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~幕間~ 白き蓮に休息を

 牡丹と真名交換をしてからしばらく。

 義勇軍による白蓮の労働負担は改善の一途を辿っていた。

 長老との会合にも牡丹や星がついて来る事が多くなり、彼女達と民の絆は驚くほど深くなっていった。

 以前ならば、警邏に出かけていたとしても挨拶をしてくれる程度の関係。しかし現在は誰しもから笑顔で話しかけられたり、店に寄ればおまけをくれる程。

 白蓮は相も変わらず忙しいが、それでも夜半を過ぎても終わらない仕事も無くなって、週に一日程度の休暇を……取ろうと思えば取れるくらいにはなっていた。あいつの真面目さは異常なくらいで、無理やり休ませなければ休まないからどうにかしないと……牡丹の心配が暴発してしまう。


 そういえば初の賊討伐で実感した事が一つあった。

 俺の身体能力と戦闘能力はあの腹黒から与えられたモノなのだが、戦場では自分が意識して戦っている事への理解が必要だった。

 知識として動し方が分かり、まるでこれまでに戦場を経験してきたかのように動くのも慣れてきた。

 しかし戦場に於いては多数対一が常であり、強制的に突きつけられる膨大な情報を処理する為に自分の思考能力も問われる。そこに発生する問題は思考と身体のズレ。兵からすれば微細なモノなのだが、星や愛紗から見ると違和感を覚えられるだろう。

 そこで身体と思考のズレを無くす為に毎日の練兵メニューに一つのモノを追加した。

 義勇軍の俺の部隊幾人と実践演習を行う事。兵達が将と相対した場合を想定しての訓練にもなるし、俺自身の力を把握して研ぎ澄まして行くのにも最適な方法だった。まあ、周倉なんかは俺に一対一で挑んでくるのだが。


――与えられた力で戦う事は必死で努力してきた奴等に対して失礼だ。でも……人が一人でも多く救えるなら、俺はうそつきのままでいい。


 兵達が必死に俺を倒そうと訓練を積む姿や、周倉を完膚なきまでに叩きのめす中、俺はあの時と同じように心を固めて行った。

 地獄を作るなら、一人でも多く救いたい。この世界を変えるなら、もう理不尽に死に行く人が出ない世界に変えてやりたい、と。

 そんなこんなで日に日にズレは改善され、兵達が一人でも多く死なないように効率的な戦場を作る為の連携攻撃を考える事も出来ていった。


 そんな折、白蓮から賊の討伐を命じられ、牡丹と共に混成軍で出立する事となった。

 月光の背に跨り進み続けるも、牡丹との会話は全くない。友達、というにはまだ少しだけ遠い。もう少しだけ距離が近づいて欲しいというのは俺のわがままだろう。

 さて、どうやって話しかけたモノか、と悩んでいる時に牡丹がジト目で睨みつけてきた。


「お前……馬の乗り方がなんか変ですね。月光だから問題なく乗れてるって感じです」


 突然の指摘に面喰う。

 俺の乗馬の仕方は何となく分かる程度。馬に乗った戦い方も知識にあったからその延長線上の産物である。

 さすがに白馬長史の片腕は騙せるはずもなかったようだ。


「馬の扱いは得意じゃないんだ。お前や白蓮みたいに格好よく乗りこなして、騎射まで正確に出来たらいいんだがなぁ……」


 牡丹はずっと幽州を守って来た白蓮の重臣。言うまでも無く馬の扱いは飛び抜けている。

 何度も見てきたかっこいいその姿に羨望を込めて言うと、牡丹は自慢げに顔をにやつかせてフンスと無い胸を張った。

 俺の策略だとも気付かずに。


「美しくて強くて可憐で素晴らしい白蓮様がかっこいいのは分かり切ってる事ですが……そうですね、私よりも圧倒的に格下だと自分でも認めたみたいですし……少しだけ指導してやってもいいですよ?」


