇の底に。それでもまだ信じていたから、彼女は救おうとしたのだと。

 いざ目の前にするとこんなに違うのか……胸の痛みに自分の甘さを思い知らされる。


 それでも、と思う。麗羽はもう決めていた。


「そう、わたくしの真名は麗羽。麗しく空を飛べるようにと。

 ありがとうございます……と伝えさせてくださいまし。わたくしに素敵な真名をくださって」


 ちゃきり、と剣を抜き放った。

 脂汗を流す両親の表情が驚愕に変わる。


「いや……た、たすけて、誰かっ! いやよ! 死ぬのはいや! お願いよ麗羽ぁ! なんだってするからぁ!」

「やめろ麗羽! やめてくれ! なんでもする! これからは民の為に働くから!」


 保身の言葉が耳に響き、麗羽の心に悲哀が浮かんでいく。

 見てきた兵士達も、死んでいったモノ達も、此処まで無様に縋り付いたりはしなかった。

 微笑みは儚げに。

 誇り高き彼ら兵士達の生き様を思い出して、懺悔を込めた。


「お父様、お母様……今よりわたくしは世に飛び立ちます」


 こんな状況では無くて平凡な家であったのなら、その言葉に歓喜してくれたことだろう。

 誇らしいと胸を張って褒めてくれたかもしれない。頑張れと背中を圧してくれたかもしれない。

 けれども向けられるのは怯えと憎しみと恐怖だけ。

 寂しいが……不安は無い。

 友が居て、仲間が居て、同志が居て、愛する民と、心に残る想いがある。

 何も無かった紅揚羽と違い、麗羽は壊れないで済む。


「やめて、やめてぇ! どうしてよ! 殺すことなんてないでしょう!?」

「お前は人だろう!? 親殺しなどやめておけ、な?」


 耳をふさぎたくなった。

 心の底から笑えて来た。

 こんなモノに従っていたのかと、こんなモノに怯えていたのかと、こんなモノに誰かが苦しめられ続けていたのかと。


 麗羽の心が変わらないと見て、二人は憎しみをあらんばかり瞳に込めた。

 泣き叫べばいいのに、悔いてくれたら良かったのにと麗羽は思う。それなら少しは救われた気がしたから。

 きっとこの後に言われる事は決まっている。だから、麗羽は哀しかった。


「どうして……こんなことになるのなら……あなたなんか生まなければ良かった!」

「お前など生まれなければ良かったのだ! そうすれば俺達は――――」


 ただ空虚な穴が少しだけ胸に空く。

 眉を寄せて、麗羽は微笑みを崩さない。


「それでもわたくしはこう言います。生んでくださってありがとう、と。そして……」

「いやぁ! 死にたくない、死にたくない! たすけて、お願いよ、助けてぇ!」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 誰か助けてくれ! 俺はまだ死にたくないぃ!」


