1話 日常非日常
小説を書くのは初めてですが、よろしくお願いします。
いい天気だ。
庭先で爽やかな初夏の風を感じながら、俺は盛大に欠伸をした。
ぐいと体を伸ばし、まだ寝ぼけている体に覚醒を促す。
5日ほど前まで降り続いた長雨も今では落ち着き、青空が広がる日が多くなってきた。
ガリアスさんによれば、今年は天候も気温も安定していて、作物の豊作が見込めるという。
太陽の高度から見れば午前4時くらいだろうか。
1年ちょっと前までは明け方に寝て昼間に起きるアメーバのような生活を送っていた俺も、すっかり早寝早起きの健康体になってしまった。
よく食べよく働きよく寝る。これ人間の基本。
今はリレというレタスのようなサラダ菜の収穫の季節で、最近はここマックリン農園も大忙しだ。(これから夏に向けての忙しさはこんなもんじゃない、とガリアスさんは笑っていたが)
農園の忙しさはつまり、マックリン農園の住み込み従業員である俺の忙しさに比例するわけで。
しかし俺はここの生活が嫌いじゃなかった。
いや、嫌いじゃないどころか自信を持って好きだ。
ここに来て最初こそは戸惑ったし絶望した。
何しろ言葉も通じない、文化も違う、さらに魔法なんてものが存在するファンタジーな世界にいきなり放り出されてしまったのだから。
コンビニに行った帰りに、なんとなくいつもと違う道、建物の間の狭い路地を選んで帰ったら、空間に浮かぶ黒いバスケットボール大の球のようなものを見つけた。
俺は特に何も考えずにその球に手を伸ばし、呑みこまれ、気が付いたら異世界でした。はいテンプレ乙。
運が良かったのは、ここにきて最初に出会ったのがアウリだったということだ。
アウリはここマックリン農園の農園主ガリアス・マックリンさんの長男で次期後継者。
迷い込んだ農園裏手の森をうろうろしていていた、言葉の通じないうえに奇妙な格好という不審者全開の俺を農園まで連れ帰り、なんと面倒を見るよう家族を説得してくれたのだ。
俺が言えることではないが、呆れたお人好しっぷりである。
どうやら俺は実年齢の24歳よりかなり幼く認識されていたらしく、しかも日本での極貧フリーター生活のおかげで決して太ることのなかった体は栄養失調のガリガリ君だと思われたらしい。
ここで言っておくが、ここの農園の人が異常に逞しい体つきなだけで、俺は現代日本人レベルだと確実に標準に収まる体型である。
そんなこんなでマックリンさん一家に逆に引いてしまうほど(失礼)すんなり受け入れられた俺は、住み込み従業員として農園で働くことになった。
農園の仕事はきつかったが、正直日本の日雇い派遣より衣食住が保証されるぶん労働条件も格段に向上したといえる。
初めから比較的打ち解けていたのはマックリン家のなかでは農園主ガリアスさん、ツィスカ夫人、長男アウリ、祖父ラモンさん、祖母コリンヌさんである。
この人たちは俺を胡散臭がるどころか盛大に同情してくれて(もっとも最初は何を言っているのかすらわからなかったが)、俺の胃袋のキャパシティを遥かに超える量の食事を出してくれたり、言葉や読み書き、常識や文化を仕事の片手間に教えてくれた。
一方当初は俺を警戒していたのが次女アリサ、次男サイラス、三女カリナである。
アウリと俺が同い年くらいで、当時はアリサが18、サイラスが15、カリナが10だったか。
ちなみに長女のサラディアさんはもうお嫁に行っている。
当初彼らは俺と口を利かないどころか半径1mに近寄らない勢いの嫌われっぷりだった。
言っておくがこっちがむしろ普通の反応なのだ。いきなり打ち解けたらこの少年少女の将来が逆に不安になってしまう。
しかし住み込み従業員だから、必然的に毎日顔を合わせるし、仕事も食事も一緒になる。基本的にいい人である彼らとは自然に雪解けした。
まあ決定的だった出来事は俺がツィスカさんに教えたなんちゃって日本料理が大好評だったことだろうか。食べものの力は偉大です。
ここにきて一年とちょっと(正確な日にちは数えてないからわかんない)。
俺はこの世界に馴染んでいた。
言葉も日常会話には困らない。常識も不審者と即断されない程度には身に付けた。農園から最寄りの町・フラメルにも顔見知りはたくさんいる。インフラが整ってないことは未だ不満だったりするのだが―――まあ慣れた。
俗にいう異世界トリップというしょっぱい経験をする羽目になった原因もわからないし(勇者として召喚されたのではないことだけは確かだ。そもそも魔法はスク●ニのファイア、サンダー、ブリザドレベルで、召喚魔法なんていうものは存在しないらしい)帰る手段に至っては皆目見当もつかない。