 案の条、牡丹は俺をけなしながらも協力を買って出てくれた。

 普段はツンケンして口を開けば俺を罵倒するくせに、真っ直ぐに褒められると気が利く。牡丹はそんな奴だった。

 いつもならここで「お前に対しては嘘だバカ」と言って怒らせて楽しむ。本心を伝えるのは照れくさいのもあるから。

 しかし、今回ばかりはそうも言ってられない。これから乱世を乗り越えて行くのなら騎乗での戦闘は必須。牡丹に馬術を少しでも教わっておけば一人でも多くを救えるのだから。


「そうか! ならよろしく頼む!」


 素直に頭を下げると牡丹は一瞬固まり、すぐに不快げに顔を歪めた。


「……何企んでんですか。いつもなら私をバカにするくせに」


 彼女も頭が悪いわけではない。だから俺の反応を訝しむのは当然。しかし……優しい性根である事も知っている。


「一人でも多く人を助けるためにどうしても必要なんだ。だからお前に教えて欲しい。白蓮は……頼もうにも自分の部隊の調練をお前に任せているほど忙しいからな」


 言うと牡丹は瞳に少しだけ怒気を混ぜ込んだ。

 ただ、彼女が何を言いたいかも俺には分かっていた。


「人を殺してお前が変わったのは知ってます。偉大な白蓮様に仕える私が一つ教えてあげましょう。誰かを殺すくせに救いたいっていうお前は最悪のろくでなしです」


 牡丹が言いたいのは賊相手の事……では無く、桃香に対しての不満のカタチだ。俺に桃香を被せて非難しているということ。此処で防衛にだけ力を使わないなら、必ず上に上がる為に誰かを蹴落とさなければならない。それは獣に落ちた賊では無く、自分達と同じように何かを為したい人、及びその部下を殺すという事だ。

 白蓮の並々ならぬ努力や涙を隣で見続けてきた彼女が桃香を嫌う理由はその点が大きく、自覚の無い偽善者が許せないのだ。

 俺のしようとしている事は星も白蓮も知らない。もちろん牡丹もだ。だから桃香を嫌いな牡丹が俺に対してそう言ってしまうのは詮無きこと。


「そうさな、お前達三人と違って俺は此処から出て行くわけだから……そういう事になるな」


 一寸、牡丹は目を見開いて俺を見つめる。次いで苦々しげな表情に変わった。


「……少なくともお前だけは出て行く必要無いじゃないですか。義勇軍よりもこちらの方が厚待遇で過ごせますし、無益な殺生もありませんからアレに着いて行く必要は皆無です。思いましたがお前はアレと似ているようで相容れません。此処で幽州を良くしていく方が性に合ってます」


 次は俺が驚く番になった。そこまで観察眼のある奴だとは思わなかった為に。


「お前……なんで……」

「バカですかお前は。お忙しい白蓮様が少しでも楽に暮らせるようにと登用する人員を見てきた私が、お前如きを見抜けないと思ってたんですか?」


 思わず言葉が零れた俺に厳しい瞳を向けて言い返してきた。

 確かに牡丹は白蓮が政務で忙しいからと手が回らない案件を任されている為に不思議な事ではない。

 呆気にとられている俺を見つめて、彼女はため息を一つ落とした。


「はぁ……まあいいです。とりあえず、仕方がないので馬の扱いは教えてあげますよ。対価として白蓮様と私に店長が作るお菓子の試作品を十個献上して貰いますけどね」


 ツンとそっぽを向いた彼女はこれ以上何か言うつもりは無いらしく、口を真一文字に引き結んで馬を少しだけ離した。


――うん。確かにここでいつまでも平穏を守る為に過ごせる方がいい。でもな、桃香がこれからどういう風に成長していくかは決まった事柄じゃないから、俺は出て行くよ。ごめんな。