 振り上げた白刃が輝いていた。

 言葉すら聞いて貰えないが……どうしても麗羽は伝えたくて、ある言葉を二人に贈る。


「……袁紹としての麗羽は、確かにあなた方を……“愛していましたわ”」


 肉を裂く音が部屋に一つ。

 刎ねられた母の首から血霧が吹き出し、麗羽の身を染めて行く。

 自身に流れるモノと同じ血で赤く赤く染まった彼女は、妖艶な笑みを浮かべた。

 絶句して声も出ず震えつづけている父を見下ろして、麗羽は剣を突き付けた。


「……わたくしは民の為の王、袁麗羽。旧き袁家を滅ぼした最後の袁にして、新しき袁家の当主である。

 この身この命この魂、全てを平穏の為に捧げんことを此処に誓いましょう。

 そして……ずっとずっと先の未来で、長きに渡る贖罪の時が終わり、わたくしの作る家が誰かから愛されますように……」


 謳う言の葉は覚悟を込めて。

 旧き自分への決別と、未来に繋がる子供達に明るい未来を作る為。


「お父様……地獄の底でお会いしましょう。

 袁家最大の敵であるあの方の代わりに、わたくしが引導を渡して差し上げます」


 最後に彼女は……想いを繋ぐ言葉を借り受けた。

 今の世界を変える為、そして未来を切り拓く意思を借り受ける為に。


「……乱世に華を、世に平穏をっ」


 肉と骨を断つ音がまた一つ。ゴトリ……と重たい音が床に響いた。

 また彼女は赤く赤く染まって行く。

 同族にして同質な二種類の血の生暖かさに、紅揚羽が求め続けているのは、親が与えてくれた最後の温もりなのではないかと思った。


 微笑みながら、彼女は泣いていた。

 それが誰の為の涙なのか、麗羽にも分からなかった。





 †





 その場は地獄と呼ぶに相応しい。


「やめろぉ……やめてくれぇ……」

「妻だけは、妻だけは命を助けてやってくれ!」

「私はどうなってもいい! ですから坊やの命だけはっ」

「嫌だぁぁぁぁぁぁ! ひあっ、痛い、痛い痛い痛い痛いイタイいたいいタいイタい……」

「あがががががが……たす、け……死ぬのは……」

「おい、ウソだろ……夢なら覚め――――」


 悲鳴と断末魔と怨嗟。懇願と保身と自己犠牲。理不尽に齎される死に怯え、大切なモノが奪われる現実に絶望し、命が幕を下ろす瞬間に赤い紅い華を咲かせていく。

 高台で見下ろすのは麗しき王。人身御供となった、民の為に生きる彼女。

 そしてその片腕たる二枚看板の一人。口を手で押さえながらも目を逸らすことは無く。

 視線の先、一人一人を喰い尽くしていくのは死神のような女。

 練兵場の中で張コウ隊に円陣を組ませたそこでは、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。


「ひひっ♪ あはっ、あはははハハハはハははははっ!」


 甲高い笑い声は誰の耳にも届いていた。

 凡そ人がするとは思えない数々の残虐な手段で人を殺しながら、彼女は子供のように笑いを上げる。

 あっちで殺し、こっちで殺し、丁寧に一人ひとりの命を喰らい続けて行った。


「ひっ……いやだ、やめてくれ、串刺しになんかなりたくないっ! やめて、やめてやめっ――――ぐぅえ……おぁ」

「あはぁ……キモチイイ? こぉんなぶっといモノを突き刺して貰ってさァ? あんたはどれだけの女を喰ったんだっけェ? 夕にも手を出そうとしやがったよねェ? だからァ、突き刺される快感に溺れて死んでネー♪」


 例えば一つは……長い長い金属の槍。

 ぐるぐる巻きにされた壮年の男が一人、尻の穴に突き立てられた鉄杭を、ゆっくりゆっくりと口まで突き抜けさせられた。

 ずぶずぶと埋まって行くその感触が心地よくて、明は恍惚の表情で舌を出す。

 次に目を向けた場所はすぐ近く。


「ひひ……動けないって凄く辛いよね? 縛られるって気が狂いそうになるよね? だぁいじょうぶっ♪ あたしの食事場で飼ってた虫ちゃん達はぁ……そんなあなたをたっぷりと愛してくれるからさぁ♪」

「――――――っ! っ、――――っ!」

「あははハハはっ! いいねいいねェ、さいっこうだね! もっと苦しンでよ! 耳の中から脳髄の奥まで虫だらけになっちゃイナ♪」


 例えば一つは……ネズミ返しが取り付けられた金属の囲い。

 敷き詰められた毒虫の群れの中で女が一人、全身を這い回られて、毒を差されて、びくびくと身体を脈打たせながら、動けないままで猿轡をされたまま、声にならない声を上げ続ける。

