12話 最後に、ひとつだけ
ちらりと私に視線を寄越した遊利ちゃんは、銃の人影と対峙する形ですぐに前を見据えた。
「逃がさない」
そう言った遊利ちゃんが右手を前に突き出した。その瞬間、周囲に風が起こる。
「わっ…」
思わずそう声を上げると、遊利ちゃんがこちらに向き直った。
「傷を見せてください」
そう言って遊利ちゃんがしゃがみこむと、シェリア君が私を抱く腕に力がこもる。
「遊利ちゃん、どうしてここに…」
「知り合い、か?」
私がこくりと頷く。肩の痛みに、おもわず顔が歪んだ。
遊利ちゃんはサッと肩口部分の服を破くと、傷口を指でなぞる。いいいいたい!!
「これならだいじょうぶ」
涙目で彼女を見ると、心底ほっとしたような表情でそう言った。
遊利ちゃんは立ち上がると、表情を引き締める。
アレン君とディラン君が遊利ちゃんに剣を向けていた。遊利ちゃんは興味のなさそうな表情で二人を見る。
「早沙子さんの止血を。手近な部屋に運んでください。弾はかすっただけですし、出血量も多い訳ではないので大丈夫です。…私はアレを追います」
未だ警戒態勢を解かない二人に、
「早く!」
遊利ちゃんがそう一喝すると、アレン君がはじかれたように私に近づいた。私とシェリア君の安全確保を第一優先事項に置いたようだ。
その隙に遊利ちゃんが人影のいた方向にかけだすと、ディラン君もそれを追った。
「殿下、サーシャ様、こちらへ」
アレン君が警戒態勢を解かないままシェリア君を先導し、私はシェリア君にお姫様抱っこされたまま手近な部屋に運ばれたのだった。
な、なんか超展開…。肩の痛みとかどうでもよくなってきた。
***
くそ、なんなんだ。なんだっていうんだ!!!!
重い体を無理やり動かして逃げながら、銃を持った男―――レギは内心でそう叫んだ。
簡単な仕事のはずだった。この「マガン」という武器で女に傷をつけ、用意された逃走ルートから逃げればいいだけの。
レギは王都でいわゆるゴロツキと呼ばれる存在だ。王家の御膝元である王都は国内で最も治安がいい街だが、どこにでもレギのような存在はいるもので、中心街から外れた比較的貧しい層が住んでいる区画を根城にしている。
男がレギにコンタクトを取ったのは一週間前のことだった。全体的に色素の薄い、長身痩躯の男だった。金色で切れ長の瞳からは考えが読み取れなくて、恐怖心を掻き立てられたのは記憶に新しい。
男は「依頼」と言った。王城にかくまわれている黒髪黒目の女を「マガン」という武器で攻撃すること。女はただの平民だから万が一捕まっても重罪にならない、「マガン」ならば引き金を引くだけで簡単に相手を傷つけることができる、傷つけるだけでもいいが殺してもかまわない、変装用の騎士団の制服はこちらで用意する。
言葉巧みな男の誘いと、莫大な成功報酬に釣られてレギはその話に乗ることにした。
無論きな臭い話だと思わなかった訳ではない。しかしリスクと成功報酬を天秤にかけた時、これは天が授けてくれたチャンスにしか思えなかったのだ。
――この報酬があれば、貧民街から出て家族にいい暮らしをさせてやることができる。
彼は実家から家出同然で出稼ぎに来ていたのだが、その喧嘩っ早さからまともな職に就けず、チンピラまがいの行為をしているという現状に焦りを感じていたのだった。
「くそっ…」
身体がどんどん重くなって言うことをきかなくなる。まるでおもりを付けられたようだ。背後からは先ほど中庭に突如現れた黒い影の気配が迫っている。
ついには立ち上がることができなくなり、這いつくばるようにして逃げる。レギは、身体の重さだけでなく黒い影への恐怖で力が入らなくなっていることを自覚していた。
捕まったら、殺される。
その確信がレギの中にあった。
とうとう影がレギに追いついた。ほふく前進のような格好で逃げようとするレギのわき腹を影―――黒い外套を着た遊利が蹴り飛ばし、無理やり仰向けにする。
黒い髪と黒い外套と対照的な白い肌。その冷たい視線で射すくめられたレギは死神を連想して顔を真っ青にする。
「ぎゃっ」
ぐりと遊利がレギの右腕を踏みつけた。痛みで「マガン」が手からこぼれる。レギは、「マガンで反撃する」という選択肢を忘れてしまうほど、遊利に恐怖していたのだ。
遊利はレギの手からこぼれおちたものを拾い上げた。
「シルベスターエース式の魔銃ですか。連射速度は遅く、精度と弾速に特化した小型銃。なるほど、二発目を撃つのにもたついたのはリロードに戸惑ったからですか」
抑揚のない涼やかな声色もレギの耳を素通りするだけだった。
「ひぃっ…」
遊利が魔銃からレギに視線を戻すと、レギの口から悲鳴がこぼれる。
「頼む、い、命だけは!!!!」
「正直に質問に答えてくれたら、ひどいことはしません」
遊利の冷徹な表情には慈悲の感情など浮かんでいなかったが、レギは最後の希望にすがる思いですべてを話した。
***
「…なるほど、大変参考になりました」
聞いてないことまでペラペラしゃべったレギが口を閉ざしたのを見て、遊利はそう声をかけた。
「ほ、本当にこれ以上は何も知らないんだ!あいつがいきなり現れて…」
「ええ、もう結構です」
