10話 心変わり
遊利ちゃんと期限の約束をしてからの私は頑張った。超頑張った。
強引な手もそこそこ使ったし、文字通り扉まで引っ張っていこうとしたこともあったし、プチ説教もくれてやった。若干黒歴史。
だが思った以上に、いや、想定を遥かに超えたレベルでシェリア君は頑なだったのだ。
気付けば約束の期限は明日に迫っていた。
「全く、どこのアイアンメイデンだよ…」
「難儀ですねぇ」
私は自室で遊利ちゃんに相談に乗ってもらっていた。「殿下脱引きこもり作戦」に行き詰ったから、気分転換に現代トークしたかったって言うのもあるけど。
初めて遊利ちゃんに会った日、「何かあったら、呼んでくださればすぐ行きます」と言っていた通り、彼女は呼んだらすぐやってきた。
来るはずないか(笑)とか思いながら、「遊利ちゃん、ちょっと相談があるんだけど、なんて…」と呟いた20秒後、彼女はバルコニーからガラス窓をノックしていたのだった。
どどどどうやって!?とかここ5階ですよお嬢さん!?とかお城の警備とかこれで大丈夫なんですか!?とかテンプレな突っ込みどころは色々とあるけど、全て遊利ちゃんが魔法少女だから、ってことで解決するのだろう。深く考えないことにした。そんなことよりシェリア君という名の鉄壁要塞の攻略法だ。
「もうひと押し!って感じではあるんだけどねぇ」
私がため息とともにそういうと、遊利ちゃんは少し探るような眼でこちらを見た。
「・・・でも、まだ完全な詰み、という様子にも見えないんですけど?もしかしてまだ切り札があったりします?」
「・・・うん、まあ、ね」
私の歯切れは悪い。これは切り札と言うには余りに不確実で、私としても出来れば、というか絶対に使いたくなかった手段だ。
そしてひきこもりの根本的解決にはつながらないかもしれない。一矢報いることができるかもしれない程度の成果しか上げられない可能性が高いだろう。
でも、このお城でタダ飯食らいのニート生活を送らせていただいた身としては、何の成果もないのは流石に拙いだろう。っていうか人としてどうかと思うのです。
正直この手も通用するか分からない。そしてこれがダメだった場合詰む。
その時は陛下に土下座するしかないな、と思い、私は憂鬱な気分になった。ブルーを通り越して紫である。
「やらないで後悔するのとやって後悔するのはどっちがいいか、は基本場合によりけりだと思いますけど、今回は後者な気がしますよ?」
「その心は?」
「後腐れないから」
私は思わずぐぬぬ・・・と唸ってしまった。私の躊躇を読み取ったのだろう、これは彼女なりに背中を押してくれているのだろうな。理にかなっているから無理やりにでも励まされてしまう。
優しい子だ、と思う。
お城の人々への義理を果たすためにも、シェリア君の友人として彼の将来のためにも、遊利ちゃんの応援にこたえるためにも。
取れる手段はとっておかねば。私は気合を入れ直した。
「遊利ちゃん、ありがとね」
心からの感謝をこめて遊利ちゃんに笑いかけると、彼女は照れたようにきょときょとと視線を彷徨わせた。
・・・ぎゅってしていいかね。
***
遊利ちゃんとの相談を終えた後、私は例によってシェリア君の執務室でお茶を飲んでいた。
最近はずっと開口一番にこやかな笑顔と主に「さあ外でようか!」と声をかけ、あの手この手で外へ連れ出そうとしていたのだが、今日は色々思うところがあっておとなしくしていたのだ。
部屋には二人っきりで、沈黙が流れていた。カップをソーサーに置いたり、シェリア君が手にした書類をめくる音だけが響く。
普通に考えたら充分に気まずい状況なのだが、この空間は私にとって心地よかった。シェリア君も気まずさは感じていないようだ。
「今日は、外に出ろって言わないんだな」
暫くして沈黙を破ったのはシェリア君だった。ちょうど書類に一通り目を通したところのようだ。おつかれさまです。
「諦めたのか?」
「もしかして、出ろって言って欲しかった?」
若干シェリア君が残念そうに見えるのは私の気のせいだろうか。
質問には答えずに茶化すと、シェリア君も小さく笑っただけで答えなかった。
「…あのさ。シェリア君、もし―――」
自然に言葉がこぼれた。遊利ちゃんが来てから、ずっと頭の中にあった言葉。
言ってみたい気も、絶対に言いたくない気もする言葉。
――――もし、シェリア君が外に出なければ、私元の世界に帰るって言ったらどうする?
しかし、私の口からその続きが出てくることはなかった。
そもそも私は帰ると決めているのだから、こんな交換条件は成り立たない。
そしてまた、シェリア君がこの条件を呑んだにしろ呑まなかったにしろ、私は恐らく――苦しむことになる、という予感があった。
前者は勿論、元の世界を捨てなければならなくなるため。後者は―――なぜだろうな。ひきとめてもらえなかったらショックを受けるってか?帰ると決めているのに?どこのツンデレだまったく。考えるのよそう。
「もし、なんだ?」
「…ん、いや、なんでもない」
「なんだ、気になるな」
そういうシェリア君だったが、私の様子を見たのかそれ以上追及してくることはなかった。マジ紳士。
でも、帰るという事実は絶対に伝えなければならない。
約束の期限は明日だ。世話になった人々に一通り挨拶しようと思ったら、今日中に始めないと間に合わないだろう。
半年間も侵食の面倒を見てもらったお城の人々には申し訳ないけど、私では力不足だったようだ。そのあたりの謝罪もしなければならない。
そう、こんなに言いにくいのは投げ出す形になってしまった罪悪感だ。それだけ。
いざシェリア君を目の前にすると、先ほど固めた決意が揺らいでひよりかけたが、何とか自分を奮い立たせて重い口を開く。
「あのね、シェリア君――」
私はこの世界の人間ではないし、元の世界にたくさんの物を置いてきている。
つくづく城の人には申し訳ないが(大切なことなので何回もいいます)、私にだって都合がある。帰らなくてはならない。
いいにくいなんて言ってられないのだ。私は膝の上で握った両拳にギュッと力を入れた。オラに力を!