 ざわざわと気持ち悪く動く虫が覆い尽くした女に、げらげらと腹を抱えて笑いを上げた。

 ご機嫌な気分でステップを刻みくるりと回って、また視線を次に向ける。


「食べないでくれぇ! 俺は喰い物じゃないんだぁ!」

「だーめっ♪ お腹が空いてる子達が居るンだからァ♪ あたしの可愛いネズミちゃん達はね、あんたみたいな太った人間が大好物なンだよ♪ ほぉら、ご飯の時間だヨー?」

「ぎゃぁぁぁぁぁ! 熱い熱いあついてぇあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!」

「たぁんとお食べ♪ 逃げたら大変だから最後の食事になっちゃうけどさ、ごめーんね♪」


 例えば一つは……ガリガリに痩せたドブネズミ数匹。

 逃げ場のない男の腹の上の籠の中、熱した鉄の箱を乗せられれば、逃げる場所は人体の中しか無く、腹が減っているならば人肉であろうと食してしまう。

 悲鳴を上げる男よりも、カリカリと肉を食いちぎるネズミへと愛しげに話し掛けた。


 他にも多数。まだまだあった。

 骨を砕いて軟体動物のようにするハンマーも、指も腱も骨も無理矢理断ち切るハサミも、神経の集中する所を狙って穿つ針の群れも、すり潰して削り取る鉄塊も、人体を解剖する小さな刃や磔杭も、全ては腐った人間たちと、袁の血族だけに向けられていく。

 全て彼女が食事場に持っていた拷問道具で処刑道具。考え付く限りの殺し方を明は試して行った。



 女好きの年寄りは二つの玉を叩き潰して口から逸物の破片を捻じ込んでやった。歯を叩き折って、喉の奥深くまで。


 明に夜伽をさせていた熟年の女の股には、腕を突っ込んで腹を掻き回した。突き抜けた腕で子宮を取り出し、腸で頸を絞めて殺し切った。


 子供ばかりを貪っていた男は子供サイズに手足を切り取ってやった。蹴鞠のように何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も蹴って殺した。


 食欲旺盛な男にはぐちゃぐちゃに掻き混ぜた肉と血と内蔵の液体を飲ませてやった。鼻を抑えたままで注ぎ続け、吐き出しそうになったところで大地に顔をめり込ませて窒息死させた。


 夕を殺そうとした人間二人を向い合せ……生きたまま解剖し、生きたまま脳髄を掻き回すのを見せつけた。狂っていく一人を見れば、もう一人は恐怖からケタケタと笑って壊れた。後は頸を刈るだけだった。



 見ている兵士達の顔色は悪く、腹の内容物を嘔吐するモノばかりであった。

 それでも、張コウ隊は明の狂気を真っ直ぐに見ていた。それだけが、彼女を慰める方法であると知っていた為に。


 そんな中でひときわ目立つ男達が居る。

 真っ青に顔の色を抜け落ちさせて恐怖に震え、目の前で行われる地獄に怯えているだけの男達。

 彼らは新しく徴兵された新兵。紅揚羽の部隊に配属が決まったことこそ運の尽き。地獄の第一歩を踏み出すには、彼女そのモノを受け入れるしかない。

 既存の張コウ隊でさえ耐えきれずに恐れ慄いているというのに、人を殺したことも無い兵達が耐えられるわけがない。

 しかし、逃げる奴は殺せ……と明は張コウ隊に命じてあった。だから逃げられない。選んだからには、明も逃がさない。


「次は……皮を剥ごう♪ 何処がいい? 脚? 手? 腕? 腹? それともぉ……やっぱり顔だよねー♪ あははハハはっ!」


 赤い赤い血を浴びて、紅揚羽がまた笑う。

 戦場とは違う狂気の宴は、この世のモノとは思えなかった。

 臓物が飛び散った。

 飽きたおもちゃを壊すように、皮を剥いでいた男の腹に手を突っ込み、中からぐちゃぐちゃと臓物をはぎ取って行く。


 新兵は涙さえ流していた。こんなモノが武将であっていいはずが無い。こんなモノになど従える方がおかしい……と。

 だが、彼らは分からない。

 自分達が安全な場所に居る其処で綺麗事を考えているのは……戦場という理不尽では有り得ないのだと。

 ふと、明が新兵達に顔を向ける。


「やってみる?」

「っ! い、いいえ、自分には出来ません!」

「ふーん……つまんないの」


 言いながら湯気の立ち上る臓物を投げ捨てた。

 次は頭蓋を砕き割り、脳漿を取り出して他の一人の口に突っ込んだ。吐き出しても吐き出しても、無理やりに突っ込み続けて行き……舌を掴んで引き抜き、また嗤う。

 鎌を投げて、無作為に命を屠ったり、踏みつけるだけ踏みつけて手足を引き千切り椅子にしたり、くり抜いた頭蓋を脳漿と血で満たしてそれを飲ませたり……縦横無尽に動く狂人は誰にも止められない。

