15話 思い、すれ違い
―――俺は一体、何者なんだろうな。
そのシェリア君の言葉が、私の中で何度も何度も反響した。
顔を見ずとも分かる。彼の言葉には諦めと絶望が滲み出ていた。
「シェリア君は、シェリア君だよ」
何か言わなければいけない。彼はとても不安定な足場に何とか立っている状態だ。そんな思いが私を焦らせた。
「私が知ってる君は、ひきこもりで、ヘタレで、それなのに熱血で、優しくて、危険を顧みず私を守ってくれるシェリア君だよ。私はそれ以外のシェリア君を知らないもの」
シェリア君はこちらに視線を寄越して、フッと笑った。儚い、笑みだった。
「俺がお前に執着したのは、お前が『アルシェリア』を知らなくて、『俺』を知っている唯一の人間だったからかも知れんな」
落ち着いた声色だった。でも今はその落ち着きが、私の心をざわつかせる。
「お前がいるから、俺は…いや。いたから…ここ半年で、精神を立て直すことができた。本当に感謝してる」
「シェリア君!」
私は、必死の思いで彼の言葉を遮った。
これ以上、喋らせたら、彼は壊れてしまう。こんな確信が私の中にあった。
「私、何もしてない。シェリア君がそんなに苦しんでるのに、何もできなかった。ひきこもりひきこもりって的外れなことばっかり言って…。近くにいたのに、何も気付けなかった。ほんとに、情けないよ。年上なのに、相談役なのに、今だって守られてばっかりで…。私、わたし」
「もういい。お前は充分に力になってくれたし、俺も救われた。この後の事は、ゆっくり考えるさ。時間はあるんだ」
わたしはいやいやをするように頭を振った。救われてなんかない。この人は、まだ、助けを求めている。本当に危なっかしいバランスの足場で、無理して立ち上がろうとしている。
シェリア君には、誰か、手を差し伸べる存在が必要だった。
誰か?誰でもいいの?アレン君でも、ディラン君でも?
―――違う。できるなら、もしかなうのなら、私が―――
「わたし、あなたのそばにいる。そばにいたい。私が力になれるなら、あなたを支えたい」
もういい年してるんだからとか、この世界の人間じゃないとか。
妙なプライドが邪魔してずっと言えなかった、見ないようにしていた感情は、言葉になってするりと私の口からこぼれた。
「シェリア君が、好きだから」
シェリア君が息をのむのが分かった。
魔法にかかったみたいにお互いの時間が止まる。
「ダメだ」
見開かれた紫の瞳が伏せられた時、魔法を解いたのはシェリア君の硬質な声だった。
「お前はもとの世界に、家族や友人や仕事を残してきていると言った。帰らない訳にはいかないだろう。やはり、話すべきではなかった。…こんな一時の同情に流されてはいけない」
「っ同情なんかじゃ!」
次の言葉を紡ごうとしたところで、割って入ったのはドアをノックする音だった。
「アレンか?」
「殿下。…あの」
「何だ?」
何やら口ごもるアレン君。ふうと息を吐いてシェリア君がドアに向かおうと腰をあげた時。
「入ってもいいですか?」
聴き覚えのある声が扉の外から聞こえた。
「遊利ちゃん!?」
遊利ちゃん、さっきの犯人を追って行ったけど、無事だったんだ。ほっと胸をなでおろす。
外からは何やら揉めているような声がした。ああ、そっか。アレン君やディラン君とは初対面だもんね。
シェリア君が何か言いたげな視線を寄越す。私はその意図を汲んで、絶対大丈夫だから、とシェリア君に念を押した。
「入れ。アレンとディランも」
「お邪魔します」
躊躇なく扉を開いて入ってきた遊利ちゃんは、私のそばまで来て軽くシェリア君に会釈した。王族に対して軽い会釈…!あ、アレン君が遊利ちゃんを敵意丸出しな目で見てる。気づいていない訳ではないのだろうけど、全く意に介した様子のない遊利ちゃん。大物だ。
「ゆ、遊利ちゃん。大丈夫だった?」
「ええ、もう捕まえましたから大丈夫ですよ。安心してください」
私が聞いたのは犯人を捕まえたかどうかではなくて遊利ちゃんにけががないかなんだけど、遊利ちゃんの様子を見る限り大丈夫そうだ。ほんとよかった…!
私を安心させるように微笑んだ遊利ちゃんだけど、ふとその表情を曇らせた。
「本当にごめんなさい。私が付いていながら…不覚です」
「そんな。遊利ちゃんのせいじゃないよ」
「いえ。私のせいです」
私の本心からの言葉にも、全く譲ろうとしない遊利ちゃん。この辺の頑固さは、シェリア君と通じるものがあるかも…。
「…サーシャ。紹介があると嬉しいのだが?」
シェリア君がやや警戒のにじみ出る声色でそう言った。ああ、そうだ、すっかり忘れてた。てへぺろ。
「あ、ご、ごめん。こちら私の前の世界の友達の、朝比奈遊利ちゃんです。で、この人がこの国の王子様のアルシェリア君です。あそこの二人は、アレン君とディラン君です」
「…雑だな」
「こまけえこたぁいいんだよ」
説明とか得意じゃないし。必要なことは後で補足しますし。
「で、アサヒナユーリ、なぜ君はここにいるんだ」
聞きたいことは色々あるのだろうけど、とりあえずこういう質問にまとめたみたいだ。
私も知りたい。名前呼んだ覚えはないのに、駆けつけてくれた理由とか。
「早沙子さんが危険にさらされていたので。私は彼女を無事に元の世界に送り届ける義務がありますし」
元の世界、という単語に反応したのだろうか。シェリア君が剣呑な雰囲気を帯びる。
遊利ちゃんもそれに気付いたのだろう、小さくため息を吐いた。
「別に、奪いに来たわけじゃありませんよ。彼女が残りたいと言うなら残っても構いませんし」
「…そうか」
シェリア君が目を伏せた。アレン君はちょっとびっくりしたような顔をしている。ああ、そうだ、帰るとか言ってないもんね。こういうの、自分の口以外から知れた時って結構気まずいなー…。ああ、ディラン君に関しては言わずもがな。マジ鉄仮面。
「でも、怪我させてしまった訳ですし…延期しますか?」
遊利ちゃんが心配そうな表情でこちらを見る。
正直なところ、怪我はホントに大したことない。
けれど。
けれど、シェリア君の事情を知ってしまった今、帰るという決心が大きく揺らいでいた。さっきとか残るって言っちゃったし…。でも…。
わたしがうだうだと考えていた時、
「今の怪我では無理だろうか」
シェリア君がそう切り出した。
遊利ちゃんも一瞬意外そうな顔をして答える。
「いえ、来た時と違って、私が一緒なら《渡界》しても身体への影響はほとんどないはずです。でも、早沙子さんの事を考えると、無理はさせるべきではないかと」
「いや」
シェリア君は強い調子で遊利ちゃんの話を遮る。
「今回の事で痛感した。俺では、サーシャを満足に守れない。城の中にサーシャをよく思わない奴らがいるのも事実だ。これからも、同じことが続かないとは言い切れない。なるべく早く、この城を出たほうがいい」
シェリア君が、しっかりと目線を遊利ちゃんに合わせる。
「サーシャを、頼む。無事に、帰してやってくれ」
シェリア君が、遊利ちゃんに、頭を下げた。
その声が、少し震えていた気がしたのは、私の都合のいい勘違いだろうか。
2011/11/13 改稿