第二十七章 目的の実現
勇者が本当にやりたかったことは、世界を破滅させることだった。
「もう魔王なんて関係ない、神なんて関係ない。なにもかもどうだっていい」
両親も友人も、全てを失い、心の支えであった神と対面するという目的も、達成してみれば満足いくものではなかった。そんな勇者が世界に対していだいている感情は、落胆以外の何物でもなく、王として世界の頂点に君臨した後でも、何ら変わることはなかった。
メルエルの助言によって、新たな目的が出来たものの、天界の技術力を手に入れたところで、やることといえば、それまでの勇者の役割であった、魔王の力を封じることだけだった。
そこまでやって、魔王を倒すことだけは、勇者にはできなかった。魔王を倒した後にやってくるであろう、「この先どうすればいいのか」という絶望と不安が恐ろしかったのだ。
勇者は世界に絶望するしかない未来に対して絶望してしまった。そこで彼の選んだ道は、とにかく膨大な魔力を生みだし、世界そのものを修復不可能なまでに破壊することだった。
表面上はそれまでの勇者と変わりなく、日々を淡々とこなしているように見えた。しかし、その内側では、恐ろしいまでの自己破壊願望が渦巻いていた。周りをすべて破壊し、その上で自分も破壊する。全てをなかったことにすることばかりを考えていた。
勇者が新たな物質を生みだせと命令を出したのは、そんな個人的な理由からだった。世界を完膚なきまでに破壊するためには、可能な限り多くの魔力が必要だった。
しかし、彼の目的は、ある日を境に別のものへと変容してしまう。世界を破滅させる代わりに、勇者は別の道を選ぶことになる。それは、ほんのわずかばかり残っていた勇者としてのプライドが、彼を踏み止まらせた結果かも知れなかった。
時は少しさかのぼる。
研究者たちがアスラの研究を行っていた頃、勇者は古龍の背にまたがり世界を見て回ることのほかに、ある実験をたった一人で行っていた。
勇者は自分の持つ究極魔法について疑問を持っていた。彼にしか扱えない“無”の魔法。それは同時に、彼以外の人間には理解しえない領域であるともいえた。
勇者は一人きりで辺境の地に赴き、究極魔法の威力や、発動によって引き起こされる現象を調べていた。そこでの発動の繰り返しによって、メルエルに初めて見せた“無”を纏う高等応用技術を身につけたわけだが、それは副産物に過ぎなかった。
彼が頭を悩ませていたのは、“無”とは何であるか、ということだった。どの属性にも当てはまらない魔法に対し、仮に名づけてみた属性であったが、はたして、究極魔法の、本当の力とは一体何なのであろうか。
その時すでに、王国地下の掘削を計画していた勇者であったが、未だその力を推し量りかねていた。無にすることと破壊することには一体何の違いがあるというのだろうか。
対象を破壊するだけならば、火属性や風属性を組み合わせた爆発を起こす魔法と何ら変わらない。爆破エネルギーにより、粉々に砕くか、音もなく消滅させるかの違いでしかない。静かで、跡が残らない。掘削に使用した理由もそこにあったのだが、そのメリットがなければ、爆破でもよかったのだ。
では、究極の魔法が“無”である意味とは何だろうか。勇者という存在が、最後に身につける魔法である意味が、きっとあるはずだった。
勇者は辺境の地で周りの物を手当たり次第に消していた。地面の石や岩、または地面そのものを消し、水溜まりの水を消し、時には、自然に対し申し訳ないお思いながらも、木や小動物、虫たちを消滅させた。
試行錯誤の中で、彼は出力の調整のコツをつかんだ。それが体に“無”を纏う応用につながり、成果はあったともいえるのだが、しかしいくらまわりのものを消しても、その魔法が何であるのかまったくわからなかった。
出力の調整は、自由自在のコントロールを可能にしたと同時にあることを勇者に気づかせた。究極魔法は、魔力の続く限り果てしなく大規模に発動することが出来るが、同じように限りなく制限することも出来る。