 生贄に捧げられる袁の人間たちは、次第に諦観だけに支配されていく。どう足掻いても、その狂人に殺されるしかないのだと。

 先ほどまでは元気であったのに、彼らから声が抜け落ちる。

 拷問されるモノ以外は自己の死に怯え、ただ震えるだけの家畜同然。


「……目を逸らしてはなりませんわ、斗詩さん。これは一歩間違えばわたくし達にも向けられる狂気。張コウさんだけが特別ではなく、憎しみに染まったモノなら誰だってこうなる可能性を秘めています。ただ、わたくし達だけは“アレ”と彼らのようになってはなりません」


 高台で見下ろす麗羽は、その残虐な行いを震えながら目に留める。

 人の憎しみはかくも恐ろしい。人の考え付く理不尽は怖くて仕方ない。そして……こんな地獄の中でも彼女を見つめ続ける狂信者達が、恐ろしかった。

 ひっ、と小さな悲鳴を上げて目を逸らしていた斗詩は、麗羽の言葉を受けて唇を噛みしめ、腰が抜けそうになりながら明を見た。


「……はい」

「それに本番はまだですのよ。“ふぁらりすの雄牛”も、黒麒麟の考えた狂宴もまだ為されていない」

「っ! です、ね……元袁家の兵士は同族殺しで精兵に鍛え上げられましたけど、張コウ隊だけは……」


 此処に来るまでに抵抗は受けた。

 何故同じ地を守るモノ同士で殺しあわねばならぬ……そんな戯言を述べるモノ達を殲滅し、蹂躙してこの南皮まで進軍して来たのだ。

 兵士達は線引きを越えた。裏切り者でありながら曹操軍としての自覚を持ち、心も身体も鍛え上げられた。

 だが、狂気の張コウ隊だけは別。あまりに減り過ぎたから、此処で大きな基盤を作り上げておくことにしていた。


「あっれー? もう諦めちゃったんだ。つまんなーい」


 夕暮れ時に遊ぶ子供のように、明は頬を膨らませてぶぅたれる。

 イカレた紅揚羽が見せる子供らしさは、血と臓物に囲まれて妖艶さが際立っていた。


「じゃあそろそろアレやるかね……ひひっ、教えてくれてあんがと秋兄♪」


 一人ごちて、彼女は一つの器具の前へと歩みを進めた。

 それを教えたのは彼だった。絶望の快楽を喰らう紅揚羽に、現代の知識を与えてしまった。

 それは雄牛だった。金属で出来た雄牛。腹のところに人一人が入れるように作られたモノ。


「はーい♪ みなさん、よぉく聞いてねー? これから十人くらいこの牛さんの中に入って遊んでもらいまーす♪ 大丈夫! 中には痛いモノは何も無いかんねー♪」


 言われた者達は首を傾げる。先ほどまで行われていた直接的な処刑手段では無く、訳が分からないモノだったから。

 彼らは、それがどれだけ残虐な処刑道具であるのか知らないのだ。

 明は鼻歌を口ずさみながら、牛の下の木材に火をつけた。

 それを見て、誰もが息を呑んだ。どうなるかなど直ぐに予測出来る。


「ひひっ……じゃあ押し込んじゃおう♪」

「張コウ、貴様――――へぶっ」

「うっさいなぁ……黙って入れよゴミクズ」

「やめよ……やめるのだ張コウ! わしは死にとうないっ!」

「残念、あんたももう終わりー」


 鼻っ面を殴りつけて、縄で巻かれたまま身をくねらせて暴れる老人を牛の中に入れた。

 短剣で縄を切り……そうして扉を閉めるだけ。


――どうなるのかな? 面白いかな? 無様かな? 楽しいカナー?


