第六章 勇者の国
一方、勇者の故郷、アドラスは、諸国の王たちが看過できない脅威となっていた。
勇者の威光の元、世界のすべての技術が集まった国として繁栄の頂点を極めていた。
諸国の王たちが恐れたのは、勇者の力だけではない、圧倒的なまでの国力だった。
絶望的なまでの国力の差。勇者の一声で、簡単に世界が併合されてしまう事もありえる。そほどまでに、勇者のいる国にはすべてが揃っていた。産業はもちろん、最高峰の魔法の技術と兵力もある。国を成り立たせるために必要な“力”がそこに集結していた。
それを看過できる王たちではない。自分たちの領地を守ることは、自分の命よりも優先されるべきことだ。国には国民もいる、そして、先代の王たちが積み上げてきた歴史がある。今、自分の代でなくしてしまう訳にはいかない。
各国の王たちは連携を取り、謀略を巡らせた。しかし、勇者に決定的な打撃を与えられそうな計画は生まれなかった。なぜなら、勇者が悪ではなかったからだ。彼は圧政で人々を苦しめることは一切なかった。
王の格は民衆の信頼により作られる。悪政をしくような王であれば、民衆をあおりたて、世論を操作すれば、いくらでも勝機はあった。だが、勇者は世界を救った英雄だった。盲目なまでの崇拝が、彼に集められていた。
確かに、国王たちにとって勇者の存在は悪ではあったが、彼はどこまでも平等だった。魔術師や学者を迎え入れる時でも、各国に多額の援助金を出すことを忘れなかった。勇者が行動をおこしたことで、以前よりも財政がはるかに改善されているといっても過言ではなかった。
しかしそれでも、自分たちの国を失う可能性が彼らを怯えさせた。ヒステリックになった王が、総攻撃を仕掛けることを提案したことがあったが、王たちに全力で阻止された。なにしろそこには勇者がいる。まともな策略もなしに、あの強大な力に誰も逆らうことなどできるわけがなかった。
表向きには平穏な世界でも、異変は起きる。アドラスにも王がいる。その王が、心労で倒れてしまったのだ。勇者一人のために世界は動かされている。そして、その中心である国の長であることに王は耐えられなくなっていた。恐れから、勇者に直接言葉を投げかけることのできない諸国王たちは、その怨嗟を、元は小国の王であった彼に集中させた。
小国の王と言えども、彼は国民から愛され、国政もうまくやっていた。大国には敬意を払い、周りの小さな村々にも、気遣いを忘れることはなかった。
勇者が自分の国から輩出されたことに誰よりも喜んでいたのは彼だった。しかし、驕ることもなく、むしろ以前より謙虚な姿勢を貫いた。
一つ、彼に悪いところがあるとすれば、優しすぎたことだ。各国からよせられる、勇者への畏怖と崇拝と、同時に混在する不安を、王は一手に引き受けていた。
その結果、王の精神は破壊されてしまった。彼の心は二度と、現世に戻ってくることはなかった。朦朧とした意識の中で、彼は勇者に対する尊敬の言葉を口にし続けていた。
「彼は悪くない。彼がいなければ、私は、ただの小国の王で収まっていた。彼が、勇者がすべてを変えた。世界に平和を与え、我々に数しれない恩恵を与えた。だから、彼は悪くないのだ。どうか、それだけは……」
彼のもとには、多くの医者が集められたが、心因的な衰弱は発達した魔法医学でもどうすることも出来なかった。
旅の合間にアドラスに戻っていた勇者は、王の惨状を知り、魔導師たちに命じた。国王はもう戻ってくることはない。安らかなる眠りにつかせよ、と。
勇者は心優しき王を幻想に閉じ込めた。かつて魔王が国に攻め入った時の戦いで命を落した最愛の王妃がまだ生きており、宝のように大事にしている王子が常にそばに控えている。そして、国民たちが誰一人苦しむことなく幸せに暮らす楽園の王……そのような幻想の中で死ぬまで暮らせるよう強力な幻術をかけた。
形としては幽閉だったが、各国の王たちには死んだと伝えた。王子を玉座に座らせ、その後の政策はすべて勇者が行った。有能な執政官を集め、彼らの意見を聞き、最終的な決定を下す。勇者は常に最善の方法を選ぶことが出来た。彼には人の上に立つ才能があり、それを周りの者に認めさせるだけの力があった。
そして、勇者の国はより豊かとなった。
あらゆる行政機関が、効率的に、そして機能的に働くようになった。
王子には、王は魔王との戦いのため、遠くに出掛けたと伝えた。王子は無邪気に、
「お父様なら大丈夫、きっと戻ってくる」
と胸を張っていた。王子は、産まれた頃からの勇者とは顔なじみで、以前から彼を慕っていた。まだ勇者に仲間がいた頃は、度々城に立ち寄り、王子に旅の土産話や軽い剣術指南のようなものをしたものだった。
勇者は彼を利用するつもりはなかったが、王が正気を失い、年少の王子しかいないアドラスには、正しく国を導くことのできる者が必要だった。勇者を何よりも崇拝していた王子は、勇者の言葉を全て受け入れ、傀儡であることに気づきもせず、平穏に暮らした。