例えば、大きな岩そのものを一瞬で消滅させることも出来れば、ほんの一部分だけを削り取ることも出来る。他愛のない発見でも、勇者にとっては天啓のようなひらめきだった。出力の制限により、限りなく効果を制限できるのであれば、消滅するものを選ぶことも可能なのではないだろうか。
おりしも王国ではアスラ生成のために錬金術の研究が極限まで発展していた。勇者はその研究の成果を読み込むことで、物質が、いくつもの要素が集まってできていることを知った。
勇者は手始めに、木から水分を消滅させることにした。水属性の魔法を自在に操作できる彼にとって、物質の中の水分をイメージすることは容易かった。極低出力の発動により、指先からわずかに黒いもやが現れ、拾った枝を覆う。するとみるみる干からびていき、彼は究極魔法の魔法の真の力をそこに見たような気がした。
もはや残酷な実験もいとわなかった。小動物から骨や血液だけを消滅させ、虫のたん白質だけを消滅させるなど、考え得る限りのパターンで実験を行った。
時には夜を徹して実験に励み、疲れ果て、倒れるまで繰り返した。しばらくして、アスラの完成とほぼ同時期に、勇者は究極魔法を我がものにしたと確信した。彼の周りにはえぐれた地面と大量の屍が散乱していた。
勇者が次に行うべき実験は決まっていた。物質を消滅することができるならば、魔力自体もまた消滅できるはずだ。
空気中に漂う魔力に意識を集中する。それまでの鍛錬の中で、魔力の流れを我がものとしていた勇者にとっては容易いことだった。周囲の魔力に意識を向けながら、魔法を発動させる。
すると、発動した手のひらに向かって、魔力が吸い込まれていく。一瞬であるが、自分の周囲の魔力が消滅したことを感じた。だがそれは一瞬で、すぐに他の場所から魔力が流れ込み空白を埋めてしまう。
勇者は手ごたえを感じ、さらに実験を続けた。このやり方で、範囲を拡大させていくとどうなるのか。魔力を大きくし、範囲を広げ、国中を、そして世界中の魔力に向かって魔法を発動すれば……。
魔力の存在しない世界。
勇者が世界の終焉の代わりに目指したのはそれだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
次元のひずみに魔王と勇者が飲み込まれると同時に、世界中で異変が発生した。
世界のありとあらゆる場所の魔力が、ひずみに向かって吸い込まれていったのだ。かつて勇者と対話した精霊たちも、体の大半を魔力の淀みにより構成する魔物たちも、例外なく全てが、魔王城の一点に集まって行った。
勇者の計画通り、考え得る限りの最大出力で究極魔法が発動されたのだ。閉じていく次元のひずみに、世界の全ての魔力が吸い込まれていく。
一方、扉を通り抜けた魔王と勇者の魔力の混合体は、天界にたどり着いた。すでのお互いの意識はない。天界の住人たちがその光を見た時にはすでに、究極魔法が天界全体を覆い尽くしていた。
魔力によって形作られた天界という空間は、一瞬で崩壊へと向かって行く。それは天使たちも同様だ。天界を破壊し尽くした魔力はやがて収束し、そこには、何もない“無”の空間だけが残った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
だが、なにもかもが消滅してしまったわけではなかった。天界を破滅へと導いた光の残滓が、一度分解されたはずの元勇者の体を形作っていく。
地上、天界、すべての魔力を内に秘めたまま、天界を貫いた先の、次元の果てに勇者は孤立した。世界からは魔力が消え、天界は消滅した。
魔王は光の中心点として消滅し、神もまた、天界の消滅と同時に魔力の激流に飲み込まれた。
本当に、すべてが終わったのだ。
だが、引き金を引いた元勇者だけは、次元の果てで、意識もないまま浮遊している。しかし、もはやそこに存在しているだけだ。どのような形であれ、彼は目的を達成したのだ。
魔力のない世界に、勇者は存在しない。魔力の塊である魔王が生まれず、それを倒す役割の勇者は生まれる必要がない。勇者を選び出す神も、神の居場所である天界も消えてしまった。長きにわたる円環にようやく終止符がうたれたのだ。
もう、かつての世界には二度と戻ることはない。おそらくは、永遠に……。




