第二十三章 戦いの終わり
勇者の奥底から魔力があふれ出し、周囲に広がっていく。魔力の波が、彼を中心に渦巻いていた。
「すげえ! すげえよ! これが勇者様の本気ってやつか!」
メルエルは焦る様子も見せず、むしろ楽しむように手を振り上げ天使たちに合図を送る。
「行け!」
メルエルの号令で、天使たち数十体が塊となって、一斉に勇者に向かって襲いかかる。驚くべき速さでの突進に、回避行動が困難と判断した勇者は、先頭の一体の体当たりを、盾で受け止めた。
衝撃で身体が軋む。
「ぐっ……!」
最大出力での身体強化を行っている勇者ですら、その衝撃を抑え込むことができなかった。たまらず身をひるがえし、上空へと退避する。
追ってくる群れとなった天使たちに、風の魔法を立て続けに打ち込む。数体の天使の手足が吹き飛んだが、突撃の勢いは止まらない。
一瞬空中にとどまり剣を抜き、追撃する先頭の数体に斬撃を加えた。だが、ダメージは与えられない。オリハルコンの剣は天使の体を容易く切り裂くが、傷口からは血は流れず、すぐさま修復されていく。
剣よる攻撃が無意味だと判断した勇者は、追撃をかわしながらさらに上空へと舞い上がる。
まずは時間を稼がなければならない。魔力が向上していると言っても、呪文の詠唱の時間は揺るがないのだ。高速で移動している最中に、大きなリソースを割く大魔法の詠唱などしていられない。
勇者は魔力によって、さらなる速度の向上を図る。
「もっと、もっと速く……!」
が、詠唱が何者かの気配によって中断される。強い力で足首を掴まれた感触があった。
「甘えよ。俺がただ指揮者だけやってるわけねーだろ」
勇者をとらえていたのはメルエルだった。勇者に苦悶表情が浮かぶ。
「ほらよ」
強靭な肉体によって、勇者は振り回され、地上に向かって投げ飛ばされる。風の魔法によって態勢を立て直そうとするが、その力は制御できない程に強大だった。
降下していく勇者に向けて、天使たちの光が集中する。
「くっ……!」
勇者は浮遊と風の魔法を解除し、全方向に魔力による障壁を作り上げる。束となり、威力が何十倍にも増した光を、他の魔法を使用しながら耐えることはできない。
光が勇者に向かって降り注ぎ、大きな衝撃が勇者の体を貫いた。障壁が悲鳴を上げ、勇者の魔力をもってしても耐えるのが精一杯だった。障壁の表面が削られていくのを魔力を供給することで補修する。
光を防ぐことに集中すれば、落下は防ぐことはできない。勇者は地面に空中にとどまっているすべもなく、地面に向かって墜落していく。
勇者が地面に衝突し、大きな土煙が上がった。
「いいねえ! こっからどう生き残るんだい?」
勇者が墜落した地点に向かって、天使たちの光の束が集中する。
光によって地面が削られていく。勇者の声はもはや聞こえない。だが、安心はできなかった。あれほどの力を持つ勇者が、簡単に死ぬわけはないと、メルエルは考えていた。
「何事にも、徹底的にやらないとな」
光の放出は続いていた。勇者からの反撃はないようだった。メルエルは天使たちに合図を送り、光を止めさせる。
「これだけやれば十分か」
そう呟いたメルエルだったが、周囲の違和感に気付く。なにかがおかしい。
禍々しい気配が、勇者のいる場所から上空に立ち込め始めていた。光の束によって巻き上げられた土煙がゆっくりと晴れていく。
その場所には右手を突き上げた勇者がいた。
メルエルの表情が驚愕に歪む。
「おいおいおい、なんつー使い方をしてんだよ」
勇者の頭上を覆うようにして、ぼんやりと黒いもやがかかっていた。
繰り返された幾度もの実験、勇者一人で試行錯誤の果てに見出した、究極魔法のもう一つの用法。