 心の中で牡丹の素直じゃない気遣いに謝って、俺達は無言のまま今回の賊討伐に向かっていった。



 †



 賊討伐が終わり、白蓮の待つ城へ向かう街中で牡丹は苛立っていた。

 討伐前に自身で言った言葉は本心。

 前までは秋斗が何処へ行こうと知ったこっちゃないと思っていたのだが、秋斗が桃香達とは違うと分かってしまうと、これからの白蓮の為に手放すのは惜しいと思ったからが大きな理由である。

 仕事の面でもある程度なんでもこなし、星と同じ武力を有し、白蓮の仕事負担も精神負担も減らす事が出来る彼は幽州発展には重要な存在だった。

 ただ……その男が残る事は無いとも確信していた。

 一つは劉備軍にして桃香色に染まらない異質な彼が、桃香に対して期待をかけているのが見て取れたから。

 一つは彼が初めての賊討伐の後、雛里の事を無意識の内に気に掛けている事から。これについては星も同様の見解を持っていた。

 そして最後に、彼が多くの誰かを救いたいと願ったから。

 大陸の疲弊した状況は牡丹とて理解している。本来は大陸を良くする為に桃香に着いて行こうとしていた所を考え直した星と散々話し合っていたから余計に。

 多くの人を救いたいという願いが星と同じならばよかった。しかし彼は違う。

『ただ単に多くを救いたい』のではなく、『現実的に多くを救いたい』のだ。

 星とて頭が良いのだから、幽州を出たら自分がするであろう事は分かっている。だが、彼はそれよりも違う所に進んで行くと牡丹は疑っていた。


――幽州を守る為にそれをするのはいいんです。でも大陸を救う為にそれをする事は……


 ぶるりと寒気が一つ。

 自身の考えが当たっていれば、彼にはこれから耐えようのない苦難が待っているというのに、劉備軍ならばたった一人でそれをしなければならないのだと予測して。

 斜め前で気楽そうに歩く秋斗を見据えて、憎らしげに牡丹は言い放った。


「一つだけ聞かせてください。お前は……アレの何に期待しているんですか?」


 牡丹には桃香の良さが全く分からなかった。

 幾分かの努力はしていても、かなり甘い採点をしても中級文官程度の能力しかなく、武の才は見当たらず。そんな彼女が耳に聞こえのいい言葉ばかりを口にする。

 毎日倒れそうになりながら政務に励んでいる白蓮を見てきた牡丹には、ほわわんとして周りからちやほやされ続ける桃香が憎くて仕方なかった。

 だから問うてみた。

 現実を見ながら劉備軍に居座ろうとしている秋斗がなんと言うか聞いて見たくて。明確な判断材料が欲しくて。


「あいつはただの女の子だ。本当にただの、な。お前に武の才も無くて、今のような経験も無い場合、誰かの為にと義勇軍を立てようと思うか? それも周りに担がれるでなく自分の意思でだ」

「……」


 振り向き、目を細めて話す秋斗に、牡丹は言葉を返す事が出来なかった。力も無く立つ事は出来ない。拠って立つ才能が少しでもあるからこそ、誰かの為にそれを使おうと思うのが牡丹の考えだった。