「私、帰ることになった」
言い切った直後、あ、ズルイ、と自分自身に突っ込みを入れた。「なった」って。自分で決めといて「なった」って。
「…何?」
シェリア君は器用に片眉を上げる。
「いや、だからね、私、帰るの」
「帰るって、どこに」
「…元の、世界に」
この上なく歯切れ悪く私がそう言い切った時、シェリア君の雰囲気がサッと変わった。
表情はそれほど変化したように思えないのだけど、なんだろう、オーラが紫色になったというか。
「…どういうことだ」
数秒の沈黙ののち、シェリア君が重々しく口を開いた。なぜ、とかどうやって、と来ると思ったが、どういうこと、と来たか。一度に説明できるから手間が省けるな。
…なんて心の中では冷静さを装ってるけどね!シェリア君顔が怖いですよ!その地を這うような低い声も怖いです!そのせいで私はbkbrですよ!
私はその雰囲気に推されてぼそぼそと説明を開始した。
元の世界から迎えが来たこと。私がここに来たのは事故のようなものだったこと。元の世界では2週間しか経っていないらしいこと。
一通りの説明が終わると、シェリア君ははー…と長い息を吐いて、どっかりと長椅子にもたれかかり、額に手を当てた。
「帰るって、いつだ」
…うわあ、怒ってる。そして私の答えは恐らくもっと怒らせる。超怖いんですけど。美人がキレると迫力がっパネエ。
今すぐここから逃げ出したい衝動を何とか抑えつけ、答えを絞り出す。
「…明日」
「明日!?」
シェリア君は勢いよく椅子から立ち上がった。私もそれに驚きつられて立ちあがってしまう。
シェリア君が一歩私への距離を詰めた。私も一歩後ずさる。
「なぜ…そんな、急に」
「ごめ…」
シェリア君が一歩私への距離を詰めた。私も一歩後ずさる。
シェリア君の裏切られたような表情に、震える声に、見ないふりをしていた罪悪感が激しく存在を主張し始めた。なんか…凄い責められている気分。いや、ていうか実際に責められてるの?なんかもうわけわかんない。
シェリア君が一歩私への距離を詰めた。私も一歩後ずさる。
幾度かそれを繰り返すと、私の背にゴツンと壁が当たった。部屋の隅まで追いつめられたのだ。
そう、追い詰められているのは状況的に私なのだが、シェリア君の方がよっぽど追い詰められた表情をしていた。
「…っ」
何か言いたげに、シェリア君の唇が歪められる。
一飯どころじゃない恩を受けといて、投げ出す形になった私。
責められる?軽蔑される?
――――怖い。
私は口を開けば謝罪の言葉しか出てこないのは分かっていて、キュッと口を引き結んでシェリア君の眼を見詰めた。
私とシェリア君は30センチ以上の身長差がある。だから今のように二人が至近距離だとかなり首の角度を上げないとシェリア君と目が合わない。
本当なら視線逸らして俯いていたいところだけど、上を向いていないと、涙が出てしまいそうだった。年下に泣かされるなんて状況は何としても避けたいし、私が今この状況で泣くのはこの上なく卑怯、ていうか汚いと思う。KIAIで我慢だ!
沈黙が訪れる。
シェリア君は険しい顔で私を見下ろしていた。
けどその紫の瞳はきっと私を映してなくて、どこか遠くを見ているようだった。
私はシェリア君を見上げるふりをして、必死に涙腺への抵抗を試みていた。瞬き、だめ、絶対。
先に動いたのはシェリア君だ。気付いたら、シェリア君の頭が私の右肩に乗っていた。
額のあたりが肩の上に乗っており、確かな重みを感じる。吐息を感じられるほどの近い距離。サラサラの金髪が、私の首筋を撫でた。
「…シェリア、君」
どうしたらいいかわからずに、私は彼の名前を呼ぶ。もしかして、これは怒ってるのではなく…
悲しんで、いる?
「…サーシャは元の世界に、家族はいるのか」
「…いるよ」
「仕事も、してたんだったか」
「…うん」
「そう、か」
今までとは比べ物にならないくらい落ち着いた声色だった。震えは、まだ完全には取れてないけど。
「なら…そうだな。帰るべきだ」
「………」
なんて返すのが正解なんだろう。気の利いたことひとつ言えない自分が嫌になる。
そして私は結局一番無難な答えである沈黙を選ぶのだ。
数秒かも、数分かもしれない間が空いて、シェリア君はふうっと息を吐いて顔を上げ、くるりと私に背を向けた。
突然壁とシェリア君のサンドイッチから解放された私は、ここで初めて全身ががちがちに緊張していたことに気がつく。
「サーシャ」
「…ん?」
「前に王族専用の薔薇園に行きたいって言ってただろう」
「…う、ん」
「最後だからな。連れてってやる」
えーと、それはつまり…?
「……え」
この人今、いま。
外に出るって言った?
「シェリアくn「行くぞ。俺の気が変わらないうちに」
すたすたとドアにか近づいていくシェリア君の背中を見ながら、私はここでようやく『切り札』―――帰る前に、薔薇園を見せてもらえないか、とお願いしてみるつもりだった―――が図らずとも切られる前に叶ってしまったことに気がつくのだった。
また間があいてしまった;;
がんばります。
2011/11/13 改稿