その魔法は無を有する。無によって触れるものすべてが消滅するということは、すなわち絶対無敵の盾ともなる。
「ここで使いたくはなかったんだけど」
勇者の右手を中心に渦を巻くもやが一瞬濃くなったかと思うと、上方に向かって放たれた。
もやに触れた天使たちが瞬時に消滅した。
「まじかよ……散れ!」
天使たちがメルエルの命令に反応する、その僅かな時間で、勇者は空へと再び舞い上がる。すでに魔法の詠唱は完了している。その手に黒いもやをまとわせたまま、空中で静止する。
「これを使わせたってことは、全部が終わるまでやるってことだよ」
メルエルに向かって勇者が言った。
「ははっ、こいつはもう、どうしようもねえな」
メルエルが焦りともつかぬ言葉と同時に手を振り上げ合図を出す。
統制を欠いたまま、天使たちは勇者に向かって一斉に光を放つ。数体の天使が巻き添えを食らい、体の一部を消失させる。残った体で光の放出を続け、力尽きたものは地上へと墜落して行った。すでに自我を失い、メルエルの命令に従うだけとなり果てていた。
光の束が勇者を襲う。しかし彼は避けなかった。
勇者に直撃すると思われた光の束は、彼の前方の黒いもやによって阻まれた。勇者の右手から霧のように放出されたもやによって、光がそこで全てかき消されていた。
禍々しい黒い霧を纏う勇者の姿を見て、メルエルが苦笑する。
「勇者って見た目じゃねーよそれは、邪神か悪魔とかそっちのほうが似合うんじゃねーか」
「そうかもしれない」
天使たちの大群が勇者に向かって殺到する。
勇者は纏った死の霧をオリハルコンの剣の表面に集めた。彼が剣を軽く一振りすると、天使数十体が、一瞬で分断され、地上に落ちながら消滅していった。
「さあ、どこからでもかかってこい」
勇者の顔には笑みすら浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
決着はあっけないものだった。
天使の軍団に対し一方的な殺戮が始まり、そしてすべてが終わった。
天使たちは勇者には触れることもできず、一瞬で消滅した。叫び声をあげることもなかった。
呪法の使用により、自我を失った天使たちは勇者に向かってひたすら突撃を続けた。勇者は作業のように剣を振りかざし、天使たちは黒い霧の中に消えていった。
メルエルもまた同様だった。彼は天使たちが突撃するのを無表情に眺めていた。
「こんなんで終わりかよ……情けねえな、俺の大舞台」
天使たちの群がる勇者の周囲が黒い霧が満たされた。
黒い霧が収まると、そこにただ一人、勇者が居た。メルエル以外の全ての天使が消滅していた。
メルエルに向かって来る勇者は、どこか残酷な笑みを浮かべていた。しかし、そんな勇者を前にして、メルエルは動こうとしなかった。
「最後に、なにか言いたいことは?」
勇者がメルエルに言った。
「お前は一体、なにをやるつもりなんだ?」
「どうだっていいじゃないか、そんなことは。どの道君はこの先を見ることはできない」
メルエルは一瞬悲しげな表情を浮かべ、ため息をついた。
「まあ、そうだな。俺あさ、悪いことしたなんて思ってないからな。こうして、お前が無傷でいるわけだし、結局、なんにもなすことができなかった。いや、なにをなすとか、そんなことどうでもよかったんだ。理由なんてどうでもいい、ただ暴れたかっただけだ。このつまらない世界を、少しでも面白くしたかった。」
「天使らしくないね」
「お前ほどじゃないさ。勇者じゃねーよ、お前なんて」
「……もうぼくは行くよ」
「ああ」
黒い霧がメルエルを包んだ。
勇者は雲ひとつない空で、ただ一人たたずんでいた。しばらくメルエルの居た場所を見つめていたが、彼は首を横に振り、噛みしめるように移動魔法を唱えた。目的地はもちろん。魔王城だ。