「現実ばっかり見てたら凍土のように冷たいのが世界だよ。才能のある奴の方が断然いいのは間違いない。でもな、才能の無い奴が何かしたらダメなんてのも間違いだ」


 反論をしようと口を開きかけた牡丹は、舌打ちを一つして口を噤んだ。

 自分の敬愛する主に突出した才能は無い。それでも努力したから、経験を積み上げて来たから今の地位と力がある。

 才能が無ければ上に立つ資格がない、等と言ってしまえば幽州の大きな部分を任せられている白蓮を少しでも否定する事になる。

 しかし煮え切らない。

 秋斗はその心を見透かしたようにふっと息を付いた。


「最初からなんでも出来る奴なんざいない。期待してるのはあいつの心。そして成長する伸び代だ。

 お前があいつを嫌う理由は大体想像がついてるけど……それはまだ先の話なんだよ。今は眼前の人に目を向ける時なんだ」

「でも、白蓮様は全部を持ってますよ?」


 口を尖らして牡丹が言うと、秋斗は小さく苦笑した。自分もそれは分かっているというように。


「あいつは本当に凄いからなぁ。白蓮だって女の子の道もあったはずなのに、それを無くしてまで苦労する事を選んだんだからさ」

「ですよね!? じゃあ此処にいればいいんです。簡単なことですよ白蓮様の元に劉備もお前も全員で残ればいいんですそうすれば白蓮様の負担も減りますし劉備もじっくり成長できます幽州の地も良くなるんですから一石二鳥いや三鳥ですもしかしたら烏丸の奴等が二度と攻めて来ないようにも出来るかもしれませんしそうなれば結構楽しい四人の時間も増やせますもちろんお前が何か耐える事もないでしょうし問題ありませんほらみてくださいどうですかこれだけいい所があるんですからもう残るしかない、ですよ!」


 白蓮の事を認めているならと、暴走に身を任せるまま牡丹は秋斗に詰め寄ったが、街中という事もありどうにか自身を制御して押し留め、そのまま人差し指を秋斗の目の前に立ててピタリと動きを止めた。

 牡丹はただ白蓮の為を想って秋斗を残らせようとしている……わけでは無い。自分を主に認めさせてくれたモノが作り出した日常は楽しくて、忙しいながらも平穏な世界を精一杯堪能出来ている。白蓮の為にも、そして自分の為にもその時間を失いたくないのだ。

 事実、牡丹は気に食わないながらも彼との関係に居心地の良さを感じていた。今まで見た事も無いがこういう形の友というのもあるのでは、などと星に言われて納得もしていた。

 ほぼ公孫軍と言われても不思議ではない程に溶け込んでいる彼が、桃香を説得して白蓮の傘下に居れる事が出来れば文官達の不満も少なくなるのも一つ。

 力強く、そうしろと訴えかけるように見つめ続ける牡丹。

 対して、先程からくるくると彼女の表情が変わる様子が可笑しくて、秋斗は抑え切れずに吹き出した。


「くっ、ははっ! お前、ほんっとに白蓮の事が大好きなんだなぁ」

「何言ってんですか! 当然です!」


 しばらく笑った後に、くるりと答えを待つ牡丹に背を向けて秋斗は歩き出した。


「ちょっと! 私の話聞いてなかったんですか!?」

「少しだけ聞けたな」

「なら、白蓮様の事を上に立てる人だと認めているなら残ればいいじゃないですか! アレらを残らせるのが無理でも一人で!」


 何も言わずにスタスタと歩く秋斗の歩みは何処か楽しげで、牡丹はさらに口を尖らせて怒鳴りながらもその後を追いかけた。


「答えろ! バカ!」


 グイと秋斗の服を掴んだ。それでも尚、秋斗は歩みを止める事は無かった。

 答えが返って来ないのは何故なのか、服を掴んで追随しながら牡丹は考えた。

 白蓮は努力を惜しまず、人徳も溢れんばかり、経験を積み上げて来たので実力が高いのは言うまでも無く、素晴らしい主君であるのは間違いない。現時点の桃香とは比べものにならない事は明確であった。

