第四章 先生との邂逅
海を眺めている勇者の隣に一人の男が立っていた。
勇者が影に気づいて見上げると、彼は勇者と同じように、水平線の向こう側を見ていた。
「これは珍しい。旅の方ですか?」
彼は勇者を方を向いてニッと笑って言った。
「え……あ……」
あまりに唐突で、勇者はうまく口を動かせなかった。旅に出て数ヶ月の間、誰とも喋らない日々が続いていた。
「今やそんな姿で旅をするものなど、居りませんからね。ちょっと気になってしまいました」
「……」
何と答えていいものやら分からず、勇者は黙ったまま男を見上げていた。
「すみません。お邪魔でしたかね」
「えっと、この町の方なんですか?」
勇者は立ち去ろうとする男を引きとめた。ようやく口から出た言葉は、どこか的外れのように思えて、彼は自分を恥ずかしく思った。どうして男を引きとめようと思ったのかわからず勇者は困惑した。きっと長い一人旅で、心が弱っていたのかもしれなかった。
「ええ、どうですか、この町は。いいところでしょう? 海が近くて潮風が気持ちがいい。他国との貿易の入り口なんですよ。私はよくここに、海を見に来るんです。海はいいですね」
「活気があっていい町だ。ぼくなんかが来るのは、なんだか場違いじゃないかって、そう思ってたところです。こんな姿で歩いているから、皆が怖がってるみたいだ」
「そんなことはありませんよ。皆、今の生活を大切にしているのです。ようやく手に入った平穏を手放したくない。でも私は、ちょっとでも変わったことがあると気になってしょうがない性分でしてね。ついつい話しかけてしまいました。もしやあなた、宿を追い出されたのでは?」
勇者に安どの表情が浮かぶ。目の前の男は、どうやら敵意を持っているわけではないらしい。
「……まあ、そんなところかな。旅のための道具を揃えようとして、通報ばかりされてしまってね」
「ははは。それだけ町が平和だということですな。どうです? 家にご招待しますよ。このご時世に旅をされる方だ、きっと面白い話が聞けるにちがいない。私はヒラルドというものです。少し前に商いをしておりましたが、今は特にすることもなく、町中をぶらぶらしている毎日です」
手を差し出された勇者は、立ち上がって応えたが、自分のことを話そうか迷った。勇者が黙っているとヒラルドは、
「ああ、言いにくいようでしたら、名乗らずとも結構ですよ。この平和な時代に旅をしておられる方だ。いろんな事情もございましょう」
と言って笑った。商人として長く人と関わってきた人間の持つ、人の心をほころばせる笑顔だった。
「……申し訳ない」
勇者はヒラルドの後に続き歩き出した。
「すこし、遠いですよ」
元商人の家は、船着場とは真反対の町の奥にあった。
言われるがままにヒラルドの後につづく勇者は、少し後悔した。
家に招かれるということは、ボロ布を取り、正体を明かさなくてはならない。恐れられるにしろ、崇拝されるにしろ、どちらであっても面倒だ。もうこの町には居られまい。
道中、町の多くの人々が先生、と元商人に声をかけた。
ヒラルドは町の住人から、とても信頼されているらしかった。彼に続いて歩いているだけで、勇者に対する警戒が和らいでいた。
「先生? 学者の方だったんですか?」
ヒラルドは振り向いてしばらく考え、はっとして、
「おかしいでしょう。どう見たって先生って顔ではないですよね。実は、子どもたちの先生をしていたんですよ。日々の生活に必要な計算の仕方や、他にも、ここは港町なので船乗りになる子が多いので、そのための知識などを教えています。基礎の基礎ですが、文字の書き方も教えています。ハハ、しかし改めて考えてみると、私が先生なんておかしな話です。皆にも恥ずかしいので呼ぶなとは言っているんですが」
と、少し恥ずかしそうに答えた。
元商人の家にたどり着くまでの間、勇者は商人が一方的に話しかけるのを、ただ聞いていた。どうしても、自分から勇者であることを語りたくはなかった。相手の表情が一瞬で凍りつき、恐れおののく様を何度も見てきた。
ヒラルドは、自分の研究について語った。
彼の語り方は、まるで自分の子供を自慢するかのように、誇らしげに、少し遠慮をしながらも、今まで自分のやってきた研究の成果を語った。
勇者は驚く。
ヒラルドの話すところによれば、レベルとは“数”に還元できる“システム”であったのだ。それは、どんな学者に調べさせても出てくることはなかった、革新的な発想だった。
そして、ようやく彼の家の前にたどり着いた。町の外れにあるその家は、質素で、簡単な作りの家だった。
玄関を通された勇者はそこでようやく意を決して、体からボロ布を剥ぎ取った。
ヒラルドの顔に安堵の表情が浮かんだ。
「ああ、やはり私の勘は正しかった。もしかすると、そうでないかと思っていたんですよ。勇者様。噂には聴いております。その強さ、心の優しさ。いつかお会いしたいとも思っておりました」
勇者は彼に言わなければならないことがあった。それは、勇者の目的にとって必要不可欠なことだった。
「ぼくのために知恵を貸してくれないだろうか」
ヒラルドは快く承諾した。
「あなたは、何か私たちの及びもつかぬようなことを成し遂げようとしていらっしゃるようですね。それが、いいことなのか、あるいは悪いことなのか。それはわかりかねます。しかし、私も、何か目的を見つけたいと思っていたところです。あなたに付いて行きましょう」
勇者は彼の体に触れ、遠距離移動魔法を発動させた。目的地は、勇者の故郷の国。学者たちを目を開かせなければならない。ヒラルドの発想には、何か、世界の事象すべてに通じるような真理が隠れているような気がしていた。
新しいなにかが始まる予感が、勇者の心を震わせていた。




