第三章 理論の構築
商人の名は、ヒラルドという。
勇者が彼の住む町にたどり着いたころには、彼はすでに自分の理論を手放し、皆に広めてしまっていた後だった。
ヒラルドがレベルに関する理論を組み立て、手ごたえを感じた時、彼は理論を自分の商いに応用できないかと考えた。彼の仕事は、港で作物を買入れ、町で売ることだった。
彼は仕入れ先の国の状況や、買入れの際競合した商人の情報を表としてまとめ、値段の変動を予測する理論を編み出した。作物がとれる場所の天候や、競合の商人の懐具合によって、値段が大きく変動することを発見したのだ。変動には規則性があり、多少の誤差はあれ、値段の予測に大きく貢献した。ヒラルドは理論に基づき、仕入れのタイミングや自分の店の商品の値段を、感覚でなく、理論的に分析した。
結果はすぐに彼の店の業績としてあらわれた。
はじめは通常の利益からわずかばかりの伸び率であったが、彼の店が安いと町で評判になった途端、業績を大きく伸ばした。
富を築いたヒラルドはしかし、積極的な店の拡大を行わなかった。店の売り上げが安定したと判断した彼は、商人としての仕事を別の者に任せ、自分は教職の道を歩むことにした。昔から、師匠であるとか、そういった人にものを教える職業にあこがれを持っていたのだ。
町の一角に大きな二階建ての小屋を建て、そこで子供たちに計算の仕方や、物流の流れについて教えた。はじめは、気まぐれで始めた慈善事業のつもりだったが、次第に人に教える喜びに目覚めていった。
どのような学問でも、学びを続けていれば必ずレベルは上がる。レベルが上がった時の子ども達の嬉しそうな顔は、何物にも代えられないものだった。
もちろん、物覚えが悪く、落ちこぼれそうになる子どもも中にはいた。学びには向き不向きがあり、レベルの上がりやすさや、レベルが上がった際の理解力、発想力の伸び幅は、子どもによって違っていた。
しかし、ヒラルドはそこにこそ、人に教えることの面白さを見出していた。平等に与えられているレベルという概念に残された、人としての個性がそこにあった。彼は子どもたちそれぞれに教え方を変え、飲み込みの悪い子どもには、時間をかけて根気よく教えた。
より早く子どもたちの知識や技能を高めるにはどうしたら良いのか。ヒラルドは毎日その事ばかりを考えた。多くの生徒達のデータが、彼の研究をさらに加速させた。
熱心に子どもたちの面倒を見る彼のことを、町の人々は自然に「先生」と呼ぶようになっていた。町の大人たちは、自分の子ども達を見違えるように成長させてくれる彼に、尊敬の言葉を惜しまなかった。
本格的な研究に取り掛かって数ヶ月。劇的に成長を続ける教え子たちの協力もあり、教育のシステムは今や完成を迎えようとしていた。彼の手を離れても、あとは別の誰かが研究を続ければ、この町、ひいてはこの国は発展していくことだろう。それは、達成感と充実感を彼に与えたが、同時に失望と、退屈を与えた。
何かもっと新しいことがしてみたい。
ヒラルドの心に芽生えた思いは、果てしなく広がっていったが、具体的な方法は思いつかなかった。人に教えることもまた、育った教え子たち任せ、町を歩き回りながら時間をつぶす毎日が続いた。
勇者がその町に立ち寄ったのは、まったくの偶然だった。
勇者は宿を利用しない。魔物を倒しながらの旅で、休息を取るのは常に野宿と決まっていた。彼は、勇者として人に扱われることにうんざりしていたのだ。人々の尊敬の目が、彼に孤独をより強く実感させたからだ。ただその時は事情が違った。勇者も時にはケガもするし、腹も減る。彼は旅の必需品を買うため、やむを得ずその町に立ち寄ったのだった。
大きなボロ布で身体を覆ったまま、勇者は町に踏み入った。道具屋に向かった勇者であったが、その風体が邪魔をした。いくら勇者であることを隠すためとはいえ、ほとんど洗ってもいないボロ布をまとった姿で道具屋の戸を叩けば、いくら港町の荒くれ者を相手にしている店主といえども怖気づいてしまう。数店舗回った後、勇者は諦めた。
かつて、まだ魔王の脅威が世界を支配していた頃であれば、流れの傭兵が街にたどり着くことは日常茶飯事ではあったが、今は平和になりすぎた。何度も、町に駐在する兵士たちに通報されかかり、そのたびに逃げるようにその場を去った。
勇者は別の策を考えることにした。
海を眺める事のできる船着場の隅に座り込んだ彼は、物思いに耽る。この街は豊かだ。他の街にはない活気がある。各地を巡ってきた勇者には、その街がただひたすらに眩しく目に映った。
人が自分の力で生きている。金儲けのためであろうと、経済発展により活発に動き回っている商人たちを見ると、勇者は嬉しくなった。そこには独自の思考があり、自立があり、向上心があった。
勇者は故郷を思い出す。魔物に支配されていたときと今は、いったい何が変わったというのだろう。彼の生まれ故郷は急速な発展を遂げている。経済、技術の中枢。まさに世界の中心ともいえる国はしかし、彼にとっては作られたものだった。全て勇者の思うままにあの国は発展し、彼の予想どおりに成果を上げている。
しかしそれは、魔物に支配されていた時と同じではないか。支配しているのが魔王から勇者に変わっただけではないか。だから、旅に出た。勇者はぼんやりと自分の行動をそう結論づける。
旅をして、考えたかった。これから自分が勇者として、どうすればいいのかを。