17話 別れ
その日の夜は、一睡もできなかった。
怪我をしたからという理由でいつもより早く休んだのだけれど、静かな一人の時間は余計なことを考えるのに最適で。
なんとなく目が腫れているような感覚がある。一晩じゅう泣き続けたとかいうわけじゃなく、睡眠不足が祟ったのだろう。顔もむくんでそう。最悪。
一晩中栓ないことを考えてて、脳は休息を要求してるのだけど、何時間たっても一向に睡魔は訪れなかった。睡魔マジ仕事しろし。
目をこするのも億劫で、ごろりと寝がえりを打つ。今日で最後。正確にはあと数時間しかない。
小鳥がさえずる。カーテンの隙間から朝日が漏れている。そろそろクレアさんが起こしに来る時間だろう。
最後くらいは、笑ってお別れしよう。私は小さな決意を胸に秘めた。
クレアさんはいつも私を起こした後、身支度を手伝ってくれる。
この世界の服、特にドレスなどはどう頑張っても初見では一人では着れない構造になっている。背中にボタンとか難易度高すぎだろ。
慣れないうちはすべて手伝ってもらったが、流石に今ではだいたい一人でできる。
でもクレアさんはこれが仕事なのだそうだから、大人しく今でも着せ替え人形になっている。
でも今日は、自分でするから、と言ってクレアさんには下がってもらった。
クレアさんは特に理由も尋ねることもなく、左様でございますか、と言って退出した。
衣装棚の奥から、ずっと仕舞っていた自分の私服を出す。
ストライプのカットソーにデニム。ごくごく普通のありふれた格好だ。
お城生活で高級な布でできたドレスを借りてたから、カットソーの薄っぺらい生地にちょっと驚いた。年相応の、着ても恥ずかしくないものを選んでたつもりだったんだけどな。これからはもう少し生地にこだわって服を選ぶことにしよう。
靴まで現代地球仕様に着替えてぼおっとしてると、ドアがノックされる。
「俺だ」
「どうぞ」
予定通り、部屋に入ってきたのはシェリア君、アレン君、ディラン君だった。
普通に考えて、この時間、シェリア君の部屋からこの部屋に来るまで誰にも会わないってことはないと思う。お城の中はちょっとした騒ぎになってるんじゃなかろーか。「殿下引きこもり卒業パーティー」とか開かれるかも知んないね。割とガチで。シェリア君とパイプ持ちたがってる貴族はたくさんいるだろうし。
「懐かしいな。その格好」
あの散々な出会いを思い出したのか、シェリア君は少しだけ笑った。私も苦笑い。
「おはようございます」
例によって、いつのまにか部屋の隅に遊利ちゃんが立っていた。もう何も突っ込むまい。シェリア君とディラン君も同じ心境なのか、何も言わなかった。まあ、アレン君だけは身構えていたけど。
「もう、いいんですか?」
「ん、大丈夫」
昨日遊利ちゃんと話した結果、使用人の方々には挨拶しないことに決めた。突然現れたのだから、突然消えたほうがリアリティがあるし、なにより遊利ちゃんの事は説明しづらいから。
遊利ちゃんにできればそうしてほしい、とお願いされた形だったのだけど、まあ――この子は私に気を遣ったのかもしれない。
この世界にこれ以上縁を残させないようにしている、とか?正直クレアさんあたりに泣かれたら揺らぐもんね。私の絆されやすさばればれなんだろうか。ん、まあ考えすぎかもだけど。
流石に陛下と王妃様にはご挨拶しようと思っていて、前々からアポを取っていたんだけど、突然の公務で流れてしまった。
新たに時間を作るのが難しいということだったので、失礼ながら、手紙でご挨拶させていただくことにした。「息子を頼む」なんて言われた以上、帰りますって言うにも顔を合わせづらかったから、正直ちょっとほっとした。すいません。
「分かりました。―――始めます」
少し離れていてください、と言った遊利ちゃんが目を閉じるとふっと、部屋の空気が変わった。カーテンも閉めてないし、日も高いのに若干薄暗くなったように感じる。
遊利ちゃんが人差し指をかざす。その指の先には緑色の光が灯っている。
遊利ちゃんはくるりと一回転する。指先の光が軌跡を作り、彼女の回りに半径80センチほどの円ができた。
「《時間と》《空間を》《繋ぎ》《越え》《闇は》《光に》《3は》《8に》―――」
歌うような調子のすき通った声が部屋に響く。彼女の指は絶えず何かの文字のような絵のような模様を描いていて、それが先ほどの円に幾何学模様的に配置されていく。これがいわゆる、魔法陣と言うやつだろうか。
色とりどりの小さな光が遊利ちゃんをとりまく。
「きれい…」
思わず口から言葉が漏れた。
遊利ちゃんが言っている言葉の意味は分からないけど、それはとても、美しく響いていた。
「―――《固定》」
遊利ちゃんの動きが止まると、魔法陣が緑からオレンジ色に変わった。彼女の足元には複雑な模様の魔法陣が輝いている。遊利ちゃんはふう、と息を吐いた。
「準備は終わりました。いつでも行けます」
淡い光の中に佇む遊利ちゃんを見て、私は頷いてから、シェリア君たちに向き直った。
「シェリア君、アレン君、ディラン君。長い間、本当にお世話になりました。してもらってばっかりで、返せたことが少なくてごめんなさい。本当に、感謝してます」
深く深く、頭を下げた。これくらいで私の感謝が伝えきれるはずないのだけれど。
「みんなと過ごした時間、本当に楽しかった。一生忘れないね。ありがとう」
いいな!泣くなよ!絶対だぞ!!振りじゃないからな!!
