9話 彼女の見解
彼女が帰ると即答したことに、遊利は正直驚きを隠せなかった。
遊利は通常、落界者に接触する前に場合彼らの様子を観察するために数日を費やす。
しなきゃしなくてもいいことではあるが、落界者たちの状況を把握することは遊利自身のリスクを減らすことにもつながる。
たとえば落界者が勇者や生贄など何らかの役割を求められた《召喚》という形で異世界へと渡った場合、召喚した側は遊利と落界者の接触を必死で妨害することもある。
他国のスパイと勘違いして遊利を殺そうとすることも珍しくない。
そういう理由から数日間早沙子の様子を見ていた遊利は、王子殿下と早沙子の関係に気付いたのだった。
これは、互いに隠そうとしているものの好きあってるな、と。
根拠はといえば「女子の勘」に他ならないが、遊利はほぼ確信していた。
だから早沙子が「帰る」と即答した時、不覚にも驚きが顔に出てしまったのだ。
「…悩むくらいは絶対すると思ったんですけど」
小さなため息とともに独り言がこぼれる。
「ん、坊っちゃん、何か言ったかい?」
身体も声も大きな宿屋<青空亭>のおかみさんが遊利に声をかけた。
約束の2週間の間は滞在する予定の宿で、新しくはないが清潔で、料理もおいしい穴場的な宿だ。
おかみさんも王都の人々から慕われていて、夜には宿屋の一階部分にある酒場はたくさんの客でにぎわう。
遊利はそこで遅めの昼食をとりながら考え事をしていたのだ。
まだ数日ほどしか滞在していないのだけど、気さくなおかみさんとはよく世間話をしている。
おかみさんの話はどこぞの花屋の娘の三角関係から、おいしい喫茶店の情報までその内容は多岐にわたり、幾ら聞いても飽きない。これは才能だろうな、と遊利は思う。
「いえ、何でもありません」
遊利は軽く苦笑いをした。普通なら聞こえるはずないと思うつぶやきだったのだけど。
おかみさんの情報網は人脈以外にもその地獄耳によるところも大きいのだろう。
夕食の下ごしらえで忙しそうなおかみさんとはそれ以上話が膨らまなかったので、遊利は食事に戻った。
それにしても「坊っちゃん」か、と心の中で苦笑いをする。
今回は落界者が女性だったこともあり、遊利は特に男装などはしていないのだが、おかみさんにはどうやら「ちょっと良い家の子息の王都見物」と思われているらしい。
やはり髪が短いのと、動きやすさを重視した男物の服を着ていることも原因らしい。
それが最大の原因だと考えている遊利は、この国では、今自身が身につけている「黒のリボンタイ」は未婚の男性が身につける風習があるなど知る由もない。
さっきの読み違いといい遊利が女子としての自信を若干なくしたのは言うまでもないだろう。
アルシェリア・オル・アクセレニア。ここアクセレニア王国の第一位王位継承者にして現国王唯一の実子。
国王が健在な今、彼の人が直接国政を行っている訳ではないが、郊外の王国直轄領地の運営や、政策や福祉の整備などを国王に進言していることが評価されており、国民からの支持は篤いようだ。
その恵まれた容姿も支持に一役買っているのだろう、王都の市場にはアルシェリア皇子の絵姿を置いている商店も少なくなかった。
しかし彼の人が病で床に伏せっているというのも広く認知されている。
これは国から公式に発表があったようで、王子は国の行事を一年ほど欠席している。
王都ではこれに関して様々なうわさが飛び交っているが、中には毒殺未遂→ひきこもりと正確な事実を伝えているものもあるようだ。
魔女に呪いをかけられただのの突拍子もないうわさは、政府によるカモフラージュの成果であるのかもしれない。
ここらの情報はほとんど<青空亭>のおかみさんから仕入れたものだ、おかみ様様。
遊利は、《隠密結界》を使って王子本人の様子も見ていた。
一個人としてのアルシェリア王子は、「主人公気質でやや不器用」というのが遊利の感想だ。
弱者を捨て置けない性格で、熱血め、義理堅い。よくいえば実直、悪くいえばバカ正直。
ぶっちゃけると為政者としてははっきり不向きだろうが、それを補う求心力とカリスマ性を持ち合わせているようだ。
家臣に恵まれれば名君としてあることも可能だろう、と遊利は思う。
しかしこれは《隠密結界》を使って数日間彼の様子を見た感想だ。これも彼の一側面でしかないのだろう。
毒殺未遂事件後頑なにひきこもっていた彼が何故望月早沙子をすんなりと受け入れたのかはわからない。
波長があったか、顔が好みだったか?
こればかりは本人に聞くほかないが、2人の相性は悪くないように見える。
少なくとも王子の方は、早沙子の事を好きだと思う。
早沙子はどうだろうか。彼を気に掛けるのは友情や恩義からだけではないように思うが、
どこか一線を引いて慎重に接しているように見える。
いつか帰ることを見越して必要以上に情が移らないように接していたのだろうか?
遊利は別段早沙子にこの世界に残ってほしい訳ではないが、もしかしたらうまくいくかもしれない男女の中を引き裂くきっかけを作ったかと思うと、複雑な気持ちになるのだ。女子として。
遊利の役割は、《落界者》に残るか帰るかの選択権を与えることだが、同郷のよしみというのではないが、彼らにはなるべく幸せな選択をしてほしいと思っている。
ただ「ここが元いた場所ではないから」という理由だけで帰ることを選択してほしくないのだ。
「坊っちゃん、食べ終わったかい?」
「あ、はい。とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」
いつの間にやら食器の中は空になっていたらしく、おかみさんに声を掛けられて遊利は物思いから現実に引き戻された。
ともあれ、遊利にできることは早沙子の選択を待つだけだ。
昼食も終えたことだし、昨日おかみさんに聞いた裏通りの古書店でも行ってみようかな、と遊利は<青空亭>を後にした。
2011/10/29 誤字訂正
2011/11/13 改稿