序章Ⅰ
この作品には若干グロテスクな表現が存在します。
ご注意ください。
「さぁ、姫様、こ・ち・ら・え。」
「私は姫じゃない。」
「ふふふふふ、軽い冗談ですよ。」
その女は言われるがまま表情も変えずにこちらに手を伸ばすその男の手を取った。
内心ではこの男に毒づいているのだろうと考えていたら笑みが漏れそうになり急いで手で隠した。
どうやら二人には気付かれなかったようだ。
そういえばこの男の名前を何と言ったか?・・・忘れてしまった。
どうせこの男もまた彼女の家柄が欲しいのだろうそういう人間は腐るほど見てきた。・・・まぁそう思っている俺自身もその腐ってる中の一人なんだが、
「ふふっふ。」
ただの自傷だったが自分でも滑稽に思えて今度は笑いを隠しきれずに笑い声が漏れてしまった。
慌てて彼女らの方に目をやったがもう二人はどうやら俺の声が届かない位置にいるようだ。
安心して胸をなで下ろした。その時、姫と呼ばれた女が急にこちらに振り返った。
表情は先ほどとはまるで変わってなかった。俺は手を軽く振りその女と男を見送った。
「あ~あ、勘のいい奴だな~本当に、しかもかなりご機嫌ナナメな様子だなぁ~、そりゃそうかここのところあんな連中ばっかりと付き合っているんだからそりゃ顔もぶすっとするよなぁ~。」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!
地鳴りにも似た歓声が鳴り響いた。この闘技場全体が震えまるで一個の生き物の中に居るような感じさえした。どうやら勝敗が決したようだ。
4万人以上も入ることができるこのフラウィウス闘技場では連日こうした剣闘士たちによる殺し合いが行われている。時と場合によっては猛獣と戦うこともあるらしく剣闘士たちは常に命がけだ。
勝者には4万もの観客から賛辞を一身に受け、また敗者には無残な最後と4万もの罵倒が浴びせられる。強い剣闘士はそれだけ人気も高く戦いに勝利し名前を売れば売るほど民衆では英雄視されるとか、それ故に剣闘士とはとても魅力的であるようで連日のように剣闘士になりたがる人間は出てくるのだという。
彼はそこで大きくため息をついた。
「・・・まったく、何を好き好んでこんな所で命の駆け引きなんかしているのだろうねぇ。もっと命を大事にするべきだと思うのだけどなぁ。それにここに居ると耳がギンギンギンギンして痛くてしょうがない。」
何度も何度も思っていたことがつい口から零れる。最近は演劇やサーカスより高い人気を誇る剣闘士達の戦いであったが彼自身はあまりお気に召してなかったらしい。
わああああああああああああああああああああぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
また、大きな歓声が聞こえた。これでまた一人哀れ死体となりもう一人は真逆に観客からの賛辞を一身に受けているのだろう。彼は一度頭を掻いてから今日はもう帰るかなどと考えていた。
「この歓声はまるで闘技場の泣き声のようにも聞こえますね。カンビア・プレヴィデンザ・ヌーラ様。」
不意に後ろから声を掛けられたが、彼はゆったりとした動作で振り返った。そこには黒衣に身をつつみ、髪は白髪、顔はしわが深く入っており齢70を軽く超えていそうな老人が立っていた。
腰も曲がっておらず、歯も抜けていない。まさしく「老紳士」この言葉が一番しっくりくると彼は感じていた。しかし逆に彼は一つの疑問を感じていた。
ここまで歳をとっていてなぜ彼は生きているんだろうか?齢70ともなれば大概の老人は歯は抜け落ち、腰は曲り、一人では生きていることもままならないような、そんな年齢だ。そもそもそんな年齢では生きてることの方がよっぽど驚きだ。
だがこの男を目の前にするとそんな考えがまるで子供が考えた幼稚な想像と同程度のモノなのではないのかとさえ感じる程の気概のようなものがその老紳士にはあった。
「ストリィア、やっぱりあんたか。いつも急に現れるのはやめてくれよ。」
「リウィア・クラウディウス・カエソニア様の後をついて行かれなくてよろしいのですか?このままでは他の男にめとられてしまいますよ?」
ストリィアは物静かにそう聞いた。
「めとられるねぇ、人を物みたいに考えるのはあんまり好きじゃぁない。それに政略結婚ってのも好きじゃないんだがな。時代がそれを必要としているのかな?それにしたってリウィアの奴も随分と不憫な思いをしているよなぁ。こんな時代に生まれて来なければ人並みの恋もできただろうに。時代が悪かったな・・・時代が。」
カンビアは半ば吐き捨てるように言った。まるで自分に言い聞かせるように。
「時代の価値観は一個人では到底抗えませんよ。時代の価値観とはその時代の節目、節目で移り行き、変化するものです。それはあなたが一番お分かりでしょう?」
「ああ、そうだよ、その通りだ。残念なことになぁ。」
(だけど、いや・・・それだからこそ、俺は思わずにはいられないんだよなぁ、)
「さて、ではこちらに。」
ストリィアはリウィアが入って行った観客席の方に手を差し伸べた。
「うん?いや、俺はこれから帰ろうとしていたんだが。」
「そうだったのですか?しかしこちらはこちらで面白いものが見られますよ。」
「俺は意味のない殺し合いを見るのは好きじゃないんだ、が・・・意外だな。あんたはそういうのには全く興味がないと思っていたが。」
「ふふふ、私も殺し合いには興味はございません。私が言っているのは殺し合いではなく、節目のことです。」
「・・・節目?」
「ええ、どうします?見に行きませんか?」
「いいや、見に行くよ。その節目とやらに立ち会えるのなら願ってもない。後、俺を呼ぶときはフルネームはやめてくれ。嫌いないんだよ、プレヴィデンザもヌーラも・・・。」
ストリィアは承知しましたと一言だけ言って観客席の方へカンビアと共に歩き出した。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
歓声の声がまた聞こえた。全く、俺は好きじゃないのにねぇとカンビアはつぶやいたが歓声の波にのまれてそれは消えていった。
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一応歴史に沿って書いていく予定ですが若干、史実とは異なって行きます。
この小説でお楽しみ頂けたら幸いです。
物語の成り行き上ファンタジーも要素も入ってきますがあくまで主題は歴史です。