 だというのに、秋斗は此処に残らないという意味を込めてか答えを教えてくれない。それは何故か。牡丹が思い至った事は一つだった。


「帽子幼女がアレに着いて行くから、ですか?」

「ハズレ、雛里は関係ない。ってかなんで雛里が関係してくるんだよ」


 歩調を緩める事も無く呆れた声音で言い放たれ、牡丹は不機嫌になりながらも思考を巡らせていく。しかし、答えが出る事は無かった。

 城まで到着し、秋斗は漸く牡丹の方へと振り向く。


「俺はこの土地が好きだよ。白蓮が居て、星が居て、お前が居て、皆が楽しく平穏に暮らしてる。だから……俺は此処に留まってられない」


 牡丹はその瞳を覗き込む。

 澄んでいた。澄み切っていた。吸い込まれそうな程に黒く、キラキラと輝いていた。だから彼女は何も言えずに、その言葉だけを自身の頭で反芻し続けた。


「此処にいたら出来ない事があるんだよ。ごめんな」


 言うなり踵を返し、秋斗は城門へと向かっていった。

 呆然と彼を見ていた牡丹の顔は怒りに歪んで行く。曖昧に、ゆらゆらと、彼はいつも自身の全てを明かさない。それが牡丹をいつでも苛立たせる。


「このバカ! 後悔しても知りませんからね!」

「好きなんだから後悔なんざいつでもするだろうさ。それとこの話は俺とお前だけの秘密だぞー」


 秋斗はひらひらと手を振って城の中へと入って行った。

 牡丹はその場でギリと歯を噛みしめる。


「捻くれ者……馬術の鍛錬の時にその捻じれた心を踏みつけて正してやります」


 白蓮様の為に、と心の中で呟いて、彼女も今回の報告と戦後処理を行う為に、肩をいからせて城の中へと向かっていった。



 †




 牡丹が秋斗に馬術指導を行っていると聞いて、どうにか時間を作って星と共に見学に向かっていた。

 正直な所、秋斗の馬の乗り方は変だった。私も人の事を言えた義理ではないが、人馬一体とは程遠い。

 月光と名付けられた名馬だからこそ、秋斗の気持ちを読み取ってくれるから動けている程度。

 騎馬の練習場で普通の馬を扱わせてみれば、私の第三部隊の奴等にすら劣る動きしか出来ていなかった。


「そんなんじゃここから出て行けばすぐ死んじゃいますよ! 月光に乗れない時が来たらどうすんですか! お前は此処でもっと馬術を磨くべきです!」


 何周も何周も、馬を変えて秋斗は牡丹についていこうとしていた。

 その度に突き離され、罵声を浴びせ掛けられ、精神的にも肉体的にも叩き伏せられている。

 だが……秋斗は何も言わず、黙々と牡丹の背を追いかけ続けている。牡丹もその様子に、貶しながらも秋斗の馬術が改善されるよう適切な指摘を怒鳴っていた。

 ふいに、牡丹が後ろに向けて騎射を行った。矢じりが付いていたならば人を殺せる一矢。矢じりが無くとも目に当たれば失明は確実で、守られている他の部位でもある程度の痛みを受ける事になる。


――そこまでするのか……まあ、戦場で指揮官を狙う矢なんかは日常茶飯事だし、避ける練習にもなるから必要なことか。あの速度なら落ちても大きな怪我はしないしな。


 秋斗個人の実力を知っている為に、最悪の場合は馬から落ちて避けるだろうと思っていた。

 しかし何故か、秋斗の動きが少しだけ良くなった。剣を振り、馬上であるにも関わらず矢を切り払ったのだ。


「なんでっ! なんでお前はそんな難しい事が出来るくせに馬の扱いは下手なんですか! 訳が分かりません!」


 星と私は驚愕にあんぐりと口を開けはなって二人を目で追っていった。後に、口元を引き攣らせて星が言葉を零す。


「……戦うことだけは出来るように見えますな」

「ああ、なんか変だと思ったら違和感の原因はそれか」


 星の一言は私の疑問を大きく取り払った。

 秋斗は馬の扱いは下手でも、こと戦闘に関してだけ意識を尖らせられるようだった。馬上に於いても秋斗個人の戦闘能力だけは変わらない、ということ。

 自分に殺意や敵意を向けられると動きが良くなるのなら、きっとこれから戦を経験するに連れて伸びて行く事だろう。

 そこで私の心にもやが掛かった。


――秋斗を此処に留めておけたなら私が直接指導してやれるのに。


 ふるふると頭を振って思考を追い遣る。

 秋斗は桃香の部下であり、さらには幽州だけを守ろうとするような奴ではない事を理解している。私は此処を守れたらそれでいいから、誘ったとしても秋斗は残ってくれないだろう。

