案内人
カルエは我に帰ると後悔した。ヨマに任せて自分だけ逃げてしまった。そんなことが許されるはずがない。
これは自分の旅だ。ヨマはついてきてくれただけ。もし一人で熊に襲われたら、それがどんなに巨熊だとしても自分で対処しなければならないのだ。
カルエは踵を返すとヨマの元に向かった。しかし戻ったしてもどうすればいいのだろうか。カルエにはわからなかった。そしてヨマの元に向かうまえにまたしても獣に出くわしてしまった。カルエのまえに立ちはだかるのは山犬だった。赤みを帯びた汚らしい毛皮の大型の獣は、人を襲うこともある。
カルエは始めてみる山犬を前に体を硬直させた。山犬はカルエを睨みつけ、威嚇しているようだ。
「大丈夫だ、怖くねえ」
背後から声がした。冷静さを欠いた頭だが、ヨマの声ではないことはわかった。
見ると若い男だった。ヨマと同じくみすぼらしい格好をしているが、男は顔もみすぼらしかった。目は赤く腫れ、隈があった。頬は痩け、青白い肌をしていた。男はひょろひょろで、全体的に控えめな雰囲気を帯びていた。
しかし山犬に脅えている様子はなかった。男は一応小刀を懐に携帯しているようだったがそれを使う様子もなかった。
「こいつは目をそらせば襲ってこねえ。単独の山犬は滅多なことじゃ人は襲わねえ」
カルエは山犬から目をそらした。すると山犬は興味をなくしたようにその場から離れていった。
カルエは安堵の息をついた。
「助けてくれてありがとう」
「何、たいしたことじゃねえ」
男は朗らかに微笑んだ。どこか病的な印象を受けたが、カルエはそんなことより感謝の気持ちだけがあったので男の印象は悪くなかった。
「お前さん、こんなところで何してるんだ?」
カルエは連れが熊と戦っていることを伝えた。
「熊か……おれは山菜採りにきただけだが、ここらの熊は危険らしいな。やっぱりよせばよかった。さ、早くここから離れるんだ」
男はカルエの手を掴むと、走りだした。
カルエはこのままではヨマから離れてしまうと無理矢理、男の手から逃れた。
「ヨマを助けないと!」
「大熊には普通の人間は勝てねえ!」
話しても無駄だとカルエはヨマの元に向かった。背後から男の怒鳴り声がしたが無視した。
ヨマの背中が見えたときカルエは安堵の気持ちでいっぱいになった。ヨマはまだ無事だ! しかし熊はどうしたのだろう。すぐにわかった。
熊はヨマの足元に倒れていた。熊はこと切れているようだ。
「ヨマ」
恐る恐る声をかけると、ヨマが振り返った。頬に熊の返り血が付いている。
カルエはヨマの表情を見て、動きを止めた。 本当は無事でいたヨマに飛びかからん勢いだったが、ヨマが熊よりも怖い存在に見えて、気圧された。
「カルエ」
ヨマが笑みを浮かべてカルエに呼びかけた。その顔はとても美しく、恐怖の対象ではなかった。カルエはすぐにヨマに対する恐怖心を消したが、抱きつくほどの感情も消えた。
「ヨマごめんなさい。咄嗟に逃げてしまって……」
「仕方ないよ。だけどあまり私のそばを離れないで。たぶんそのほうが安全だろうから」
カルエは頷いた。そして横たわる熊の死骸を見る。大きかった。熊は見たことがあるがこれはカルエが出くわしたことのある熊より二回りほど大きい。
「こんな大きな熊をどうやって倒せるの? 熊の毛皮に剣は通りにくいと聞くけど」
「私は普通の剣使いじゃないからね。まあ、おいおいわかるよ」
カルエは物音を聞きつけて振り返った。
「熊をやっつけちまったのか。あんた、すごいな」
先ほどの男だった。小心そうな男は死んだ熊とヨマを交互にみながら興奮した様子だった。
「あなたは?」
ヨマは訝しげな顔をした。
「俺はミトソというものだ。苔羊歯村からきた。ここにはいい山菜が採れるっていうからな。危険を冒してでもきたわけだ。うちの村は貧しいから、珍しいものを採って高く売りたいんだ」
「この人、山犬からあたしを守ってくれたの。いい人よ」
ヨマが厳しい顔をミトソに向けたので、カルエは彼を擁護した。
「そうか。それはすまない」
ヨマはカルエの言葉に警戒を解いたようだ。
「あんたらはなんでこんな場所を歩いているんだ?」
カルエは事情を説明した。
「一角鼠か。話に聞いた限りでは死にかけの人間を蘇らせる効果があるらしいが、幻の動物だ。見つかるかね。まあいい、俺も手伝うよ。山には詳しいんだ」
「やけに親切だな」ヨマが再び疑いの眼差しを向けた。
「あんたはこの娘さんを修行の一環とはいえ無条件で助けている。俺も同じだ。それに俺は魔女に会いたい。俺の村は貧しい。話に聞く魔女は人の望みを叶えてくれるという。だがこんな山だ。一人では無理だと思っていた。あんたらがいくなら俺も一緒にいかせてくれ。自分の村を救いたいんだ」
カルエは仲間が増えることに対して複雑な思いを抱いた。ヨマとは打ち解けた。この男はどうだろう。山犬との一件は助かったが、男のあまり健康そうではない顔色が気になった。どこか、病的な様子は思考にも影響をしているのではないだろうか……。
だが山に詳しいなら役立つかもしれない。少しの間の、旅の仲間として有難がるべきなのかもしれない。助けて貰った恩もある。
「カルエ、同行していいかは君が決めてくれ」
「一緒に行きましょう」
ヨマを一瞥すると、彼は少し不快そうな顔を見せ、それから同行人となったミトソに手を差し出した。
「よろしく、ミトソ殿」
殿といわれてミトソは困惑している様子だったがおずおずと握手に応じた。
「ミトソさん、ここから先どう行けば山の天辺につくの?」
「こっちだ。先人が残してくれた道がある。いったことはないのだが、これなら楽に頂上付近までいけるはずだ」