今日寝たら明日は築40年の木造ボロアパートの堅い布団の上で目が覚めるのかなあ、と思ったこともあった。
しかしここでの生活も1年以上も経つと、それは俺はこの世界で死ぬのかなあ、という思考に変化した。これが人間の適応能力ってやつなのかね。
俺は木製のバケツを両手にもち、中二っぽい言い方をすれば始まりの場所である農園裏手の森に入った。
毎日朝起きて最初の仕事が、ここから歩いて3分ほどの所にある泉に一日分の生活用水を汲みに行くことだ。だいたい十往復で庭にある巨大な瓶が一杯になる。
森のすっかり歩きなれた道を歩く。というか俺が毎日歩くところに道ができた。
この道は俺が名前をつけてもいいんだろうか。モーニングサンライズウェイとか。
モーニングサンライズウェイの利用者は俺だけではないらしく、たまにウサギとか、羽が生えたウサギとか、緑色のウサギとか、なんとも形容しがたいがギリギリウサギとかと遭遇するが、襲ってくるような凶暴な生物ではないので基本スル―する。
ガリアスさんやアウリはたまにこれらを狩りにくるが、俺は鑑賞するだけにしておく。奴らは正直食べたいと思えるシロモノではないかな。
たまに何の生物のものか分からない肉が食卓に並ぶが、そういう時は決して突っ込まずに深く考えないでに食べるべし、というのは学習済みだ。
本日は鱗のあるウサギに遭遇した。俺がひそかにマーメイドラビットと呼んでいるウサギである。
恥ずかしいから誰にも言わないが。
しばらくすると泉に到着する。
ありがちな表現だが、朝日を反射してきらきらと光る泉の表面はいつ見ても綺麗だ。この風景も毎日の俺の楽しみだったりする。
初めは汲んだ水をそのまま飲むことにかなりの抵抗を覚えたが、呑んでみるとあら不思議。なんでこんなに美味いの!?ヴォル●ィック顔負けである。
そう、この一年半で泉の水をそのまま飲んだり、リレやサランといった見たことも聞いたこともない野菜を食べたり、いろいろなバリエーションのウサギに遭遇したり、朝は4時に起床したりするのが俺の日常になってしまったのだ。まったく人間の順応能力って恐ろしいね。
そんな俺の新・日常は、またしても、唐突に、崩れ去ろうとしていた。
さあ汲むぞー!と意気込んで泉の淵にバケツを下した俺の視界に非日常が影を落としたのだ…。
最初は何かわからなかった。市民プールほどの大きさの泉の対岸に、黒色があった。
そこの景色を一部分黒い絵の具で塗りつぶしたような、黒。
「…?」
大した距離はないはずなのに、黒色の姿かたちをうまく認識できない。
まだ寝ぼけてんのかな、と眼を手で擦った時―――
「中原元春さん?」
「うおっっっっ!!!!!!?」
いきなり背後から声をかけられ、無様にもズッコケてしまった。我ながらオーバ-リアクションだと思う。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃいました?」
くすくすと笑う声のする背後を振り返ると、先ほどの黒色が立っていた。
「え……さ、さっき、あっちに…」
立っていただろ、と言いたっかたのだが、驚きすぎて口が回らない。
「ん?ああ、それは残像ですよぉ」
さも楽しそうにそういう黒色の実体は、どうやら真っ黒のローブを着た人間のようだった。
大きめの黒ローブの包まれた体は小柄で、フードをすっぽりと被っているので顔はわからないが、フードから覗くあごのラインはほっそりしている。
声の高さからも子供か女性であると予想された。
「僕はユリウスっていいます。もう一回聞きますけど、あなたは中原元春さん?」
小首を傾げた黒色もといユリウス少年の言葉を、混乱した脳が徐々に理解していくうちに、俺は更なる驚愕に襲われた。
―――こいつ、今、何て、言った?
「あれ、もしもし?大丈夫?」
何の反応も返せずに、恐らく大層なアホ面をして、初めズッコケた体勢のままユリウス少年を見上げていた俺に、少年はかがんで目線を合わせる。(俺から少年の眼は見えないが)
しかし俺の驚愕と混乱は深まるばかりだった。「あやしいひかり」をかけられたポケ●ンだって今の俺よりは冷静だろう。今ならわけもわからず自分どころかトレーナーを攻撃しそうだ。
こいつは、今、確かに、 日本語を喋った。
そして、この世界では誰一人正確に発音できず、「ハル」と呼ばれる俺に、本名で流暢に「中原元春」と呼びかけてみせたのだ。
「………何なんだ、あんたは」
ようやく絞りだすことに成功した俺の言葉に、ユリウス少年は形のいい唇の両端をいかにも「にっこり」という形に吊り上げ、本日三度目の質問を繰り返した。
「その質問に答える前に、確認しなければならないことがあります。あなたは中原元春さん?」
2011/11/13 改稿