 野心、というには透き通りすぎている想いを持っているあいつは、何処か桃香に似ていると私は最近感じていた。

 大きく変わったのは初めての賊討伐の後。それ以降、前以上に積極的に私の仕事を手伝ってくれるようになり、私も頼る事が増えた。あいつはあの時から桃香みたいに人を助けたくて仕方ない奴になったんだ。


――曹操みたいに上層部の腐った部分を大きく変えられるようなら、上に上り詰めようという野心を持ったなら、大陸全てを救いたいと身に余る理想を持てたなら、あいつは此処に居てくれるんだろうか?


 自分がそのようになるとは想像も出来ず、やはり私はこの地を守りたいだけなんだと再確認して、あいつに残ってほしいというわがままを抑え込んだ。何より離れたくらいで壊れる絆では無くなった事を知っているから。

 隣をちらと見やると、星は少し寂しそうに秋斗を見続けていた。

 その感情は何時か此処を旅立つあいつに対しての淡いモノである事が想像に難くない。

 いつも一緒に、まるで私の正式な部下であるかのように二人は仕事を手伝ってくれて……そんな中で星は友達以上の心を持ってしまったんだろう。本質的に何処か似ている二人であるから余計に。


――別に着いて行ってもいいんだぞ。


 口から零れる寸前でその言葉を呑み込んだ。

 それは私から言う事では無い。言うとしてもきっと秋斗や桃香が出て行く時にしか言うべきではないだろう。

 星が納得するまで私の器を計ってくれたらいい。その上で何処へ行くか判断して決めてくれたらいい。だって……私が此処にいればいつでもこいつらは帰って来れるから。

 思考に潜っていると、秋斗と牡丹はゆっくりと馬の脚を緩めさせて私達の前まで来た。

 牡丹はなんでもないような顔をしているが、秋斗は疲労が色濃く出ていた。さすがにこれだけ長時間の馬上訓練は初めてだろうし仕方ないか。


「二人ともお疲れ」

「ああ! 白蓮様! 見てくれましたかこのバカの無様な姿を稀にちょっとだけいい動きするようですがそうですこいつはまだまだ此処で精進しなければいけないんですもっともっと私達と訓練を積まないとすぐにでも死んでしまうくらい脆いんです白蓮様の綺麗で美しいお手を煩わせるまでもありません私がこいつを踏み潰して身の程をわきまえさせて幽州に残らせますのでよろしければそれが出来たらご褒美にくんかくんかさせてくださいそれは勿論お風呂に入ってからいえいえ滅相もありません白蓮様と一緒に入るなんて恐れ多いその残り湯だけ頂きますそうすれば私のお肌も白蓮様のように美しく光り輝く白馬の如き白さに「そろそろ! 静かに! しろ!」あん! ありがとうございます!」


 また牡丹の暴走が始まったので怒鳴って黙らせると、いつものように口に手を当てて押し黙った。星は牡丹が話している内容が聞き取れたのか楽しそうに喉を鳴らし、次いで秋斗に話しかけた。


「前よりも幾分か動きがマシになりましたな。しかし牡丹……まだまだ秋斗殿を苛め足りないのではないか? 普段よりも優しく見えたぞ」


 既に普段通りに戻っていた星に言われると、牡丹は口を塞いだまま秋斗に対して感謝しろとでもいうように得意げな表情をして、まだ続けようとでも言うのかクイと馬の方に顔を振った。