 はやくはやくと身を揺らして、彼女はにやにやと雄牛の前で思考に潜る。

 じりじりと照りつける熱が強くなっていく。中から金属を叩く音が何度も響いていた。


 老人は真っ暗闇の中で恐怖に包まれていた。

 周りは全て鉄。下から込み上げる熱が徐々に強くなるのが分かった。


「ひぃ……ひぃぃぃぃっ」


 どうにか逃げようと壁を叩くも逃げられない。

 せめて熱から逃げようと……来ている衣服を下に敷く。それくらいしか抵抗出来ないのだ。

 限定された空間での熱気が強くなり、息がどんどん苦しくなっていく。

 喉が焼ける。口の中が乾いて仕方ない。息をすることでさえ、喉を焼き付けて行く。


「かひゅ、ひゅー、だ、だし……て……」


 もがき苦しみ、暴れるしか出来ない。

 そこでふと、老人の手に違うモノが当たった。

 前の部分に、ナニカがあった。分からなかったが、ソレだけ少し冷たかった。

 だからだろう……老人は本能のままに縋り付き、空洞になっている事に気付く。

 新鮮な空気を求めて、ソレを引っ張った。少しだけ伸びて、口元に持って行くことが出来た。

 汗が止まらない。喉が焼ける。何よりも求めたのは空気だった。それだけだった。

 必死で吸う。吸う。吸う。吸う。

 生温い空気であれど、漸く呼吸が出来たのだ。

 だが、逃げることは出来ない。だから、ソレだけに縋りつくしかなかった。

 また吸う為に、大きく……息を吐き出した。



 瞬間、雄牛が雄叫びを上げた。

 屠殺場に連れて行かれる牛が上げる最後の断末魔のような、そんな声を。

 何度も、何度も……牛は声を上げた。

 まるで生きているかのように思えるその鉄の牛は、中で暴れる老人に呼応してがたがたと震えつづけ、叫んだ。


「あは……いいじゃん、いいじゃんこれぇ♪」


 外で見ている明は、その必死な雄牛の様子にただ満足だった。


 生に縋りつく様が人のモノでは無いのだ。

 家畜と同じ声を上げて死んでいくのだ。

 それでも生きようと声を上げ続けるのだ。

 命の輝きが煌く瞬間でありながら、無様さに対する愉悦を存分に感じられる。


 中の様子が見れないのは残念だったが、彼女はコレが気に入った。

 何度も上げる断末魔の叫びが、幾分たった頃に小さくなっていく。

 同じく、暴れていた牛は動きを止めた。


 分厚い布で取っ手を掴み、明はにやけたままで蓋を……開けた。

 明にとっては嗅ぎなれた匂いが場に充満していく。

 そこかしこで嘔吐する者が続出していった。人の肉が燃える異臭にやられ、麗羽と斗詩でさええづき、吐いた。

 焼け爛れた皮膚が痛々しい。虚ろな瞳は何も映していない。現れた死体は、密室にて茹で上がり異常な肌色を為している。

 視界に入れただけで吐き気を催す程のソレを、明は丁寧に切り刻んで行く。


「うん! こんがり焼けました! あんたらはこれから大事なことするし精をつけなきゃダメだからさー、コレを食べて貰おっかナー。断った奴は……牛さんに入ってね♪」


 そんなモノを喰らうのは無理だと、誰かが言った。

 はい残念、と明は笑って、そしてまた一人がファラリスの雄牛となっていく。

 投げられた肉片を、一人が狂ったように貪り着いた。手は使えないから、犬のように口だけで齧り付き、そして吐く。

 それでも食べろと彼女は言う。

 吐きながら食べる自分が人であるかどうかも、紅揚羽に捧げられた供物たる者達には分からなくなっていった。


「よく出来ましたー♪ そんなにおいしい? じゃあどんどん焼いて行くからねー! たぁっくさん食べなよ♪」


 絶望に染まる。皆、もうやめてくれと言いながらも、死が怖ろしくて従い続けた。

 其処は正しく、地獄だった。



読んで頂きありがとうございます。


もっとたくさん種類を書けたらいいのですがこの程度に。

ファラリスの雄牛は、某嘘を喰らう賭け事マンガからの知識を使わせて頂きました。


次は張コウ隊とか明とかです。

ではまた

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