魔法世界とその住人アラニー
崖先に二人は立っていた。下を見下ろすと、大地が続いている。山に囲まれた盆地が広がっているが、山のその先には明らかに次元の裂け目と呼ばれる、空間の違う場所へと繫がる断裂が見えた。そしてその奥は遠景で見えない。おそらく別の場所、こことは違う場所に続いているのだろう。
見下ろす盆地の右手奥に、ピンクの森が見える。中央には大きな川が蛇のようにのたくって流れている。川の先には平野があり、ちらほらと住居が見える。遊牧民の住居のような、高床式木造住居だ。
それから深い森。カルエたちからみて盆地の手前の左右に広がっている。一番手前には平野、川、林と続いている。
空は不思議な色合いをしていた。あかね色を薄くしたような。夕焼けとは違う。まるでここだけ空気の様子が違うとでもいうかのような色合い。その空には翼のある動物であるルフが飛び交っていた。ルフは人をも襲う危険な生物だが、さほどの大きさはないので彼らのような大人を襲うことはない。
「これは……なんとまあ。驚いた。驚嘆の一言だな。ここは間違いなく魔法世界の一つだ。私は第二層の東の地にある、旧聖域城があるエメレヌオンの呪われた廃墟群を通過した経験はある。忌まわしい記憶しかないがな」
いつのまにかカルエの横にきていたアンリルがそう口にしていた。
「魔法世界か。大魔境アッカリオンを頂点とした、エテン大地の中で最も避けなくてはならない場所」ミソトがいう。彼は貧しいながらも小さな学校には通えていて、常識は身につけていた。
カルエはというと、魔法世界のことなど露とも知らず、この住んでいる世界がエテンの大地と呼ばれていることも知らなかったが、ユーラシア大陸などが別の世界の大陸、海と広大かつ強力な結界を挟んだ場所にある世界だということはなんとなく母親や仲良くしていた女友達からきいて知っていた。
「降りられるな。いってみようか」
ホワックはそういうと、急勾配になっている場所を降りていった。アンリルがすぐに続いた。
手っ取り早く降りれて下まで続いている場所はそこしかなさそうだ。カルエも後に続き、崖下に向かっていった。崖の降り道は一本道で、ずっと急な坂道だ。木製の手すりがついているので一同はそれを頼りにゆっくりゆっくりと降りていった。ようやく全員が降り切ると、さっきのような全体的な見え方はできず、彼らの前には緩い川と、それに架かる木の橋があり、その奥にわずかな平野がある。平野の向こうは林になっているようだ。
なんだか楽しげな場所じゃない? と、カルエはふふっと笑いそうになった。薄い茜色の世界に長閑な景色。それに、平野を走る紫の獣。
「あれは何?」カルエは慌てて獣を指して叫んだ。
「あれはトーヌだ。魔法世界に大抵いる獣。色はあれだがハイエナに似てる。しかし習性が違う。彼らは群れないが、攻撃性は高く縄張り意識も高い。牙は伸び縮みし、最大で倍ほどになる。狼のように吠えたりはしない。私が知っているのはこんなところだ」
ヨマの説明にアンリルが頷く。
「まあ、気をつければ大丈夫。これだけいれば襲ってはこぬだろ」
ヨマはすでに剣を抜いていた。ヨマが三本の剣を所有していることにカルエは今更ながら気づいた。そしていま抜いた剣は刀身が紅色をしていて、これまで抜いたことのないと思われる剣だった。
橋を渡る。トーヌは数匹彼らの周りを走り回っていて、たまに近づいてくるものもいたがアンリルのいうように攻撃を仕掛けてはこなかった。
何よりも彼らはこの面々が普通のものではないことをいち早く察したのかもしれない。無骨な男が二人。しかし彼らが警戒したのはその二人ではないようだった。
平野を歩く。カルエは不思議な足の感触を楽しんだ。まるで凍った草を踏んでいるかのような。みたところ普通の草だが、よくみると薄いマダラ模様になっている。
林に入る。銀杏のような木から赤い、モミジなどの木があり、さらに白い、桜を思わす花を付ける木が生えていて、それらが季節感もなくそれぞれ咲き誇っていた。不思議な光景だったが、美しくもありカルエは感嘆し、しばし目的も忘れてその光景を楽しんだ。他の者も驚いている様子だ。
「こんなところは早々なかろう。まさしく魔法のなす技よ」アンリルが言った。
「考えられねえ」ミトソが首を振る。
モミジの葉が多く落ち、空と合わせて薄赤色が目立っている。落ち葉を踏みながら、一同は木の家を発見した。家の庭には洗濯物が干してある。人はいるようだ。
「こんなところに住む人間はどういった輩なのかね」ホワックが言った。彼は警戒しているようだった。
「七人の小人ってことはなさそうだな」アンリルがいう。
「情報は必要だ。魔女の情報だけでは心許ない。ここに住民がいるなら是非色々教わりたいもの」
ヨマが家の扉をノックした。カルエもヨマの隣に立った。
はーい、と陽気な声がして現れたのは背の低い中年男だった。絹のチョッキに、合成繊維の青いズボンを履いている。その目は優しかった。年はそれほど若くないのだが肌つやもよく、その目は輝いていて若々しく見えた。
「ワケありそうだね……当然魔女の家からきたんだろ? そうでなければ奇跡的な確率でしかこれないだろうし。ここは少し普通とは違う場所だ。まあ上がりなよ。暖かいハーブティーをご馳走しよう」
随分好意的な男だとカルエはほっとしながらもこの男がどういう存在なのか気になった。こんなところで暮らしている男だ。普通ではないだろう。
上等なソファに案内されカルエたちはそこで寛いだ。驚いたことに男はすぐに全員分の茶とパンとサラダを持ってきた。
「まあこれでも召し上がって。みたところ質素な食事を繰り返したきた様子だから」
「わかるのかい? しかし全員分の食事をこんなに早く用意とは、どういう魔法を使ったんだ?」ホワックが尋ねる。
男は豪快に笑った。
「私は早業のアラニーだよ。この魔法世界の番人をしている。数年前は、訪ねてくる者は後を立たず。そのものたちにサービスをしていた。だから自然と料理を作るのが早くなった。実をいうと今のはすでに用意していてね。予感がしたんだ。今日は客人がやってくる。だから食事を最低五人分かそれ以上用意したほうがいいぞ、とね」
「なら合点がいくかな?」ミトソがスープにありつきながらも呟いた。
「かたじけないアラニーどの。しかし貴方はこんなところでよく暮らしていますね。危険はないのですか?」
ヨマの問いかけにアラニーはかぶりをふった。
「ここは危険で溢れている。だから私はいるんだろう。ここはミャエステと呼ばれている。第一層の西方の言葉で、箱庭という意味だ。かつてはここにも住民がいたが、今や私のような物好きしかいない。君たちは疲れているようにみえる。ここでゆっくり寛いでいけばいい。ちょうど同じく探索者が泊まっている。みかけたら仲良くしてやってくれ」
アラニーのいうように、カルエ達は疲れていた。カルエは焦燥に駆られながらも疲労には勝てず、安堵の気持ちが生まれてしまうともう彼女は深い眠りの誘いに招かれてた。
「さあさお嬢さん。あんたが一番危ない様子だ。こちらへきなさい」
アラニーに寝室に案内され、カルエは生まれて初めてベッドで眠ることになった。