「……さすがにこれ以上は尻の数が増えそうだから今日は終わりにしてくれ」


 手でさすりながら言う秋斗。私もそれには同意だから……せめて助け舟を出しておこうか。


「今日はこれくらいで勘弁してやれよ、二人とも。秋斗なら個人の訓練もこれから繰り返すだろうし、休息も訓練や仕事の内だぞ?」


 くつくつと苦笑する星は私がそう言うのを予測済みだったようだ。

 こうして私が止めるから、星も安心して冗談を言える……なんて自惚れてもいいかな。

 ただ、私の発言に目を鋭く光らせたのは秋斗と牡丹だった。


「分かった。なら仕事ばっかりしてる白蓮はこの後休め」

「このバカと星と私で白蓮様の仕事を終わらせますからそろそろ休んでください」


 茫然と二人を見やる。まさか私に休めと言ってくるとは思わなかったから。


「何言ってるんだ? 長引いた日でも夜半を超えるかどうかには仕事も終わってるし――」

「白蓮殿、今日は昼過ぎから休みとしてくだされ。むしろ明日も休みでいいかと」


 何故か星も真剣な表情に変わり、言い終わる前に遮られた。夜にちゃんと寝れてるんだから大丈夫なのに。早くに仕事が終わった時は秋斗達と二日酔いにならない程度に飲み歩いたりしてるから息抜きも十分なのに。まあ……桃香達が来てからここ二か月程は休日を覚えていないが。


「よし、なら城の文官全員に白蓮の仕事を割り振って休みを作ろうか」

「お前にしては中々いい案です。偶には張純にも徹夜させてやりましょう。部下に仕事を押し付けて、大体の日は夕食時にさっさと帰ってますからね」

「部隊長の練兵訓練にも最適……軍事関連も問題は無さそうだ」


 そのまま三人は私の事はお構いなしに話を進めて行った。

 気持ちはありがたいが、部下達に無理をさせるわけにはいかないので口を挟もうとすると、


「お前が休まないなら城の奴等を脅して全員で休暇を取るぞ」

「なっ」


 秋斗が私を脅迫してきた。さすがに城のモノ全員に休まれると仕事どころじゃなくなる。

 厳しい瞳で見つめてきた秋斗は、ビシリと私の口の前に人差し指を立てた。


「反対は却下だ。休むのも仕事の内なんだろ? それにな、毎日毎日働いてばかりだとお前を慕う部下も気兼ねなく休む事が出来ないし、お前自身の思考も凝り固まっちまうから……明日は頭空っぽにして自分の作ってきた街を一人で散歩でもしてみたらどうだ?」


 うんうんと頷く星と牡丹。

 さすがに自分の発言を持ち出され、仕事をし続ける事によって何が起こるか言われると否定する事も出来ず、納得するしかなかった。


「……明日……だけだからな」


 ほっと大きく安堵の吐息を漏らす牡丹を見て、秋斗達と知り合ってからある程度は張りつめなくなったと言っても、私はまだ周りが見えていなかったと気付かされた。

 牡丹が一番に私を心配してくれていて、秋斗と星はその気持ちを汲んだのだ。

 じわりと胸が暖かくなる。認めたと言っても、牡丹の事をもっと見てやらなくちゃダメだな。


「ありがと。でも明日休みなら今日の仕事を一緒に終わらせてもいいか? 明日の為に、私しか採決出来ない案件も分けておくからさ」


 せめてもの妥協点として示すと、牡丹も秋斗も苦笑しながら頷いてくれた。


「ならさっさと終わらせちまおう。とりあえず朱里……は居ないから雛里に明日は白蓮が休みな事を伝えて来るよ」

「では私と星は城の者達に残業を通達してきます」

「あまり机に向かうのは得意ではないが……四人でするならさぞ楽しい事でしょう」


 そのまま、散り散りになって行く皆を見つめて私はもう一度……


「ありがとう」


 誰に聞こえずとも呟いた。

 大陸が平和になったなら、優しいあいつらと一緒にこんな日々を繰り返していきたいと願いながら。

 

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