笑って別れる!これが私に課された最後の使命だ!!
「シェリア君」
シェリア君の顔を見るのはこれで最後になる。言葉を交わすのも同様に最後。
そう思うと自然に、言っておけなければならない、という気がした。この気持ちがシェリア君にとって迷惑な代物だったとしても、けじめをつける義務が、権利が私にはある。そう思うと、言葉はスルリとでてきた。
「私が昨日言ったことはね、同情でもその場の勢いでもなく本当だよ」
にっこり笑った私に、シェリア君はわずかに瞠目した。
「力に、なれなくてごめんね。でも、私、君にはしあわせに、なってほしいな」
我ながら無責任な言葉だとは、思う。でも、シェリア君が私を必要としない以上、これ以上の言葉をかけようがなかった。
「じゃあ、ね」
私はそう言って踵を返し、魔法陣の中に入った。遊利ちゃんに目線で合図を送ると、魔法陣が一層強く光り始めた。
これから私はもとの世界に戻る。朝起きて、会社へ行って仕事して、帰ってテレビ見て寝る生活。ここで過ごした時間はまるで長い夢だったかのような不思議な感覚だ。
「サーシャ!」
シェリア君の思いつめたような声が聞こえて、私ははじかれたように振りかえった。
苦しげな表情をしたシェリア君がこちらへ手を伸ばしている。
魔法陣の光が、信号を連想とさせる赤色になる。
瞬く光の中で、私はシェリア君の唇が微かに動くのを見た。それは声になって私へと届くことはなかったけど、私には、確かにその言葉が分かった。
――――行くな。
「シェリアく」
彼の手を取ろうと私が手を伸ばした瞬間、目を空けていられない程の光が私の視界を埋め尽くした。
私の手は、シェリア君にとどかないまま。
***
「行って、しまったな」
虚空を掴んだ手を見ながら、アルシェリアはぽつりとつぶやいた。
これで良かったのだ、と思う気持ちに偽りはないが、心に空洞ができたかのような寂寥感は見て見ぬふりをするには大きすぎた。
それは、アルシェリアの中で彼女の存在が何より大きかったことの証明だろう。
「殿下」
気遣うようなアレンの声に、アルシェリアは大丈夫だ、という意味を込めて笑って見せる。
この二人も、自分がアルシェリアではないと知ったら離れていくのだろうか。
そう思った時。
――シェリア君は、シェリア君だよ。
彼女の声が、頭の中に響いた。
頭の中で何度も反響し、ずっとかかっていた霧を晴らしていく。
この二人から信頼されたいならば。
アルシェリアとしてではなく、『自分が』誠意を見せるべきだったのだと。裏切られることを恐れて、信用することを忘れていたのだと。
自分が二人を信用していないのに、二人からの信頼が得られるはずがないのだ。
何故、こんな当たり前のことに思い至らなかったのか。
アルシェリアはふぅと息を吐いた。
「…アレン、ディラン。すまなかったな」
唐突すぎる謝罪に、うろたえるアレン。ディランは黙ったままアルシェリアを見つめる。
「今からでも、遅くないだろうか」
アルシェリアが小さな声でそう言った時、
「…何か、聞こえませんか?」
怪訝そうな声でそう言ったディランが身構える。
そう言われれば、とアルシェリアが耳を澄ませた時。
その何か、は人の悲鳴となって、
――――――ぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!!
確かな重みを伴って、アルシェリアの上に『落ちて』来た。
黒い瞳をこぼれそうなほど見開いて、アルシェリアを下敷きにしているのは、先ほど別れたはずの女性。
頭部と肋骨の痛みに耐えながら、アルシェリアが彼女に最初にかけた言葉は。
「…吐くなよ」
「吐くかっっっ!!!!!!!!」
台無しだ!!!と憤慨する彼女を見上げて、アルシェリアはいつかのように爆笑した。
次の話で第一章は終わりとなります。
2011/11/13 改稿