遊利はレギの言葉を遮ると、先ほど拾い上げた魔銃をレギに向けた。
銃口はレギの頭部をとらえている。
「…な、何を」
「ひどいことはしません。一瞬で楽にしてさしあげます」
遊利の黒い瞳に見つめられて、レギの全身が総毛だつ。
遊利は引き金を握る手に力を込めた。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
レギの絶叫が響き渡った。
***
「ふむ、これでひとまずは大丈夫でしょう」
運び込まれた客室で、私はグランさんという老医師の診察を受けていた。
シェリア君専属のこのお医者様は、1年ぶりに部屋から出ているシェリア君にもにこりと笑いかけただけであれこれ聞かず、てきぱきと処置をこなしてくれた。
「半日ほどで痛み止めが切れるでしょうが、耐えられなくなったらまた呼んでくだされ。安静にしていれば明日か明後日には傷も完全に塞がりましょう」
「ありがとうございます」
包帯を巻き終わると、殿下、もうよろしいですよ、とグランさんがシェリア君に声をかけた。護衛がアレン君しかいない現状では、シェリア君はこの部屋を出る訳にもいかず、治療中は律儀にずっと壁側を向いていたのだ。
別に肩だけだから脱ぐ訳でもないのに。
「…ふむ。しかしこの傷口はいったい何でできたもので?剣とも弓とも違う。どこかにぶつけた訳でもあるまいて」
「それは…」
私は気まずげに目をそらす。この世界には、銃という武器は存在しない。まして、さっきのレーザー銃のようなものはもってのほかだろう。何故あんなものがこの世界に存在したのかなんて分かる訳ないし、どう説明したらいいかも皆目見当もつかなかった。
「すまない、説明できない」
シェリア君が助け船を出すと、グラン医師は穏やかに笑った。
「とんでもない。王族ともなれば一介の老いぼれ医師に説明できんことなど山のようにあるでしょう。私の本分は患者を治療することですからな。出過ぎたことを申し上げたことをお詫びいたしますぞ」
「…すまない、いや、感謝する、グラン医師」
「ほっほ。礼を言われるほどの事ではありません。それより儂は殿下が昔のように「グラン爺」と呼んでくださらないことの方が寂しく感じますぞ」
茶目っ気たっぷりにグランさんがそういうと、シェリア君は苦々しい顔をする。それにまた声を出して笑ったグランさんは、深々と一礼して客室を退出した。
ややあって、シェリア君は私が横になってるベッドのふちに腰をかけた。私に背中を向ける形になっているので、表情は分からないが、どことなく思いつめた空気を感じる。
「…すまない。危険な目にあわせた」
先に沈黙を破ったのはシェリア君だった。
「謝ることないよ!」
シェリア君の性格を考えればある程度予想できた内容だったけど、やっぱり私は即座に反論した。
「シェリア君、私の事守ってくれたじゃん。一番最初に動いてくれたの、シェリア君だったよ」
うう、視界がうるんできた。ここまで来てやっと緊張の糸がほぐれたみたいだ。
「自分の身を呈してかばってくれたじゃん。本当は、ああゆうのしてほしくないけど、いつもなら、怒ってるけど…。嬉しかったというか、安心したんだよ」
すでに涙声だ。ああいい年してみっともない!歳をとると涙腺が緩くなるんだよ、ほんと。
「さっきは、夢中だった。何が起きてるか分からなかったからな」
私の眼からこぼれた涙をシェリア君がぬぐった。
「さっきの、あの黒い外套の者は」
「…前の世界の友達。そ、そういえば追っかけて行ったけど大丈夫かな」
「ディランがついてる。問題ないだろう」
遊利ちゃんと知り合ったのはこの世界に来てからだから、前の世界の友達と言うのはかなり違うんだけど、まあ説明しきれないのでぼかしておいた。遊利ちゃんは心配だけど、魔法少女だし、強そうだったからなぁ。銃程度には屈しない気がする。
「シェリア君、ありがとね。あんまり騒ぎにしないでくれて」
「いや、こちらこそ、気を遣わせた」
遊利ちゃんが私の傷を見ていた時に、彼女は私にしか聞こえない声で
―――できたら騒ぎにしないよう誘導してください。すぐ捕まえます。
と言った。理由までは教えてくれなかったが、考えがあるようだったし、私も大ごとにするのは本意じゃなかったので(まあ城に侵入者って時点でだいぶ大ごとなんだが)その旨をシェリア君に伝えた。 グラン医師だけを連れて来てくれたアレン君には感謝だ。
「痛むか?」
「少し。でもへーき。かすり傷だし」
シェリア君はまるで傷が自分の者であるかのようにその綺麗な顔をゆがめた。
「…薔薇園、行けなくなったな。すまない」
「…そんな、薔薇園なんて」
いつでも見れるよ、と言いかけた私はハッとして口をつぐんだ。そうだ、今日を逃したらもう…
「最後に、ひどい思い出になってしまったな」
苦笑するシェリア君。そうだ、これで最後なんだ―――
「…最後に」
自然に、言葉がこぼれた。
「最後に、一つだけいいかな」
「何だ?」
迷いはなかった。私は一息に問いかけた。
「部屋から出なかった本当の理由って何なの?」
シェリア君の肩がピクリと揺れた。
2011/11/13 改稿